児童養護施設退所年齢上限撤廃と「こども庁」から、軍靴の響きが聞こえてきた
成年者を無期限で児童養護施設に拘束しようとする厚労省
厚労省が、「虐待」などで児童養護施設に収容された若者の在所年齢の上限を撤廃する方針を打ち出しました。児童福祉法を改正し、現行は原則18歳(最長で22歳)の上限を撤廃し、18歳になると自立と居住地選択の自由の権利があるはずの成年者を、あえて「施設や自治体が自立可能と判断した時期まで」青天井で児童養護施設に人身拘束し続ける、というのです。
ですが、18歳で成年にするというまさにその時に、これに逆行する厚労省が施設措置青天井化を打ち出したことは、一見して極めて不自然かつ唐突です。
直接には、子ども庁設置に伴って計画されている増税の分け前をいちはやく獲得しようとする志向が現れたものと見ることもできますが、もっと穿って理由を考えてみる必要がありそうです。
児童相談所強化を「子ども庁」の第一義的課題に据えはじめた山田太郎氏
他方、山田太郎氏が提唱する「子ども庁」も、雲行きが怪しくなっています。山田氏は、当初、各省庁に縦割りに分散した子ども関係の業務に横串をさすように一つの行政庁に統一する、と唱えていたのですが、風向きが変わってきました。
山田氏は最近「子どもの命を守るというのを第一に置こうと思っております。児童虐待それから自殺の死因究明、教育現場の性犯罪、いじめ・体罰死・産後うつ・孤独な育児、養子縁組など」と言い始めています。これらのほとんどは、児童相談所が関わる業務です。「こども庁」で児童相談所を10倍に増やす計画をぶち上げた二階氏の主張を裏付ける方向に、山田氏が近づいてきたのです。性犯罪は児童相談所でも最近多数起こっていますが、これにはご丁寧に「教育現場」という限定がつけられ、児相職員の性犯罪は対象外とされています。
そして、「貧困・ひとり親・待機児童問題学童の問題、不妊治療と引きこもり不登校」という子供政策が直面するより深刻な問題は、「それ以外」の二義的な問題に格下げされてしまいました。
これでは、「子ども庁」は児童相談所の拡大強化をすすめるためだけの役所です。もはや子どものための総合的な役所ではありません。
山田太郎氏が国連子どもの権利委員会からの勧告すら撥ねつけて強行している児童ポルノ漫画禁止反対運動の「盟友」に、東京都大田区議おぎの稔氏がいます。おぎの氏は、ツィッターで「子供をもっと簡単に手放せる形が必要なのかも・・・無理に親に子育てをさせるより、社会、公で預かった方が安全に育つ場合もある」と、親子の絆を解体し子供を社会的養護に送り込むことに絶賛の意思表示をしています。
「類は友を呼ぶ」とは、このことでしょう。山田氏の「子ども庁」がめざす立場を、更にわかり易くはっきりと述べてくれているように聞こえます。
家族を破壊する児相の人権侵害に無関心な自民党保守派
では、家族の絆を尊重する信条を持つはずの自民党保守派はどうでしょうか。保守派は、子ども庁や子ども基本法に批判的な姿勢を示していることが報道されています。
しかし残念なことに、憲法24条に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」とする条項を加える提案をし「家族の絆」を強調している筈の自民党の保守派もまた、子どもの児相拉致により家族破壊を飛躍的に拡大するはずの二階氏の児相10倍案に誰も反対・否定していません。むしろ、自民党総裁選で、「児童相談所」に肯定的に言及したのが、靖国神社への参拝を公約した高市早苗候補だけだったことが、気になってきます。
約30万人の若者が、国家権力が自由に支配し使える「公民」に
これらの事実から、何がわかるでしょうか。
児童相談所を10倍に増やせば、児相に拉致され、さらに施設等「社会的養護」のもとに送られる子どもの数も、単純に計算すればおよそ10倍になります。すると、およそ30万人という数の、親との関係が児相により人工的に断ち切られた若年人口部分を、年齢の上限が撤廃されるのですから、いつまでも児童養護施設に拘束しておくことができるのです。
この人口部分は、ちょうど律令制の「公地公民」の「公民」同様、国が事実上その支配下で自由に動かすことができる若年者のプールです。
どのような用途でこれを使うことができるでしょうか。2つが考えられます。
第一は、社会の停滞的過剰人口となり、低賃金労働力を供給して、賃金上昇の重石にすることです。19世紀、英国の産業資本主義では、救貧院の入所者がそのような機能を果たしていました。新自由主義の労働市場に、これは貴重です。
第二は、自衛隊に徴兵することです。仮に、自民党の憲法改正が実現しても、直ちに全般的な徴兵制を導入し、戦前のように赤紙一枚で若者を自衛隊に召集するということは、現代日本の政治状況では不可能でしょう。これが、部分的に可能になります。
兵士不足と高齢化に苛まれた自衛隊
いま自衛隊は、志願する若年者が少ないため、深刻な兵士不足と高齢化に苛まれています。陸上自衛隊の定員は15万人いますが、2万人が欠員です。定員を満たすことができないと、兵士の質が下がります。さらに、「自衛隊は世界のなかで、もっとも高齢化した軍隊となっている。旧軍では陸軍の中隊長は20代だったのに、陸上自衛隊では40代末か、50歳が珍しくない」という惨状なのです。志願兵制度は限界にきています。
しかも、新生児数は減り続けています。2020年の日本の新生児数はわずか84万832人でした。これは、1973年のピーク、209万1983人の約4割にすぎません。この少子化問題が、今後直ちに解決する見通しもありません。少子化を拱手傍観していたのでは、志願兵不足の問題は解決しないのです。
では、戦前のような全般的「徴兵制」の導入なしでこれを解決するには、どうしたらよいでしょうか。これを満たしてくれる打ってつけが、児童養護施設など、「社会的養護」のもとにいる若年層を「経済的徴兵制」の対象にすることではないでしょうか。
少年院があるではないか、と考える方もいるかもしれません。しかし最近、ひったくりや暴行など小さい罪を犯す少年犯罪者は激減しているのです。子供たちが全体に小粒で大人しくなってしまったのでしょうか。これにより、少年院は入所者が減っています。少年院には、専門職の一定のラインアップを揃えておかなければならず、行政に費用がかかるので、いくつか少年院の閉鎖が始まりました。少年院は、あてにできません。
志願兵制度の限界を打ち破る可能性をもつ児童養護施設
少年院と違って、児童養護施設は民間の社会福祉法人の経営であり、少年院のような専門職の一定のラインアップを揃えることについてはあまり厳格でありません。このことから、若年者を比較的低コストで管理・収容でき、しかも「刑期」が決まっている少年院と違って入所期間に終期が無くなります。少年院の人数減を、「社会的養護」の強化と児童養護施設の大幅な人員増で埋め合わせる、ということが可能かもしれません。
18歳になって施設から放り出してしまえば、もう国は退所者をコントロールできません。しかし、期間を青天井にして施設に入れておけば、「社会的養護」のもとにある若年者を、いざとなったとき権力が自由に使える「公民」として、戦争に送り込むことも可能になります。
児童養護施設の退所がいつかメドが立たなくなれば、入所者はずるずると漫然とした生活を我々の血税で日々送り続けることになるでしょう。しかし、いずれ自衛隊に入隊するという展望があれば、児童養護施設入所者に「自衛隊員になることは国を護る重要な仕事だ」というモティベーションを与えつつ、銃を持たせ、自衛隊の訓練を受けさせたうえで、有事には徴兵し戦闘の前線に送り出すことができます。
実はこれは、今に始まったことではありません。文科省の貸与奨学金を返済できず「国の債務奴隷」となってしまった若年者に自衛隊の訓練を受けさせるべきだという声が既に上がっているのです。「カネを返せないならカラダで返せ」といわんばかりです。
自衛隊も児童養護施設も集団生活ですから、児童養護施設退所者は集団生活に嫌悪感が無く、自衛隊の生活に比較的馴染みやすい特長もあるでしょう。
欠食など貧困児童の問題も深刻化していますから、この間広島西部児相で起こったように、貧困児童対策で児童養護施設に措置をすると言えば、表立って反対する勢力はいないでしょう。そこで、貧困児童を児相経由で児童養護施設に入れ、将来は自衛隊に徴兵、というコースが当然考えられます。
「子ども庁」の真の意図はどこに?
このことを念頭に、乳幼児から成人になるまで国民を一本で集団管理する「子ども庁」の制度設計が、100年に一度の大きな転換点として考えられているのではないでしょうか。管理を大型化・画一化すれば、子ども一人当たりのコストを圧倒的に削減できます。デジタル庁がやろうとしている、全国の子どもの一括データベース化は、まさにその手段とみることができます。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」という英国の諺があります。「子ども庁」や児童養護施設在所上限年齢の撤廃がいかにも福祉政策だと思い込んでいる、そこのあなた! 「子どもの命を守る」という言葉の欺瞞に気付きましょう。戦前の日本も、家族の絆を尊重すると言いながら、子供たちを家族から赤紙一枚で引き剥がし、「命を守る」どころか、次々と戦地に送り込んで戦死させて、家族を破壊していたのです。児童相談所が、「社会的養護」への取児口だけでなく、事実上の徴兵への入り口になり、児相の「一時保護通知書」が事実上の赤紙にならないという保障はどこにもありません。軍靴の響きは、市民が気付かないあらぬ方向からこそ、ひそかに迫ってきているのです。