児童相談所問題の歴史
まず何より、児童相談所長がその恣意で事前の司法判断なく家族から子供を引き剥がしている行政行為は、すべて違法です。
子供を家族からの引き剥がす根拠となっている法規は、国内法の児童福祉法第33条です。しかしこの国内法は、子どもの人身拘束に司法審査を要求している子どもの権利条約第9条1項に明白に違反しています。子供の権利条約は国内法として有効であり、しかも国内法よりも国際条約の方がより優位な法規範なのです。
この問題を、国連子どもの権利委員会も認識するようになっているので、第4,5回総括所見で、「子供が家族から引き剥がされるべきであるかどうか決定するに対して、司法審査を義務化し、子供の引き剥がしについて明確な基準を設定し、そして子供たちを親から引き剥がすのは、それを保護するため必要で子供の最善の利益にかなっているときに、子供とその親を聴聞したあと最後の手段としてなされることを保障する」べきことを緊急勧告したのです(29項(a))。
ではなぜ、こういう国際条約違反がいつまでも日本でまかり通っているのでしょうか。歴史を、簡単に振り返ってみましょう。
「お国のために」親が戦場で、そして空襲で死んだあとに残された戦争孤児たち。飢えのため駅で列車の乗客から食べかけの駅弁を奪ったような子どもたちを収容するため、敗戦直後、宗教団体や篤志家が児童養護施設を各地につくりました。
やがて、そういう戦争孤児たちは成人します。すると当然ですが、児童養護施設は閉鎖の危機に直面しました。そのとき閉鎖しておけばよかったのですが、ここで、児童養護施設の経営者どもは、1960年代から、「子どもの権利を守る」シンポジウムなどを開いて、“親権制限して子供を施設によこせ”という要求を1960年代から始めました。児童養護施設経営者どもの経済的意図や、実は児童養護施設自身がひどい施設内虐待を収容児童たちに加えている実態を何も知らない偽善的なメディアや団体は、「子供の権利」と聞いただけで、これに積極的に協力しました。
厚生省はさすがに、はじめのうちは、そういう児童養護施設の横車には応じられないと、この要求に比較的冷淡でしだ。ところが、1980年代初めに、サッチャリズムの影響を受けて、国鉄民営化を進めた臨調行革路線を政府が採用し、福祉リストラがアジェンダになり始めると、厚生省の尻に火が付きました。
児童相談所は、戦争孤児がいなくなったあと不登校を中心に扱っていましたが、この頃になると閑古鳥が鳴き、1980年代に臨調行革路線が始まると、切り捨ての危機に直面しました。そこで、児相に児童虐待を扱わせ、「被虐待児」とされた子どもたちを児相経由で施設に送り込んで空いていた児童養護施設のベッドを埋めて、児相と養護施設の利権をあわせて守り拡大するという、新しいビジネスモデルが始まったのです。
1990年代になると、民間でも「児童虐待」を問題にする動きが起こりました。調子づいた厚生省は、1997年に通知を発出し、児相が家族から引き剥がした子供は、親権者の要求があっても返還を拒否せよと、全国の児相に通達しました。さらに、それで足りない児相が拉致した子どもと親との面会禁止は、児童虐待防止法を2000年に作って、補いました。一時保護に司法審査や、親子の面会の権利を要求する子供の権利条約を1994年に日本は批准していたのですが、「児童虐待」で省益確保を焦る厚生省は、そのような国際人権規範をすべて無視して突っ走ったのです。
児相には、年間の保護見込み数と保護単価から成る「拉致ノルマ」の財政インセンティブが与えられました。これにより、児相による子どもの家族からの引き剥がしが進み、児童養護施設は、満杯の盛況になりました。
最近児相では、子供の権利条約違反を回避するためか、お子様を拉致した事後に、親を恫喝して「一時保護」への同意を求めるという策に転じています。しかし、児相が恫喝で同意書にサインさせたからといって、違法性は消えません。なぜなら司法審査を、子供を家族からの引き剥がす行政行為に先立って事前に行うべきことが、子どもの権利条約で規定されているからです。そして国連子供の権利委員会は、事前の司法審査の義務化、親子の聴聞、「一時保護」への明確な基準、そして児童を家族から引き剥がすことを最後の手段とすること、など全てを充たすことを緊急勧告しています。
このような国際法の基本すら守れずに、利権のコマとして子供を次々と家族から引き剥がす日本の児相行政。これが「拉致」でなくて、一体なんでしょうか。児相被害ご家族のお子様は、先進国にあるまじき、この北朝鮮並みの利権行政の犠牲にさせられたのです。
社会学者のハッキング(米国)や上野加代子教授(東京女子大)は、「児童虐待」が、肢体不自由児や知的障碍児のような身体の自然に規定されたものではなく、社会的に構築された言説だと唱えています。日本の場合、「児童虐待」言説が歴史的に構築されてきた背景にある目的は何だったのでしょうか。それは、既におわかりのように、こうして「児童虐待」を口実に家族から子供を奪って、児童相談所と児童養護施設がリストラを回避し、厚労省がその省益を拡大することだったのです。それは、子どもたちのためでも、家族のためでも全くありません。
このような、厚労省・児相と児童養護施設が一体となって築いてきた利権構造の一端が、当会の努力で勝ちとったこのたびの国連勧告でついに国際社会に暴かれました:
「児童相談所がより多くの児童を受け入れることに対する強力な金銭的インセンティブを有する疑惑があること」!!!
…子供の権利ではなく、行政の利権が、児童相談所問題の全てなのです。
利権に蝕まれた厚労省・児相の「児童虐待」行政は、国際的に認められ、特に欧州を中心に実践されている人権の思想に、根本から背いています。これを、国際的な人権水準に引き上げることが、今急務です。児相被害を撲滅する会は、国際社会との連帯を求めつつ、この実現のために闘っています!