9月4日

中知床/アニワ岬、豊原/ユジサハリンスク

怒涛洗う岩にしがみつく、中知床/アニワ岬灯台
懐かしさを覚える、大泊/コルサコフの港
高級住宅街――格差広がる市場経済ロシアの可視的な表象
朝鮮系の人々がになう商業施設
にぎわう中国人市場
夕食

怒涛洗う岩にしがみつく、中知床/アニワ岬灯台

長かったイゴール・ファルフトディノフ号の船旅も、今日で最後である。私は一度、海上での日の出というものを見てみたかった。
  朝5時、私はひとりベッドから起き出して、真っ暗な甲板に上がった。暗黒の海の一点が淡い紫色ににじみ始め、千変万化の色の変化を経て陽が昇り、青い空に明るい太陽が燦々と輝きはじめる。時間にして1時間足らずであったが、見ていて飽きることがなかった。
 船の進行方向右手には、朝日に照らされた中知床/アニワ岬が浮かんでいた。北海道の知床岬、敷香/ポロナイスクの東に大きく突き出す北知床/テルペニヤ岬とあわせ、「三知床」と呼ばれることもある岬のひとつである。
 切り立った岩の稜線が宗谷/ラペルーズ海峡に崩れ落ちる岬の先端には、岩礁にしがみつくように、日本時代に作られた灯台が建っていた。サハリン州内の灯台については、これもサハリン州立郷土博物館サマーリン部長の研究がある。この灯台は、周りに空き地がまったくないので、下部が台のようにひろがり、そこに灯台守などを居住できるようにした構造が特徴的である。

中知床/アニワ岬を回ったので、大泊/コルサコフ港まではもう距離はあまりなかろうと思ったが、実はここからまだかなり距離があり、実際には到着はかなり遅れた。時間どおりならこの時間にはすでにかなりコルサコフに近づいていたはずである。 
 一度部屋に戻り、下船の準備をしてから朝食を食べに食堂へと向かった。船が遅れたため臨時に開けた朝食営業である。この便利で安価な食堂を利用できるのも今日が最後だ。おかゆは、慣れのせいか初めて食べたときよりはずいぶんとおいしく感じられた。
 その後、船の中を散歩して、亜庭/アニワ湾に入ると、波もおだやかになり、しだいに大泊/コルサコフの街が大きくなって、いよいよ下船の時間となった。

懐かしさを覚える、大泊/コルサコフの港

午前10時半ごろ、私たちは一週間ぶりに大泊/コルサコフ港に戻ってきた。並ぶクレーンをみると、なんとなく懐かしい感じがする。危なっかしい船の下船階段を下り、混雑した下船場でパスポートとチケットのチェックを受ける。そしてすぐに、港のターミナル行き宗谷バスの中古に乗り込んだ。
  5分ほどで港のターミナルへ着く。稚内から着いたときと違って、ここでは、特に何の検査も無かった。建物の中を通り抜けて外へ出て、朝の8時半から待ってくれていた、私たちがチャーターしてあったバスに乗り込んだ。鉄柵で囲われた出口のところに出迎えの人が30人ばかり群がっていたのは、空港の出口などと雰囲気が似ているが、そこに屋根はない。
  千島/クリルから帰ってきてこの大泊/コルサコフの町をみると、ずいぶんと町が活気に満ちた大都会のように感じられる。

楠渓町/アクルジナヤ通りのあたりでバスを降りて、三線式になっている線路を見た。日本の旧国鉄と同じ軌間のまま60年間使われてきたサハリン鉄道を、ロシア本土と同じ広軌1520mmにする工事の途中で、どちらの軌間に対応した列車でも走れるようになっている。ちょうど三線目を途中まで設置した切れ目になっている部分を見た。複雑な構造を要するポイントの部分は、まだ工事されていないようである。大規模な工事だが、広軌による線路が全面的に完成すればロシア本土と樺太/サハリンとの間の物資輸送が今よりもはるかに安全でスムースに行き、樺太/サハリンはいっそうロシア本土との空間統合がすすむだろう。
 2000年に計画がはじまったこの工事は2003年から始められ、サハリン州のインフラ整備の重点課題だというが、はたしていつになったら完成するのだろうか。

高級住宅街――格差広がる市場経済ロシアの可視的な表象

さて、バスに乗って30分もすればもう豊原/ユジノサハリンスク郊外である。ここで、建設中の高級住宅街を視察した。
  石油・天然ガス開発などで、市場経済が成長する樺太/サハリンでは、いわゆる富裕層が形成されつつあり、そうした人たちの住む地区が郊外に建設されている。こうした高級住宅地区は、私たちが視察した場所の他にも、郊外に4〜5カ所あるのだという。
 この地区は、大泊/コルサコフからの主要道路沿いに立地しているため、ここからの町の中心部への移動には自家用車やバスが利用でき、交通の便がよい。
私たちがここを訪れたときには、数人の男が丸太を鋸で切ったり屋根の上に登って、住宅建設工事の真っ最中だった。建物の建設費用は約15〜20万米ドル、この他にごく安価だが土地代もかかる。この地域の平均賃金からしたら、かなりの高額である。土地を買って建設会社に工事を依頼する人も多いが、中には自分で家を建ててしまう人もいるのだそうだ。住む人の職業はさまざまで、銀行で金を借りることもできる。それでも、中には建設途中で資金がなくなり、建設中の家を売り飛ばしてしまう人もいるという。
 もうすでにほぼ工事の終わった家もあった。明るい色の壁と、積雪対策のため傾斜が急になっている屋根が特徴的である。住宅街の入り口には、門を自動で開け閉めするリモコンの広告が出ていた。日本でも、自動で動く門など珍しい。
  家々は美しく造られ、私有地の中は整備されているが、住宅街の中の道路は穴だらけでボコボコのひどいものであった。この激しい格差が、石油・天然ガス開発により急速に成長した現在の樺太/サハリン経済を象徴している。

朝鮮系の人々がになう商業施設

続いて、豊原/ユジノサハリンスク市内に入り、商業施設を視察した。
 市内には数軒のデパートが存在する。私たちが視察したのはそのうちのひとつで、比較的最近にできた「メガポリス」である。安さんという朝鮮系の人が経営している。、この人は他にもホテルや店を経営しているという。朝鮮系の人々は、樺太/サハリンで経済的に成功し、社会的に重要な役割を担っている。同じ朝鮮系である通訳の成様は、このことをとても誇らしげに語ってくださったのが印象的だった。
 メガポリスは、外から見ると、きわめてモダンで大きな建物で、とりわけ壁面が大きなガラス張りになっている。中に入ると、真っ白に磨かれた床と高い天井が高級感を出している。1階には、アメリカをアピールしたジーンズ・ショップやカフェなどが並ぶ。1階と2階は、エスカレーターで2階に上がると宝石店やCD店、韓国製品の専門店など、さまざまな売り場があった。客は、実際に商品を手にとってみることができ、商品の置き場と客の立つスペースが分離されているソ連型の一般的商店と異なる。韓国製品は、高級品として売られていた。
 このデパートは、樺太/サハリンに住む朝鮮系の人たちだけを相手にしているのではなく、白人のロシア人たちをもターゲットにしているようだ。

デパートを出ると、制服を着た小学生を見かけた。9月になって学校が始まったのだろう。ソ連では、児童や生徒は私服通学だったから、この制服の小学生たちは、ソ連が崩壊してからできた富裕な家庭の子女のための私立学校に通っているにちがいない。市場経済化による格差の拡大が、教育にも及んでいることがうかがえる。

 続いて私たちは、大手家電量販店「アルビータ」に向かった。外から見ると、こちらは黄色と赤を基調とした外観で、きわめて派手なものであった。
 だが、一歩中へ入ってみて、日本の家電量販店との雰囲気の違いに驚いた。一般に日本の家電量販店は「安さ」を売りにしており、店内にはところ狭しと商品が山積みにされ、騒々しい音楽が流れて、客はあたかもスーパーで野菜を買う感覚で買い物をしてゆく。しかし、アルビータの店内は、広々とし、静かで落ち着いた雰囲気で、デパートのようにピカピカの店内に整然と商品が並べられている。家電製品はここサハリンではまだまだ高級品であり、したがって客が「高い物を買いに来ている」という気分になるように店の雰囲気が作られているのだ。
 テレビ、冷蔵庫、オーディオ製品、パソコンとその周辺機器、カメラ、FAX、ウォッシュレット付き便座、携帯電話、スポーツ用品、家具など、扱われている商品は多岐にわたる。置かれている商品は、日本で流通しているものよりやや古い型のものが多く、値段も安くはないと、電化製品に詳しく日本の大手家電量販店でアルバイトをしているゼミ生が言っていた。扱われているメーカは、日本製のもの、韓国企業のLGやサムスン、ヨーロッパのフィリップスなどである。仕入れの面で、以前は南稚内駅前にある「マガジン928」と提携していたらしい。
 スポーツ用品や一部の家電は、別棟に陳列されている。そちらで、キムチ専用冷蔵庫というものをみつけた。キムチをうまく発酵させるには温度管理などが大変なので、キムチを作る朝鮮系の人々重宝がられているのだろう。キムチ用冷蔵庫への十分な需要があるだけの、朝鮮系の人々が住んでいるということである。
 豊原/ユジノサハリンスク市民の旺盛な消費需要の一端を、このアルビータで垣間見ることができた。

にぎわう中国人市場

今夜の宿である、なつかしのホテル・モネロンに荷物を置いた後、ホテルの裏にあるカフェで昼食をとった。昼時なので、とても混雑していた。よく見るとおそらく朝鮮系と思われるアジア系の人が20%ほどを占めている。
  昼食後、駅のそばで、先ほど大泊/コルサコフ郊外で見た線路拡幅の工事開始を記念して2003年につくられたモニュメントや、過去にサハリン鉄道を走っていた列車の野外展示などを見た。中でも著名なのは、ソ連崩壊直後にJRから無償で譲渡された、国鉄急行型気動車のキハ58型で、列車には「乗務員室」「架線注意」などと日本語が残っている。1990年代初めには、サハリン鉄道のローカル列車の多くこれが使われていたというが、中古車であるうえ、無償でもらったものなので惜しくないということか、そう長く活躍することもなく、ほとんどはすぐに廃車にされてしまったそうだ。ほかに、除雪車も陳列されていた。

しばらく線路に沿って歩いてゆくと、倉庫の並びに、水産物店が多く入居したビルがある。ここでは、この近辺で取れるありとあらゆる海産物を売っていた。冷凍、生、缶詰などいろいろで、値段も日本と比べ圧倒的に安い。なま物は持って帰れないのが残念だが、色丹/シコタン島の工場で加工された鮭缶詰などは、値段も40ルーブル前後と手ごろで、話題性もあり、土産品によさそうだ。

 真岡通/サハリンスカヤ通りをわたると、中国人が物を売っている市場へ出た。
 ごみごみとした雑踏であったが活気があり、靴や洋服、雑貨などがところ狭しと並べられ、多数の中国人が一生懸命に販売活動をしている。私たちが通りかかると、「日本人」と中国語で言っているのが聞こえてきた。「こんにちは」と声をかけてきた中国人もいた。
 奥のほうまで行くと、中国料理店、おもちゃや自転車を扱う店、そしてコピー商品を売る店まであった。私は「Panosanic」と大きく書かれた乾電池4本を見つけ、面白いのでつい買ってしまった。中国人市場の近くには、少数民族として中国で生活している朝鮮系の人々のバザールもあった。国籍は同じ中国なのに、別の場所で商売をしているのが興味深い。
 これらの市場は、民間会社が土地を一括して市から借り上げ、それを細かく分けて各店に貸してショバ代をとっているのだという。
 商品の流通に関する限り、市場経済はしっかり浸透していることが十分にわかる。このような市場があるおかげで、豊原/ユジノサハリンスクの市民は、多少低い賃金でも生活していくことができるのであろう。

市場のそばには、ギドロストロイ社の本社ビルが建っていた。サヒンセンターがある中心のビジネス地区からはやや離れている立地で、択捉/イトゥルップ島に君臨する大会社にしては、建物そのものが地味な雰囲気なのが、意外だった。
 その後、真岡通/サハリンスカヤ通りを少し東に進み、ソ連時代から続く伝統あるサハリン百貨店へと向かった。さすがに古めかしい、重厚な石造りの建物である。
輸入品も一部に見られるが、ロシア製の製品が多く扱われている点がさきほどのメガポリスとは異なる。石段がすりへっており、歴史を感じさせた。ここは、最近規模を拡張したのか、3階にもあたらしい売り場ができていた。私たちは、日本製品の専門店や、土産物として人気のマトリョーシカを売る店などをのぞいた。入り口付近には海賊盤CDを売る店がおおっぴらに出ていた。日本のデパートならありえない光景だと思った。

ここで私たちは一度解散し、日本へのみやげ物を仕入れるため、豊原/ユジノサハリンスクの町を各自で自由行動した。私はみやげものを買うため、民芸品店へ行った。小さなマトリヨーシカが500ルーブルで売られていて、 高かった。琥珀をちりばめてかかれた絵もあった。バルト方面でも、こうした土産物はみられるそうだ。

夕食

夕方の6時、ふたたび私たちは同じデパートの前に集合し、真岡通/サハリンスカヤ通りをさらに東に進んだ。その左手には、豊原/ユジノサハリンスクの町で一番と言ってもいいくらい威厳があり前庭がきれいに手入れされた建物があった。これが、連邦保安局(FSB)である。
  その直後、急に雨がふってきたので、少し歩き慣れてきた豊原/ユジノサハリンスクの町を早足で歩き、本格的なロシア料理店「スラビャンカ」に入って、長かった巡検の反省会を兼ねた夕食で打ち上げ会を催した。
それなりにテーブルが埋まっていて、総勢10人にもなる私たちがまとまって座ることは難しかったのだが、たまたま居合わせた日本人の単独旅行者の方に相席を許していただいたことにより、問題は解決した。
ここでも、メニューに書かれている食べ物が全て注文できるわけでなく、かなりのメニューで「もうオーダーできません」と言われてしまった。それでもロシア語だけでなく英語のメニューがあったので、個人個人が好きな食べ物を頼むことができ、やや高かったがそれなりに美味しい食事をとることができた。
  長かった巡検を振り返って、さまざまな意見が出された。
  帰路、大通り/レーニン通りをホテルまで帰る途中、左手に美術館があった。これは、かつての拓銀豊原/ユジノサハリンスク支店の石造りの建物を改装したものである。
  雨はそれなりに降っていたが、ロシア人を気取って傘をささずに、ホテル・モネロンに戻った。 

(せきぐち ひろあき)

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