ダッカ商工会議所(DCCI)訪問 | |
バングラデシュ工科大学コンピューターセンター | |
MEDONA GARMENTS LTD. | |
Modern Erection Ltd. | |
Limo Modern Electronic Ltd. | |
AOTSコンピュータースクール | |
8月31日、巡検開始に先駆けて、水岡教授と筆者とでダッカ商工会議所とダッカ大学を訪れ、特に経済発展とコンピューター産業の現状を中心に聞き取りを行った。
ダッカ商工会議所は、Motijheelという地区にある。ここはダッカの中心地区であり、会社やホテルといった高層ビルがダッカの中でも目立つところである。 ダッカ経済界の代表というべき、商工会議所のAftab ul Islam会頭が、忙しい日程を割いてわれわれとの会見に応じてくれた。
経済の見通し
はじめに、氏に今後のバングラデシュ経済の見通しを尋ねたところ、会頭は経済成長の戦略的部門として3つを挙げた。
1つ目は、IT産業である。バングラデシュではもともと英語教育が早期からなされ、現在は、若者に対するIT教育が行われており、政府による奨学金制度もある。また、シンガポール経由で世界に接続する光ファイバーケーブルなどインフラ整備も進んでいる。現在はまだ規模は大きくないが、将来的にはソフト産業が発達すると予想している。2つ目は、農業である。バングラデシュは、依然として農業が国の中心産業であり、農業抜きには語れないといってもよい。地方の農村での農村改革、農業改革、農村加工といった農業の発展を推進していく。3つ目は天然資源である。バングラデシュには、天然ガス・石油などの天然資源が存在する可能性が高い。しかし、自力では、技術的な問題等により、開発が困難である。よって海外投資を期待している。
地域経済統合 会頭は、このように、バングラデシュが「東南アジアの一員」となることによって経済発展へのチャンスをつかみたいという意欲を強くにじませた。しかし、それには問題点が待ち構えている。バングラデシュからモノを輸送する際、ASEAN諸国の中でバングラデシュと唯一陸続きのビルマが、陸上国境を依然封鎖したままであるため、タイなどASEAN諸国への陸路コンテナトラック輸送が不可能であることだ。このため、チッタゴンからコンテナ船により、アジアでもっとも大きなコンテナターミナルの1つを持つシンガポールまで海上輸送によるしかグローバル輸送と接点を持つ方法がない。これらの理由から、より距離的に近いバンコクではなく、シンガポールを、東南アジアのハブとして重視するバングラデシュの姿勢が浮かび上がってくる。
NGOの活動について 経済状況 表:バングラデシュの経済指標
94〜95 95〜96 96〜97 97〜98 98〜99 99〜00 GDP(mill.US$) 33853 37940 40726 42319 44034 47513 GDP成長率(%) 4.9 4.6 5.4 5.2 4.9 5.5- GDP中の農業の割合(%) 32.8 32.2 32.4 31.6 31.6 31.9 農業の成長比率(%) (-)1.0 3.7 6.4 2.9 5.1 7.2 GDP中の農工業の割合(%) 11.3 11.3 11.1 11.5 11.2 11.1 工業の成長比率(%) 8.6 5.3 3.5 9.5 3.0 4.2 貿易収支(mill.US$) (-)2361 (-)2999 (-)2744 (-)2352 (-)2693 (-)1135
次にわれわれは、バングラデシュが今後どのような地域経済統合を志向するかについて質問した。バングラデシュは、東南アジアとインド亜大陸との接点に位置しているところから、インド亜大陸との連合強化と、東南アジアとの連合強化という2つの地域統合の選択肢を持つ強みがある、と前置きした上で、会頭は、アジアとの関係、特にASEANとの関係をより重視していると述べた。これに比べインド亜大陸は、印パ紛争に象徴されるように、未だ全体として平和的な協力の雰囲気に乏しい。これに対し、東南アジアは、すでに地域経済協力が大きく進展し、経済発展の成果が上がっている。中でも、一人当たり国民所得が最も高いシンガポールを、グローバルな物流における基地として、またIT分野でもハブ機能をもつことで、重要視している。
さらに、バングラデシュはNGOの活動が活発であることから、NGOについての会頭の意見を尋ねた。会頭は、NGOが貧困層に対して行ってきた活動に関しては評価しているものの、近年、バングラデシュのNGOがビジネス化してきていることには批判的であった。その理由として、NGOには免税といった特別措置がとられ、イコールフィッティングの基で自由競争を行う市場経済の原則を犯している。これは政府がNGOを管理し切れていないからであり、NGOは自分の活動範囲を逸脱してビジネスに入り込んでくるべきではない、と強い口調で会頭は批判された。
次に商工会議所のJoint Secretaryから、現在のバングラデシュの経済状況についてブリーフィングを受けた。
バングラデシュ商工会議所資料より
バングラデシュの経済成長率は、少なくとも7%を期待していたのが、結局は5〜6%にとどまっており、目標よりかなり低い。工業部門が、政府の投資額が多い割には成長していない。輸出は、縫製業の産品が66%を占めており、茶、フルーツなど農作物の輸出が伸び悩んでいる。
トレーニングセンター
次にわれわれは、ビルの最上階にあるトレーニングセンターを視察した。ダッカ商工会議所ではビジネス関連の短期トレーニングを実施している。内容は、パソコン技能、財務、マネジメント、マーケティング等かなり高度な内容である。講師は企業、NGO、政府から呼ぶ。外国人講師も多いため、英語が要求される。期間は1〜4日程度で、授業料は1500〜3000タカである。平均35人が1プログラムを受講する。このトレーニングセンターはドイツの援助により作られたため、トレーニングルームの内装もドイツ風で、OHPやマイク等の設備も整っており、近代的であった。センターのオフィスでは、有機農業についての分厚い資料が目に付いた。会頭が指摘された農業の分野において、近年、環境に対する認識の高まりの中で、先進資本主義諸国で増大しつつある有機栽培農産物需要に対応した農業生産の拡大が、将来バングラデシュで期待できる分野であるとの見方を、センターの職員は示していた。
午後は、ダッカ大学のキャンパスの中にあるバングラデシュ工科大学にて、Dr. Chowdhury
Mofizur Rahmanコンピュータ室長、ならびにコンピュータ科の教授と面会をし、バングラデシュのIT産業と教育の現状について、お話を伺った。
人材と教育
室長は、現在のコンピューターサイエンスにおける人材教育がいかに盛んであるか、いかにバングラデシュに優秀な人材が多いかを強調した。バングラデシュにおいては、コンピューターサイエンスの学習を希望する学生が年々増加している。これは、高給だからである。だが、国内においては、近年発展しつつあるものの、IT産業はまだ規模が小さい。バングラデシュ工科大学では、コンピュータークラスの学生の定員は60人で、入学の競争率が非常に高い。60人の卒業生は国内での就職と高給が保障されている。が、それ以外の若者は、国内では雇用機会がないため、ほとんどがアメリカやマレーシアなど海外へ流出する。その中で、将来帰国する者は10%程度しかいない。ゆえに、コンピューターを教える教師も不足している。どのように人材流出を防ぐのか聞いたところ、雇用機会が多いことが必要だとの答えだった。当たり前の答えだが、これは実際にはなかなか解決できない問題である。
国内のIT産業
国内におけるIT産業は、ソフト産業のみであり、チップ製造といったハード産業は、計画としても考えられていない。これは、ソフト産業ならばインターネットへの接続環境、高い能力を持ったパソコンといった、小規模な設備でできるが、ハード産業に必要な、電気、道路等のインフラがバングラデシュでは未整備で、大規模工場の運営が不可能だからである。現在は主に、アメリカ合衆国のソフト会社からの要望に応じた、モジュールやドライバソフト等のプログラミングという、いわばソフトの下請け産業をしている。今はまだ産業が小規模で、海外からの送金による外貨獲得という意味合いが強いが、5年後にはずっと成長しており、いずれは国家経済を支える役割を担うはずだとの見通しを、室長は語った。英語ができる優秀な人材こそが国の資源であるということだ。しかし、筆者には、ソフト産業では、ごく一部の優秀な人材の雇用は保証されても、大規模な国内雇用の創出はなかなか期待できず、すぐに全般的な国の経済発展に貢献することはできないのではないかという疑問が残った。
農村との情報格差
パソコン教育を受けられるのは、人口の10〜15%程度の英語教育を受けた人のみであり、パソコン使用環境にある人はごく限られている。よって、教育が未発達でパソコンやインターネットの利用が困難な農村の人々との格差が拡大する可能性があるのではないか。この質問に関して教授は、とりあえず高等教育を受けた者をプログラマーにすることを重視し、農村への普及はそのあとの問題とした。農村は、農業開発など別の方法で経済成長に貢献すべきとの意見であった。また、一般へのパソコン普及に不可欠なベンガル語によるパソコン環境が十分整備されていない問題のについて、マイクロソフト社は採算が合わないためベンガル語で操作できるウィンドウズは開発しておらず、ベンガル語文字を用いたパソコンのユーザーインターフェースの実用化に関する研究が、ようやく緒についた年、このテーマに関する学会報告資料を見せてくれた。このことからも、バングラデシュの基幹産業はしばらくは農業のままであり、IT産業が経済の中心となるのはまだ時間がかかりそうだとの感想を持った。また、そのような産業構造の転換の過程で、農村と都市の格差拡大は不可避であると考えられる。
パソコン教育設備
バングラデシュ工科大学のコンピュータセンターは、ペンティアム3を搭載した最新のパソコンを数十台所有しており、学生たちは、C言語を用いたプログラム作成技術の習得に余念がない様子であった。このパソコン購入資金は、このコンピュータセンターが、電力会社の請求書を発行するための電算業務を請け負うという営利活動をこのセンターの設備を使って調達したものだということである。大学への経営原理の導入は、バングラデシュのほうが日本よりも一歩進んでいるようで、驚いた。
見学を終えての考察
グローバルな経済に関して、ITが今後のキーワードのひとつになることは疑いの余地がない。バングラデシュでも、IT産業の成長率の高さと世界的な需要の大きさ、インフラ整備の手軽さ、英国植民地時代の遺産としての英語教育の伝統、といった要因が、この国でIT熱を高めている。だが、IT産業がどの程度この国に根付き、雇用を創出し、国の基幹的産業として発達するかは未知数である。なぜなら、この日に会ったほとんどの人が、「バングラデシュの強みは優秀な人材が多くいることだ」と述べているからである。これにはあまり明確な根拠は無いように思う。しかも、その「優秀である」はずの人材のほとんどが、海外に流出しているのが現状である。今後、国内でIT産業の雇用機会を創出して、この人材流出をどのようにして食い止め、国内のIT技術を高めていくかが注目される。
巡検の事実上のスタートとなるこの日は、AOTS(財団法人 海外技術者研修協会)の研修経験者がバングラデシュで組織した同窓会であるBAASの親切な御協力をいただき、バングラデシュの製造業において代表的な部門の工場見学をまず行った。
AOTSは、38年の歴史を持つ日本の技術協力機関で、主に、海外に進出した日系企業で中堅技術者や中間職制として働く現地の人材が日本企業での研修を行うことを援助し、また日本から講師が現地で指導する研修を行うなどして、技術移転を進めてきた。その後、AOTSの研修などで技術を修得した技術者が自ら工場を開設したり、また、自国や他の途上国の技術者を自主的に教育訓練するなど、「南々協力」の性格を持つ活動も発展させている。
今回訪問する3社は、いずれも社長が日本でAOTSの研修を経験した、BAASのメンバーである。 >
企業訪問
この企業は、ホテルのすぐそばの、ダッカでも比較的新しく開発された地区に建っている。アメリカのバイヤーが、香港の一大繊維工業地域に本社を持つMasse
Marketing社に注文をし、そこからバングラデシュの同社支社を通じてに委託加工するという形態になっている。香港は、1980年代初頭まで、縫製業・繊維業を中心とする輸出型軽工業の世界的拠点であった。しかし、その後香港域内の労賃高騰により、次第に中国本土へ生産過程を移転させ、香港の本社は、生産管理の中心となった。そして、最近では、かつて製造を行っていた縫製企業は次第に業務を商社化し、生産過程を中国本土だけではなく、ベトナムやバングラデシュなど、近隣の低賃金労働力が得られる諸国にまで拡大して委託してきている。香港が、輸出型軽工業の市場と生産とをつなぐ管理拠点にますます特化してきていることがわかる。
この企業の原料調達には、二つの方法がある。ひとつは自分で調達、もうひとつは香港の代理業者からの購入である。後者のほうが、リスクが少ないので有利であるようだ。香港の会社が、受注した製品の原料ならびにデザインとともにMEDONA GARMENTSに渡して実際の生産を行わせ、出来上がった商品をバイヤーに渡す。これを委託加工と呼ぶ。これは、以前香港が中国に対して行ってきたものである。だが最近は、中国の中だけの自立的ネットワークが強まる傾向にあり,委託先はアジアへと変わってきている。
これらの製品は全て輸出される。これは、100%輸出の条件で、輸入生産財の関税が免除されるためである。こうした東南アジアにおける新国際分業のネットワークに、バングラデシュがすでに取り込まれていることが、ここから十分に見て取れる。
工場見学
工場を見学し、作業工程を見せていただいた。工場では、カジュアルなシャツを生産していた。材料となる生地は、中国、インド、韓国より輸入している。製品に付けるタグは、技術的に製造が難しいため、香港から輸入している。生産高は、1時間に100着である。この生産性は、作業が流れ作業で素早く行われている様子を考えると、悪くはないと思われる。値札には、アメリカにおける価格が1着9.98米ドルと印刷してある。商品にはMade
in Bangladeshと明記されており、ブランド名はずばり「no boundaries」。この企業は香港へ3米ドルで買い上げてもらう。
現場では、型紙、裁断、ミシンによる縫製、襟袖、アイロンがけ、ごみ除去、といった風に工程は細分化され、流れ作業を行っていた。機械は、ミシンが日本のブラザー工業製品であり、製品の糸くずを除去する機械は、次に訪問するModern Erection Ltd.(下記参照)の国産品であった。完成品のサンプルはアメリカの買い付け業者に送られ、ボタンの位置やポケットの縫い方など、サンプルにぎっしりと直接マジックで英語の指示が書かれてあった。クレームと訂正要求が書かれている型紙もあった。また、印刷された注文書にも、「seams13-14stiches per inch」などと、1インチあたりの縫い目の数が細かく具体的に指定されている。委託加工により国外のバイヤーに依存する形になるため、バイヤーとの信頼関係を維持しようと、品質のよい製品を輸出することにこの会社は極めて気を使わなくてはならない。たしかに、職場はかなりきれいで、衛生面は重視している様子であった。この生産過程の中で出た布の切れ端は、ベッドのマットレスの綿として再利用するらしい。そういえば、この企業にくる途中でも、道端でレンガをハンマーで割っていた人をよく見かけた。これも、またレンガとして再利用するために行っている。バングラデシュでは、国内原料が少ないせいもあるだろうが、リサイクルはかなり盛んに行われていると感じた。
従業員 社長との会談 最後に、社長はバングラデシュの工業発展が直面している課題として、@ しばしば停電する電力供給を安定化させる、A港湾の整備、B政治腐敗の解消を挙げた。そして、日本人である我々に対し、日本はODAを腐敗した政府に与えるのではなく、もっと直接投資による有効的な活用をしてほしいと要請した。特に電力供給が重要で、発電所は、バングラデシュ政府に資金を与えて建設させるのではなく、日本企業が直接に建設して電力供給に乗り出してほしいとのことだった。新しい、援助のありうる形態として、注目すべき提案である。
この工場の従業員は、若い女性が多いが、男の労働者もいる。縫製などは女性が主に行っている。みなサリーを着て作業している。型紙、裁断、アイロンがけ等の力仕事は男性労働者が行っていた。採用年齢は18〜35歳ということだが、明らかにそれよりも若い(12〜3歳くらいであろうか)、或いは年をとった女性労働者が働いていた。既婚者の割合は約60%。農村出身の人も多いが、ダッカに出てきて皆近所に自分で住んでおり、その人達用のバスなどの交通手段は用意していない。在職期間は平均2〜3年で、より高賃金を求めて転職し、流動的な労働市場を形成している。これは、昇進がないこと、募集広告がこの地域に多くはってあり、工場が近接しているため、新しい職場を見つけるのが容易であるという理由による。張り紙は、MEDONA GARMENTSの入り口にも張ってあった。毎日面接をしており、他の工場での経験や技術があるかを尋ねている。労働市場が極めて流動的であるあたりも、1980年代初期までの香港の状況と大変似ている。 日本では5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)が強調されるが、そのような教育をしているのか聞いてみたところ、教育レベルが日本とは違うため、知っていても導入は難しいとのことだった。
工場見学終了後、社長と会談した。社長は、バイヤーとの間の関係を維持するため、納期と品質維持による信頼が最も大事であるとおっしゃっていた。従業員を酷使するようなことはしていない。8時間労働を大体守っているという。これは、過剰労働により品質問題が発生したり、作業能率が落ちたりするのを避けるためである。
現在BRACなどのNGOがビジネスも行うようになってきているが、NGOとのビジネス上での競合が存在するか尋ねたところ、NGOが国内市場を対象とするのに対し、Medona Garmentsは外国市場を対象とし、NGOとは市場が異なるため、それほど競合はしないとのことだった。
工場見学
最初に社長室で簡単な説明を受けた。このときは停電状態で、クーラーが使用できず、暑かった。この国では、停電は工場においても日常茶飯事であることを実感した。工場を見学させてもらうことになり、ドアをあけた。するとそこに屋根はあるものの、地面は土の屋外であった。大きなボイラーや鉄骨や機械がむき出しになって、所狭しとおいてあり、一昔前の日本の町工場といった感じである。作業員も地面の上で溶接作業などをしていた。近代的とはとても言えない光景に少々驚いた。これで品質が保たれているのだろうか。 だが、利益に関しては、昨年度より2倍の売上を記録していた。これには、自社製の機器の販売増よりも、エレベーター、エスカレーターなどビル関連機器の輸入販売、設置サービスの成功が寄与しているということだ。この企業は、現在ダッカ市内の工業地区に立地している。しかし、空港から20kmのところに、Tongi
Industrial
Areaと言う工業地域が出来て、そこに近いうち工場を移転する。移転後は、今の10倍広くなるらしい。これは、利潤が2倍となりビジネスが好調なため、規模拡大を図るのだと考えられる。
オフィス
3階はオフィスとなっており、数十台のパソコンが並ぶ、こぎれいな部屋であった。技術者は、レベルが高そうな人たちで、CADを用いて一心に設計をしていた。また、在庫管理をパソコンで行っており、インターネットに接続されたサーバが、ガラスで仕切られて独立したマネジャーの部屋に置かれていた。
人材
人材に関しては、国立の技術学校からの雇用が多いが、学校の技術教育のレベルは高くないため、オンジョブトレーニング(OJT)が中心となる。大学卒の優秀な人材は海外へ流出してしまうということで、IT業界と同様、ここでも人材の空洞化に悩んでいた。 お土産として、台湾製のホチキス芯取りをいただいた。
会社概要
この会社は、日本の三菱・東芝・ケンウッド、そしてドイツのBRAUNから家電製品を輸入して販売する代理店業務、材料を輸入して「NIPPON」というブランド名でテレビの加工組み立てを自社で行う業務の2つであり、この国で一般的な他の大企業グループとほぼ同様の形態である。冷蔵庫・洗濯機もかつて自社生産していたが、止めてしまい、現在では提携企業から輸入しそのまま販売するだけとなった。自社生産は現在テレビだけに規模縮小されている。白黒テレビとカラーテレビを、同じ敷地内の工場で組み立て、販売している。主として国内市場向けだが、一部はロシアへ輸出しているという。「NIPPON」というブランドは、よい品質というイメージを狙ってのことであろう。また、Limoはサッカーチームのスポンサー企業でもある。サッカーは、バングラデシュで一番の人気スポーツだ。ダッカの街ではいたるところにLIMOの看板を見かける。ブランドや社名のイメージを経営戦略の前面に出している様子が伺える。Limoと日系企業との間の深い関係は、おそらく社長がAOTSを介して作ったのであろう。会社には「四国ヤンマー」と書かれた中古車もあった。資金に関しては、地方銀行からの融資を受けている。
工場見学
この工場のテレビの組み立ては、プロダクトサイクル論で言う成熟産業の生産過程を地で行くようなものだった。生産は、完全にマニュアルに従って行われている。CPT(カラー用ブラウン管)やCRT(白黒用ブラウン管)など原材料は、かつては日本や香港から輸入していたが、近年は高額になったため、すべてインドから輸入するようになったという。ちょうど自作キットのように、部品一そろいがパッケージでインドから供給さて入れるのである。工場内は、薄暗く、クーラーも無いため暑かった。組み立ての流れ作業では、女性工員が基盤への部品挿しこみを行っている。動力コンベアはなく、一つの部品挿しこみ工程がすむと、そこの職工が、次の工程に、人力でシャシーの乗ったレール上の台を押してやらなくてはならない。
中でも驚いたのは、挿しこんだ部品を基盤にハンダ付けする作業を、手に基盤を持ち直接溶けたハンダ液に漬けていっていたことである。溶けたハンダからは錫と亜鉛が気化した重金属ガスが絶えず発生しており、そばを通っただけでも我々は少し気分が悪くなった。所が、そこの男性従業員は、簡易なマスクをしただけでこの作業に長時間従事していた。換気装置も、十分なものが設置されているとはいえない。重金属ガスが建物全体に漂わないようにするため、簡単なダンボールで作った庇のようなものしかなく、ガスはライン上の女性工員のほうにも漂ってゆく状況である。従業員の安全があまり考えられていないようだ。
すべて外国製の部品を作って組み上げられたテレビは、完成後、全数のエイジング検査が行われる。この検査で落ちる製品はほとんどなく、わが社のテレビの品質は良いのだ、と会社の方が強調していた。テレビの国内シェアは17%で、台数はあまり変化はないものの、韓国企業が売上を伸ばしているため、シェアは減少傾向にある。だが、アフターサービスに強みを持っているという。価格は白黒14インチテレビが37,000タカ(1タカ2円)、白黒17インチが49,000タカである。日本ならば、量販店に行けばソニーのカラーテレビが1台3万円もしないで容易に買えることを考えると、17インチ白黒テレビ1台10万円というのは、異様に高い。バングラデシュの所得を考えると、白黒テレビ1台が日本の中古車1台という感覚だ。テレビは、バングラデシュでは依然奢侈品であることが分かる。その国内普及率は、約30%ということである。
独自技術について
この会社が、独自の技術を、現在、あるいは将来もつ可能性について尋ねたところ、@独自技術を持つには研究開発投資が必要 Aインフラが未整備 B人材不足、といった理由により、独自技術によって外国企業への依存から脱却を図ることは難しいとの判断であった。とはいえ、日本企業にもっと進出してもらい、技術移転をすすめてほしいとは考えておられる。だがコンピューターソフト開発に関しては、外国企業との競争においてバングラデシュが勝てる見込みのある分野だと社長も考えている。 興味深かったのは、社長が、企業の国籍という点につき、かなりナショナリスト的な考え方をお持ちだったということだ。日本の自動車メーカーマツダはどうしてフォードに買収されたのか、なぜ日産はフランスから社長を招きいれたのか、日本経済全体を考えるなら、トヨタなど日本企業が買い取ったほうがよかったのではないか、という質問を、我々が逆に受けた。我々6人は即答ができなかった。
3社の見学を終えての考察
我々が訪問したのは、BAASが数ある企業の中から見学地として選定してくださった企業ということで、業績も上がっており、バングラデシュ経済をリードする優良企業だったと考えられる。とすれば、次のことが言えるだろう。
縫製業については、委託加工による海外市場への販売が増加し、輸出額拡大の原動力となっている。だが、原料調達・デザイン・マーケティング・販売はバイヤーに依存しており、自立はできていない。技術力を使用した機械産業については、バングラデシュ国内には技術がほとんど無い状態で、発展の初期段階といえる。しかし、国内繊維産業の拡大に伴い、国内企業への生産財供給というリンケージを深化できるならば、国内向け産業として発展する可能性は十分ある。また、ダッカの家電企業の特徴は、海外の大企業と提携し、電気製品などを輸入・販売し、アフターサービスの技術のみを提供する、という点である。独自の生産技術を開発し、製品の国産化とその輸出という方向は、依然として難しいようである。グローバルな新国際分業システムの末端とはどのようなものか、われわれはこの3工場に象徴されるバングラデシュ製造業の実態を通じて、つぶさに学ぶことができた。今後、ASEANから、目立ったハイテク部門の分工場進出が起るようなことでもない限り、以上の点から、繊維産業がバングラデシュにおいてメインの輸出部門となることは今後しばらくは変わらないのかもしれない。
昼食会
工場視察後、BAASの経営者のご好意で、われわれは、ホテル近くの高級ベンガル料理レストランで遅い昼食を頂戴した。新しく開発されたGulshanというダッカの高級な地区に、大きな門にさえぎられて、奥まったところに建つレストランに、もちろんバングラデシュの一般庶民の姿はない。味は、さすがに洗練されて、素晴らしく美味だった。デザートに進めてくれたバングラデシュ風アイスクリームの味が、記憶に残った.。食事の後にNURANIが葉に包んで出された。バングラデシュの人々は、歯磨き代わりにこれを噛むようだ。これを筆者は丸ごと口に含んだのだが、あまりにも強烈な刺激だったので、吐き出してしまった。
BAASでは、独自のプログラムとして、コンピュータースクールを開設している。パソコンは財団法人 国際情報化協力センター(Center
of the International Cooperation for
Computerization)により寄付されたもので、50台はあったろうか。ノート型は東芝、デスクトップ型は韓国三星(Samsung)製、比較的新しい型を使用していた。パソコンの画面には、我々を歓迎するメッセージが表示されていた。しかし、日本の援助機関の同窓会であるが、Windowsは英語版のみである。ベンガル語版のWindowsはそもそも存在しないからここに無いのは当然としても、日本語版Windowsがインストールされたパソコンすら、全くなかった。また、インターネットに接続されている学生用パソコンは、1台もないという。そういえば、タイのバンコクならあらゆる街角にあるといってよいインターネットカフェもダッカにはなかなか見当たらず、まだインターネットが市民一般に普及するほどになっていないことに気づく。
初級レベルにおいてはWord, Excel、Power Point、上級レベルにおいてはVisual
Basic, UNIX などを教えている。だが、2ヶ月程度の短期プログラムのため 、PC能力向上には限界があり、ここから多くのITプログラミング技術者が輩出されるというわけには行かない。むしろ、草の根でユーザレベルにおけるPCスキル普及に重点をおいている、ということだろう。この点は、効率性や利益といったことに重きを置かない、従来のNGOのスタイルが現れているといえるのかもしれない。
修了式
本日はこのスクールで、約60人の100期生修了式が行われた。在バングラデシュ日本大使館から経済協力担当の杉野さんがゲストに招かれ、そしてわれらが水岡教授もチーフ・ゲストとして熱烈な歓迎を受けていた。水岡教授は草の根レベルでの交流におけるITの重要性について熱弁を振るわれ、参加していたAOTS職員の方々やスクール卒業生もしきりにうなずくなど、感動していた様子であった。そして水岡教授自ら卒業生に対し卒業証書を渡していた。
その後スクール卒業生と自由に会話をする機会を得た。彼らの多くは、将来コンピューター関連の仕事で生計を立てたいという希望をもっていた。中には、東京三菱銀行ダッカ支店に勤務し、仕事に必要だという理由で通っていた人もいた。アメリカやインドなど海外での就職、あるいは留学を希望する人が多い。ここでもコンピューター産業における人材海外流出の傾向が顕著であった。ただ、Visual Basicのスクールの卒業生にどれぐらい技能が向上したかを聞いたところ、あまりよくわかっていないらしく、これから大学で勉強すると言っていた。その他スポーツや文化や趣味などいろいろなことを話した。彼らは皆好奇心旺盛、社交的で、英語力も高く、どんどん話し掛けてきてくれるので、こちらとしては会話が続かず苦労するということはあまりなかった。
晩餐会
修了式の後、BAASのご好意で、同じ建物の中華料理レストランでの晩餐会に招かれた。日本の中華料理とはかなり違う味付けであったが、バングラデシュに着いてからもっぱらカレーだったわれわれには、良い気分転換となった。晩餐会では、BAASのフセイン代表が、バングラデシュのNGOのあり方について、BRACなどのように商業化して利益を追求するのではなく、草の根からの援助を続けるべきだとのと指摘をされた。また、日本の援助のあり方について、いくつもの手厳しい批判が出席者の間から出された。例えば、援助対象が依然として相手国政府中心であって、BAASやNGOのような団体に直接援助を行って効果をあげるという点において他の欧米諸国に大変立ち遅れている。また、援助プログラムが、すでに存在する経済部門に対するだけのステレオタイプ化したものとなっており、例えばバングラデシュならば輸出産業としてすでに実績在る縫製業だけを見てしまう。そもそもこの縫製業は、韓国企業が従来何もなかったところに興したものであったが、こうした韓国のような先見的・長期的方針は、日本にない。最近は、ODAの削減等の理由により、援助が中国など関係の深い国に偏る傾向があり、バングラデシュへの援助が減っていて、むしろバングラデシュでは、韓国のプレゼンスがより多く目立つようになってしまっている、などである。
AOTSの方々との夕食を済ませた帰り、ホテルまで今回多大な尽力をして下さったフセイン代表の車にと同乗することができ、そこでも意見交換ができた。まずAOTSによる研修活動については、日本からの援助の減少に伴い、AOTS研修生によるダッカ同窓会の活動も、大規模なものはできなくなっており、セミナー、各種学校の開催といった地道な活動にならざるを得ない状態であるという。だが、BRACをはじめとする巨大NGOがビジネス的な活動にシフトする中、AOTSは、独自の理念により、草の根からの活動を維持できているという点では、今後AOTSの活動の価値が高まっていくものと思われる。
最後に、失礼ながらAOTSの知名度が国内でどの程度なのかを聞いたところ、経済界では一目置かれる存在のようである。というのも、本日訪れた企業の社長などの例に見られるように、研修経験者が要職につくことが多いからであろう。研修というものは、一人一人から教育していくという、効果がすぐには現れない性質のものであるが、それは確実にバングラデシュの経済発展に寄与してきたのである。そして、研修を受けた技術者たちは、単に技術を持ち帰るだけでなく、日本での文化体験や日本人との交流の思い出なども持ち帰り、それが日本とバングラデシュの友好の橋渡しをしてきたことは疑いがない。このような人的交流がもっと拡大することを願ってやまない。