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クラップマン教授(ベルリン、マックスプランク研究所)との懇談の要点

クラップマン教授研究室にて
2018 年 2 月 2 日(金) 10 時 20 分~12 時 20 分

  • クラップマン教授は、国連子どもの権利委員を 8 年間努め、2010 年に、日本に対する審査において、中心的な役割を担った。
  • 児相問題は、日本のように人権について「先進国」を称している国では到底起こり得ない種類の問題であり、聞いてもはじめは信じられなかった。しかし、これが事実であることを知り、その悪い状況に大変驚いた。重大な、人権上の問題だと認識している。
  • 「児童相談所」の英訳「Guidance」というのは、極めて誤解を招く表現だ。Guidance ならば、きちんと育児などについて指導しなければならないはずだが、そのようなことは十分にやっていない。
  • 法律の範囲を超えた、子どもを強制的に家族から引き離すなどという擬似司法的な機能を行使している。法律の及ばないところで、勝手な司法行為をやっている、という印象だ。
  • ドイツには、Child and Youth Service という機関があって、問題をはらむ家庭の指導に当たっている。だが、この Service には、子どもを強制的に家族から引き離す権限はない。在宅で、児童の養育を指導する機関であり、その機能は、オランダの OTS とよく似ている。
  • 収容所に入れるのは最後の手段であり、最短の期間に限るという子どもの権利条約の原則を、ドイツ政府はしっかり守っている。
  • ドイツ民法第 1631b 条には、自由の拘束を伴う非自発的な児童の施設収容には、家庭裁判所の許可が必要であると明確に定めている。また、この許可も、容易には下りない。家裁で認可されても、上級審で覆されることも多い。
  • 子どもを家族から切り離すという司法機能を行使できるのは裁判所であり、裁判所の認可があって初めて、子どもは場所に収容されることができる。成人であれ、子どもであれ、これは、世界共通の人権原則であるはずだ。
  • そもそも人間の自由が権力によって奪われてはならない、というのは中世以来人類が築き上げてきた重要な智恵であり、この権利は成人にも子どもにも等しく妥当する。
  • 児相に収容された親子の面会交流を日本の児相が長期にわたって禁止しているというのは、極めて人権上憂慮すべき問題だ。虐待後の親子関係を再構築するために、面会が不可欠なのは当然で、日本の児相はそれをますます困難にしている。
  • ドイツでは、子どもを家族から切り離すに当たっては、特別に緊急で例外的な場合を除き、親権者の同意が必要である。
  • ドイツには現在、10 歳から 18 歳用についてみると、全土併せて定員300 あまりの「一時保護所」(収容所)が存在するにすぎない(極めて少ない!)。もっと増やせという主張がなされたこともあるが、受け入れられず、かわりに、施設の質を向上する提案が通った。
  • もちろん、限界的な事案は常に存在し、それがメディアで取り上げられることはドイツでもある。在宅で指導していた子どもが死亡してしまったようなケースがそれだ。これに対し、Child and Youth Serviceの職員の専門性向上、人員増強という主張がメディアで出されたものの、子どもをもっと簡単に人身拘束して、「一時保護所」に収容できるようにすべきだ、という議論は一切なかった。
  • 一時保護所のような集団的な育児は、既に崩壊した東独や東欧社会主義国のものだという印象がドイツでは強く、好まれていない。旧社会国では、何百人もの児童が、家族から切り離されて大部屋で集団生活をさせられていた。このことからすれば、日本で、児童養護施設に共産党の影響力が強く、共産党の影響力が強い日本の NGO が児相問題を扱わないという事情はわかる。
  • 人権蹂躙をした機関に対する処分は厳しい。ある収容所で、受け入れた児童が暴れるのでベッドにくくりつけた事件が明るみに出て、メディアで大問題にされた。ドイツでは、成人であっても、精神病院でそのような動けなくする物理的措置を講じる場合、裁判所の認可が必要とされているが、この収容所は、裁判所の許可なしにこれをやったのである。この問題が明るみに出た結果、その収容所は閉鎖された。
  • 日本の児相で、女児 9 人が、紙一枚を探すため丸裸にされたにも拘わらず、所長が減給 1 割を 1 ヶ月だけの処分、その機関は依然として存続している、ということだそうだが、ドイツでは到底考えられない。
  • 2010 年の予備審査では、児相問題について、かなり長い時間が委員との間のやりとりにとられた。委員は、日本の児相がどのような問題を抱えているのか、具体的に知りたがっている。ぜひ、もっと具体的な児相被害事例を数多く委員会に提供してやって欲しい。
  • 年の最終報告書の審査日には、15 くらいの NGO が日本からジュネーブに来ていて、それぞれ自分たちの分野で主張を行なっていた。会場に横断幕をひろげ、政府報告書は嘘ばかりだ、国連子どもの権利委員はその言うことを信じるな、というようなキャンペーンを張っていた。
  • 最終見解第 62 段落にある、期待にそわない児童生徒を学校が児相送致しているという指摘は、そのときある日本の NGO が提起した問題で、子どもの権利委員の合議で、最終見解に含めることとなったものである。
  • Human Rights Watch が児相問題を取り上げたのは、今回の撲滅する会の報告書でも言及されており、先駆的だと思う。しかし、だから里親委託を増やせば解決という単純なことではもちろんない。里親にも、虐待など多数の問題がある。こうした問題を乗り越えて、Human Rights Watch には、さらに積極的な問題提起を期待している。
  • 第 3 回最終見解では、児相問題が「health services」という括りの中に入れられてしまったが、これはまずかった。これでは、児相という問題領域が明確にならない。今度の最終見解発表に当たっては、「child guidance centre」という表題の柱を明確に立てるよう、委員に促して欲しいと思う。
  • 日本には 4 回程度訪れたことがあり、一度は、政府関係者から豪華な夕食の席に呼ばれたことがあるが、余り雰囲気はよくなかった。その時クラップマン教授は、自分の意見を政府関係者にぶつけたところ、政府関係者はそれに対し自分たちの立場を言うだけで、話しあいは全く平行線だった。
  • DCI 日本の分裂については、漏れ聞いているが残念なことだった。DCI 本部は、分裂した両派を共に認めない、という判断を必ずしもとらなくてもよかったのではないか、と思う。
  • 福田氏は、命をかけて子どもの権利のために闘う戦士、という印象だった。日本に行ったとき、愛着理論的な子どもの権利条約解釈をめぐって、広島から東京へ向かう新幹線の車中でずっと議論してきたことがある。たしかに、法律上の権利だけで全てを割り切ることはできないから、愛着感情が子どもに必要なことは否定しない。だが、福田氏がそのような主張を国際的に提起したいのであれば、英語で著書や論文を発表して、そこでキチンとやるべきだろう。