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民法822条「懲戒権」の廃止・改悪を許すな!

今の日本の民法822条には、「親権を行う者は、第八百二十条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる」とする、「懲戒権」が規定されています。
懲戒権は、は学校教育法11条に「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる」、として、学校の教師にも認められており、子どもを社会において有為な人間に育てていくために欠かすことのできない規定です。
子どものとき、親や先生に叱られながらも一生懸命努力して上級学校に進学し、社会的に尊敬される職業につけば、子どもは生涯幸福な生活を送れる可能性が高まります。これは、憲法13条が規定する「幸福追求権」、そして子供の権利条約第3条の「児童の最善の利益」にも合致しています。

ところが、この親権者の懲戒権に対し,「児童虐待を正当化する口実に利用されている」と批判して廃止を求める人々がいます。しかしこれまで、上記のように親が子供を叱れる懲戒権は、親が子どもの生涯を考えて正当な躾を行なう法的根拠として重要であるという考え方が優位に立ち、この条文は存続してきました。
とはいえ、2011年には、既に存在しない児童の「懲戒場」に関する規定が削除され、懲戒権は子の利益のために行使されるべきことなどをふまえた民法の改正が行われてきました。躾は子どもの為に行うというのはその通りですから、このように改正すれば これで十分かと思われました。
ところが、2019年1月に、千葉県で心愛ちゃんの悲しい虐待死が起こると、それを奇貨として、2019年の児童福祉法改正の際に、「政府は,この法律の施行後2年を目途として,民法第822条の規定の在り方について検討を加え,必要があると認めるときは,その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする」との付則が加えられました。児童福祉法という厚労省管轄の法律に、六法の一つとして法務省が管轄する民法改正についての規定を入れ込むという荒業が実行されたのです。
これが、児童相談所を管轄する厚労省、厚労省御用弁護士が牛耳る日弁連子どもの権利委員会などによって推進されたことは、いうまでもありません。厚労省は、すでにつぎはぎだらけの児童福祉法をこれ以上改正できないと考えたものか、ついに民法それ自体をいじることによってさらなる省益拡大を方向へと政策の足場を展開させていったことになります。こうした、厚労省の省益拡大行政が民法すら変えさせていくという流れは、すでに、2020年4月の民法改正による特別養子縁組制度(=事実上の児童人身売買)の導入にすでに認めることができます。

もし、本心から心愛ちゃん、結愛ちゃん、羽月ちゃんらが犠牲となった凶悪虐待事案の再発防止のため法改正を図ろうというならば、これは刑法犯罪なのですから、例えば、実子に対する暴行や殺人を、一般の暴行・殺人に比べより厳罰に処する刑法改正が有効と考えられます。かつて存在したが廃止された、尊属殺人の逆ということです。冷静に考えれば、懲戒権を廃止してみたところで、心愛ちゃんの事件のような凶悪虐待事案を制止する効果は、ほとんどありません。むしろ、軽微事案や冤罪事案で子供を家族から引き剥がす児相の行政行為を拡大させるだけです。
本来、自民党のような保守本流の立場に立てば、「懲戒権」の廃止とそれに伴って必然的に起こる家族破壊に配慮し、このような民法822条の廃止や改悪にはより慎重な立場が採られるべきでした。事実、保守系紙『産経新聞』は、2019年6月3日に、懲戒権の廃止に慎重であるべきという主張を掲載しています。
https://www.sankei.com/column/news/190603/clm1906030003-n1.html
全養協通信237号ところが、今回の懲戒権廃止には、安倍前首相がご執心だったのです。2019年2月には「子供の成長に必要な教育は、体罰や暴言、暴力であってはならない。懲戒権は削除すべきだ」などと発言しています。

実は、安倍氏は、入所児童数確保のため親権制限を唱え続けてきた児童養護施設業界団体と結びついた、児童養護施設議連の会長をしていました。そして安倍氏の後任が、塩崎元厚労大臣。あのモリカケで名を轟かせた安倍前首相です。「虐待」を口実に拉致され児相から回された児童を受け入れて経営を成り立たせる児童養護施設業界団体への忖度があっても、少しもおかしくないでしょう。

このように、我が国において、民法の「懲戒権」規定を廃止しようとする動きは、常に、児相権力を強化し、子供狩り(一時保護)をスムースに進めて、できるだけ多くの子どもたちを「社会的養護」の利権の側に取り込もうとする企図と一体のものとして展開してきたということができます。日弁連の子供の権利委員会あたりは、「懲戒権廃止」の議論を、意図的に、この児相拉致から切り離して進めようとしています。ここに、重大な人権問題が生まれるのです。

では、民法第822条の懲戒権が廃止されてしまうと、一体家族の権利はどうなるのでしょうか?
最大の問題は、家庭において、親が子供を懲戒すること、つまり子供を叱ることに全く法の裏付けがなくなることです。これは、親にとって、子どもの家庭教育に大きな抑止と躊躇の効果を生みます。これまでは、児童相談所が「虐待だ」と言いがかりをつけてきても、「これは、民法822条に定められた懲戒権の行使です」と反論できたわけですが、それが一切できなくなります。実際に子供を殴ったり叩いたりしなくとも、厚労省=児相は「心理的虐待」という規定を用意していますから、これに該当する、と主張され、我が子が家族から引き剥がされて児相に拉致されてしまいます。
勉強を怠ければ、それなりの学校にしか進学できず、子供の将来は限られたものとなります。片づけの習慣がつかなければ、社会に出てからオフィスの机はいつも乱雑となり、一番困るのは就職した子ども自身でしょう。だからお父様・お母様は、わが子が宿題を怠けていれば、「ちゃんと勉強なさい!」と叱ります。部屋を散らかしていれば「片づけなさい!」と指示します。これが、民法第822条が定める懲戒行為です。ところが、民法の懲戒権が廃止されると、これらの親の言動はすべて、児童相談所によって「心理的虐待」にされてしまうのです。

民法第822条の懲戒権が廃止されると、家族において、我が子に対する親権者の懲戒、つまり親が子供を叱ることに法的な裏付けがなくなることは、親が子に対し保有している教育権の重要な部分を侵害することをも意味します。
ドイツ基本法(憲法に相当)第6条2項は、「子の監護および教育は、両親の自然的権利であり、かつ何よりも先に両親に課せられた義務である」として、親の監護教育権を、親の自然的権利と認めています。この権利の根拠として、連邦憲法裁判所は、「親は常にほかのどんな人あるいは公共機関よりも子どもの福祉を大切に考える」という基本思考を示しています。「教育権」とは、親が「子どもの福祉」の具体的内容を「最終的に解釈する」権利です(横田光平『子ども法の基本構造』信山社、230頁)。それゆえ、この教育権の解釈中には、当然子の福祉ないしは子どもの権利条約がいう「児童の最善の利益」を念頭に置いた「叱る」という懲戒行為も含まれていると理解すべきです。そして、このような親の子に対する「教育権」は、「自由権」として、基本法6条1項により「国家介入から保護」されるべきとされているのです。(横田、上掲書、314頁)。

ところが日本では、軽微事案や冤罪事案での児相による子どもの家族からの引き剥がしがますます進み、家族も親の「教育権」も、益々蹂躙されているのが実態です。今後、2019年の国連勧告をふまえ、児相の「一時保護」に司法審査が導入されることになったとしても、懲戒権が廃止されていれば審査において親の立場は圧倒的に弱くなり、児相の主張がメクラ判のように裁判所で認容されることになるでしょう。
さらに、驚いたことには、これを先取りアドバイスをするおかしな弁護士さえ現れていることです。ベリーベスト法律事務所の宮本健太氏は、懲戒権廃止後に親が「知っておくべき5つのこと」の1つとして、「子どもにつらくあたってしまいそうな場合は児童相談所へ」と書いています:
https://best-legal.jp/disciplinary-right-17750#i-6
もし、これを読んだ無垢な親が、現実を何も知らずに、我が子を連れて児童相談所に行ったとしたら……
恐ろしいことです。懲戒権廃止後、牙を研いで待ち構える児相職員のもとに子供を貢げというに等しい恐怖の情報が、これほど露骨に、何も事情を知らない市民に対して一見親切なアドバイスのように垂れ流されているのです。

英語に、「Spare the rod and spoil the child.(可愛い子には旅をさせよ)」という諺があります。親が怖くて子どもを叱れなくなる、つまり「旅をさせる」ことができなくなれば、日本中の子供がspoil(=甘やかしてダメにする)されてしまう、ということです。これは、かつて文科省が打ち上げたものの、世論の袋叩きに遭ってひっこめざるを得なくなった「ゆとり教育」の比ではありません。
「ゆとり教育」を採用する学校を避けるという、かつてなら可能だった選択行動は、厚労省の指示で全国一律の行政を行なっている児童相談所については、家族の側でとることができません。「子どもを叱ると、我が子が児相に拉致されてしまう…」「そうすればもう、わが子に会うことすらできなくなってしまう」――こういう怖れと不安が、全国のご家庭をあまねく蔽います。逃げ道が無いのです。
野球や武道などのスポーツをさせて根性を鍛えること、バレエやピアノの厳しい訓練で上達させること、受験勉強をさせて難易度の高い学校に進学させること……そのどれも、懲戒権がなくなれば、できなくなります。我が子にそのような期待を抱いて少しでも叱れば、それらはすべて「虐待」となり、直ちにすべての親が児相によって「虐待親」にされ、我が子が「一時保護」と称する拉致の対象にされてしまうからです。

文部科学省は、2016年に教育基本法を改正し、教育は学校だけでなく家庭でも行われるべきだとして、新たに10条「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする」を付け加えました。もし、我が子の生活習慣が乱れていたら、我が子の教育への第一的責任を自覚する親ならば、厳しく叱ることもあるでしょう。しかしそれは、厚労省の見地からすれば「心理的虐待」とされるのです。
こういう省庁のバラバラな縦割り行政に挟まれて、結局 甘やかされる以外になく、ダメにされた子供たちばかりが作り出されます。こういう子供たちばかりが学校に集まってくれば、学校教育法では廃止されていない「懲戒権」を持つ先生方は、毎日生活指導に追われ、まともな教科教育ができなくなって、生徒の学力低下は必定となるでしょう。
こうして、懲戒権廃止は、中長期的には、「ゆとり教育」をはるかに上回る否定的な効果を日本社会と経済の上に及ぼすことになります。そして、そういう子供たちが大人になって担う日本の経済・社会は、ろくに勉強をせず、スポーツでも根性がなく、会社では少しでも上司に叱られると、家で叱られたことが無いのですぐに萎えるか不貞腐れてしまう――こういう人ばかりが集まる社会になります。そういう日本に、もはや未来はありません。アジアの隣の国々に、あっさりと追い抜かされていくでしょう。「懲戒権廃止」論者は、児相権力強化という利権の誘惑に目がくらみ、こうしたマクロな日本経済・社会の将来を全く考えていないのです。いったんそのように落ち込んでしまったら、後から気付いてももはや挽回は困難です。

いまは、ネオリベラリズムで政府は福祉はやらない、全ては自己責任のビジネスという時代です。そこで、なぜここまで、「子供を護る」と称して、さまざまの否定的な帰結も顧みず、「懲戒権廃止」が図られるのでしょうか。
それは、児童相談所を肥大化させ、子供拉致の投網を拡大させて、奪った子どもたちでビジネスしたい人々が大勢いるからにほかなりません。ネオリベラリズムは、それが、厚労官僚、児童相談所を管轄する都道府県、安倍前首相の忖度を受けた児童養護施設、そして厚労省や児相と結びついたNPO等にあります。家族は、その犠牲にされているのです。

民法822条の懲戒権規定を廃止する必要は、全く認められません! 民法822条の廃止・改悪を阻止するための闘いは、いまや、一刻の猶予も許されない状況になってきました。全国の児相被害者の皆さん! そして市民の皆さん! 手遅れになる前に、ぜひ、それぞれの選挙区の国会議員に連絡を取られ、懲戒権廃止の法案に賛成しないよう、皆で訴えましょう!

(2021年4月26日 一部改稿