9月3日(火)

BRAC訪問
  • 車窓から見た国会議事堂
  • 地域事務所(Manikganj)…BRACとその概要について
  • 村での、女性達による集会(Khagrakuri)…マイクロクレジットの実施現場
  • 村の非公式学校(Khagrakuri)…BRACによる教育
  • 村人による養鶏場(Khagrakuri)…マイクロクレジットを使用した村人の事業
  • 緑の革命について
  • 牛乳工場(Muljan)…BRACの商業プロジェクト
  • 革製品工場(Manikganj)…メンバーのための作業所
  • 家具工場(Manikganj)…ジェンダー問題への対応
  • 繊維工場(Manikganj)…BRACの商業プロジェクト
  • バングラデシュ独立記念碑見学
  • 中央オフィス(Dhaka)…見学を終えて、質疑応答
  • この日の夜のミーティングでの議論
    BRAC訪問
    この日は終日NGO BRACの活動を見学した。朝の7時30分に活動フ ィールドの一つ、マニクガンジ(Manikganj)に向けホテルを出発。ダッカの渋滞を考慮に入れて 早めにホテルを出発したのだが、意外と道はすいていたため、途中、フランス人が設計したと いう美しい会議事堂車窓から見た国会議事堂 の見えるところで車を 降り、記念撮影をした。周りは堀のようなものに囲まれており、近くには公園もあり自然の多いきれいな場所であった。 ここには議員宿舎もあるそうである。

    道端では渋滞中の車をターゲットにした物売りがたくさん見うけられた。バナナを売った り、グァバというフルーツに塩や香辛料をかけて売ったりするのである。我々もグァバを食べ てみたが、硬いだけであまりおいしくなかった。

    9月は雨季ということもあり、車窓から水田が完全に水没して湖のようになっ ているのが見えた。道路の部分だけが高く土盛りしてあり、あたかも湖を渡る橋のような感じ である。通っている道路は、途中ガンジス川をフェリーで渡河してダッカとカルカッタを結ぶ バングラデシュで最大の幹線であり、途中で大きな工場を頻繁に見る事ができた。煙突が並ぶ レンガ工業、シンガポール企業によるビジネストレーニングセンター、ドイツ企業の染料工場 など外資企業、そして縫製工場からの布地の切れ端を外に山積にしてある工場(ベッドやぬい ぐるみなどに使うクッションを生産しているようだ)などであり、想像していた以上にバング ラデシュの工業化が進んでいることを垣間見ることができた。染料工場やベッドのマットの工 場は、今日バングラデシュ最大の輸出産業となった縫製業の関連産業である。縫製業をエンジン として、産業連関が展開してきているということだろう。

    全体的に言えることだが、バングラデシュの幹線道路は、他の同程度の発展レベルを持つ 途上国に比べて道路が整っている。他の国なら幹線道路でもでこぼこの穴だらけで、車で走っ ていてもがたがたしたり、穴をよけながらのろのろ進む場合も多いが、この日走った道路は、 まるで日本の道路を走っているようにスムーズであった。

    周囲の景観が農村になってしばらく経った朝9時、我々は、カルカッタへ通ずる幹線道路沿 いにある、BRACの地域事務所Regional officeに到着した。

    地域事務所(Manikganj)事務所
    まず事務所の一室に通され、この日われわれを案内してくださるBRAC職員の方の出迎えを受けた。部屋の壁には森林・農業の環境問題についてのポスターが。これは、地球規模でのNGOの運動を表すものだそうだ。また、アメリカのクリントン大統領がBRACを訪問した時の写真も飾ってあった。
    ソファで紅茶を頂きながら、この日のプログラムについて、BRACというNGO について、そしてマイクロクレジットでのルールなどについて、簡単な説明を受けた。

    BRACには地域事務所がバングラデシュ内に95個あり、ここマニクガンジ(Manikganj)の事務所には、2人の会計を含め22人のスタッフがいる。

    村での基本的な活動は、村民の貧困な女性層をグループに組織してマイクロクレジット活動を行うことである。バングラデシュでは女性の地位が伝統的に低く、しかも保守的な村の社会ではとくにその傾向が顕著である。そこで、 BRACのようなNGOは女性をターゲットとしてグループを組織することが多いのだ。

    手順は次の通り。

    1、まず、村の中で貧困者を絞る。ここでは「貧困者」=「夫が年間100日以上日雇い労働に従事している女性達」と定義しているそうだ。日雇い労働の従事日数を指標とするのは、貧困者は自分で耕すことのできる土地を持っていない分だけより多く日雇いに行かなくてはならないからだ。
    2、貧困者の選定が終わると、彼女達を5人ずつのグループに分ける。そのグループが4つ以上集まるとVO(Village Organization)という組織を作る。このVOを基本単位として、毎週ミーティングを行うのである。
    3、ミーティングでは、マイクロクレジットについてのオリエンテーションが行われる。オリエンテーションでいきなりクレジットを貸し付けるわけではなく、一週間に一回集会を開き、そこでメンバー達は一人2タカ〜20タカ、平均5タカ(約10円)を毎週BRACに貯金することになる。貯金には6%の利息がつく。
    4、8週間貯金しつづけると、ようやくクレジットを受ける資格が発生する。その時点でオリエンテーションは終わり、マイクロクレジットの供与が開始される。


    メンバーが過去に何回クレジットを受けたことがあるかによって、受けることのできるクレジットの額は変わる。クレジットを受けるのが初めてという人に対してはクレジットが小額に制限され、何回目かという人は、過去に返したという実績があるので大きな額を借りることができる(表T)。
    (表T)
    クレジットを受けるのが
    クレジットを受けることのできる金額
    1回目の人 貯金総額×50=1000タカ〜6000タカ
    2回目の人 貯金総額×20=8000タカ以上
    3回目の人 貯金総額×10=10000タカ以上

    クレジットにかかる利子率は、15%だ。しかしこれは、当初の元金の15%を利子として支払わなければな らないという意味である。マイクロクレジットでは毎週分割して返済するのであるから元金 は次第に減少していくことになるが、金利は完済まで当初借り入れの全額に対して徴収される 。すなわち、もう返済済みの、本来は利子がかかるべきではない金額にまで15%の利子がかかっているこ とになる。

    もう一つ、実際の利子率を高めている制度として、強制貯蓄compulsory savingという制度がある。これは、クレジットを受けたらその5%の額は強制的に 貯金しなければならないという制度である。実際に運用できるのは借りた額の95%であるのに 、強制貯金した5%に対しても利子がかかってしまう。日本においても、中小企業に対して行わ れる融資に対し、焦げ付きを防止するため、同じような「歩積み両建て」と呼ばれる制度が適用 されることがある。

    この事務所によく日本からの訪問客がいるのかという問いには、最近東京大学のアイセック(AIESEC)のメンバーが、スタディーツアー として訪問したという答えであった。東大のアイセックの人々は、このBRACを視察しどのよう な印象をもったか、興味が湧く。    

    村での、女性達による集会(Khagrakuri村)
    地域事務所から車で15分ほど行き、そこから徒歩で10分ほど行ったところに我 々が訪問する村はあった。村の道は泥でできており、少しぬかるんでいた。また村中 には小さな店や池があった。牛やアヒルの子があたりを歩いている。人々の住んでい る家は、竹でできたものであった。

    バングラデシュでは、ベンガル人以外を見ることは、ダッカでもほとんどない。バ ングラデシュに海外から観光客はほとんどこないからである。このような状況であるか ら、我々がどこを歩いていても、バングラデシュ人達の好奇心いっぱいの目で凝視され 、あっという間に人だかりができてしまう。この村でもやはりたくさんの人々が集ま ってきた。ゼミのデジカメで村人達の写真を撮って画面を見せると、とても喜んでくれ た。

    日が照ると、日陰にみんな避難します その村のあるVOのミーティングに我々は参加させていただいた。5人から成るグル ープが、リーダーを先頭にして一列に蓙(ござ)の上に座る。その日はとても暑く、皆 日陰の中に入るようにして座る。我々が座るいすを用意してくださったが、我々も蓙 の上に座ることにした。

    村の女性が、竹でできたうちわを貸してくださった。このVOは7つのグループでで きているVOらしく、5人の列が7つできた。中には小さな子供を抱いたメンバーもいる 。まわりには十数人の村の人達。日本人が来て何事かと見に来たのであろう。チェア ウーマンの人がベルを鳴らし、ミーティングは始まった。まず、BRACが決めた「18か条の約束」を読み上げる。チェアウーマンが最初に読み上げ 、他のメンバーが復唱するという形だ。形式化しており、口だけ動いていて心はこも っていない感じがした。あるメンバーが"Money, money"と我々に向かってつぶやいたが、案内をしてくれたBRAC職員が慌てて制止してい た。そのあと、貯金とクレジット返済の作業が始まった。

    メンバーはそれぞれ通帳通帳。これを村の
人は一人一冊持っています を持っており、それとお金をBRACのガイドの人に一人ずつ渡す 。また、メンバー各人の借金データはすべてコンピューターのデータベースに登録され ており、BRACの職員の人はそのプリントアウトを持っていて、それで確認した後通帳に書 き入れ、緑色の洗面器のようなものの中に紙幣を投げ入れる。全員分の作業が終わると 、ミーティングは終わりである。通帳には、貯金やクレジットの返済状況などのデータ が書きこまれていた。このあたりの作業は、意外なほどに近代的で機械的だ。

    マイクロクレジットについてお話を伺った。この村でBRACは、マイ クロクレジットを1975年から実施している。クレジットの返済は46回に分けて、およそ 1年かけて行う。クレジットを受けたい場合は、書面で4つの段階で承認を受けなければ ならない。

    クレジットを受けたい村人
    グループリーダー
    group leader
    運営委員会
    management committee
    プログラム組織者
    Program organizer
    地区マネージャー
    Area manager

    まずはグループのリーダーに申し入れ、運営委員会 management committeeに承認をもらい、そのあとプログラム組織者program organizer の承諾を得た後、地区マネージャーarea ma nagerに認められれば、めでたくマイクロクレジット契約が成立する。

    村民たちは、マイクロクレジットを使い、脱穀・食堂経営・野菜屋・リキシャ・竹マット売り・アヒル、鶏、山羊を売る などの事業を立ち上げている。製品を市場で売る事業の場合、価格が市場で決まり自分た ちで決められないことがメンバーの人達の不満であるようだ。また、市場に持っていくまでの 輸送は、体力のない女性にとって困難なため、中間業者に頼むしかない。結果的に中間輸送業 者に高いマージンを取られてしまい、メンバーの女性は苦しんでいるようだ。だが、BRACはこ の問題には立ち入らないことにしているとのことである。それはなぜかという問いに対しては 、「inefficient(非効率だからだ)」、つまりBRACが少数の村人たちに相手に輸送サービスを提 供すればコストがかかりすぎてしまうからだ、という答えが返ってきた。ちなみに、BRACの年 次報告書には、「村人と市場との結び付けを助ける」と書いてあるのであるが、実際にはきち んと機能していないようである。

    マイクロクレジット以外のBRACの活動についてもお話を伺っ た。年に一回の医療チェックである。医師が村を訪れ、健康診断を行う。そこで異常が 見つかれば薬をあげる場合もあるが、ひどい場合は医者を紹介する。BRACが医療サービスを 施すことはない。また、万が一家庭で不幸があったときには、12年で5000タカ給付をする制 度もあるそうだ。この資金は村人達の貯金から出すということであった。

    言葉は通じないが
子供達はかわいかったです 我々は、あいさつ程度しかベンガル語を話すことができないため、村人とコミュニケー ションを取ったり質問したりするには英語とベンガル語でB RACの案内人に通訳し てもらう のを余儀なくされる。

    村人がなにかベンガル語で詳しく答えている様子であるのに、案内 人の通訳は簡単な一言、ということが何回かあった。彼がどこまで正確に通訳 したかが、 我々には全く分からないのである。

    また、全員夫がいるのかと質問したところ、ガイドは 村人達とベンガル語でしばらく話した後、あいまいな答えでごまかしてしまった。日本か ら来た我々が農村の現状を知ろうとする時に、言語の問題は大きな障壁になるのだ。

    通訳の問題で言えば、通訳をしてくれたのがBRACの職員であったことも良いこととは 言えない。我々が受け取った質問の答えはどれもBRACが村に良いことをもたらしたという 趣旨の答えばかりであり、通訳の時に村人達の答えをまげて我々に伝えたという可能性も あるからである。我々がベンガル語を話せればそれがベストであったが、すくなくともわ れわれは、ベンガル語と英語が流暢に話せ、BRACとは利害関係のない人に同行してもらい、 その人に通訳してもらうべきであった。これが、言語による調査の障害の壁を低くする手 段になるであろう。

    村の非公式学校(Khagrakuri)
    ミーティングのあった場所の隣の小屋が学校になっており、次に我々はそこを訪問した。 行った時は、授業の真っ最中であった。バングラデシュでは、家事労働のため、学校に行かな い、またはやめてしまった子供達がたくさんいる。そのような子供達に教育の機会を与えるた め、BRACは非公式の学校を経営している。「非公式」とは、政府のカリキュラム によらないということを意味している。読み書きや簡単な計算といった最低限の知識を与 えるための学校である。

    中央で何人か
の子供が踊り、他の子供達は手をたたきながら歌ってくれました子供達は輪になって座っており、みな小さな黒板と数を数えるための棒を持っている。 後者は算数の授業に使うものらしい。教室の一番前には数字のポスターが置いてある。生 徒の家事労働の妨げにならないように、授業時間はフレキシブルに設定されている。授業が朝の7時からとお昼の1 2時から、それぞれ4時間行われるのだ。生徒は5歳からおり、女子は30%占めるそうである。科 目は英語・ベンガル語・数学で、英語は一日35分間。この学校は村人達からは授業料は取ってい ない。この学校の生徒一人あたり、一年間に20ドルかかるとのことである。

    最後に子供達は歌とダンスを披露してくれた。とてもかわいらしかったが、すでにこうしたことに慣れた風で、よく視察やスタディーツアーでこ の学校を訪問する客が多いのだろう、という印象を受けた。我々もお返しに「かえるの歌 」を歌って、学校を後にした。

    村人による養鶏場(Khagrakuri)
    Khagurakuriを離れ、車で10分くらい行ったところにある養鶏場を訪ねた。養鶏場の中の様子これは、マイクロクレジットのお金を使って村民が行っている養鶏事業である。16 0羽の鶏が小屋の中で3段くらい、金網の中で飼育されている。

    ここで使われている飼料には、抗生物質やビタミン剤が入っていた。これは人体に良いとは言いきれな い。そのような飼料を使うことを、BRACは当然と考えている。

    その理由はやはり、「有機飼料は非効率であるから」なのだそうだ。

    グローバルな概念である人権を主張しているはずのBRACが、 ローカルな場面ではこのような飼 料を使う。有機栽培といった、人々の健康まで考える活動は重視しておらず、とりあえず効率的 に収量を拡大させることが、焦眉の課題であるようだ。

    緑の革命について
    BRACは、HYVを積極的に使っていこうとしており、HYVを使った2期作を農家にす すめている。HYVをすすめることに問題はないのかと聞いたところ、以前に比べて化 学薬品を使う量がふえたため水質を汚染し、水田の近くの用水路などで漁をしている 人々たちは収穫量が減り、彼らの生活に少し影響がでている。しかしそれ以外には、 ほぼ問題ない、といっていた。収量もおおはばに増えたという。農薬や化学肥料は多 すぎ(too much)ではないが、たくさん(much)あげているという。バングラデシュでは まだ、年間250万トンもの食糧不足(1995年)がおきており、外国からの食料 援助を得ている。今は「質」よりも「量」を重んじるという状況のため、HYVの環 境への危険性を知りながら栽培を奨励しているのであろうか。それとも、環境への危 険性を知らずに量だけを求めているのであろうか。実際に畑を耕している人などは、 地力の低下など、より自然環境的、生態的な問題について、どう思っているのだろう か。

    牛乳工場(Muljan)
    BRACは村人達に働きかける活動の他に、商業プロジェクトも行っている。これは営利企 業と同じく、活動資金を調達するために行う活動である。その中の一つ、牛乳工場 を見学した。最近南アジアでは、「緑の革命」によって穀物収量が増大したため、その余 裕を家畜の飼料生産に回して酪農を拡大し、農家所得を拡大する「白い革命」が農村に広がっている。協同組合がこれを担っている場 合も多い。BRACのこのプロジェクトも、その一環なのだろう。これは、全く商業的な営みで 、BRACが牛乳会社を経営している、と考えればよい。村人達の直接消費が生産の目的ではな いため、デンマークの政府以外はこのプロジェクトに対して資金援助しなかったらしい。

    牛乳は含まれる脂肪の量で売り値を変えるらしく、遠心分離機にかけて脂肪分をチェック する。また、衛生管理のため試験管に薬品を投与して衛生面のテストも行っている。 BRACが自ら行う商業活動だけあって、品質にはかなり注意を払っているようだ。アーロン(AARONG)というブランド名で売っており、シェアは10%と いうことである。AARONGはバングラデシュでは有名な土産物屋であり、工芸品などを売 っている。機械はデンマーク製である。牛乳工場の宣伝用のカレンダーもいたるところ にかけてあった。

    牛乳工場をBRACで運営することは村人にとってのメリットもある、とわれわれの案内人は力説した 。もし仲介業者に委託して牛乳を売ればそこで働く村人は1リットルあたり1 2タカしかもらえない。しかしBRACが牛乳を売るようにすれば、村人は1リットルあたり 22 タカもらえるというのだ。

    この牛乳工場の近くにはBRACの診療所があった。薬代は別料金で、BRACのメンバーは初診料が10タカ、 BRACメンバー以外は30タカである。肝炎、狂犬病、破傷風の治療は政府に委託している。た だし、汚染された食物などから伝染するA型肝炎は、バングラデシュ人の場合、幼少時に体内 に抗体ができるので、清潔な飲食物環境で育つ日本人と違って、ほとんど罹患しない。「患者 は全部で272人」というポスターがあった。これは1ヶ月の患者数なのかどうなのか、確かめて はいない。

    また、近くのオフィスには、「現在の妻の許可を得ないで重婚するのは犯罪だ」という内容の絵が飾ってあった。バングラデシュ では、イスラムの慣習にのっとって、男性は複数の妻を同時に持つこと(重婚)がいぜん認 められている。しかしそのためには、現在婚姻中の妻の了解が必要、ということなのだ。

    この村ではBRACの人達が植物の種を売っており、何人かのゼミテンと先生が買っていた。トマ トやブロッコリー、大根の種が缶詰に入って売ってあり、40タカくらいであった。これは HYVであるかと尋ねたところ、そうだという答えが返ってきた。

    革製品工場(Manikganj)
    この工場では女性が働いており、革の鞄を作っている。 これらは売り物ではなくBRAC メンバーの事務用鞄である。一階建てで、作業していたのは二部屋と、その外の廊下。工 場見学の前にある一室へ通され、写真立てなど様々な手工業品を紹介された。廊下で革の型押しをし
ている人達。二人で力を合わせて作業をしています廊下では革 の型押しをする人達が作業しており、部屋の中では20台くらいのミシンで鞄を縫う作業し ている。我々が訪れた時はちょうど昼休み中だったらしく、昼ご飯を食べていたのだが、 我々が工場に到着したとたん作業をし始めたので驚いた。

    ここも、 訪問客慣れしているのだろうか。こちらに明るく手を振ってくれたり、材料が床に散 乱していたりして、厳しく管理されていたという印象はなかった。

    家具工場(Manikganj)
    この工場では、以前は男性のみの仕事であった大工仕事に女性が携わっている。工場の中ではBRACの制服を腕まくりして着た女性 が丸太をごしごし切っている。工場内は蒸し暑く、労働環境はそれほどよくない。

    バングラ デシュでは女性の地位が低く、今でも女性がこのような仕事に進出することは難しいに違い ない。

    この工場が意識的に女性を雇い入れることによって、ジェンダー問題に貢献しているのだろう。作っていたのはかなり立 派なベッドであり、これらは輸出用のものなのだろうか、とふと思った。この工場のほ かにも道で家具製品が並べてあるのをたくさん見 る事ができた。

    繊維工場(Manikganj)
    版画のように模様をつけている
事務所に戻り、昼食をご馳走になったあと、その裏手にある,サリーや男性用のシャツを 作っている工場をわれわれは視察した。機織をしている工程、サリーに版画のように模様 をつけている工程、ミシンでシャツを縫っている工程などを見学した。

    労働者の賃金は800タカから1,200タカと言うことで、昨日見た繊維工場の労働者の待遇 よりも悪い。

    製品は主に国内向けに売り出されるが、品質の良いものは輸出することもあるという。

    ミシンは中国製だった。

    工場を視察している間に、われわれと同じようにBRACの活動を視察しにきた白人の2人連れとすれ違った。マイクロクレジットが世界中で有名になる につれ、これを行うNGO の訪問が、バングラデシュでオルタナティブツーリズムの対象となってきているのだろうか。

    われわれは、別れ際に、BRACのこの事務所の方に、この1日視察でお世話になった感謝の念 もこめて、皆で金を出し合い、US$130を寄付した。後日BRACの事務所から、BRAC学校卒業生の奨 学資金としてこれを使ったというEメールが届いた。

    ここから車に乗り、われわれはダッカに向かった。途中で立記念碑に立ち寄る 。これはバングラデシュが独立した時に建てられた記念碑である。周りは整備された 公園になっており池や芝生があった。入り口には門番がおり、VIP用の入り口と一般用 の入り口とに分かれていた。入ったとたん、物乞いや物売りの子供達に取り囲まれてし まった。その子達を相手にしながらやっとのことでモニュメントに近づいた。三角形を した大きなモニュメントで、5,6段の階段を上がって中に入ることもできる。途中何段目 からかは靴を脱がなくてはならなく、バングラデシュの人々にとって特別な碑であること がうかがえた。

    本部(Dhaka)
    会議室の窓から
見えたダッカの街その後、我々はダッカに戻り、BRACの本部を訪れた。われわれの滞在していたホテルから歩い て10分ほどのところにある、とても立派な21階建てのビルであった。

    一階には警備員がい た。21階のうちBRACは13フロアを使っており、あとの8フロアは他の会社に貸し出してい る。エレベーターで19階まで上がり、広報部長(Director Public affairs & Communicat ions)のイスラム氏(M. Tajul Islam)が出迎えてくれた。

    通された会議室は、日本の一流 企業の会議室と同じような、とても立派な部屋であった。そこの窓からは市内が一望でき 、ダッカを支配しているような気持ちになった。

    なぜこのような大きなビルを建てたのか、とまず尋ねてみた。将来事業拡大によってもっ とスペースが必要になるから、また他の会社に貸し出すことによってそこからの部屋代が 収入源となるから、という答えが返ってきた。このビルを建てる前は色々なビルで部屋を 借りており、その家賃が高かったそうだ。

    BRACというNGOが様々な商業活動を行うことについての疑問をぶつけてみた。、商業プロジ ェクトの目的は利益を出すことでなく、そこで得た活動資金を使って貧しい人々を助ける、 という答えであった。

    マイクロクレジットについて、これでは最も貧しい人々を助けることができないので はないか、と質問した。実際BRACの年間報告書にはマイクロクレジットの返済率が98 %とでているのだが、あとの返せない2%の人々についてはどう思うか、と尋ねてみた 。イスラム氏の答えは以下の通りである。マイクロクレジットは、慈善事業ではなく 、経済活動である。マイクロクレジットによって人々の生活レベルを上げるには、彼 女らに訓練や規律(discipline)を与えることが重要になる。BRACの場合は、毎週の貯 金や8週間のオリエンテーションがこれに該当するであろう。しかし、マイクロクレジ ットは全ての人を助けることができるわけではない。バングラデシュの人口の15%を占 めると言われている本当に貧しい人は、取り残されてしまう。BRACでは返済率は98%で あるが、返済できなかった2%のうち1%は期限後返すことのできる人達、1%は最後ま で返せなかった人達を指している。後者の人々に対してはどうするのか、と質問したと ころ、これまでの貯金を没収し返済に充てるという答えが返ってきた。それでも返せな ければ、とさらに畳み掛けると、グループで連帯責任をおわせて回収し、その人にはグ ループから脱退してもらうという返事だ。いったん脱退してしまうと、その人がいかに 貧困であろうとも、それ以降はBRACと縁が切れ、その人の面倒を見ることはない。夜逃げ する人もいるらしい。

    このように、マイクロクレジットでは貧困層の中で比較的恵まれた層をターゲットと している。しかしBRACは、この層を拡張しようと、現在マイクロクレジットではカバー できない最貧困層と、より大規模な融資の必要な比較的裕福な層への融資を開始する 予定を持っている。2001年には本当に貧しい人々のためのクレジットを開始し、また マイクロクレジットより大規模な本格的ビジネス向け融資活動として、BRAC銀行を、 それぞれ創設するということであった。

    マイクロクレジットを専門に手がけるグラミン銀行との関係について質問した。BRAC もグラミン銀行もバングラデシュで大きな力を持つので、両者に競合関係がないかと 思ったからである。答えは、友好的ということであった。BRACとグラミン銀行をあわ せても農村の65%しかカバーしていないので、競争もないという。とはいうものの、 実際は残り35%を争うわけで、教育や医療といった優位性を強調していくことになり、 今後は競争が熾烈になるのでは、と考えた。

    我々がBRACについての論文をゼミで出発前に読んだ時、「小さいことは美しいことだ が、大きいことは必要である(Small is beautiful and big is necessary.)」と書い てあった。大きいことの必要性は何か、質問した。答えは、組織が大きくなることに よって、政府や世界銀行がBRACに対して聞く耳を持ってくれる、ということだ。イン パクトを社会に与えることができるので、組織が大きなことは大切なことである、と いう。実質的に現在、BRACは国家規模を持って活動する機関に成長している。政府に 対しても影響力があり、実際に「パラレルガバメント」と呼ばれているそうである。

    NCUというNGOの連合が出来つつあり、その中でもBRACはリーダーシップを取っていると いうことであった。

    さらに、BRAC 大学ができる予定である。これはNGOを運営して行くための研究やトレー ニングを行うということである。ディプロマとマスターが取得できるそうだ。

    ナイロビに4年前、ユニセフの援助により学校を作り、一年間人を派遣したことがある。

    砒素汚染問題への対策は何かしているのか、と質問した。もちろんBRACの活動地域で も砒素汚染問題は深刻である。BRACは、ユニセフと協力して活動をしている。特に危 険性についての教育を施している、という返事であった。

    インタビューは一時間程度に及び、最後にイスラム氏に新しくできた年次報告書を頂き 、オフィスを後にした。それから、側溝の蓋にたくさん穴のあいた暗い歩道を、注意深 くたどりながら、学生みんなで、シシカバブのレストランに入り、夕食をとった。

    夜の議論
    この日の夜のゼミでは、BRACの商業プロジェクトについて話し合ううちに、市場経済 と社会の最適化ということにまで議論が及んだ。

    この日視察して、BRACの活動が、その理念と実践の中に大きく市場経済の概念を取り 入れている、という感想を持った。例えば非効率であれば、その活動は行わないとい ったことをしばしば耳にした。また、実際に商業プロジェクトとしてBRAC自体が経済 活動を行うことも、BRACが市場経済の理念を強く持っていることの表れであろう、と 考えた。

    NGOが市場経済の概念を取り入れることには、何か問題があるのだろうか? まず、そ れはNGOの定義から外れるのではないか、という意見が上がった。たしかに、BRACの商 業プロジェクトを見ていると、営利企業と変わらない。また、市場経済の論理が社会を 最適にすることは不可能なのではないか、という意見も出た。経済の論理、特に新古典 派の市場の論理から言えば、自由競争をすれば「見えざる手」の作用で社会は最適にな る、というのが経済学の論理だが、そこには競争の敗者が必ず存在する。例えばマイク ロクレジットも市場原理を登場させた活動であるが、そこにもクレジットの返済ができ ない人が必ず存在する。この時、経済の論理だけで「敗者」を救うことはできない。

    NGOは社会を最適にするために存在しているとすれば、経済の論理だけではその役割を 果たすのに限界が出てしまう。このことが、NGOの市場論理導入の問題点なのではない か、と考えた。

    このような議論はバングラデシュにある他のNGO間でもすでに出されているらしく、我 々が訪問したほかのNGOや機関の方からもBRACを批判する声が聞かれた。例えば、ダッ カの立派な中央オフィスビルについて、これは村人から金を搾取し、経済活動によって 営利を得て、結局自分の権威を象徴するようなビルを建設したのだ、という批判も、私達 が別に訪問した機関で聞いた。

    財務状況をみると、マイクロクレジットの収入は変わっていないが、営利活動により予 算は増えており、それが商業活動の費用と人件費に費やされている状態である。さらに ビジネス化していくことが予想される。

    また、有機栽培の可能性に関しても考えた。NGOというクリーンなイメージを生かし、ヨ ーロッパなどの市場に有機栽培農作物を輸出する可能性もあるのでは、と考えた。外国の スーパーと提携して有機栽培させるということもありうる。しかし、それでは外国の金持 ちの人は健康な野菜を食べ、バングラデシュの人達は抗生物質入りの野菜を食べることに なる。バングラデシュでも健康によい野菜が出まわるようになにか方法はないのであろう か。

    最後に、我々がこの日一日行った視察自体について考えた。このように、NGOがフィール ドとしている農村を回ったり、そこで学校を訪れたりして、貧困問題を考えるツアーには 、これまでの観光ツアーにとって代わる新たなツーリズム(alternative tourism)の可 能性があるのではないか。特に、いま日本でもNGOへの関心が高まっており、バングラデシ ュのように、著名な建造物や自然景観に乏しく、観光客があまりこなかったところでは、 このようなNGOを利用したツアーは注目に値する。

    しかし、我々が学校を訪れた時に、子供達が手馴れた歌や踊りで歓迎してくれたことを思 い出し、我々自身がもうある意味での「貧困問題を考えるツアー客」となってしまってい るのではないか、という寂しい気持ちも少し感じた。

    (2年 太田 真美子)
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