近年、アフリカに対する注目の高まりとともに、中国によるアフリカ諸国への進出・アフリカ諸国との関係強化が大きな関心を集めるようになっている。
だが、歴史をひもとけば、これは近年急に始まったことではない。中国には、長年かけて政府が構築してきた外交的基盤がある。
1960年代ごろは、農村に基軸をおく革命路線をとった毛沢東主義のもとで、独立後社会主義路線を選択した多くのアフリカの指導者と結びつき、
世界の「周辺」であるアフリカと連携して資本主義を包囲し打倒すると叫ばれた。とくに、親中的だったタンザニアでは、
アパルトヘイト白人国家の南アフリカを経由しない国際貿易を可能にしたタンザン鉄道建設の援助や、人民公社をモデルとした集団農場が建設されたことが有名である。
こうした中国の地道な外交努力の蓄積が、いま資源価格高騰の時代に花開いたということを認識する必要がある。
現代における中国のアフリカ進出の特徴は、政府と民間という2つのレベルでつながりを強めていることである。
すなわち、中国のアフリカ進出は、「上からの流れ」と「下からの流れ」に分解できる。この二つの流れが、それぞれの論理でその規模を増し、
それらが総合されて現在注目されている中国のアフリカ進出のエネルギーとなっている。
今回の巡検で私たちが訪問したナイジェリア・カメルーンにおいても、この「上からの流れ」と「下からの流れ」に遭遇した。
本コラムでは、私達が感じたナイジェリア・カメルーンにおける中国のプレゼンスを、この2つの進出過程それぞれについてまとめ、
それに基づき、中国のアフリカ進出ついて考えてみたい。
まず、政治・外交レベルの「上からの流れ」についてまとめる。
巡検二日目の8月27日に訪問したナイジェリア国営鉄道とJETROにおいて、早速、中国政府のナイジェリア外交姿勢が議論となった。
2006年4月に胡錦濤国家主席がナイジェリアを訪問、同年11月にオバサンジョ前大統領が訪中、2008年2月にヤラドゥア大統領が訪中し、
近年の両国政府間交流は活発である。こうした緊密な関係の中で、2006年4月、中国海洋石油(CNOOC)は、
ナイジェリアのサウスアトランティックペトロリアムとの間で、大水深鉱区の権益を45%取得する合意をした[1] 。
このバーター取引として、中国政府はインフラ建設を行っているが、その代表例であるカノ−ラゴス間の鉄道リハビリプロジェクトの進展具合に関して、
ナイジェリア国営鉄道に直接訪問して尋ねて見ても実態を把握するのは困難であった。同プロジェクトは完全に打ち切りになったとも思えないが、
実態としては殆ど進んでいない。(この鉄道リハビリプロジェクトに関してはコラム「西アフリカの交通インフラ」を参照)
また、その翌日の8月28日に訪れた、中国政府が支援し建設しているレッキ自由貿易区は、ジャングルであった土地が切り開かれ、敷地が造成され始めており、
多大な労力が費やされたことは確認できた。ラゴス市内のレッキ自由貿易区のオフィスで中国人のスタッフがいたこと、プロジェクト敷地内に、
中国から動員された中国人労働者が住むコンパウンドがありそこで実際に複数名の中国人労働者と出会ったこと、
そして武装警備員に守られた中国政府機関の建物も確認した。しかしながら、建設工事は現在では全く進展しておらず、
ナイジェリア国営鉄道のリハビリプロジェクトと同じ停止状態であった。
こうした状況の原因が、中国側にあるのか、ナイジェリア側にあるのか、定かではない。しかし、中国のアフリカ外交戦略の上で、
サハラ以南アフリカの大国であるナイジェリアとの良好な外交関係は必要不可欠である。レッキ自由貿易区の開発がある程度行われていた後に停滞している状況を見ると、
ナイジェリア政権がオバサンジョからヤラドゥアへと移り、ヤラドゥア大統領による前政権の政策見直しによって、
中国が関与する支援プロジェクトが停滞しているとも捉えられる。他方で、石油利権と引き換えに契約された国有鉄道リハビリプロジェクトは、
ナイジェリア専門家であるアジア経済研究所の望月氏が「実現不可能」と述べるほど莫大なコストを必要とする。中国は石油という美味しい利権だけを食べてあとは、
消極的姿勢になったとも推測できる。
カメルーンにおける中国の上からの流れは、ナイジェリアのケースと少し異なる。中国のアフリカ外交攻勢の典型例としてよく挙げられるのは、
中国が支援したいくつかの国の重要な機能を持つ公共建物を中国企業が建設したというケースである。カメルーンもこのケースに当てはまる。
私たちは、9月4日に訪れたカメルーンの首都ヤウンデ中心部に、中国によって建設中の国立体育館を確認した。また、国際会議場も中国の援助で建設されていた。
ハコ物援助以外では、カメルーン商務省エムバルガ氏のインタビューによると、中国はカメルーン中央州のナンガ=エゴボ(Nanga-Egobo)地域に、
キャッサバ、ヤムイモ、バナナ、米など、カメルーンの植生・文化にあった作物の高収穫量品種開発を研究する施設を提供しており、農業の生産性拡大に寄与している。
アフリカの農業援助に必要とされているのは、アジアで行われた化学肥料の導入や灌漑施設の整備による高収量型の稲の生産を目的とした「緑の革命」の押し付けではなく、
アフリカ農業の伝統を尊重し、長く栽培されてきた作物の生産性を向上させることであることから考えると、土着の農業技術を援助するこの中国による農業援助は、
非常に効果的なものと思われた。
このように、相手国の重要性に応じて、フレキシブルに政策を変えるのが、中国外交である。
私たちは、「上からの流れ」と同様に、「下からの流れ」と称される、民間・経済部門における中国のプレゼンスも強く感じた。
この中国のプレゼンスは、現地に居住し経済活動を実際に営む中国人商人と、中国から輸入され現地の市場を席巻している中国製品を通じて感じられた。
私たちは、ナイジェリアにおいてはラゴス(レッキを含む)、カラバル、そしてカノで、カメルーンにおいては経済首都のドゥアラやヤウンデで、
中国人を実際に見かけた。これらの中国の方々は、商店を営む方や、カノで出会った国家プロジェクトに関わるエンジニアであった。
それでも少なく、中国人が町に溢れているという状況ではないが、町を歩けば必ず「チャイナ」と呼ばれるように、中国人のプレゼンスを強く感じた。
一つ指摘すべき点は、ナイジェリアでもカメルーンでも、中国人は高次の中心地のみにいるということだ。
巡検中、最も多くの中国人を見かけたのは、ラゴスとドゥアラであり、両都市にはともに、中国人が経営する商店の密集地が存在している。
ラゴスにおいては、9月13日に訪問した「中国商城」と呼ばれる中国人経営の商店のみが集積した卸売商業拠点であり、ドゥアラにおいては、
9月3日
に訪問した中国人商店街である。こうした中国人の商業地区は、その国内における中国製品の一大卸売市場としての機能を果たしている。
ここに、全国から安い中国製品を仕入れに、その国の現地商人たちがやってくる。
従って、現状においては、ナイジェリアならびにカメルーンの中国人商人は、その国の経済的中心都市に住んで卸売業を営んでいるのが大半であり、
地方都市等で直接小売業を営む者はいたとしてもきわめて少ない。また、これら中国人商人は、仕入れや帰省のため、年に数回、定期的に帰国しており、
本国との結びつきは緊密である。
こうした中国人商人は、概して小規模の家族経営であり、意思決定が早く、小回りの利く、「ミニ商社」のような役割を果たしている。
このような原子的経済人のような「商社」が無数に集積し、それ自体が巨大な社会的インフラとしての「外部性」をつくりだし、
中国からアフリカへの莫大な商品流通を支えているのである。この商業活動に従事する中国人にとって、アフリカは、ビジネス・投資の対象以外の何物でもない。
そして、バックでは、中国政府がアフリカ市場への進出をグローバル化戦略の一つとして推進している。
2001年の第10次5カ年計画で打ち出された「走出去(海外進出)」戦略により、「対外投資国別産業指導目録」が作成され、
アフリカ大陸では、エジプト、スーダン、アルジェリア、モーリタニア、マリ、ナイジェリア、ケニア、タンザニア、ザンビア、モザンビーク、ナミビア、
マダガスカル、南アフリカが対象国とされた[2] 。政府の世界経済戦略と零細商人の動きが密接にリンクしている点は見事と言える。
こうして中国は、アメリカ一極依存の貿易体制から脱却し市場の多角化を積極的に進めてきており、
2008年後半のサブプライムショックが端的に示すアメリカ発の世界恐慌のリスクにも耐えうる政策を、採ってきたのである。
私達は、巡検中、多くの中国製品を見かけた。上述のラゴスやドゥアラ、そしてヤウンデでの市場は勿論、9月8日に訪れたマルア、
9月11日に訪れたカノといった低次の地方都市にも中国製品が溢れていた。これら都市の中国製品は、ラゴス、ドゥアラ、
ヤウンデのような高次都市にある中国製品卸売市場から流通していき、モノを通じて中国のプレゼンスを感じさせている。
こうした中国の輸出攻勢は、中国政府によっても、輸出信用枠の拡大や優遇税制等、政策的に後押しされている[3] 。
ここで、中国製品と一口で言っても、正確には二種類あるということに留意すべきである。
第一は、改革開放体制初期の「委託加工」の方式を受け継ぎ、欧米や日本・韓国・台湾などの多国籍企業が、新国際分業(NIDL)
のネットワークを編成して当該多国籍企業の技術やノウハウを持ち込み、中国の低賃金労働力を使って生産させた製品。
そして第二は、中国国内の国営ないし地方政府がかかわる企業が、見よう見まねの技術とノウハウで生産し、それを海外市場に向けて自発的に輸出している製品である。
後者は、改革開放体制初期には発展に取り残され停滞していた国営企業にまたとないビジネスチャンスを提供し、近年勃興してきた。
品質は相対的に低く、ディズニーやサンリオなどキャラクターものの「知的財産権」は全く無視されているが、そのような商品であっても、
アフリカの市場においては十分に価格競争力を持ち、また知財の保護が事実上なく販売が可能であるため、既存のアフリカ現地産品を駆逐していく。
この典型的な例は、9月10日にインタビューを行ったカノの観光局長が仰っていた、カノにおいては安価な中国製品の流入により、
500社以上あったカノの製造業が200社にまで減ったという状況だ。安価な中国製品は、アフリカ現地の消費者の実質所得を向上させ、
経済的利益をもたらすかもしれないが、地元産業へは壊滅的ダメージを与え、地元の雇用機会が減り、地元の人々の所得が向上せず、
国内の二重経済を収斂することができず、結局国の経済的発展につながらなくなる。同様の事態が、中国製品が流入するアフリカ市場全体で起こっていると推測できる。
資源が枯渇し、経済が停滞して有効需要が減れば、市場としても成立しがたくなり、中国も相手をしなくなるかもしれない。
こうした中国製品の流入に対して、地元のアフリカ人から否定的なコメントを聞く機会が幾度もあった。
2007年のナイジェリアの対中貿易赤字額は4500億ナイラを超える額となっている[4]。中国製品不買運動や外交関係の悪化といった摩擦にまでは発展していないが、
将来そのような事態が起こる可能性は否定できない。
日本では、中国のアフリカ進出に危機感を抱き、「国際協調や人権を無視し、資源獲得を目的としている」
という論調で中国のアフリカ諸国に対する外交姿勢が批判されることがある。
だが、資源が特定国に偏在して分布し、その採掘にかかわる権益は、その国家領域を排他的に支配する国の政府が独占している以上、
その資源の入手を欲する諸外国は、資源保有国に対し何らかの外交的手段を行使するほかない。すべての資源が、
何もしなくても八百屋で大根を買うように常に容易に手に入るとする発想こそ、あまりにナイーブな市場至上主義である。
百歩譲って市場で買えるとしても、独占的権益を持つ国が、資源権益を持たない国に対し独占価格を設定することは、市場経済の論理も認めるところである。
アフリカ大陸は、もともと現地民族の「人権を無視」して植民化した欧州列強の手で、上置境界によって切り刻まれてしまっている。
これは、独立後に、国家統合の重大な問題を生み、国家スケールの領域を、権威主義的な手段に頼らないで統治することを、相当に困難にしてしまった。
中国共産党が支配する中国の権威主義的政治装置は、このようなアフリカの国家統治様式ときわめて親和的である。中国の立場からすれば、
この共通性を積極的に生かし、アフリカの資源保有国とwin-winの関係を築くことこそ「国際協調だ」ということになるかもしれない。
そもそも、外交とはパワーをめぐる冷酷な国際間の政治競争であるから、ネオリベラリズムの論理からいえば、win-winの関係を築けずに敗北した国は、
自己責任で競争場裏を去るしかない。自分が負けそうになると「国際協調」などナイーブな理想論を持ち出し牽制を図ることこそ、負け犬の身勝手だということになる。
このような中国のアグレッシブな外交がつくる「上からの流れ」と相互規定関係にあるのが「下からの流れ」であり、
これが中国のアフリカ進出の大きな原動力となっている。日本には「下からの流れ」が根本的に欠落しており、日本の企業がいかに多国籍化しても、
「下からの流れ」に似たビジネス網を展開することは困難である。日本人からすれば、アフリカとはいぜん、
援助がないと生きられない貧困で遠い場所という共同主観であり、個人や家族がたとえ日本で失業しても、
中国商人のようなビジネスモデルでアフリカに進出するとは到底考え難い。仮に試みても、日本人にはそもそも現地に社会的インフラがないから成功はおぼつかない。
要するに、日本は完全に立ち遅れてしまったのである。アフリカにおいて、中国ほどのプレゼンスをこれから日本が築き上げることは、至難であると判断せざるを得ない。
<参考文献>
[1]世界経済情報サービス 『ARC Report Nigeria』 p.20 (2007)
[2]神和住愛子 「中国の対アフリカ政策と貿易投資」 2009/03/02閲覧
[3]吉田栄一編『アフリカに吹く中国の嵐、アジアの旋風』pp.23-4 (2007)アジア経済研究所
[4]JETRO HP: にて計算 2009/03/02閲覧