ドゥアラからクリビへ


▽ホテルを出発

7時15分にブッフェスタイルの朝食をとった。ドゥアラのホテルは全巡検中で泊まったものの中でも、なかなか良いホテルの部類に入ると思う。ホテルは港寄りの市街に位置していて、外観は高級アパートのような感じである。
レストランやバーには、制服を着た係の人が常駐している。シングル一泊60ユーロなので、ナイジェリアの同様の規模の都市で泊まったホテルと比較するとリーズナブルであった。

7時50分に出発し、はじめに伊藤忠のオフィスに寄って、昨日渡せなかったお土産を渡し、私たちはクリビに向かった。


▽ドゥアラで見かけた企業 ―旧宗主国フランス資本と新興の中国資本のプレゼンスー

車窓から道の脇に“ミシュラン”の看板が立っているのが見えた。あの有名なタイヤのマスコットが目立つ。ここカメルーンでは、旧宗主国のフランス資本の会社をよく見かける。





その中にあって、すこし進んだ所に今度は "China Road and Bridge Corporation Cameroon Office 中国路?喀麦隆公司" の看板があった。この会社は、道路や鉄橋などの交通インフラを専門に請け負う会社で、アフリカにはカメルーンを含む21ヶ国にオフィスを構えている。この会社がアフリカに持つオフィスの多さにも驚きべきものがある。カメルーン国内で日系企業の広告看板を目にする機会は皆無といってよい。中国のアフリカへの進出をこれまで目の当たりにしてきたが、市民の生活の場でその存在を感じられるという点でフランスなどの旧宗主国に匹敵する存在感を醸し出していると感じた。


▽水上の家 ―都市と郊外の居住区格差―

市中を抜けクリビに向かう道中に、まず小さな川があった。川の両岸には低い樹木が茂っていて、掘っ立て小屋や倉庫のような建物が数軒建っている。その脇には木で作られた小舟があり、生活の足として使っていることが伺える。川の水はきれいではなく、衛生環境は悪そうである。また電線が見られないことから、電化が進んでいないと思われる。


ドゥアラ市内の低層住宅地区にさえ住めない人々は、こうして郊外のより悪い環境下で住むことを強いられるのだろう。こうした居住区にも、教会はあるが、それはトタン屋根でできた小屋のようなものであり、ドゥアラ市内にあった立派な教会と比べると同じ教会とは思えない。こういった施設も、居住区のレベルに応じたものになってしまうのだろう。ここから言えることは、私たちの見たアフリカの都市では、居住に関して所得と距離が比例しているということである。つまり、所得が低くなればなるほど、距離的には都市から遠い所に居住せざるを得ない。

都市内の居住区の格差ももちろん存在しているが、都市とその郊外との間における居住環境の格差もまた甚だしいものがある。こうした都市の体系は、アブジャで見た郊外の状況と似ていると感じた。


▽踏切と列車の発見 ―カメルーンの整った鉄道インフラ―

ドゥアラからクリビまで3分の1ほどの所に、エディア(Edea)という町がある。ここまで車を走らせると、踏切が見えてきた。赤地に白い文字で“stop”と書かれた八角形の標識が線路の両側にある。また、赤と白の模様の遮断機と黒い警報機もある。線路の手前には黄色い字で “stop” と書かれた停止線があり、私たちが日本で目にする踏切と変わらないものであった。赤と白の車体のCamrailの列車が走っているのも目にした。このことから考えると、カメルーンの鉄道の運行状況は、ナイジェリアのものより遙かに良いことが伺える。また、鉄道ばかりではなく、これまで通ってきた道路の状況もとても良かった。


▽アルミ精錬所と水力発電所 ―カメルーン有数の工業地帯エディアー
ドゥアラを含めた西部海岸沿いは、工業が集積し、カメルーンにおいて経済的に最も発展した地域となっている。とくに、ここエディアは、カメルーン有数の工業地帯であり、アルミニウムの金属工業で有名である(*Survey of Subsaharan Africa: A Regional Geography, Roy Cole, H.J.de Blij, Oxford University Press, 2007, P447)。












エディアの街に流れるセナガ(Sanaga)川の橋を渡る少し手前に、アルミ精錬所があった。近くにあった看板から察すると、Aulcamという会社の工場であるようだ。橋を渡る途中の進行方向左手に、大きな施設が見えた。川の途中が滝になっていて、その横に、工場のように見える水力発電所が建っている。建物の周りには、送電塔と電線がたくさんあるのが見える。水力を調整するためのダムのしきりが作られていて、そこからはき出された水が川に合流していた。この発電所の電力を利用して、アルミ精錬が行われているのだ。

ここの川に、巨大な鉄製アーチのついた橋が架かっていた。Bradtのガイドブックによれば、これは1903年に、旧宗主国のドイツが建設したもので、長さは180mである。老朽化のためか、現在は、自動車交通の用に供されてはいない。私たちが車で通っている新しい部分の横には、鉄道用の橋が並立していた。


▽カメルーンの水資源に関するインフラ
―感じられない民営化の効果―

さらにクリビへと進む車のなかで、ガイド氏からカメルーンの水資源に関するお話を伺うことができた。

カメルーンでは、約60%の人が水へのアクセスが困難な状況であるという。特に、主要な河川がなくサバンナ気候で乾燥している北部において、その状況は深刻である。また、多くの人々は汚れた川や井戸から水を得ているが、その井戸の数ですら足りていない状況である。井戸に関しては、NGOや日本などの国からの援助によって建設を進めている。一方、中国や韓国は、そうした井戸の建設をビジネスとして行っている。その予算は州政府が用意するという。ここでも、援助の日本と投資の中国・韓国という、東アジア諸国のアフリカへの関わり方の違いがくっきりとあらわれている。

カメルーンにおいて水道の管理をしていたのは、カメルーン国有水道公社 Societe Nationale des Eaux du Cameroun (SNEC)という国の組織であったが、その役割は1990年代の構造調整によって、Camwater というフランス資本の民間会社に移行された。民営化後も、水道料金の体系は変わっていない。9立方メートルまでは、1立方メートルあたり250CFAである。これを超すと料金はさらに高くなる。より良い経営のために民営化が推進されたが、ガイド氏の話を伺うかぎりでは、民営化によって、特に消費者にプラスの効果があったとは言い難いようである。


▽植生とクリビの港湾機能

ここ、カメルーン西部の海岸沿いには、熱帯の植生が顕著に見られる。川の周辺にはヤシのような木々が茂っている。生えている草は密集していて背丈が高い。また、道中には、イデノーからの道すがら見たのと似た、バナナなどの熱帯植物のプランテーションを多く見かけた。カメルーンにおける原油に次ぐ輸出品である材木・加工木材(15.8%)、カカオ(8%)は、この地域で生産されている。こうした一次産品はカメルーンの経済を支えていると言える。

クリビ近くでは、輸出用と思われる材木が川岸に積み上げられているのが見られた。そうした品物を運ぶためのクレーンが数台、倉庫がいくつかある。前日のドゥアラで、ドゥアラの港湾能力の限界についてお話を伺った際に、クリビが新たな港湾として着目されているという話が出た。数年後に、南の浜にグランド・バダンガという貿易港が建設される計画があるらしい。そこに暮らす人々に対しては立ち退きを要請する予定にあるという。しかしながら、土木工事が始まっている様子はなく、
本当にできるのかについては疑問符がつく状況だ。


▽クリビ市内の様子 ―広い空間スペースと熱帯リゾートの様相―

私たちは、目的地であるクリビの町に近づいてきた。クリビは、外国から観光客も来るビーチリゾートとして有名な町である。車道からは海岸線に沿って広がる白い砂浜を臨むことができる。海岸沿いには、ベンチがところどころに設置されていて、ゆったりとくつろいでいる現地の人たちが見える。うっそうと茂っていた木々も、ここに来てヤシの木が立ち並ぶ南国風の様相に変わってきた。赤紫色の派手な色の花をつけた木が、よりいっそうリゾートの雰囲気を盛り上げている。

道端にはバナナを売っている人などがいるが、ドゥアラ周辺に比べると相対的に人は少ない。ローカル・マーケットも、これまで見てきたごちゃごちゃした感じとはどことなく雰囲気が異なる。基本的に清潔感があり、空間が広く使われている。家も一軒一軒が独立して建っていて、庭ともいえるスペースがある。トタン屋根の掘っ立て小屋のような家は見かけられない。都市の規模としては、明らかにドゥアラなどのprime cityよりは劣るが、それでいてスペースが広く取られていて町が清潔に保たれているのは、これまで見てきた同様の都市と異なる点であると言える。


クリビ零細漁業センター


私たちは、事前にアポイントメントをとっていたJICAから派遣された青年海外協力隊員である江川さんを訪ねるために、クリビ零細漁業センターに向かった。

日本国外務相主催で実施している「ODA民間モニター」の報告書では、2007年にこのセンターに訪れた「モニター隊員」たちが、「ハードとソフトが見事にブレンドした開発援助である」『平成19年度ODA民間モニター報告書:カメルーン』、ODA民間モニター事務局((財)国際協力推進協会(APIC)内P.24)などと、その設備や機能について褒めたたえていた。

私たちは日本のODAが実際にどのように行われ、現地でどう受け止められているのか、その問題点は何かという点を、日本政府がスポンサーになり旧宗主国パリ経由で派遣される「ODA民間モニター」とは違った、全く独立した視点で現地での活動内容に即して考察するという目的から、今回、訪問させていただくことにした。このような私たちの訪問を受け入れて下さった江川隊員に、まず感謝を申し上げたい。


▽クリビ零細漁業センターの設立経緯と概要

このクリビ零細漁業センターは、日本の政府開発援助(ODA)、総額4億円の一般無償援助で2006年6月に建設された。このセンターの設立経緯は、『ODA民間モニター報告書 カメルーン』前掲、p.22 によれば、以下の通りである。

「水産業はカメルーンにおいて安価なタンパク質供給源であり、約11万トンの年間水揚げ量の90%は零細漁業分野が占めている。他方、漁師は氷不足や保蔵欠如での鮮度低下による経済的損失(・・・略・・・)といった問題を抱えている状態である。国内漁業の増大と零細漁民の生活向上を図るため、ポテンシャルに高いクリビ地域の漁民センターを整備する計画の要請に至った。」

 「具体的には、【土木施設:護岸、開水路】、【建築施設:荷捌・卸売場、保冷函置き場、製氷・貯水庫、管理棟、食堂棟、構内舗装、ワークショップ、漁具ロッカー、便所】、【機材供与:保冷函、秤、ワークショップ用工具】の機材供与と施設の建設を行う。」(同上)

公式には、このODA供与の要請をした主体は、漁師のコミュニティーであり、それが牧畜・漁業・動物産業省に援助の要望を伝え、それが日本政府によって承認された、ということになっている。だが、江川さんは裏話として、このセンターは国際捕鯨委員会(IWC)において、カメルーンが日本に有利な形で一票を投じてくれたことに対する見返りとして建設されたのだという話をして下さった。捕鯨問題は、日本が自立して、欧米諸国を向こうに回し、積極的な外交を世界で繰り広げている数少ない案件の一つである。直接的な要因ではないにせよ、そうした政府レベルでの外交の配慮も、念頭にあったのかもしれない。

江川さんの任務は、センターの運営・漁民組織化のアシスタントとして、センターの経営の安定化とセンターを利用する船主・漁師の組織を強化する為に、センター職員に対して運営上の助言・提案を、船主・漁師に対して組織化の重要性を、会議等を通して行うというものである。これは政府開発援助の技術協力にあたる。派遣期間は、2006年10月4日から2008年10月3日までとなっている。(江川幸希識隊員による最終報告書 、2008年9月1日JICA提出)


▽漁業センターの様子



センターは海岸に面していて、屋根と柱だけで作られたオープン・エアのものである。屋根は木でできており、蛍光灯が設置されている。一区画に白いタイル状の床が貼ってあって、その区画が8つほどある。床の上には水揚げされた魚が置いてあり、その競りに参加する人たちが周りに立ったり腰掛けていたりした。バケツやはかりなどの器具も近くに何個かある。人は一区画に10人ほどいて、全体をざっと見渡すと50人超はいるように見える。その建物の横には、同様の造りのレストラン街がある。レストランは24カ所あって、そのそれぞれの区画に椅子とテーブルが置いてある。センターの対面には、後にインタビューを行うセンターの事務所がある。また、センター脇の海岸には数十艘の木の小船がとまっている。そこでも何人かの人が作業をしているのが見えた。


▽センターの黒字化と経営改善
―カメルーン漁師たちに持ち込まれたネオリベラリズム―


江川さんによれば、協力隊員としての実際の役割は、このセンターの黒字化と経営改善である。3年後には独立採算となるのが目標となっている。これは、このセンターを統括するカメルーンの牧畜・漁業・動物産業省(直轄は水産局)との取り決めによるものである。一言でいえば、これまで私たちが学んできたカメルーンの構造調整政策の流れに沿って、このセンターにネオリベラリズムの政策を持ち込んで、それを市場主体として自立させようというのが目的だ。

2008年1月から2008年7月末迄のセンターの収支は、概ね黒字であった。センターの収入を占めるのは製氷機の売り上げが60%、レストランの売り上げが10%である。だが、注意をしなければならないのは、収入自体は2006年、2007年時に比べ大幅に減少しているということだ。つまり、支出部門を押さえて全体を黒字化に持って行ったということである。もちろん、収入確保もぬかりなく、ここで経営改善案の一部を紹介したい。以下参照していただければわかるが、コストカットなどの強硬策が主な取り組みになっている。

・センター長が会議等に参加する際の出張費、宿泊費の全額カット。
・センター内の各利用代の一斉値上げ。
・利用代未払い者のセンターからの排除。
・日本人漁業専門家から提供されたパソコンを利用して、正確に各収益・支出を正確に管理。

私たちが疑問に思ったのは、こうした徹底的なコスト削減の手法が果たして現地の人の賛同を得られるのかという点であった。

江川さんが報告書で指摘している通り、従来、削減できるものは削減する、収益を増やせるところは増やす、運営する上でやるべきことを実践するという簡単なことを行っていなかったことが経営不振の原因にあった、という点に関しては、確かにその通りであるだろう。しかしながら、削減できるからといって無理に削減し、増やせるからと言って収益を無理に増やすネオリベラリズム的な改革、経営手法がどこまでここカメルーンの漁村において適用されるかはm慎重に考えなければならない問題である。


▽現地の人からの信頼と任務との間で板挟みになる隊員
―日本のODAの方法は適切か―


そもそも、開発援助において、一般的な市場原理主義の観点から「適切」あるいは「合理的」と考えられるものが、そのまま現地に導入できるわけではない。ODAはこのセンターに対して、ハード面ではセンターの建物を供出し、ソフト面においてはネオリベラリズム的な手法を導入している。この点に関し、私たちは、事実に即してその是非を慎重に検討してみなければならない。

江川さんは、次のように語られた。

「センターには大量に魚を買っていく客を相手に仕事をしている人達がいる。彼らもセンターに利用代を支払わなければならない筈だが、難癖を付けては支払いを拒否している。月1500CFA一括で支払うことになっているが、支払いを怠るので、毎週水曜日・土曜日にそれを仕事とする者は、利用する日ごとに1日300CFA支払うというシステムに変わった。この案もセンター長が出したものである。『1000』という単位になると支払いを拒むが、『100』の単位であると支払う気持ちが起きるようである。彼らの所得水準、生活環境、その背景にある文化と部族性によるものかもしれないが。」

江川さんは二年間という限られた期間の中で、現地の人々とのコミュニケーションを重視し、信頼関係を着実に築いてきた。実際、センター内を案内していただく際にも“Egawa〜!”と現地の人から何人にも声をかけられていた。そうした信頼を得る一方で、借金の督促など強制的な手段を含む改善策の執行をしていかなければならない。


▽漁師の生活 ―不十分な収入と厳しい生活―

毎週月曜日と木曜日に、網元(船の所有者)が管理する雇われ漁師が出航する。エディアや赤道ギニアのあたりまで出るため、漁には3日ほどかかる。したがって、水曜日と土曜日には多くの魚が水揚げされる。しかしながら、赤道ギニアの周辺は、石油パイプラインの汚染や乱獲によって、魚があまり獲れなくなっているそうだ。2006年には50人ほどいた網元は30人ほどに減っている。ガソリン代が高くつき漁獲量も増えないため、漁に出れば出るほど赤字になるという状態である。
センターには、漁に出ないため使われない船が何艘も並んでいた。

漁船は、地元の木であるバドゥを利用して造られた小舟である。水漏れ防止にコールタールを塗っている。対岸には、省の役人が裏金で買ったといううわさの大きな白いクルーザーが見え、その対比がせつなく映る。

一回の水揚げ量は100kg未満である。一艘の船に漁師は3人乗っていて、その取り分は売り上げの15%となっている。残りは燃料費やメンテナンス、網元のマージンとなる。現在、一回の漁に出て、漁師の手元に残るお金は5千CFAに満たないという。これで計算すると、月給はだいたい4万CFAほどである。下図の「クリビの生活費」を参考にしてもらえばわかるが、これでも生活していくのに少し厳しい状況だ。海難事故も多く、江川さんの二年間の任期中、20件の事故があったという。また、漁に出ている間は、小舟の上での寝泊まりを強いられる。大型の中国船との接触事故もあり、安全とは言えない状況だ。漁師たちは、命がけでかつかつの生活費を稼いでいるのだ。


▽諸費用

【使用料・賃料】
金額(CFA)
競り参加料
500/一回
機材利用
20,000/月
駐車場代
200/一回
トイレ利用料
一般      100/一回
センター関係者 50/一回
漁具倉庫(12カ所)
10,000/月
レストラン店舗(24カ所)
10,000/月
クーラーボックス
90,000/月
【機材購入費用】
金額(CFA)

30,000
船外機
(ヤマハ製15馬力)
150万
網(さし網)
15,000
おもりとうき
10,000
氷(15kg)
1,500
【クリビの生活費】
金額(CFA)
家賃
10,000/月
電気代
5,000/月
水道代
3,000/月
ビール
500/一杯
生ビール
1,500/一杯
























▽競りの様子

水揚げされた魚は、網元の管理によって競りが行われ、1kg買い(1800CFA/1kg)で取引される。網元には女性もいて、競りの最中には帳簿に何かを記入していた。買いに来ているのは、一般の人、ホテル関係の人、ドゥアラやヤウンデから買い付けに来ている卸売人などである。ドゥアラやヤウンデから来る人は、持ち帰って2倍、3倍の値段で、大使館関係の人に転売するという。仲買人のような人たちもいて、その人たちは良い魚を先に買い付けて転売するといったことを行っている。またそうした仲買人には、平日に競りがないときに買いたい人向けに売るという役割もある。クリビの海産物はかなり高級品として取引されているのである。しかしながら、それが高収入に結びついているわけではなく、実際、センターもかろうじで黒字を保っている状態である。中間マージンを得ている人たちが、漁村の外にいるのだ。


▽「カネを払えないなら出て行け」
―漁具倉庫のドアに強硬な最終通告―


漁具倉庫は、全体として、壁は白いコンクリート造り、屋根は木でできており頑丈そうに見える。倉庫の中には白い木枠でできた棚があって、縄やバケツなどの道具が置いてある。だいたい十畳ほどの空間であった。




そこで私たちは、鉄格子と鍵がかけてあるドアを発見した。ドアには、「カネが払えないなら出て行け」という利用代徴収に関する強制的な最終通告が、フランス語で書いてある。江川さんによれば、お金を払わない人には二種類の人がいて、本当にお金がなくて払えない人と、何とかして払わないで済ませようとする人とがいると言う。最近多いのは、前者のパターンだそうだ。

この倉庫は、日本のコンサルタントと相談して壁と屋根の間にすき間があるデザインが採用された。ところが、この隙間から子供たちが盗みに入り、転落するなどといった事故・事件が絶えなかった。そこで、建物の改修を現地の人に依頼したのだが、まだ完成されていない所も見られる。建物を改造することによって、泥棒などの行為を未然に防ぐ必要性があるという。

江川さんが報告書で指摘しているように、金銭や器具のちょろまかしといった行為に対する抵抗感は、ここでは低いようだ。


▽造船所の見学

船を造っている所を見学させていただいた。船を造っているのはカメルーン人ではなく、ナイジェリア人である。その人数は流動的ではあるが、現在6名ほどが働いている。カメルーン人はあまり手先が器用ではなく、そういった点ではナイジェリア人の方が向いているとのことであった。リンベなどにも造船所はあるが、技師はナイジェリア人であるという。ここでは、船一艘ができると5千CFAが技師の人に支払われる。

船は注文生産になっている。8月の半ば頃、クリビ市内の網元に対して、造船費用や網の購入代として600万CFAが支払われるという水産局からの援助の発表があった。そうしたことで注文が増えているのではないかと江川さんはおっしゃっていた。

彼らが本当に欲しいのは性能の良い日本製の船外機(船のエンジン)である。ただし、それは上掲の図の通り、極めて高額で、漁師の給料の3年分以上する。中国産の船外機はまだここにはないという。船外機を安く仕入れるのは至難の業のようだ。


▽製氷室の様子

次に私たちは、センターの施設の中心にある白いコンクリート造りの製氷室を視察した。

製氷室には、灰色の厚いドアがついている。ドアの横にはコントロールパネルが設置してある。中に入ると、巨大な氷が、かき氷の山のように高く積まれている。横にビールが冷やしてあるのはご愛敬である。この氷のおかげで魚は水揚げから二日間持つようになったという。船には、45ほどのブロック氷を積み込む。この氷には塩水がいれてある。おそらく塩を入れることによって融点を下げ、より温度の低い氷を作っているのだろう。

二階部分に回って、製氷機を見せていただいた。ここの製氷機は、日本の資金によって購入されているが、フランス製である。日本から輸送すると高くつくので、コスト削減のためにフランス製にしたとおっしゃっていた。日本とアフリカ間のモノの流れが細いので、運輸における規模の経済が働かず、どうしても割高になってしまうのかもしれない。停電時には、備品管理の職員の方が、24時間稼働するジェネレーターにスイッチを手動で切り替えて、氷が溶けないようにしている。


▽収入増を図るためトイレまで有料化

センターの事務所の横には独立して建てられた水洗トイレがあり、その横は駐車場になっている。駐車場は土日になると、レストランなどに訪れる人でいっぱいになるという。センターの収入増のため、駐車場とならんでトイレまで有料化された。1回トイレを使うのに、100CFAを払わなくてはならない。駐車場の売り上げは、平均月15万CFAほどであり、トイレ利用代は平均月1万CFAほどである。私たちもその水洗トイレを借りた。トイレには本来その料金を徴収する係の人がいるが、私たちが利用したときはたまたまいなかったので、料金を払うこともなかった。トイレ自体は水洗なので、カメルーンの中にあってはキレイな部類ではあったが、料金を払うほどすばらしいかといえば疑問であった。

江川さんは、報告書のなかで、便器の水洗スイッチを壊されることが頻繁に起こっていると問題を指摘していた。江川さんは建設時トイレを水洗にする必要性があったのかと疑問を呈している。仮に同様の施設がカメルーン国内、若しくはアフリカの沿岸地域に建設される場合には、水洗式ではないトイレを設置したほうが維持コストや利用者の意識の観点からも良いのではないかと提案されていた。コンサルタントが、現地の事情をよく踏まえてトイレの設計をしていたら、有料にしなくてもよかったのかもしれない。


▽センターの役割
―活動計画を立て漁民にプロジェクト情報をわかりやすく公開―


次に、私たちは、会議室でセンター長にお話を伺うことができた。

このセンターによって恩恵を受けるのは、漁師たちである。ここには40艘の船があって、それぞれ3人の漁師がそれに乗るため、総勢1oo人超の漁師がこのセンターを利用することになる。2月から6月にかけては休漁期にあたるため、その間、漁師の人たちはバイクタクシーのドライバーなどをしているという。仲買人のグループもあり、総勢36人の中には6人の女性も含まれる。センターの代表は、地区の代表者、漁師の代表者などの4名から構成されていて、そのうちの1人は政府から派遣されている。センターの職員は、センター長、副センター長、会計、製氷機管理(2名)、清掃員(2名)からなっている。

センターでは、明確に活動計画を立てて、毎月報告書をフランス語で作成するようにした。情報を集めて、統計資料も作成する。これまではそうしたきちんとした資料というのは全く存在していなかった。そして、この情報はセンター内に公開される。メンバー個々人を自立した意思決定主体と前提した上で、情報を公開し、合理的な行動を促すという方策も、ネオリベラリズムに特有のものである。だが、活動計画をたてたり統計資料を作ったりするのは、とても困難な作業であるという。

このセンターができる前は衛生環境なども悪く、多くの魚を無駄にしていた。漁業活動で問題が何か見つかると、それは一つの「プロジェクト」となり、解決が図られる。例えば、以前はセンター内の水揚げ場は取り除いた魚の内臓でとても汚かった。それをキレイにするというプロジェクトが行われ、状況は改善した。このような、「プロジェクト」を漁民にきちんと説明して理解を促すことも、センターの重要な仕事となっている。漁民には言葉を理解しない者も多いので、チャートや写真を使うことによって、解決すべき問題についての理解を促す。センター長は、コミュニティー内でのディスカッションの際に使われているセンター長作成のチャートを見せて下さった。模造紙3枚ほどの大きさの茶色い紙に手書きのフランス語で文字や図が書いてあり、写真も盛り込まれている。漁民を、自立した主体に育ててゆこうとする熱意が、ここにはにじんでいる。こうしたプロジェクトへの取り組みを示すために、この資料を日本の関係者に見せるという。

センターの設立によって、たしかに状況は改善されたという。光熱費のやりくりもうまく管理できるようになった。それぞれのプロジェクトに対しては、日本の技術や知識が必要とされているところがある。だが、こうしたプロジェクトの一つ一つに対して、日本政府から援助の承認を受けるのは難しいという。


▽センター運営上の問題 ―不正や滞納―

江川さんが、網元をまとめる人を紹介してくれた。トップにつけば横領なども可能になることから、そうした地位に就きたいと願う人は多いという。しかしながら、実際は上の立場になれば、毎週金曜日に会議を開いて漁獲高について報告し合う、など責任ある仕事が多くなる。こうした会議がきちんと開かれることも、人が来たり来なかったりで難しいようだ。

こうした文化や意識の違いは、活動に大きな影響を与える。実際、センターを統括する立場のカメルーンの職員がセンターのお金を横領して逃げてしまったらしい。そしてまた戻ってきたのだが、彼に対する被害の訴えは警察にも出されている。しかしながら、彼が弁護士の資格を持っているということもあってか、警察が動くことはないようだ。後任の隊員の安全を考えると、江川さんも強く対処することはできないという。

センターの職員ではないが、機材修理のための技術員の方がいるのを見かけた。こうした人々は、センターに場所代を納めて仕事を行っている。だが、このとき見た人はずっとその場所代金を滞納している人であった。これ以上滞納すれば大使館に訴えると言ってあるが、状況は変わらないという。


▽JICAの矛盾するスタンスに挟まれつつがんばる江川隊員

私たちは、こうした不正や滞納の管理に関して、厳しく行うようにJICAから要請されているのか、と聞いてみた。江川さんは、「JICAは隊員の二年間の期間を無事過ごしてもらえればいいといっているが、実際『このセンターがつぶれたら隊員の仕事がなくなる』というようなプレッシャーをかけられることもある。」と応じられた。

現地の人々の、ネオリベラリズムから見れば必ずしも「合理的」とはいえない行動規範と、ネオリベラリズムや経営の黒字化を至上とする「援助する側」の市場原理主義的理念とに挟まれつつ、江川隊員はそれでも笑顔を絶やさず、二ヶ月間のJICAの事前研修で習い覚えたフランス語を駆使して、現地の人々とコミュニケーションをとり、信頼を集めている。


▽クリビにおける青年海外協力隊の成果 ー日本への好印象ー

江川さんのこうした活動が、日本に対する良いイメージを作り上げていることは間違いないだろう。ここクリビでも、従来は、多分に漏れず日本人は中国人に間違えられ、“?好”と話しかけられることが多かった。だが、江川さんによって“こんにちは”が普及しているという。これは、やはり江川さんのパーソナリティーとその努力によるところが多いだろう。真摯な隊員の活動というのは、対日感情の好転という点で大きな財産を残す。こうしたソフト面における日本のプレゼンスの向上が、ODAの結果として評価するべき点であることはまちがいない。

JICAの日本における事前研修の内容には現地での危機管理や異文化交流の方法などがあり、江川さんによればその内容は今、役にたっていることもあればそうでないこともあるという。活動全般に関して、一番インパクトを与えていることは日本の印象であるとおっしゃっていた。

しかし、この江川さんの任期は、2008年10月で切れる。江川さんは、任期延長を熱望しておられるようであったが、実現の見通しは暗いという。江川さんが退任されたあとは、全く別の隊員が来て代わることになる。信頼関係も、一から構築しなおしであり、それがうまく行くという保障もない。こういう非効率なシステムで、日本は果たして援助国に何か残すことができるのか、疑問が生じるところである。こうした一隊員の努力が、日本のODAの方法という問題の元で、実を結ばないということは避けなければならないだろう。それでは、箱物を作るだけでなくマンパワーを導入しての援助というJICAの方向性が意味を持たなくなってしまう。


▽昼食―新鮮な魚介類―

昼食はレストランで魚をいただくことになった。私たちは、せっかくなので、奮発してビールも飲むことにした。プランテーンとマニョックというお餅状のものもいただいた。マニョックはけっこう歯ごたえがある。とうがらしとにんにくなどをいためたカメルーン版豆板醤のようなソースをつけるととてもおいしい。メインである魚は、スズキ、タイ、カレイなどであり、江川さんがごちそうして下さった。その場で焼いてくれるもので、とても新鮮で、ビールとの相性も良い。これにもこのソースをつけていただくとおいしさがいっそう際だつ。江川さんからいただいた写真を見ると、他にもクリビでは、エビやカニ、小型のサメからウミガメまで水揚げされるようだ。

センターのレストランからは、別のリゾート風のレストランを臨むことができる。そのレストランも味は良いのだそうだが、値段が張ってこちらのレストランの3 倍はするという。地元の人も観光客もこちらのレストランを利用することが多い。


クリビ市内巡検

▽海岸、滝、ピグミの森周辺散策

昼食をご馳走になった後、私たちはクリビの海岸周辺を散策することにして、車に乗ってセンターを後にした。

移動の途中、川が海に合流する地点で子供が数人遊んでいる風景が見られた。目的地についた私たちは、海岸線に沿って歩き始めた。海岸の砂浜は白く、ゴミなどは見あたらない。それに加えて、網を積んだ出航前の木船が何艘か並んでいるのが良い風情である。そして、私たちの左手に見えたのは、クリビを代表する自然景観となっている、海に直接注ぐ滝で、その横幅は大きく広い。ただし、人と言えば、現地の人が幾人かと滝をはさんで向こう岸に、これは観光客風の白人男女が二人見えるだけである。

滝の近くまで歩いて移動していく。途中には東屋のような建物があり、現地の人たちがいすに座ってくつろいでいる。滝の水はとてもきれいで少しひんやり冷たい。誰かが、滝の水でビールを冷やすという粋なことをしていた。クリビは入り江で波が立たず海が穏やかである。また、滝の上の方では現地の女性が水浴びをしていた。この滝は憩いの場になっているのだろう。


▽クリビの観光地としてのポテンシャル ー観光地の回遊性を高めるー

この滝は、欧米人を主として対象にしたBradtのガイドブック『カメルーン』にも観光スポットとして紹介されている。カメルーンはフランス語で旅行ができるので、フランス語を母国語とするフランス、ならびにベルギーからクリビにもよく観光客が訪れるという。ドゥアラから近いという立地もあり、8月の半ばはホテルは満室であった、と江川さんはおっしゃっていた。実際、私たちもセンターのレストランに、フランス人観光客を見かけた。

江川さんはじめセンターの人々も、クリビをぜひ観光地としてもっと整備したいと考えている。センター長によれば、現時点では浜辺は危険であり、安全のために海岸を整備したりする必要性がある。しかしながら、それに投資する充分なお金がないのが現状であるとのお話であった。

それに、外国人観光客を呼び込むインセンティブとして、この滝だけでは充分とは言えない。さらに、クリビ全体としてみても、クリビ一カ所だけでは、観光客をひきつける独自性や希少性が十分でなく、海外からの観光客を誘致するには今一つと言える。

こうしたクリビのような場所は、他の観光地と組み合わせて回遊性を高めることで、観光業の可能性を見出すことができる。つまり、個々の観光地が決定的な牽引力を持っていなくても、そのそれぞれを見て回るという観光のルートを構築することによって、遠方からの外国人観光客を誘致しうる。


▽カメルーンにおける観光業の具体的方向性

この一般的可能性を、私たちはカメルーンの海岸沿いの町で考えてみた。

私たちが9月2日に訪問したBuea(ボヤー)の町は、西アフリカで最も高いカメルーン山とそこで行われるマラソン大会がある。また、ドイツ植民地時代の遺産が残っているため、旧宗主国のドイツ人たちが植民地時代を懐かしむために訪れる、遺産観光heritage tourismの潜在性が存在する。そして、ドゥアラはカメルーン最大の都市であり、ホテルやアフリカ趣味のレストランなどのインフラが整っている。また、町並みに、また植民地時代の歴史も感じられる。一つ一つはわざわざ外国から訪れるような所でないにせよ、例えば、この三つの町を組み合わせれば、カメルーンの山、海、歴史など多くの魅力に触れることができる。

では、具体的に観光地の回遊性を高めるにはどうすればよいのだろうか。

私たちが提言する一つ目は、交通の整備である。観光地間の移動が不便であると、観光客がその観光ルートを敬遠する理由となる。カメルーン西海岸において、旅客列車は走っているものの必ずしも便利ではなく、移動手段は車しかない。カメルーンで外国人観光客が自ら運転するレンタカーは、事故のリスクが伴うことを考えると、公共交通手段の整備が不可欠となるが、これは不十分であると言わざるを得ない。

第二に、誘致する観光客や目指す観光の類型をもっと明確に絞ることを提言したい。ターゲットが、バックパッカーであるのか、バカンスを過ごす富裕な観光客であるのか、明確にすることは重要であり。また、ナイジェリアのアブジャのような商務旅行business tourism客を目指すのか、先に挙げた遺産観光heritage tourism客をターゲットにするのか、その地域に合ったものを選ぶ必要がある。

第三に、ここカメルーンでそうした観光のビジョンが明確に定められたときには、そのときは、観光地化のためのソフト・ハード両面での諸整備に、日本のODAが積極的に関わることを期待したい。そうすれば、カメルーンの発展に対して箱物を作る以上のもっと大きな影響力を発揮できるのではと考える。


▽石油パイプライン ークリビとチャドを結ぶパイプー

私たちは、海岸を後にして、再び車に乗ってセンターに戻った。

その際、赤字で“ATTENTION”PETROLE PIPELINEと書かれた小さな看板を見ることができた。文字の下には緊急の際の連絡先が載っている。しかし、パイプそのものは目撃できなかった。これはこの地中に、2003 年に完成した、チャドのドバ(Doba)油田からクリビまでつなぐ石油のパイプラインがあることを示している。石油の積出港は沖合の海上にあって、汚染の問題や治安の問題上、パイプラインは地中に埋めてあるのである。このパイプラインによって数年の間、雇用と収入が生まれ、また25年に渡って政府に年2千万ドルがもたらされるとされている。(テキストP447)クリビの海上には、アメリカ合衆国向けと思われる石油タンカーが常に見られた。

カメルーンはサブサハラで6番目に多くの石油の生産を行っている国である。その蓄積量は4億バレルと見積もられていて、2004年には3500万バレルを生産している。原油は、カメルーンの輸出の35%と最も多くを占める。しかしながら、2007年初めには、パイプラインから石油が海中に漏れる事故もあったという。ドイツの仲介会社の人がその説明に現地住民たちを訪れたが、保障は全く出なかったそうだ。クリビの海洋環境に対して、この石油生産は必ずしも良い影響は与えてないと言える。


▽クリビの教会

道中に一つ教会が見えてきた。クリーム色の外観で、建物の形は五角形状である。その真ん中から塔が出ていて、その先には十字架がついている。一見すると家のように思えるほどの大きさであった。次に見えた教会は、形は先ほどの教会と似ているがそれよりも少し大きい。カラバルで訪れた教会と同じ様な感じである。


三つ目の教会の前に着き、今度は下車して中を見てみることにした。真っ白な壁と屋根の鮮やかな赤とのコントラストがまぶしい。塔は三角錐状になっている。ドイツはクリビに初めて入った植民地勢力である。この教会は、植民地時代にドイツが建築したもので、現在またドイツ政府によって修復中である。江川さんの話によれば、2008年の5月に着工し2008年度中に完成予定であるそうだ。観光地のシンボルとして整備するという意図があるかどうかはともかく、旧宗主国が援助で植民地時代に建てた建造物を修復するのは、よくあることだ。だが、日本がその旧植民地でこうしたことをすることはほとんどない。こうした修復は、文化財の保存に貢献するだけでなく、遺産観光heritage tourismの興隆に役立つという要素も含んでいる。

教会の内装は、白の壁と木の板が張られた天井があり、壁にはステンドグラスのついた窓が何個もある。前には少し豪華に整えられた祭壇、その両脇にはイエスとマリアの像がそれぞれ設置されている。入り口付近には聖水盤が置かれている。カトリック式の教会であるようだ。ドゥアラにあったフランスが建てた教会よりは簡素であったが、全体的に清潔感と明るさが感じられた。


クリビからヤウンデへ

▽クリビからヤウンデに向かう道中

ここで私たちは、お世話になった江川さんにお礼を述べ、名残を惜しみつつ別れることになった。現地の人と深い交流を持ちその理解と協力を得ることは並大抵のことではないだろうが、日々の努力によってそれを成し遂げている江川さんの姿に私たちも学ぶことが多かった。江川さんは是非、泊まっていって欲しかったとおっしゃっていた。確かに、クリビは今までの巡検の中でも一番キレイで落ち着く町であった。

私たちは、クリビを後にして次の目的地である首都ヤウンデに車を走らせた。

クリビからヤウンデに向かう道中で、雨が降り始めた。クリビから抜けると、道の脇はずっとうっそうと茂った熱帯雨林になっていった。ヤシの木が所々に生えている海岸沿いのクリビの風景とはかなり異なる。3時間ほどの移動の最中に日が暮れて、19時頃にヤウンデに到着した。



▽ホテルにて旅行社に支払い ー海外送金に関する一悶着ー

ホテルに着いた私たちは、そこでカメルーンの旅行社に旅行代金の半分を払う予定になっていた。旅行代金はカメルーンの現地通貨のCFAフランではなく、ユーロ建てである。国際的な商取引の際には、ユーロのようなハード・カレンシーが好まれるからである。日本にいる時点で、その半金は国際送金で支払いを済ませてある。私たちの旅行代金は高額であったので、一度に旅行社に全額渡すのは好ましくないと考え、半金を前払いし、残りを現地で払えるようにアレンジしたのだ。

多額の現金携行は危険を伴うため、私たちは、旅行代金の半額を海外送金によってカメルーンに送り、現地で引き出すという方法を考えていた。海外で、このような国際送金の際に利用されるのが、ウエスタン・ユニオンWestern Unionという電報会社の海外送金のサービスである。日本においてはあまり普及していないが、スルガ銀行が提携してそのサービスを提供している。そこで、私たちは巡検の出発前に、日本橋にあるスルガ銀行東京支店に出向いて送金を行おうとした。しかしながら、その窓口で私たちは行員に詐欺の可能性を指摘され、送金をやめるように強く説得された。旅行社とやりとりを続けていて信頼に足る相手であると言っても、行員に強く反対され続けた。そして、結局、日本から送金できなかった私たちは、リスクを承知で、ユーロの現金をアフリカのこの地まで携行してきたのである。

このことを、カメルーンの旅行社の方に話したところ、“Western Unionは信頼できるサービスであり、その対応はナンセンスだ”と感想をおっしゃった。実際、スルガ銀行を訪れた際、あらゆる人種の人たちが送金を行うために待合室にいて、とても混雑していた。ナイジェリアでもここカメルーンでもWestern Unionの支店をたくさん見かける。しかし、日本人の中には、実際、たちの悪い詐欺メールに騙されて被害にあう人々もいるのだろう。



(木下 詠津子)

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