中国が建てる体育館とトヨタ車



7時半、朝食をとりに、ホテルのレストランに集合した。ビュッフェ形式である。スピードボートでの国境越え以降、皆の体調は芳しくなかったが、徐々に回復してきたようだ。今日の予定はまずカメルーンの鉄道局Camrailと商務省を午前中に訪問し、午後はJICAを訪問し、ホテルに戻り、旅行会社の社長のお話を伺う。インタビュー尽くしのハードな一日となる。



8時、宿を出発する。私たちの高いホテルは、低所得者層の住居の中に聳えており、その周りは瓦礫の山になっていた。後ほどお話を伺うJICAの山本さんによると、不法占拠の商店群が、道路拡大などの再開発のために行政機関によって潰されたのだそうだ。瓦礫の中には、その下にある使えそうなものを、瓦礫の中から漁っている人がたくさんいた。

瓦礫が広がる区画の横には、体育館が建築中である。デザインは代々木体育館にそっくりであるため、JICAの人たちは「代々木体育館」と呼んでいる。工事現場には“山西建土”と記された事務所が建てられていた。首都の中心的な位置に目立つ施設を建設するというのは、中国のアフリカ外交の特徴の一つである。中国は、資源権益追求や小規模商業だけでなく、日本が「得意」としているはずのハコモノ援助でも、アフリカでプレゼンスを高めているのだ。

ホテルの前の通りは、四輪車、二輪車の部品街であった。同じような店の多さから考えて、この地区は、自動車部品の卸売り機能を有しているようだ。ヤウンデは首都としての行政機能を有しているだけでなく、ドゥアラに並ぶカメルーン経済の流通拠点ともなっている。商店の看板には、ロゴ付きで、ISUZU、NISSAN、MITSUBISHI、SUZUKI、TOYOTA、MAZDAなど、日本の自動車会社の名前が数多く書いてある。MERCEDESなど日本以外の自動車会社のロゴもあるにはあるが、日本の自動車会社のプレゼンスが高い。

走っている車も同様に、日本車の割合、特にトヨタの割合がかなり高い。ただ、その車のデザインをよく見ると、2〜3世代以上前のもので、殆どが中古車と考えられる。それゆえ、トヨタのアフリカにおける直接の収益向上には、余り貢献していないだろう。テレビなどの家電分野では進出激しい韓国製品であるが、韓国車は見つけられなかった。自動車分野にまでは、まだその勢いは及んでいないようである。日本経済の海外におけるプレゼンスが、自動車関係の多国籍企業に代表されていることを、改めて認識する。

ちなみに、今回のナイジェリア、カメルーンの巡検を通じて、軽自動車を一度も見かけなかった。軽自動車は燃費や車両価格から見ても競争力がありそうなものだと、疑問に思った。しかし車の部品街にはスズキのロゴもあったので、もしかしたら一部では走っているのかもしれない。街中では黄色い車を多く見かけた。これはタクシーであるそうで、その数はかなりのものだ。見かけたタクシーの車のメーカー全てトヨタであることに驚く。

首都ヤウンデは、丘の街である。私たちのホテルは、ヤウンデの中心部よりは南西にやや外れたちょうど盆地の底のような地区にあり、行政機能が位置する中心部までは歩いていける距離だ。街路網は碁盤の目といったように整形されてはいないが、効率的な都市計画がなされている印象を受けた。ヤウンデの中心部には、カメルーンの行政機能が集約されている。公共施設は、市内に多く存在する丘の上に行政機関があるなど、土地の高低をうまく利用して配置されている。 文部省、環境省、内閣府、中央郵便局などが確認できた。大統領がパレードを行なうための施設もある。

共通通貨圏である中部アフリカ6カ国の中央銀行(Banque des Etats de l'Afrique Centrale, BEAC)のビルも、遠目の高台にそびえている。ヤウンデはカメルーンの首都であるのみならず、中部アフリカにおける中心的な行政機能を担っているのだ。

ただし、大統領府は中心地から離れた高台に立地し、ヤウンデの街を見晴らせる場所にそびえ立つ。

サブサハラ鉄道の優等生--Camrail



Camrail の事務所はヤウンデ駅のなかにあり、駅は街の東側にある。私たちは、中心市街を通り抜け、ヤウンデ駅の駅前広場に到着した。

ヤウンデ駅の構造は、二列に並ぶホームの片側に駅舎があり、駅舎の前の広場に駐車場があるというシンプルな作りである。駐車場から見る限り、駅舎の中は、切符を求める人、列車を待つ人、到着客を待つ人でごった返していた。カメルーンでは、鉄道が人々の重要な交通手段となっていることがよくわかる。 駅の周りにもかなりの人が行き来しており、西洋人も見かける。駐車場の周りには露店が多数立ち並び、歩き売りをしている青年もたくさんいる。お菓子やフルーツなどの食べ物から、手帳やビデオまで、様々な物を売っている。最寄り品だけでなく、比較的に購入頻度の高い買回り品も売っている。 駅舎の隣には、郵便小包センターがあった。

約束の時間になり、待機していた駐車場から駅舎の脇にある通用口に行くと、警察官が入場許可を求めてきた。数分で通してくれたが、セキュリティーには気を使っているようだ。ちなみに、駅前は撮影禁止である。 Camrailは4つのゾーンに分かれており、今から訪問する事務所はヤウンデ地区の本部である。Camrail全体の本社はドゥアラにある。ヤウンデにある事務所はそう大きくなく、駅舎の2階から4階に数部屋あるのみだ。Camrailの広報責任者チョゴウエ氏(Mr. Tchogoue)の事務所は、駅舎の2階にある。すぐに、インタビューが始まった。ガイドがフランス語と英語を通訳する形で進行した。

【インタビューの内容は、コラム<リンクをはる>を参照】。

露店で売っていた、無料の観光地図



一時間弱のインタビューが10時に終わり、次のインタビュー先である商務省の約束時間の11時までの間、ヤウンデの市街地図を買いに行った。

まず国立地図作成研究所に行ったが、品切れとのこと。そこにはバカシ半島の国境確定の地図が展示してあった。一般に途上国は地図を公表したがらない傾向にあり、この地図は販売していないのはおろか、撮影すら禁止だ。

市街地図を探しに、他をあたることにする。日本のような感覚では当然本屋を見つけることは出来ないが、ヤウンデ一番の大型書店に行った。大学で使われるようなテキストばかり売っている。地図はあったが、冊子状で見にくい上に、高かったため、購入を断念する。諦めて外に出ると、地図を売っている露店の売り子に遭遇した。結局その売り子から買うことになった。80cm×50cm程の紙の表裏にヤウンデとドゥアラの地図がカラー印刷してある。これを1部3000CFAフランで人数分買うこととなった。だが、広告がたくさん載っている。地図を良く見てみると、無料と書いてある。旅行プロモーション用の地図の横流しを受けて、街で売っているのかもしれない。他に地図を入手する方法が無いので、こうして露店で買うしかない。だが、かなりいい商売である。

ネオリベからの脱却めざして--商務省



次に、私たちは商務省に赴き、WTO担当兼商業協力部長のエマニュエル・エムバルガ氏とのインタビューに臨んだ。

商務省は他の省庁と隣接し、高台の上に立地していた。商務省の建物は大きな駐車場を併設しているが、満車に近い。かなりの数の公務員が、自動車通勤をしているようだ。

エムバルガ部長の部屋は、1階の入り口とは反対側にあり、途中で警備員が見張っている廊下を通過した。小さな事務室が廊下の両側に並んでいる。廊下を進むと、エマニュエルさん部長の部屋がある。エムバルガ部長は、ここで私たちを待っていてくださった。

公務員は英語、フランス語両方話せるようにするという方針があり、時にガイドの助けを必要としたものの、基本的には英語で、カメルーンの経済に関連する幅広いご意見をフランクに伺うことができた。

▽カメルーン経済の現在の状況

1980年代、カメルーンは深刻な経済危機に陥った。だが、現在はかなり回復してきている。回復の過程において、カメルーンは世界銀行とIMFの指示のもと構造調整政策(SAP)を実施した。現時点では構造調整は殆ど終わり、自国主導の経済発展プログラムに切り替えていく期間になっている。現在一人当たりGNPは1000ドル前後であり、まだまだ伸ばす必要がある。政府は、BRICsのような急成長を目指している。

▽カメルーンの輸出品目

カメルーンの主要な輸出品目は、資源と一次産品である。主に、石油、木材、コーヒー豆、バナナ、ココナツを主に輸出している。主な輸出相手国として、フランスと中国向けにボーキサイト、フランス、中国、カナダ向けに鉄がある。ちなみに、日本には資源は輸出していないようだ。

▽対周辺諸国、EUとの外交関係

カメルーンは、中部アフリカ諸国と EPA(Economic Partnership Agreemen, 経済連携協定)を形成し、中部アフリカ経済通貨共同体(Communaute Economique et Monetaire de l'Afrique Centrale、 CEMAC)という経済圏を形成している。CEMAC圏内では、ユーロと固定相場で結び付けられたCFAフラン(655.96フラン=1ユーロ)が共通通貨として使われ、その発券銀行である、中部アフリカ諸国中央銀行(Banque centrale des Etats d'Afrique Centrale 、BCEAC) はヤウンデにある。このことからわかるように、カメルーンは、ほとんどがフランス語圏から成る中部アフリカ諸国の中で、覇権的な地位を築いている。

このことは、CEMACの中心であるカメルーンが、西アフリカの経済圏であるECOWASの中心をなすナイジェリアと競合関係にあることを意味する。但し、隣国ナイジェリアとは、11月に貿易博覧会を開くなど、個別的な貿易関係の構築を徐々に図っている。

更に今年末または来年を目標に、EUとCEMACの間で、期間15年間の経済連携協定(EPA)が締結される見込みである。2008年の1月から既に、EU、CEMAC相互間の部分的な市場開放が行われている。具体的には、CEMAC諸国がEU諸国に輸出する際は、無関税で輸出割当もなく、EU諸国がCEMAC諸国に輸出する際は貿易品目全体のうち2割の品目に関税をかける。EUからの輸入品で関税の対象となる品目は、CEMAC諸国における幼稚産業で、例えば衣類や車両である。

▽日本のたち遅れと、貿易・援助両面での中国の進出

エマニュエルさんは日本や中国など東アジアに行く機会が多く、日本や中国とカメルーン途の関係についても精通している。

2008年に行われたTICADWでは、日本政府がアフリカの首脳を横浜に招待したものの、カメルーン政府としては、日本からの投資を呼び込めたという手応えを感じなかったという。一方、中国に関しては、綿や茶、ココナッツなど貿易量も多く、かなり良好な経済関係を築いているという認識だ。

中国は、貿易のみならず援助も効果的に行っている。中国は、中央州のナンガ=エグボ(Nanga-Egobo)地域に米、キャッサバ、ヤムイモ、バナナなど、カメルーンの植生・文化にあった作物の高収穫量品種を開発し生産量拡大を図る研究施設を提供し、高収穫量品種の導入による農業生産性拡大に寄与している。ただし、カメルーンと中国の間ではFTAは結ばれていない。

植民地の遺産として、フランスとカメルーン政府との結びつきは今でも強く、フランス人の顧問が政府の中には常駐して、いろいろ采配を振るっていると言う。だが、フランス人のポリティカル・アドバイザーたちは、勝手に休暇をとってしまったり、フランス側の意向を一方的に伝えたりなど、いぜん植民地支配者的メンタリティーが見え隠れしているという。このようなフランス人アドバイザーたちは、それゆえ、かならずしもカメルーンで歓迎されているわけではない。それゆえ、カメルーンを過去に植民地として支配した歴史が無い日本は、もっとカメルーンで受け入れられてよいはずだ、とおっしゃる。

▽新経済政策?インフラ整備、繊維産業、銀行システム

現在、作成中の新経済政策では、インフラ整備が一番の課題である。とりわけ、電力、道路、港湾開発の分野が重視されている。そこでは、国内外から多くの投資を呼び込む予定だという。道路の発達は北部地域など、首都ヤウンデから遠く離れた地域の発展にも必要不可欠である。

次に、カメルーン政府は、繊維産業の発達に傾注している。EUから輸入された繊維製品は、関税の対象となり、国内の製品は保護を受けている。Cotonniere Industrielle du Cameroun (CICAM)という企業はカメルーン産の綿花を原料とし、中部アフリカでは影響力のある企業である。しかし、近日は中国産の製品との競争にさらされ、厳しい立場に追い込まれている。そこで政府は第3セクターという形で、繊維業の発達を後押ししている。  第三に、政府は、一般市民に起業のための融資を受ける機会が適切に与えられるようにするため、多様な銀行の整備をすすめている。例えば貿易を行う際の銀行、農業分野専門の銀行等である。農業関連の銀行はかつて存在していたが、世界銀行とIMFの構造調整を通じて潰されてしまった。それゆえ、この銀行制度の整備は、構造調整を逆戻りさせる政策である。

▽インタビューを終えて

一般に、アフリカ諸国は、「二重経済構造」と言われるように貧富の差が非常に大きい。ネオリベラリズムによる構造調整改革は、その格差を一層極大化した。現在はその改革に対する見直しが図られている段階とエムバルガ部長は認識しているようであった。これは、アブジャで訪問したECOWASと同じ認識であり、「ポスト・ネオリベラリズム」の経済政策をアフリカ諸国が志向しはじめていることを、私たちは改めて実感した。

インタビューでも取り上げられた繊維産業の発展や銀行システムの拡充は、格差を縮小化していく上で効果的である。労働集約産業である繊維業の発達は、一般の労働者にも賃金として所得が分配される。また、銀行業が発達して低所得者層にも適切な融資がなされるようになれば、所得水準が低くてもビジネスチャンスが拡がる。中国が主導している、伝統作物の高収量化も、農村部の貧困解決に有用であろう。

このように二重経済の下部の経済を底上げしていくような、一連のポスト・ネオリベラリズム政策が、今後カメルーンでどのように実行されていくか、私たちは注目したい。

昼食



一時間半ほどのインタビューを終え、昼食をとりにレストランへ向かった。私たちのレストランは、屋根に藁を使うなど「アフリカ風」のデザインになっている。料理はビュッフェ形式でカメルーン料理からフランス料理まで様々な料理が並んでいる。ケーキも置いてある。ベトナムでは、片田舎の村でさえ、バゲットやコーヒーが美味なのは、知る人ぞ知る事実だが、改めて、カメルーンでも、植民地宗主国が遺した食文化の水準の意味あいを感じる。 このレストランは高所得者層を相手とし、郊外の高級住宅街に立地している。郊外は高台になっており、ヤウンデが広く見渡せる。ヤウンデを全体としてみると、都市構造は中心部に行政機関、少し外れたところに低所得者層の住宅が広がり、郊外には高級住宅地や大使館が存在する構造であることがわかる。また標高と社会階層も相関関係がある。高級住宅地やBCEACなどは、高い所に立地する。これに対しナイジェリアのラゴスでは、イギリス植民地時代から政府機関があり、大陸から海峡で切り離されたラゴス島内が社会階層の高い地域となり、階層の低い地域は、大陸と地続きの半島の周縁部に広がっていた。一方は標高差、他方は海峡と、具体的なありさまには違いがあるが、いずれも地形を巧みに用いて、都市のセグリゲーション(住み分け)が行われており、大変興味深い。

JICA ノウハウと主体性乏しき日本の援助



▽高台の大使館地区にあるJICA事務所へ

午後は、2時からバスト=ゼクドゥ(Bastos-Ekoudou)地区というヤウンデ市内でも中心地から北に外れた高台の高級住宅地区の中にある、国際協力機構(JICA)のヤウンデ事務所を訪問した。JICAの事務所の近くには日本大使館をはじめ、各国大使館も林立している。

住宅を改造したような事務所の一室で、私たちは所長などからお話を伺った。その部屋は応接室としても使われているようで、JICAに関するパンフレットが多数置いてあった。壁には、カメルーンの地図、そして清水建設のカレンダーが吊ってあった。

前半はカメルーン駐在員事務所所長山本さんと援助プログラム技術指導員で農村開発に精通している菊田さんのお話を伺った。山本さんはもともとパソコン関連の協力隊員で15年近くJICAに関わってきた方である。もう一人の菊田さんは、フランスのモンペリエにある大学院の熱帯地域研究所 (Institut des regions chaudes、IRC)で学ばれ、農村開発に専門的な知識を持っておられる。但し、現在JICA事務所では農村開発の仕事ではなく、援助全般に関わるお仕事を担っておられる。

▽ヤウンデJICA事務所の設立経緯・状況

ヤウンデ事務所は、2006年4月に設立された比較的新しいJICA事務所である。前カメルーン大使の国枝氏の強力な働きかけによって、援助の優先順位が他の国より繰り上がって設立に至った。ここで働く日本人職員は三名しかおらず、一人一人の仕事量はかなりの量になっているそうだ。三名はいずれも、複数年契約の契約社員であり、正規のJICA職員ではない。山本さんの場合は2年契約である。10月1日からJICAが、国際協力銀行JBICの有償資金援助関連業務も行うようになると、道路建設なども扱うようになるため、仕事量がさらに増えるという。

私たちが訪問した2008年10月以降、JICAの海外拠点は事務所、支所に分かれることとなった。拠点によっても職員の数が大きく異なり、多いところでは10名程いる所から、カメルーンのように職員がおらず契約のスタッフのみの拠点もある。このような拠点は支所となる。カメルーンの場合は支所であるから、職員の人数配置から見ても、日本にとって優先度が高い国とは位置づけられていない。

▽協力隊員?小学校教諭の経験ない隊員がアフリカで「音楽」を教える現実

ヤウンデ事務所の主な仕事の第一は、協力隊員の派遣業務である。2008年9月1日時点でカメルーン全体では20人(男性11名、女性9名)で、協力隊員が80人規模でいるマラウィなどに比べると、カメルーンはまだまだ小規模である。派遣地域は、治安が悪く物価も高いヤウンデ、ドゥアラ近郊は避けられている。

青年海外協力隊員は、小学校教諭に7名、村落開発普及員に5名、ラジオ局員に1名、幼児教育に係わる業務に3名、PCインストラクターに2名、青少年活動に係わる業務に1名、漁業協同組合に1名派遣されている。漁業協同組合に派遣されている人というのは昨日訪問した江川さんのことである。このように、協力隊は各地で多様な役割を果たしているが、各隊員は派遣先であたる業務に対して特別な専門性を必ずしも持っている訳ではない。JICAはあくまで協力隊員を派遣するだけで、配属先の業務に対して直接的に指導する訳ではない。JICAは、派遣先機関に対して隊員の活動内容を説明し、家の提供などの派遣隊員の生活保障を要請するのみである。

ところが、青年海外協力隊員というのは、基本的に業務に対して、派遣前の研修を受けるまでは素人なのである。クリビでお会いした江川さんは、もともと青年海外協力隊には反対の姿勢を持っていて、その実態を知ろうという反面教師の思いから応募を決めたとおっしゃっていた。OBの隊員が一生懸命、「自分たちはこんなに良いことをした」という話を語るのを一歩引いて聞いていたという。そのような江川さんは、はじめ村落開発隊員として登録した。だが、カメルーンに漁業協同組合関係の人手が足りなかったので、肩書きを少し書き換えて回されたのだという。来てくれる人がいれば誰でも良いというのが本音であるようだ。

こうしたことからも、隊員の日本での経験や能力が必ずしも考慮されて、適材適所に配置されるというわけではないことがわかる。フランス語がしゃべれて、現地での援助に役立つ技能やノウハウを持ち合わせている人材が募集段階で見つけにくいというのは想像に難くないが、業務内容においてもほぼ素人の人間を派遣することで、充分な成果があげられるのであろうか。

このことを、小学校教諭の事例でみてみよう。カメルーンで、小学校教諭としてカメルーン各地に派遣されている青年海外協力隊は、9月1日時点で7名いる。20人のうち7名であるから、一番の重点分野である。では、彼ら・彼女らは、カメルーンの教壇で何を教えているのか。担当しているのは、「子供たちの精神的な成長の寄与に貢献する」という目的を掲げた、音楽などの情操教育分野である。算数などの実用的な分野は担当していない。しかも、派遣される協力隊員はカメルーンの大部分で教授言語となっているフランス語が堪能というわけではなく、そもそも算数も音楽も、日本の小学校で教えていた経験が無いということである。

私たちがクリビを訪問したとき、JICA主催の小学校の集団セミナーがヤウンデで開かれていて、小学校教諭をしている隊員はそれに参加して出払っていた。JICAとしても、派遣された教員の質の向上にはそれなりに努力しているのだろう。しかし、江川さんの話によると、小学校に派遣された隊員の中には、小学校教諭の免許をもっていない日本での教員未経験者も二名いるそうだ。

この小学校教諭の派遣に関するお話を伺い、私たちはは2つ問題を感じた。1点目は、ノウハウの十分にない人材を現地に派遣しても、派遣コストに見合っている充分な効果を生み出せるのか、という問題である。2点目は、そもそも「情操教育」分野の援助以上に求められているものはないのであろうか。ということである。カメルーンに求められているのは、経済開発のため、もっと技術を身につけた人材を育成することであり、このためには、理数系の科目で十分な教育効果を上げられる教員の派遣が必須ではないのだろうか。基礎的な算数教育の分野においては、「公文式」や「百マス計算」など、世界に誇るべき教育ノウハウが日本にある。だが、これらがカメルーンの教壇で活かされているという話は、聞かなかった。

もっとも、JICAも、理数系教師育成には努力しているようである。ケニアでは、中等理数科教育教科(SMASSE)プロジェクトが行われており、その連携のもと、カメルーンからも研修センターに小中学校の現地教員を派遣している。日本の理数系科目の教育にはそれなりのノウハウもあり、小学校教諭の派遣に比べれば有効と言える。もっと、派遣する人員をこちらに重点的に割くべきであろう。目指す成果は、研修で得た成果を本人にとどめるだけでなく、その成果を周りに広めていくべきであるが、まだそこに至っているとは、インタビューで確認できなかった。今後の成果が期待される。

▽ハコモノプロジェクト――日本企業にリスクフリーなアフリカビジネスの場を確保

協力隊員派遣以外では、小学校建設、クリビの漁業センターの設立、国立スタジアムのリハビリ、地方給水計画、ラジオ放送網整備、ドゥアラ港コンテナターミナル近代化事業、北部マガ湖での保冷庫建設、内水面養殖などいくつかの実績や計画中の建設関係プロジェクトがある。

まず、小学校建設について触れる。この事業は日本のカメルーンにおけるODA事業において継続的に最も力を入れている事業と言える。1997年から第一次から第三次小学校建設計画まで実施され、現在97校の小学校が建設された。現在第四次が計画中である。9月2日にリンベ(Limbe)近郊で校舎横を通過し、3日にボヤー(Buea)にて、建物を見学した。(記録参照)実際に視察した際、小学校という基礎的なインフラを継続的に提供しているこのプロジェクトは、カメルーン国民から強く感謝されている。ガイド氏も、日本に対して感謝していると私たちに話してくれた。 だが、小学校建設は、日本だけがやっているプロジェクトではなく、EUや中国、世銀もやっている。ただ各国が小学校建設を進めるものの、小学校は依然足りておらず、夜間などの二部制、三部制にならざるを得ない。

日本の場合、このJICAの小学校建設案件は、入札で清水建設が3度に渡って受注し、100%が同社によって建設されている。清水建設にとっては、場所はアフリカでも受注者が日本政府ということでリスクが非常に低い事業であり、安定した収益が見込める海外案件である。清水建設はヤウンデに事務所を設置している。入札においてコストを下げられるため、次回の小学校建設案件の入札を経ても清水建設が応札できる可能性が高い。清水建設にとっては好循環である。清水建設が引き続き受注することは、ノウハウがあり、かつコストも下げられることから、日本政府にとってもプラス要素はある。しかし、毎回同じ企業が受注し、利潤を得ることは、政府と企業との馴れ合い、あるいは、日本政府がハコモノ援助に寄生する日本企業にビジネスの場を提供している構図ともうつる。JICA事務所に吊るされた建設企業のカレンダーは、その象徴のようだ。ナイジェリアでは、米国のUSAidが、あるNGO経由で小学校建設を援助しているが、こちらは、資材のみを提供し、建築工事は現地NGOに委ねるという方式である。これなら、「自分たちが建てた学校だ」という誇りが現地の人々の中に生まれるし、大切に使おうというインセンティブも高まるだろう。もちろん、同じ援助額で、より多くの学校が建設できる。

さらに、ハコモノを作った後の姿勢に対しても大きな問題がある。ドゥアラのコンテナターミナル近代化事業では、有償資金援助をした後、債務帳消しを行い、事実上無償援助となったにも関わらず、私たちが港を訪問した時には、日本が援助したという形跡は見つけることができなかった。日本からの政府関連の訪問団でさえ、視察を拒否される時があるという。更に、ヤウンデにある国立スタジアムのリハビリに関しては、翌日訪問して私たちは驚愕の事実 を知ることとなる。このように、ハコモノとして単に作って終わりとするのではなく、継続的に成果の上がる援助も行っていくべきである。日本の援助には、まずハコモノを作った上で、それをどのように有効活用していくのか、という長期的な戦略性を感じることができない。

▽農村開発――専門のノウハウや熱帯農村の多様性の認識が乏しく、ネリカ米導入一辺倒

農業部門は、アフリカ諸国の主要産業であり、農村の開発は、貧困問題の軽減に重要な役割を果す。菊田さんが農村開発の専門家ということだけあって、農村開発についてとりわけ熱く語ってくださった。

菊田さんは、成果が出るまでの期間が20年、30年かかる教育部門に比べて、成果が中短期的に出るため、今すぐやるべき分野である、とおっしゃる。だが、農業分野では各国が競うように様々な援助を行っている。そのなかで、日本のやりかたはどうなのだろうか。

フランスなどアフリカの旧宗主国は、植民地時代に、統治の必要から熱帯地域の植物に関するノウハウを蓄積してきた。これをふまえ、農村開発の考え方において先進的な立場に立つのは、いまでもフランスやイギリスをはじめとしたEU諸国である。菊田さんが在籍しているフランスの大学院では、フィールドワークが中心の調査方法を叩きこまれる。ちなみにその大学院に通う学生の8割が奨学金でやってきたアフリカ人だそうだ。その大学院がアフリカにおける農村開発の先進的な地位を担っていることがわかる。

農村開発において、一番重要なのは総合性である。単に農業分野などの単一の分野に限らず、総合的な知識が必要とされる。小学校建設において日本が高い評価を得ていることは上述したが、フランスの例のように、より成果を高いものにするためには、他の援助と相互関連した援助をやっていく必要がある。この立場に立って、EU諸国は、特定の村落をターゲットにして小学校からあぜ道までまとめて作る、総合開発の手法をとるという。そのためのプロジェクトの対象ゾーンの決定からして、フィールドワークのスキルが厳しく要求される。農家の生産体系、部族、行政区分が完全に一致することはありえないので、問題を共有できる人たちが住む地域という枠組みでゾーンを決定していくことになる。これだけでも、問題を発見するための聴き取り調査の重要さ、そして援助対象地域決定の困難さが推測できる。

中国やサウジアラビアは、カカオなどの熱帯性植物の農業技術指導を行なっている。 そして日本は、かつてアフリカ数ヶ国で、ネリカ米に関する調査を行った。そして、2008年春のTICADで、日本政府は、米国ロックフェラー財団などが関わって開発したアフリカ向け高収量米「ネリカ米」の普及によるアフリカでの「緑の革命」を公約とし、JICAがこれを推進している。しかし菊田さんによれば、ネリカ米は研究所を除いてカメルーンでは栽培されておらず、広まる可能性は低いとのことである。そもそも、アジアと異なって、アフリカ現地人の主食は米に限られておらず、ずっと多彩である。米に限定されず、これら多様な作物の多収量化を追求しなければ、現地には受け入れられがたいであろう。

それゆえ、一つ一つの村に対する処方箋は全く違っていて、村民を集め、一人一人聞いて問題点と望む点を正しく理解しなければならない。ネリカ米普及がすべてというような、外から形式化されたやり方を持ちこんでも、農村開発の成功は覚束ない、ということである。日本も現地に受け入れられるような援助をするべきである。

このためには、いうまでもなく大変なノウハウと人手が必要であり、そのため相応の知識を持つ人間を育成する必要がある。だが、日本ではまだまだ専門家が少ない。そこでJICAでは、青年海外協力隊の隊員が、今年の3月から村落開発普及員として働き、経験を積んでもらう活動を始めているという。現在、村落開発普及員として派遣された人たちは、まず農村開発に求められる情報収集から始めている。だが、彼ら・彼女らは、そもそも農村部での生活が始めてで、フランス語が不自由なく話せるという訳ではない。このため、すぐに成果を上げるのは難しい。一人一人の意見を聞くことから始まる農村開発をカメルーンで行うには、コミュニケーション・ツールであるフランス語が堪能であることが当然の前提となる。日本が農村開発援助をより積極的に進めいていくハードルは高い。

農村開発というのは、教員派遣などに比べると、事前の準備なども含めてかなりコストがかかる。また必ずしも成功するとは言えないだけにリスクも大きい。現に失敗プロジェクトも多々あり、閣議をはじめとして、日本の政策決定機関がつい慎重になってしまうのだそうだ。正確な情報を集め、リスクを軽減させていくことが求められる。 カメルーンでは、隣同士でも農法が異なる程に、多様性がある。そのような環境であれば、近隣住民同士の情報交換も大いに意義があるし、一人一人の村民と話すことの意義も大きい。多様性は大きく、ネリカ米一辺倒のステレオタイプな政策では、問題は解決しない。

農村開発の経験者がいない現状のもとで高い成果を挙げるのは難しいため、JICAは、派遣の目的の一つとして、まず派遣された協力隊員にアフリカ農村の現状を見てもらって。日本に伝えてもらうことを挙げているそうだ。しかし、ODAに投入されている税金の額を考えれば、このような、半ば物見遊山のような目的の派遣でよいのだろうか。費用に見合う、もっと具体的な援助の成果が求められるべきである。

▽ほとんど何もやっていない保健分野――「要請主義」という名の無責任

マラリアはじめ風土病がいぜん撲滅されていない保健分野でも、先進国間でまさに援助競争とも言える状況が起こっている。各国からかなりの援助機関が入り込んでいて、カメルーンの状況をリサーチして調査結果に応じたパッケージを作成し、政府の承認をもらい次第、パッケージが勝手に進んでいくという状況のようである。 しかし日本は、保健分野においてかつて蚊帳の供与を行ったことがあるが、人材派遣、技術供与はしておらず、機材供与のみである。

山本さんのお話では、保健省の役人と保健分野において日本が援助する可能性について話している時、役人は(日本から援助を)「入れたいんだったら入れれば? 日本は何をやってくれるんだ?」という姿勢だったという。とりわけニーズが高い保健分野においては、先進諸国の援助競争という性質は色濃い。これに対するカメルーン政府は、たしかに「援助慣れ」していて、受身的な姿勢ではある。このような「受身の姿勢」が続く限り、要請主義を掲げる日本政府としては援助しない方針である、という。しかし、カメルーンのような後発発展途上国において、保健分野の援助がいらないということはありえない。少なくとも、小学校で音楽を教えるよりは、保健のほうが重要度は高いのではないだろうか。

ここで、「要請主義」という、日本がとっている援助の方針が持つ問題点に突き当たる。これは、時として、援助政策における「オーナーシップ重視」「援助対象国の主体性重視」というように、肯定的に評価されることもある。たしかに、日本政府の押し付けではなく、相手国の望む援助を行うと言うと、聞こえは良い。 だが、発展途上国の政府が一般の人たちの求める真のニーズを適切に代弁しているとは言い切れないし、真のニーズを認識する能力があるのかもわからない。この要請主義には、実は日本政府の援助政策に関する2つの悪い姿勢が表れていると私たちは考える。

第一に、日本政府が相手国政府の顔ばかりを見ていて、その向こうにいる一般の人々のことを考えきれていない点だ。保健部門のニーズが客観的にみて民衆の中に多数あるのに、日本側がそのニーズを主体的に分析し援助プログラムを考えようとせず、現地政府が具体的に「要請」してこない限り何もしないというのは、日本政府が見ているのが相手国政府の意向だけだということを端的に表している。私たちが3日前に訪問した英語圏カメルーンのボヤーで建設した小学校では、日本が援助したということをフランス語で印字していたということも、その象徴であるように思えてくる。

第二に、「要請主義」とは、人々が何を求めているのかという援助の真のニーズ探しを現地政府に丸投げする行為を耳ざわり良くいいかえたにすぎないのではないか、という点だ。農村開発援助を始める際、多くの農村から農業を振興して欲しいという声は大きいものの、具体的な話に及ぶと、多くの農民たちは、自分たち自身には何が真に必要かわかっていないことが多いそうだ。そこで菊田さんは派遣した協力隊員に、相手にとって何が一番必要なのか認識させるということに充分な手間をかけさせている。このように、相手が認識できていないような真のニーズを引き出す努力が、農村開発の分野以外でも必要なのではないだろうか。要するに、相手国政府の側に、常に的確なニーズを要請する合理的な判断能力とその根拠となる情報が備わっているのでない限り、「要請主義」は無責任である。確かに国際政治において、日本に有利な状況を作りだすために、カメルーン政府の「要請」に沿うことは重要である。あるいは、かつての鈴木宗男氏のように、現地政府と結びつく援助に介入し権益確保を図る政治家がいるのかもしれない。だが、カメルーン国民の上に立つカメルーン政府である以上、人々が求める優先順位の高いものを実現してこそ、長期的な利益が日本にもあることを忘れてはならない。

▽中小企業振興プロジェクト――長期的・持続的援助は可能なのか?

カメルーンでも始まったJICAの中小企業振興プロジェクトは、中小企業の発展段階に達している国の中から対象国を選び、世界的に展開されてきた。小泉内閣の頃唱えられた「一村一品運動」の流れを汲み、草の根援助だけを行うのではなく、現地の人々が自立できる術を与えていかなければならないという発想からきたものだ。マラウィではジャム、ピーナッツ油など、ガーナではシア・バターなどの一村一品運動が盛んである。マラウィのJICAでは、専門家を派遣して、もともとある作物をうまく商業ベースに載せていくプロジェクトを行っている。

カメルーンでは、日本から派遣されたコンサルタントが、カメルーン政府と協力して2008年度中にマスタープランを作り上げ、2009年度には中小企業の専門家を派遣する。カメルーンではきちんとしたデータがないため、実態把握から始めなければならない。調査するポイントは、どのような企業が中小企業の枠に入り、それらは何社くらいあるのか? どうやって商売しているのか? マイクロファイナンスなど資金はどこから調達しているのか? などである。調査をした上で、構築されるべきシステムを検討し、カメルーン政府の改善すべきポイントを指摘していく。個別具体的な戦略的分野を強化していくのではなく、政府が整えるべき制度など経済全体のインフラ整備を目的とする。

中小企業の活性化は、カメルーン経済に大きな効果を与える。中小企業を営んだり、底で雇用される下層市民にもより高い所得を配分したりすることで、強烈に乖離した二重の経済層の収斂につながり得るからだ。さらに下層経済が潤うことで、市場の拡大も進むため、新たな投資を呼びこむことが期待できる点も見逃せない。

大変長期的かつ総合的なプロジェクトである。このプロジェクト計画について伺い、私たちもこのプロジェクトに大いに期待を寄せた。日本の産業構造は中小企業が歴史的に強く、日本の強みを発揮しやすい分野だからである。このプロジェクトが成功すれば、カメルーン人の利益に直接なるのみならず、日本人がカメルーン政府の政策決定に大きく携わることとなり、日本のプレゼンスの増大にも役立つであろう。

しかし、実行局面になると多くの困難に突き当たると予測できる。

マスタープラン完成後、その実行局面において、カメルーン政府はアドバイザーとして専門家の派遣を要請してきている。カメルーン政府の求める条件のハードルは高い。発展途上国の経験、英仏二ヶ国語が使えることなどである。10年、20年と長いプロジェクトになる。菊田さんは、全体に携わる長期専門家と、必要に応じて短期的に求められる人材強化や制度開発の分野の専門家を合わせて使っていきたいというご意見であった。

だが、中小企業に経験豊富で、長期にわたってカメルーンに滞在し、英仏両国語に堪能な、JICA好みの人材がみつかるかどうか、大きな課題である。また、日本の中小企業が強いのは間違いないが、それは主に家電・機械分野である。カメルーンの中小企業振興では、その他の分野にも通ずるノウハウが求められる。そのような適切な人材が得られなければ、多額の血税で作ったマスタープランは、紙の上だけの絵に描いた餅に終わるかもしれない。

▽国内外のNGOなどの利用?人々のボランタリーな意志を活かしきれない硬直性

農村開発においては、カメルーン人のボランタリーな意志による地元のNGOの活動、そしてアフリカ内で活動している、欧米や日本に本拠のある国際的なNGOが重要な役割を果している。その中には、地元の事情に精通し、地元の農業生産などの実態に即した開発計画を実践している組織も多い。だが、日本のODA資金は他国に比べて、国内外のNGOに殆ど流れない。これは、私たちが問題視している点の一つである。

仮にNGOにODA基金が流れれば、日本のNGO活動はもっと活発になり、雇用も拡大できる。青年海外協力隊やJICA派遣スタッフの契約切れになった人達を吸収することができるだろう。

ボランタリーなチャンスを活かせない日本という観点で言えば、ODAとは関係ない切り口で良い事例を伺った。カメルーン北部の遊牧民に、ハッサン君という青年がいた。彼は、日本に憬れ、短波ラジオのNHKジャパンで日本語を勉強して、日本人とは話したことがないにもかかわらず、国枝前大使に上手な日本語で手紙を書いて、日本での勉強の機会をもとめてきたのだそうだ。しかし、日本大使館は、ハッサン君の意思を無視した。ハッサン君は家庭の事情で高校に進めず、日本語を活かす機会にも恵まれず、現在は牧畜を行っている。これは非常にもったいないことであると私たちは思った。ハッサン君を日本の高校で受け入れるなり、この機を活かすなんらかの方法があったのではないだろうか。日本大使館もJICAも、通常の業務の枠から出た、このようなボランタリーな意思に応えられるシステムになっていないのだ。

似たような話で、ボランタリーな米国人少女の意志が活かされた有名な話がある。1982年、まだ世界が冷戦で対立していた時代に、米東部のサマンサ・スミスという10歳の少女は、どうして米ソは仲が悪いのか、という疑問をソ連のアンドロポフ書記長に対して送った。その手紙を受け取った書記長は、彼女をソ連観光に招待した。そしてソ連の良い一面を見せて、アメリカに帰した。サマンサちゃんは13歳で飛行機事故によって亡くなってしまうのだが。一時は、米国でもヒーローになり、東西の相互理解に貢献した。このときの、ソ連の柔軟な対応は興味深い。日本にとってもこうしたチャンスの種はある訳で、こうした種を活かせればいいのではないだろうか。 

ボランタリーな意志の尊重という点からいうと、ノウハウのある適切な人材がいた場合の有効な対応も必要である。

現在の制度では、青年海外協力隊員の任期は2年で、延長されても1年である。2期連続で同じ地区に行くことは現在の派遣制度ではありえない。残念ながら、ある協力隊員が現地に根ざして、大きな成果をあげることができたとしても、3年以上の滞在は認められていない。江川さんのような適材適所の人材があっても、融通が利かないのである。

クリビの江川さんは、隊員になる前には横浜の知的障碍者施設で働いていたそうだ。それを退職し、二年間のアフリカでの契約を終えて日本に帰ったあと、計画は今のところなく、とりあえずゆっくりしたいとおっしゃっていた。私たちは、協力隊員という経歴が職を探す際に有利になったり、そうした経験を生かす職に就いたりできるのではないかと考えていたが、実際は厳しいようである。二年間という契約が切れた後に職の保障もなく、これまでの経験が生かせないとしたら、社会的に不安定な状態におちいる。また、ボランティアという形態をとるため、失業保険が出ない。しかし、退職金と失業保険に相当するものとして、積立金が200万円たまっているそうだ。ただし、これが帰国後に充分な保障となるかと言われれば、心許ない。

▽官民合同ミッション?成果が見えない「アリバイツアー」

現在、カメルーンに日本単独の投資はないという。ドゥアラで伊藤忠の所長から伺ったように、TICAD後のイベントの一つとして、投資の可能性を探る官民合同ミッションが、9月に数週間かけてアフリカ諸国を回ることになっている。しかし、ヨーロッパ経由の航空券や高級ホテルの滞在費など莫大なコストをかけてカメルーンに数日間来ただけで。どんな成果を挙げられるだろうか。それならば日本のコンサルタント会社を使ってフィージビリティ調査をして、リスクを軽減しながらやった方が良いのではなかろうか。あるアフリカに関係した日本の民間NGO代表は、このような視察旅行を「アリバイツアー」と評していた。ただ、アリバイ作りのように血税でミッションを派遣するのではなく、その進め方を、実際に成果が出るようなものとする必要があるだろう。

▽インタビューを通して感じた問題点

カメルーンの現地で働いていらっしゃるJICA職員の方々は、期限付き契約であるにもかかわらず、一生懸命頑張っているということは、訪問して強く感じた。しかし、日本の途上国援助は、個々人のボランタリーな意思を越えた、システム自体に起因する問題を多く孕んでいると、私たちは強く感じざるを得なかった。以下、我々が感じた問題点を3点挙げる。

第一に、多額の血税を投下している割には、援助の質が伴っていない。その象徴は「青年海外協力隊」である。音楽を教えたことがなく、フランス語も十分できない人たちを現地の小学校に派遣すること、農村に住んだことのない人達が農村開発を行うこと、これらのことが本当に成果の上がることなのかよく検討する必要がある。実際に江川さんのように、現地で立派に成果を出している方もいらっしゃることは事実であるが、その成功は江川さん個人の力量に大きく依存している点が大きいと感じた。人材一人一人の力量に依存せず、安定的に成果をあげられる援助システムを構築する必要がある。

第二に問題と感じたのは、ノウハウ不足である。安定的な援助システムを構築するには、援助のノウハウを蓄積していかなければならない。かつて熱帯に長期的に植民地を持っていたフランスやイギリスなどの旧宗主国に比べると、熱帯地域の農村開発分野において日本のノウハウが圧倒的に少ないのは事実である。しかし、これは英仏などの教育機関に日本人が積極的に留学したり、現地での活動に参与する中で学び取ったりすれば、カバーできないわけではない状況である。現在の状況を改善するために、人材の育成や研究機関のレベル向上などに取り組んでいるのかが、問われている。

第四に、日本はチャンスを活かしていない。カメルーンでは、植民地時代の経験からフランス人へ嫌悪感を示す人もいる。自分の母親を目の前でフランス植民地支配者に殺されたカメルーン人もいるのだ。フランスに頼るのは、最後の手段と考える人もいるようだ。そのような反フランス感情がある人がいても、フランスに結局頼るのは、フランスにはノウハウがあるからである。

一方、日本人は信頼は獲得してきており、特に会計に関してはカメルーン人から安心して任せられるという人も多々いるようだ。クリビの江川さんもその一人に違いない。 このような信頼感は日本にとってチャンスである。しかしこのチャンスを活かすには、技術やノウハウが明らかに欠けている。

ノウハウや適切な人材がなければ、すでについているODA予算を年度内に消化するために、効果のあがらないプロジェクトでも実行するしかない。援助の具体的成果というのは短期的には図りがたいものではあるが、ODA金額実績が世界何番目だとか、何人派遣しているといった数字でアピールしても全く意味が無い。菊田さんは、援助機関の役割は「研究者と農村をつなげる橋」になることだとおっしゃられたが、そのような「橋」は現実には余り機能していないようだ。青年海外協力隊の小学校教諭派遣や農村開発普及員は、現在派遣している多くの隊員の専門性欠如からいって、現在と同じようなやり方では、今後も十分な成果が上がるとは考えられない。国際的なODAの金額実績における日本の順位で国民を一喜一憂させるような政府の宣伝のやりかたは、結局、外務省の無意味な省益拡大にしか役立っていないであろう。

政府とのコネ活かして意欲的ビジネス--現地旅行社社長



2時間ほどのJICAでのインタビューを終え、ホテルに戻った。政府のスポンサーが一切ない文字通りの「民間モニター」をして、日本のアフリカにおけるODAの実態を、私たちはたいへん良く学ぶことが出来た。フランクな会話の中で情報を提供してくださった、山本所長と菊田さんに、改めて感謝申し上げたい。

1時間程部屋でゆっくりした後、18時からホテルのレストランにて夕食をとりながら、私たちの巡検を現地でアレンジしてくれた旅行会社、カムツアーズCamtours の経営者、ンクウェンティ(Marc Nkwenti)さんから、カメルーンのツーリズムの現況と将来についてお話を伺った。

▽官僚から観光業経営へ転身--ンクウェンティさんのキャリア

ンクウェンティさんは、1950年にヤウンデで生まれた。1975年、25歳の時ツーリズムに関する学位を取得して以降、ツーリズム関係者が非常に少ないカメルーンにおいて常にツーリズムに関わってきた。学位取得後、官僚になった。

78年には、2ヶ月間のJICAの日本での研修プログラムに参加した。そのプログラムは、アフリカや南米といった途上国で観光業にかかわる人を対象にしたもので、「観光業をいかに発展させるか」をテーマに、東京、奈良、広島など各地を回った。当時インターネットはまだなく、観光ビジネス環境は大きく違ったが、講義で学んだマーケティング技法は現在も役立っているそうだ。

82年にヤウンデ大学で観光地理学の博士号を取得した後、半官半民の組織でテクニカル・アドバイザーを務めた。そして、95年からは自分の旅行会社Camtoursを立ち上げた。他にもヤウンデ近郊のバス会社を運営している。

経歴からもわかるように、カメルーンにおいて旅行業についてはかなり精通している方である。そして、政府と大きなコネクションがある。カメルーンで、私たちが、有力な情報提供者にアポイントを取れたのも、ンクウェンティさんのご尽力である。このような人でなければ、カメルーンのような後発発展途上国において、外国人を主要顧客とする観光業はできないだろう。

▽数少ない、外国人来訪者向けのサービスを提供する会社

来訪する外国人観光客や国内の観光客が充分に多くないため、カメルーンにある旅行社の多くは、飛行機のチケットを販売するだけで、ツアーを組むような旅行会社はほとんどない。観光客に同伴するガイドは、大学を卒業していて、カメルーン社会における地位は高い。カメルーンにおいて、大学卒の社会的地位は日本と比べ当然高いから、ガイドはエリートの職業なのだ。彼らは英・仏両国語がちゃんと話せ、時間を厳守する。同じ観光セクターに従事する人たちでも、ホテルの従業員の一部には、食事を持ってくるのが非常に遅い人達もいて、不満を抱くときもあった。しかし、旅行社のガイドは、ナイジェリアで付き添ってくれたガイドも含めて、正確な時間感覚を持ちあわせているし、約束は必ず実行する。かつての途上国における巡検でもガイドは信頼できる人が多かったという。評判などが大きく影響する旅行産業においては、西洋的な時間や約束についての感覚がないと、持続的なビジネスは成り立たないのだ。

日本人が海外で、現地の政府高官や、現地経営ないし日系でない外資経営の工場にアポイントを直接取るのは、相当に難しい。そこで、私たちのゼミ巡検では、インタビュー先のアポとりを現地旅行社に依頼するケースが多い。海外から訪問するビジネス関係者も、事前に特別のコネが無ければ、アポとりを現地旅行社に依頼するケースが多いようだ、カムツアーズは、私たちが依頼した訪問先のアポイントメントをしっかりと取ってくれた。多少知己のある日本人やJICAヤウンデ事務所を通してもとれなかった商務省の高級官僚・そしてドゥアラ港湾局長へのアポイントメント獲得は、とりわけ評価できる。巡検前に教授が何度もカムツアーズに国際電話や電子メールを送ったが、それらに対する反応も早く的確だったようで、渡航前からかなり信頼できる旅行社という印象があった。

▽アクセスがボトルネック――カメルーンの観光資源

ビジネス以外のツーリストの訪問目的として多いのは、バードウォッチングである。熱帯雨林の奥地には、珍しい種類の鳥たちがたくさんいるそうだ。ゴリラの生息地など観光地としてのポテンシャルを秘める地域もある。だが、カメルーン東部の熱帯雨林の奥地は、6月から10月までの雨季には道が通り辛く、片道で3、4日かかるため、まだ十分に観光客を集められてはいない。もちろん満足な宿泊施設も無いため、このような奥地に行こうとすると、テントや調理設備を携行する大掛かりなツアーとなり、コストもかかる。

しかし、アクセスが比較的容易な観光資源ももちろんある。私たちが9月8日に訪問するマンダラ山地周辺は、フランス人経営のホテルがある近くの町マルアから到達できる。また、が9月2日、3日に訪問したボヤーの近くには、西アフリカと中部アフリカ地域で最も高い標高4412mのカメルーン山があり、登山者をひきつけている。 北部の街ガルアの南のアランティカ山(Alantika Mountain)には、コマ民族”Koma People”という原始的な生活をしている裸族の村があり、ツーリズムへのポテンシャルがある。北部でもチャド国境に近いワザ国立公園はゾウやライオン、キリンなどいわゆる日本人が描くアフリカのイメージに近い光景がひろがっている。   他には、クルーズ船がドゥアラやリンベに来航し、上陸訪問するというツアーもある。ちなみに450人規模の観光船プログラムをCamtoursも計画中だそうだ。

▽欧米人中心の観光訪問客、日本人のビジネスツーリズムも

カメルーンでツーリズムを楽しむのは、ほとんど外国人である。まだ一般大衆には、ビジネスなどを除いて、国内・国外を問わず旅行する経済的余裕はないし、したがってそのような文化もない。 正確な統計はないが、ンクウェンティさんの推定では、年間カメルーンにやってくる外国人観光客は30万人位で、多いとはいえない。中には日本人もいるが、多くはイギリス人、フランス人で、アメリカ人、オランダ人、ドイツ人も来る。個人からグループまで様々である。

最近の旅行者によく見られるのは、一度の旅行で複数の国を巡るという行動パターンである。そのような旅行者は、カメルーンには1日しか滞在しない人も多い。例えば朝ドゥアラに着き、海岸線に沿ってボヤー、リンベへと南下し、その日の夜にカメルーンを発つケースや、チャドに来たついでにマンダラ山地などを巡るケースが多い。 カムツアーは、日本人も扱った経験がいろいろあるという。一般に日本人は、チャドの首都ンジャメナに来て、そこから観光資源が集中するカメルーン北部を回る。日本人は、私たちのように直接現地の旅行社と契約するのではなく、アフリカを専門とする「道祖神」のような日本国内の旅行会社をを通して来る人が多い。ビジネスツーリズムなどとしてカムツアーが日本人を扱ったケースでは、姉妹都市提携、バナナ・プランテーション視察のための政府派遣団、東部の熱帯雨林の取材班など、そして個人旅行では、一ヶ月間ヤウンデに滞在し英語とフランス語の語学学校に通った女性がいたそうだ。 このように先進国から来る旅行者はいるが、市場規模としてはまだまだ発展途上である。

▽知名度拡大と交通整備--カメルーンのツーリズムの課題

では、今後カメルーンのツーリズムを発展させていくためにはどのような課題があるだろうか。上述したように、観光資源として魅力のある地域は多い。食事においても、フランスに統治された影響を受け、ナイジェリアと比べれば、質の高さは雲泥の差と言って良い。治安の点からいってもナイジェリアに比べれば心配は少ない。このようにカメルーンは観光地としてのポテンシャルを十分に持ち合わせているにも拘らず、観光客が30万人にしか達していないことから伺えるように、ツーリズムにおける課題は多くある。

まず一点目は「知名度が低い」ということである。『地球の歩き方』でもロンリープラネットでも、カメルーンだけを扱った巻はない。大手出版社からすれば、カメルーンはガイドブックを出版して採算が採れる市場規模ではないということであろう。カメルーンのガイドブックは、イラクや北朝鮮など特別な地域に関心を持つ旅行者を対象とした、Bradtというガイドブックしか見つけることはできなかった。ンクウェンティさんはロンドン、ベルリン、パリで行われた展示会で、カメルーンの観光業のプロモーション活動を行っているそうだが、政府はそういった場で、さらに積極的なプロモーションを行う必要がある。

二点目は交通手段の未整備である。東部のゴリラ生息地のように観光地としてのポテンシャルを充分に持っているものの、片道で三、四日かかってしまうため、そのポテンシャルを発揮しきれていない地域が多い。ヤウンデからンガウンデレまで、鉄道で行けば半日でいけるが、車で行った場合2日間かかってしまう。しかも、その鉄道は、車輌の質や定時性という観点から言って、外国人の一般観光客むけの快適さをもっているとは言いがたい。

▽地域社会・環境へのより大きな配慮を--インタビューを終えて

私たちとしても、カメルーンのツーリズムの発展を期待したい。しかし、ツーリズムの発展は必ずしも現地にポジティブな影響ばかり与える訳ではない。観光地化すれば、地域社会には市場経済の波が及ぶ。特に、子供たちは影響を受けやすい。加えて、観光客の増加は現地の環境も破壊しかねない。熱帯雨林を伐採してゴリラ生息地にむかう観光用の舗装道路を作れば、環境には有害である。

こうしたツーリズムの発展によるネガティブな影響に関しては、近年「エコツーリズム」としてしばしば語られているが、このインタビューでンクウェンティさんが話題に持ち出すことはなかった。あまり関心事でないのかもしれない。ツーリズムの発展は経済を豊かにする以上、期待されるべきことだが、ツーリズムの推進者はこのような地域社会や環境へのネガティブな影響にも配慮する責任があるであろう。

インタビューを終えると共に夕食を終えた我々は解散した。各自の部屋に戻り、一日に4つも考えさせられるインタビューをこなした疲れで、すぐに就寝した。


(下野 皓平)

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