通算15回目を迎える今年度の水岡ゼミ巡検では、樺太/サハリンと南千島/ユジヌイエ・クリルを訪問しました。
今日、石油・天然ガス事業により注目を集めている樺太/サハリンは、もともとアイヌやニブヒの生活空間でした。しかし、19世紀になってロシアと日本それぞれが辺境を広げて、両者のフロンティアがここでぶつかり、わずか約60年前まで、その南半分は日本領でした。
1945年、そこにソ連軍が侵攻したとき、在住していた多数の民間人は、悲惨な戦争体験を強いられました。今日でも、日本統治時代に移住してきた朝鮮半島出身者が多く住み、日本時代に作られた建造環境が残り、日本とロシア、そして資本主義と社会主義の興味深い接合が、各所に見られます。
一方、南千島/ユジヌイエ・クリルは日本とロシアの両国が領有を主張していますが、現在はロシアにより実行支配されているため、地域の現状すら正確に伝えられていません。「北方領土は日本固有の領土」としてただひたすらに四島返還を主張することの無意味さを、私たちは現地を訪れ、人々との交流を深めることにより、痛感させられました。
旧ソ連時代に樺太/サハリン・南千島/ユジヌイエ・クリルは外国人の立ち入りが原則として禁止され、今日でも、その情報の少なさや渡航手続きの煩雑さから、距離的には北海道から大変近いにもかかわらず、決して容易に訪れることのできる地域ではありません。人や物の往き来が制約された透過性の低い国境が宗谷/ラペルーズ・根室/クナシリスキー海峡を隔てて厳然と存在していること、そして稚内・知床からわずか数10キロしか離れていない地に、ヨーロッパの辺境という日本とは全く異質な空間が広がっていることに、私たちは大変驚かされました。
今年の巡検レポートは、こうした樺太/サハリン、南千島/ユジヌイエ・クリルの過去と現在について、私たちが現地で直接経験し、聞き取ったことを、余すところなく紹介しています。どうぞごゆっくりご覧ください。
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