9月6日(月)

9月6日の朝
ウッタランの概要(コラム)

ウッタラン本部からウッタラン視察の開始
  • 本部の様子
  • ブラックやウッタランについて

    土地無し女性農民の集会でエンパワーメントを探る!
  • イスラムさんの家
  • 設立当時のオフィス
  • 水田の様子
  • 文盲撲滅運動
  • 土地無し農民の様子
  • 土地無し農民の生計
  • マイクロクレジットの役割
  • ウッタランの影響

    深刻な湛水問題に取り組むウッタラン
  • 湛水問題とは
  • 市民組織の湛水問題への取り組み
  • ウッタランの湛水問題への関わり
  • 湛水地域の現状
  • 湛水問題取り組みによる中流部の影響
  • 緑の革命の功罪と代替策(コラム)

    トレーニング資源センターはより発達する必要あり
  • 書籍・ビデオ 新聞などがそろう資源センター
  • センター職員にインタビュー
  • トレーニングセンターの印象

    9月6日所感
    9月6日の朝

    朝食後、8時半にストハウスを出発し、徒歩で5分ほどのウッタランの本部を訪問する。9月はバングラデシュの雨季であるのに、まだほとんど雨に見舞われていない。我々の活動を天も祝福してくれているのかと思いつつも、35度を超える汗ばむ気温に我々はうちひしがれていた。Uttaran本部
    通りすがりの道には牛や鶏が飼育されているのが見えた。ウッタランの施設は農村の中に立地しており、農村社会と共存していることが分かる。


    途中で、青色の排水が堀に垂れ流しになっているのが目に入った。通訳のファルックさんによれば、これはデングルという染料で、織物の染色に用いるものだそうだ。この染料が垂れ流されることで、沼地が富栄養化して微生物が大量発生し、マラリアなどの伝染病が増えるだろうとファルックさんは語っていた。道路はレンガが敷いてあるが、所々陥没していて歩きにくい、車がやっと通れる程の道だった。ウッタランは草の根NGOとして、地域社会に密着した活動を行っているが、資金不足のために下水対策などのインフラ整備を行う余裕はまだないのだろうか、と考えながら、我々は本部に入っていった。  

    我々はオフィスに40分程滞在し、これから3日間お世話になる方々に挨拶し、ウッタランの概観についての説明を聞いた。



    ウッタランの概要


    大規模な活動を全国的に繰り広げるBRACに対して、ウッタランは、バングラデシュ南西部という局地においてェソール(Jessore)のサトキラ(Satkhira)を中心に活動を行っているNGOである。ウッタランは、バングラデシュの社会構造が80%が貧困層で不平等であり、公平な権利が守られていないことに対する社会運動から、1985年に結成された。日本人医師で現財団法人結核予防会結核研究所副所長である石川信克医師の援助により、サマカル(Samakal)という高校を創ったのが活動の始めであり、1987年に公式のものとなった。
    ウッタランは人間開発をプログラムの核としており、貧困層が自立した経済活動を行えるように農業・畜産業・漁業・金融面などにおいてサポートを行っている。それと同時に女性やアウトカーストの地位向上など社会構造の改革に努めており、社会意識向上運動に貢献し、各種のトレーニングを実施している。

    例えば、貧困層は村議会に代表者がいなかったため、意思決定の過程に目立った参加をしてこなかった。そのためにウッタランは、貧困層を中心とした組織を作り、幹部を選出し、不平等な階層関係などの軋轢を解消しようとしている。この組織は、現在900余り存在する。
    また、村の社会関係の現状を認識し、それを草の根からの農村開発の力としてゆくため、参加者が積極的に考えながら理解していくREFLECTというプロセスを採用している。
    この立場からウッタランは、村議会というべきユニオンの民主化にもとりくんでいる。現在、地元政府UPの3分の1は女性であるべきという規則があり、画期的な一歩となっているが、依然として住民とユニオンとのかかわりは薄く、ユニオン自身の活動も脆弱だ。そのためにウッタランは、事務処理や運営能力向上をめざしてユニオンメンバーを訓練し、新聞発行やキャンペーン活動を通して住民のユニオンとの関わりを強めるような活動を行っている。

    さらにウッタランは、地域の環境問題にも積極的に取り組んでいる。まず、バングラデシュで全般的に見られる,砒素汚染問題への対策として、井戸水の飲料禁止のアピールを行っている。
    また、1960年代に実施された海岸開発プログラムにより、この地域は塩水による浸水が生じ、田畑が農業に不適になった。(=湛水問題)そこで、ウッタランは、堪水の原因となった堤防を破壊することで農地回復を図る地元住民の運動を支援している。
    その他、並木を農道に植えて景観を保存し、村や学校で環境教育を実施している。

    さらに、貧困の根本的な原因の一つとされてきた、村の土地所有関係の変革にも積極的に取り組んでいる。この辺りは地主の力が強く、選挙でも地主に投票しないと虐げられていた。そこで、ウッタランは、土地無し農民が土地を所有できるように、地主が横暴な行動を起こさぬように調整を図っていて、この運動は全国的にも広まっている。
    例えば1970年代に政府が公有地(=カースランド)を地元の有力者や利益集団が占拠してしまった。そこで、ウッタランは土地無し農民との会議を結成し、また他のNGOと協力することによって、全国的に知れ渡る運動にまで推し進めていった。この運動は世論の支持を得て、最終的には首相までもが視察に訪れた。結果として、カースランドが土地無し農民に支給され、土地無し農民が土地の権利を獲得しつつある。


    このような活動はBRACでは見られなかった活動であり、ウッタランが、貧困など社会問題解決のため社会構造の変革を重視していることがわかる。




    ウッタラン本部でウッタラン視察の開始

    本部の様子 
    は2階建てで、1階には電話とパソコンが設置されていた。2階にはウッタランの代表者であるシャィダル・イスラム(Shahidul Islam)さんのオフィスがあり、我々はそこで話を伺った。職員は英語を話せない人もいた。私は日本で5月にイスラムさんの講演に参加して、イスラムさんに一度お会いしているが、他の学生のメンバーは今回始めてイスラムさんに会う。イスラムさんの印象として、「もっと年をとっていると思っていたが、まだ30代後半くらいであるのに驚いた。」「イギリス風の奥ゆかしさがある。」などとメンバーは感じた。イスラムさんは20代でウッタランを創設したのであろう。現在でも若い頃に培った情熱がそのまま継続されているような目の輝きをしていた。


    オフィスで職員の人がしきりに強調していたことは、地主の権力が依然として残り、従来の社会構造がなかなか変革できないことだ。カースランドも結局力関係によって地主に帰属してしまうという。

    BRACやウッタランについて
    メンバーの1人がBRACグラミン銀行とウッタランとの違いを尋ねたところ、以下のような答えが返ってきた。BRACやグラミン銀行はもはやNGOではなく、グラミン銀行はお金を貸すだけである。BRACの方も市場向けミルクを農村で生産するなど、利益追求にいそしみ、ビジネス化している。その点、ウッタランは人間開発や社会開発に重点をおき、村人一人一人のことを考えて活動している。ローン返済の利子率もBRACが生活状況にかかわらず一定であるのに、ウッタランは生活状況の違いによって様々であり、困窮時には利子率がゼロになることもあるそうだ。 

    これだけまずお話を伺った後、イスラムさんは所用があるとのこと。われわれは、視察を受け入れてくださり、またこれから3日間お世話になる感謝の意味もこめ、ウッタランの発展のためUS$500を寄付して、本部をひとまず辞した。




    土地無し女性農民の集会でエンパワーメントを探る!

    イスラムさんの家

    イスラムさんの家
    その後われわれは、ウッタランの職員の方とともに、車で40分程かかけて土地無し女性農民の集会を訪問した。車窓からスラムさんの家が見えた。家は広大で、家畜や田畑も所有していた。イスラムさんはこの地域の有力な地主の家柄であり、そのために資産家である。ウッタランを創設でき、また地域の住民から多くの支持を集めることができたのはイスラムさんの家柄も大きな一因であろう。ザミンダールの家も点在していたが、想像よりも小規模だった。  ウッタラン設立当時のオフィス

    設立当時のオフィス
    途中で、ウッタランが設立された当時のオフィスに立ち寄った。現在は学校として使われており、巨大なグラウンドがある。またそこにはJOBSというアメリカ合衆国の援助機関の車が止まっていた。雇用機会についての相談をしているそうだ。資金源が限られているウッタランにとって、合衆国は、援助機関のUSAIDを筆頭にドナーとして大きな役割をはたしているのだ。 

    水田の様子
    再び車で走ると明日訪問する高校の学生の集団が歩いていた。明日の高校訪問が楽しみだ。水田では、バングラデシュの米の生産高が世界5位(1998年 250万トン)であることを印象付けるかのように、米が集約的に栽培されていた。今の時期は二期作栽培において、2回目の田植えの時期であるようで、早苗もみられ、また所々の水田は刈り取られていた。通常の稲より背丈が低いので、ファルックさんに尋ねたところ高収量のHYV種であるそうだ。また、牛がよく目に付いた。牛は耕作に使われるのであろうが、耕作している様でもなく、寝転がっている光景が多く見られた。  文盲撲滅運動

    文盲撲滅運動
    泥でぬかるんでいる狭い道を苦労して抜けた後、やっと土地無し農民の集会場に着く。車を降りると、1人の成年男性に統率されながら、小学生らしき子供達が「すべての人に教育を」と叫びながら、行進している光景に出くわした。これは政府主導による文盲撲滅運動であり、ウッタランは関わっていない。子供達の士気はあまりなさそうで、強制的にデモ行進をさせられているように見えた。 


    土地無し農民との会合

    土地無し農民の様子
    その後、我々は土地無し女性農民の集会に参加した。この村の男女数は半々であるのに、男性の姿は見受けられなかった。このグループの名称は兵士という意味の「ショイニ」である。メンバーは22人であり、リーダー・議長・ヘルスケア担当者・法律関係担当者などの役割に分かれているという。女性達は筵のようなものに座っていた。眼鏡をかけている人はいたが、BRACのVOの女性達と比較すると着ている物がみすぼらしく、化粧が薄いように思える。それだけこの女性達は貧しいのかもしれない、と感じた。 土地無し農民の女性達

    土地無し農民の生計
    このメンバーは皆、家以外の土地を持っておらず、5人はそれすらもない状況である。それゆえに夫婦共稼ぎを行っている。土地を所有していないために、皆他の場所で働いており、夫は地主の下で小作人として働いたり、建設業や大工などの日雇い労働を行ったりしている。賃金は1日30タカ(約60円)で、建設業では50タカ(約100円)である。家を所有している人はその土地を利用して、自家消費用の野菜や果物などを生産したり、クッションカバーなどを製作したりするコッテージ・インダストリーを行っている。家を所有していない人は家を手にいれることでココナッツや野菜栽培を行いたいと語っていた。また近年ウッタランが収入向上運動の一環として、村にマイクロクレジットを導入し、手工業や大工仕事・養鶏業・脱穀などに対して資金援助を行っており、成功しているとのことだ。女性達はウッタランに精米の方法を指導するなどの、自分達の能力が一層向上できるようなトレーニングを行うこと、そして女性グループの結びつきを強くすることを期待していた。  

    マイクロクレジットの役割
    この集会でもマイクロクレジットによる融資を行っている。利子はBRACと同率の15%である。だが、15%という額は教育やサービスを含めての利子率であり、15%というマイクロクレジットの利子には他のサービスに対する料金も含まれているともいえる。これは、強制貯金をさせたり、借りた金額に利子を付けたりすることで実際の利子率が15%を超えるBRACとは異なるシステムだ。融資された資金は、1年間 25回の分割払い(つまり2週間に一回返す)で返済する。BRACの場合は、完済まで利子は当初元金全額に対してかかるが、ウッタランの場合、わが国の住宅ローンと同様、各時点の元金残高に対してのみ利子を支払えばよい。このため、同じ15%といっても、BRACとウッタランでは、全くその実質的意味が違う。この村落では1人あたり1年間に2,000〜10,000タカ(約4000円〜2万円)借りている。

    報告書によれば、返済率は、BRACなどと同じ98%ということだ。ローン以外に2週間に一回10タカ貯金をしている。その貯蓄のうち45,000タカ(約90000円)がグループの共有財産となるところがBRACのVOと異なる特徴である。この共有財産は病気などの緊急援助用に1,000タカ(約2000円)使われる。23,000タカ(約46000円)は土地を地主から借りるときの資金に使用し、11,000タカ(約22000円)を一般銀行に預け、7000タカ(約14000円)をウッタランに預けている。この7,000タカ(約14000円)がウッタランの投資資金の一部になっているようだ。 
    グループ共有財産支出の内訳(4,5000タカ)
    地主からの土地借り入れ金
    23,000タカ
    銀行への貯蓄金
    11,000タカ
    ウッタランへの貯蓄
    7,000タカ
    緊急援助金
    1,000タカ
    その他
    3,000タカ

    ウッタランの影響
    この集会の女性達にグラミン銀行やBRACでなく、ウッタランを選択した理由を尋ねた。すると、BRACグラミン銀行に対する批判が返ってきた。グラミン銀行はクレジットにより融資しか行わず、収入向上運動などのプログラムもなく、環境に対するケアも行っていない。
    またBRACも村人の社会発展に対するプログラムが少ないとのことだ。ある村で、夫に離縁されてしまった女性に対して、ウッタランは女性に対するケアを行ったが、BRACは何の活動もしなかったという。また「BRACはクレジットに対する規則が厳しく、夫が死ぬと妻はウッタランの場合は利子が帳消しになるが、BRACでは利子率は変わらない」と、この近くのBRACのVOメンバーが言っていたそうだ。BRACの厳しい取り立てによって被害を蒙った人もいる。
    その意味で、ジェンダー問題やアウトカーストの問題などの村人たちが現在直面する問題解決に取り組み、その村のために地道な活動を繰り広げるウッタランを、村人達は支持しているのだろう。

    また、この村の地域にはカースランドは存在しないが、ウッタランがカースランド運動に取り組んで、土地無し農民が土地の権利を獲得できたことで、安心できるNGOとして、村人達はウッタランに対して信頼を高めたようだ。社会発展に取り組むウッタランの成果が現れているという印象をまずわれわれは受け、集会場を後にした。

    土地無し農民と共に




    深刻な湛水問題に取り組むウッタラン

     

    湛水問題とは
    午後、我々は車で南東に向かい、湛水地域の現状を視察した。初めに、この運動と取り組んでいる、水利委員会Water Committee事務所で、湛水地域の現状・対策について伺った。このあたりはもともと、標高が海面とほとんど変わらず、満潮時には海水が河川を通じて農地に流れ込み、そこに粘土を堆積させた。しかしこれは、洪水時には洗い流され、自然の循環によって土地の高さは維持されていた。こうした土地に、1960年、当時の東パキスタン政府は、オランダ政府などから資金援助を受けて、堤防建設事業を展開した。政府は環境保護よりも経済発展を重視し、公共事業を推し進めていったのだ。堤防を建設することで塩分を含んで農作に適さない海水を遮断し、マングローブ林を伐採し、従来は農地でなかった湿地にHYV種の稲を植えることで、政府は耕地を増やし、食糧増産を図った。HYV種は在来種に比べて塩水に弱いため、堤外地で海水が入るところを漁業場とし、堤防に守られた内側にHYV種を植えることにした。堤防建設に伴って作られた37の干拓地(ポルダー)では現在1500万人が住み、そこには3地区・9郡・62自治体・580村が位置している。湛水地域の地図。色がついているのが河川を表している。

    しかし、豊作は初めの10年間だけであり、それ以降は不作で、プロジェクトがかえって深刻な被害をもたらしはじめた。少なくなった湿地に大量の海水が流入し、海水が運んでくる粘土が大量に堆積した。このため、堤外地の水位が上昇し、堤防に守られて粘土が流れてこなくなった農地の標高よりも高くなっていった。雨季には常習化している氾濫がこの土地をひとたび襲うと、排水が悪くなったため広大な農地は水浸しのままとなり、長期間農業ができなくなってHYV種は壊滅した。その被害は、堆積物が多いために下流の方が著しい。家屋や教育施設も浸水して崩壊し、溜った水が汚染されて下痢などの症状が起きて不衛生な状態になった。さらに、この湛水のために農地が奪われて失業者が増大し、職を求めて他の地域に移住する人もいた。 

    市民組織の湛水問題への取り組み
    地域住民や市民組織、NGOはこの湛水問題に真剣に取り組もうと結集した。政府もこの問題の深刻さに気付いたが、堤防を壊して水がたまらないようにすることは政府の過ちを認めてしまうことになるので、それ以外の代替策を推し進めようとした。これが、「クールナ排水回復事業(KJDRP)」というプログラムで、ある。KJDRPは、社会的賛同を得ようとNGOも構成要員としていた。KJDRPは1990年に、河川に水門を建設することで川に水や粘土が流入するのを防止し、また堤防を河川に沿って路線を変えて建設することで川の水の氾濫を防止しようとした。しかし、成果はあがらずに、ウッタランなどのNGOの激しい反対にあって行き詰まった。 

    ウッタランの湛水問題への関わり
    1990年11月27日の巨大サイクロンの影響でジェソール(Jessore)やクールナ地域の17村が流された。ウッタランはこれが湛水の影響だととらえ、問題の深刻さから湛水問題に取り組む住民団体の活動に積極的に関わることになった。ウッタランはKJDRPの実施機関である水開発委員会やNGOと協議し、環境に配慮した問題の解決を図った。ウッタランが支援するこの水利委員会は、堤防を破壊し、水が自由に行き来できるようにして、堤防の内と外との標高を均等化させる実力行使を行った。こうしたウッタランの活動に政府は反発し、ウッタランの教育事業への政府の支援が一時期停止されたこともあったが、ウッタランはそれにもひるまずに活動を展開している。今日では、流れが変わって、住民の解決策の方がより適切であるとする理解が国際的に認められ、ウッタラン等の側からのこの湛水問題解決事業に、アジア開発銀行も援助を行うようになったという。 湛水地域はこのように土砂が堆積していた

    湛水地域の現状
    その後、我々は車で20分程のところにある水地域を視察した。この場所は川の上流部であって事態はそれほど深刻ではないそうだが、湛水地はムツゴロウが生息する有明海のようで、耕作地になるまで何年もかかると思われ、とても農業を行える状況ではなかった。耕作地と川の水が流入する湿地との間には土で作られた堤防があり、我々はその上を歩いて周りの様子をうかがった。従来は同じ高さであった土地が二つに分けられてしまうことで、こうも高低の差が生じるものなのか! この地は97年の9月に地元の住民が堤防切断の実力行使を行って、湿地帯と耕作地の高さを同じにしようとしている。元通りにするのには3年かかると言っていたが、まだまだかかりそうに思える。しかし、また肥沃な土地が回復してきており、堤防の内側の湿地帯では、4つずつ囲いを作って袋状にして、その囲いの中で在来種を作り、囲いの外でHYV種を生産している。実際にまだ堤防内の一部分であるが、稲が育っているのがみえた。堤防内の水深が深い部分では漁業が行われ、ボートで魚をとっている漁師さんの姿がみえた。まだまだ回復までには多くの時間がかかるだろうが、ウッタランのこれからの活動に期待したい。 漁業も行われつつある 稲作も行われつつある

    湛水問題取り組みによる中流部の影響
    それから、湛水地域から少し下流を見学した。堤防切断後、この地域の河川に蓄積していた粘土が海に洗い流されて、川を渡るのに船が必要になった。また水量増加により、河川の流速が増し、岸辺の土砂が侵食されるようになってきた。そのために護岸工事を政府が行っており、ウッタランはこれをサポートしている。堤防切断によって新たな問題が生じていくトレードオフの関係に活動の複雑さがうかがえる。 河川の流れが速くなり、護岸工事がされている

    この川岸には、トタン屋根の仮住まいで、日雇い労働や漁業で生計を立てている貧しい人々がいた。だが、この場所はカースランドであり、政府はホームレスの人々向けにここに仮住まいを建設してあてがい、住まわせた。本来ヨソ者のこれらの人々がこの場所に住みついたことで、この地域の治安が一層悪化するのではないかと、地元の住民から不信感を持たれているようだ。これらの人々に対するサポートも、ウッタランはこれから行っていくのだろうか?



    緑の革命の功罪と代替策
    今回湛水問題の発生の原因となったのが、政府が食糧増産を目的にHYV種を大量に植えようとしたことにある。HYV種はフィリピンのイリ(IRI)により、在来品種から品種改良されて生まれた高収量品種であり、「緑の革命」の主役でもあった。
    だが、HYV種は虫に弱いために化学肥料や農薬を大量に投与して土地の疲弊化を招く。さらに、生態系のメカニズムを不安定にさせ、魚の死滅を招き、漁業が不振に陥ったりする。HYVによって最も被害を受けたのは漁業である。
    しかし村人達は環境について留意するよりも、収量増産を重視しており、HYV種を作り続けている。BRACもHYV種にいる二期作を奨励していた。

    それに対して、ウッタランはHYVをさほど人々に奨励してはいない。雨期の6月から9月はじめにかけ ての栽培はローカル種を使用し、乾季の9月末から12月にかけての栽培はHYV種を使 う。乾季のHYV種の栽培は井戸水の灌漑用水を使ったりするので砒素汚染の問題もあ る。それでもやはり、HYV種のほうが収穫量はいいと言っていた。だが、ウッタラン は、このHYV種が環境に悪影響を与えることはしっかりと認識していた。そこで彼ら は、HYV種の耕作による地力の低下を防ぐために、1期目と2期目の間、すなわちちょう ど我々が訪れていたとき、水田1つに1頭の割合で牛を放牧し、また、先進国から与 えられたHYV種をそのまま使うのではなく、バングラデシュ稲研究所(BRRI) によって発明され、有機肥料で育つ「環境に優しいHYV」を使用する努力をして、自 然と調和した農業を行うなどの環境対策をしていた。 やはり、環境に対する配慮の観点から見れば、ウッタランにはきめ細かやかさがあ る。かつては、HYV種を栽培するにあたってヤンマーのディーゼルで水をくみ上げていたが、この地は洪水が多いのでディーゼルは必要ないとして、ウッタランは使用を停止した。資源を無駄にせず、生態系や環境を壊さないで、住民の生活を改善しようというウッタランの配慮が見られる。




    トレーニング資源センターはより発達する必要あり

     

    湛水地域から戻り、遅い昼食をすませた後、我々はゲストハウスから徒歩で数分のところにあるトレーニング資源センターを訪問した。

    書籍・ビデオ・新聞などがそろう資源センター
    1993年に設立されたこのセンターは、ウッタランの情報資源センターであり、1,000冊程の書籍・学術誌、国内外のビデオ、新聞の切り抜きなどがそろえられている。ウッタランのメンバーであろうとなかろうと利用証さえ、持っていれば誰でも自由に利用できる。1日の利用客は10人から15人である。

    建物の印象は、清潔に洗練されたセンターというよりも、倉庫のようだった。建物自体が平屋で狭いのに、書籍やビデオは山積みにされており、やっと歩くことができるほどのスペースだった。そのために、蒸し暑く、薄暗かった。

    書籍は女性問題、交通問題、人身売買、衛生問題(飲み水について)などの内容で、この地域に密着した問題についてのウッタラン独自の出版物や報告書も見られた。「人間開発を行う上での出発点は図書館から」ということで、将来は図書館の拡大化を計画している。また文盲の人のためにフィルムや絵の説明によるポスターもおいてあった。内容はマイクロクレジットなどの説明・家族計画や殺虫剤不使用などの呼びかけ・農業やジェンダー問題など、ウッタランの活動の説明である。ウッタランの伝染病予防ポスター中でも印象的だったのは男性が野原で排便して下痢をしてしまう絵にを示して、排便箇所から細菌が家に流れ込んで込み伝染病になる危険性を訴えて、トイレの設置を呼びかけているポスターだった。誰にでもわかる明快なポスターの効果は大きいと思われる。新聞も1990年から毎日バングラデシュの英字新聞である『インディペンデント』紙を保管していた。ビデオデッキやテープレコーダーもおいてあり、ウッタランの活動報告や海外のNGOの活動を紹介したビデオをメンバーは自由に鑑賞できる。 ビデオは無造作に置かれている

    ビデオはバングラデシュで全国的に活動しているNGOのPROSHIKAで働いているイタリア人が撮影したものだという。ビデオはデッキともどもレンタル可能であり、村での上映会もされているらしい。夜に我々もこのビデオをゲストハウスで見た。イスラムさんが演説を行う「イントロダクション」(1997)、道で男性と女性がすれ違うとき女性は脇へよけなければならない、女性は勉強も教室の端でしなければならない、人身売買の対象とされる、などという社会の現状を批判し、女性問題改善の提唱をする「男女不平等」(1992)、平地が見えないほど川の水が氾濫し、住民が病院に非難している様子を写した洪水のビデオ、NGOの一つであるProvatiの人が出て浸水対策について語っているビデオを鑑賞した。ビデオの調子が悪いのか、ビデオデッキの調子が悪かったのかはわからなかったが、音声が出ず、また白黒で画質も悪かった。保管状態も悪く、一部のビデオにはカビが生えていた。しかし、住民に現状のあり方を伝えるのには十分な構成だった。最後に英語で製作者の名前などが書かれているため、欧米人がウッタランのビデオ製作に協力していることも伺えた。

    センター職員にインタビュー
    センターの職員にお話を伺った。ウッタランは他のNGOとのネットワークを結んでおり、BRACやBIS、PROSHIKAなどのNGOとの交流があるようだ。このセンターでは、外部のNGOに年間報告書などの資料を貸しており、またヒ素や法律関係などの多方面の分野を専門にする35のNGOの出版物を保管してもいる。あるNGOの出版物では砒素フィルターの図解を示してあった。

    トレーニングセンターの印象
    このようなトレーニングセンターであるが、我々の印象は実のところ、これがトレーニングセンターか? といえるほどの貧弱なものだった。コンピューターが一台もなく、設備面で絶対的に不足しているのが目立った。コンピューターは本部にはあるが、そこで電話交換が依然として手動で行われているため、モデムによるインターネットとの接続ができない。今の時代にインターネットで情報を獲得できなければ、デジタルディバイド(電子情報格差)と言われるように、情報から取り残されていく。ウッタランはこれからトレーニングセンターを拡張して、新たなセンターを作るそうだが、今の段階ではこのセンターが住民のニーズに合っている有効なものだとは言い難かった。

    背景としてウッタランの資金不足があげられる。BRACやグラミン銀行は効率性や利潤追求を重視して、大規模な活動を繰り広げているが、ウッタランは比較的に小規模の活動であり、資金集めに苦労している。朝、コテージインダストリーの排水が垂れ流されているのも見た。住民の生活向上のため、社会変革を目指して地道に活動するのは評価できるが、資金不足ではある程度の活動までしか実施できず、その意味で草の根活動が理想通りに行えないというジレンマがあるように感じた。




    メンバー達も黄昏時におおはしゃぎ

    9月6日所感

    今日は、時間の都合上予定していたマイクロクレジットの討議とウッタランの調停裁判視察はできなかったが、有意義な視察ができたように思う。今日の日程終了後、ウッタラン本部近郊の夕日に照らされた街を歩く機会があった。ウッタランについて、1人の少年に尋ねたところ、村人一人一人のことをよく考えて活動しており、信頼できると答えてくれた。村人の誰もがウッタランを知っており、まさにウッタランは地域に根付いた活動を行っているようだ。

    このゲストハウスは停電が多く、ろうそくの灯りでゼミも行ったが、われわれはそれにも慣れた。また、このハウスではイモリやゴキブリが多数徘徊しており、その動き方が日本よりもスローペースなのだが、ほとんど誰もそれを捕まえようとしない。私はそんな一コマ一コマに愛らしさを持って接するようになった。バングラデシュの何気ない日常をも受け容れる事ができるようになったんだな、と考えながら床に就いた。