通算15回目を迎える今年度の水岡ゼミ巡検では、約2週間の日程でサハリン(樺太)を訪問しました。  
 サハリンは、もともとロシアと日本のフロンティアのぶつかる場所であって、わずか約60年前まではその南半分は日本領でした。 今日でも日本時代に作られた建造環境が残り、また戦争中に移住してきた朝鮮人が多く存在するなど、その影響が一部に見られます。 歴史的には日本と緊密な関係にあったのです。しかしながら、サハリンは旧ソ連時代には国境地域として外国人の立ち入りが制限され、 今日でもその情報の少なさや渡航手続きの煩雑さから、決して容易に訪れることのできる地域ではありません。 距離的には大変近いにもかかわらず、人や物の往き来が制約された透過性の低い国境が宗谷海峡を隔てて厳然と存在していること、 そして北海道からわずか数10キロしか離れていない地に日本とは全く異質な空間が広がっていることに、 私たちは大変驚かされました。
 今日では、サハリンは石油・天然ガス事業により注目を集めますが、その裏側に存在する環境問題などについても貴重なお話を伺うことができました。
 今年の巡検レポートは、そうしたサハリンと過去と現在について、私たちが学んだことを余すところなく紹介しています。どうぞご覧ください

 





 
 ■巡検日程   
サハリン島の地図 稚内 ネフチゴルスク 豊原/ユジノサハリンスク 真岡/ホルムスク 泊居/トマリ 恵須取/ウゴレゴルスク アレクサンドロフスクサハリンスキー ネクラソフカ 北緯50度線 気屯/スミルヌイフ オハ



  【コラム】
★「九人の乙女」言説と、歴史の象徴化
★北方領土問題の歴史
★トイレと社会関係、そして公共空間
★樺太/サハリンに渡ってきた朝鮮半島出身者
★北方四島「ビザなし交流」はロシアへの観光旅行振興策?
★「サハリンプロジェクト」と、グローバルな国家資源戦略
★悲劇の内恵山道
















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