朝、旅費を支払いに旅行社へ



▽ナイジェリアで迎える初めての朝

6時半に起床した。朝食には、食パン2つにフルーツと紅茶が出てきた。 ロビーではCNNのニュースが流れ、グルジアで激化する戦況について報道している。 本日は朝、旅行社に旅費の残金を支払いに行き、その後鉄道局を訪問、昼食時にホテルに味の素(株)の現地法人の社長に来て頂きお話を伺った後、午後はJETRO訪問と、日程が詰まっている。

▽旅行会社にて、USドル建ての支払い

朝食を済ますと、迎えに来ていたガイド氏と共に、専用車に乗って、ビクトリア島の旅行社 First Dolphin Travels and Tours に手続きをしにいった。旅行会社は,Federal Palace Hotelの敷地の中に建てられた平屋建てのテラスハウスの一角で、隣にはお土産物屋が並んでいる。ホテルは営業しているものの、建設中の箇所もあり、あまり賑わってはいなかった。

旅費の支払いにおいて、現地の旅行社は、日本にいる時の事前に全額支払いを請求してきたが、リスクを考慮して、日本から半額を振込み、残りの半額を現地で支払うことを私たちは要請し、旅行社側からそれが受け入れられていた。旅行代金の学生の負担額は、宿泊費・飲食費・交通費・治安対策のための護衛費用などすべて含めて、3,000USドル強であった。

旅行代金は、USドル建てで支払うことになっている。現地通貨に信認が乏しい途上国では、ハード・カレンシーのドルがある種の貯蓄手段になっている。特に外国人からの高額な支払いの場合は、ドルが好まれる。外貨預金が制限されていることから、外国の上動産も貯蓄手段になっているようだ。旅行社の社長もロンドンに上動産を持っていて、頻繁に往来しているようであった。ここにも、旧植民地宗主国との結びつきがみられるが、英ポンドは、貯蓄手段の座から、もはやすべり落ちている。

私たちゼミ生のうち数吊は、ナイジェリアへのビザ申請に必要で、ビザ取得後に返還されたトラベラーズチェックを現金に換金せず、一部保有して持参してきた。しかし、ラゴス空港の両替所では、ナイジェリア貨幣のナイラにトラベラーズチェックを両替できるという情報があったものの、AMEXはだめで、トーマスクック社発行のものしか受け付けていなかった。ラゴス市内の金融機関では、いっさい両替できなかった。トラベラーズチェックを発行しているAmerican Expressのラゴスオフィスですら両替を拒否されたのは、驚きであった。

だが、旅行社では、交渉のおかげで、無事残りの代金をトラベラーズチェックで支払えることになった。しかし通常の必要記入事項以外にも、チェックの裏に署吊と一文を記し、さらには旅行社が取引している現地の銀行に対し手書きの文書を作成するよう求められるなど、非常に煩雑な手続きを要した。

日本での購入時、現金ドルよりもトラベラーズチェックの方が、レートが良く、いくらか金銭的な利益を得られたのだが、このような煩雑な手続きや、使えなかった時のリスクを考えると、現金持参またはウェスタン・ユニオンWestern Unionなどの電信送金による前払いなどの方が、手数料が若干割高であっても賢明である。

なお、クレジットカードによるキャッシングも、あまり使えるATMがなく、幸いあっても、アフリカでは、番号や暗証番号を盗み取られるリスクがあって、緊張を強いられる。結局、現金以外に選択肢が乏しいということであり、アフリカにおける旅費携行の上便さを痛感した。

トラベラーズチェックは事実上ほとんど使えないし、ATMもVISAやPlus、CitiBankなど国際的な金融ネットワークへのアクセスはまだできない状況である。ナイジェリアの金融業界には、銀行業務の国際化という課題が残っていると感じた。

▽高級ホテルの門前に横たわる、極貧の女性

旅行社のある高級ホテルを出ると、門の正面の中央分離帯に、女性の横たる姿が目撃された。寝ていると言うよりは、病気のせいなのか力尽きて動けなくなってしまったという感じである。既に亡くなっている可能性もある。40歳前後のようで、彼女の周りにはゴミ袋と糞便が落ちていて、周りの人間は見て見ぬ振りである。翌日、同じ場所に来たときも、光景は変わらず、彼女が横たわっていた。そして、3週間後に来たとき、彼女はもう、いなくなっていた。

彼女は一般市民の中でも最貧層にあたるのだろう。いったん病気になってしまえば、十分な治療を受けることは出来ず、助けてくれる人は、だれもいない。高級ホテルの前に力尽きた女性の身体――これは、異常な経済格差を感じさせる衝撃的な光景であった。

英国植民地の面影残る、鉄道局本部



私たちは。今日の最初のインタビュー先、半島部のラゴス湾に近い、エビュート・メッタEbute-Metta地区にある鉄道局に向かって出発した。半島部に行くにはビクトリア島からラゴス島に渡り、半島とラゴス島に架かる3つある橋の内の1つを渡らなければならない。私たちは、昨日と同様、70年代に建設されたイコ橋 Eko Bridgeを通った。

途中に、柵で囲まれたグリーンゾーンというエリアが交差点の真ん中にあり、中でボランティアの人たちが雑草を除去したり、種を植えたりしている。ガイド氏いわく、州政府の活動で、緑を増やそうとしているのだそうだ。ラゴスは道路を見渡せば車だらけだが、高架橋の下に畑があったりするなど、たまに緑化エリアも見つけることができる。

カノからラゴスに至る鉄道の終着点は、旅客はイド(iddo)地区、貨物は更に南のアパパ(Apapa)港、にある。だが、 鉄道局(Nigerian Railway Corporation, NRC) の事務所、整備場などは訪問するエビュート・メッタ(Ebute Metta)地区に集積している。

▽植民地時代から残る建物の建築様式

NRCの巨大な敷地に入る門をくぐると、すぐに事務所があった。建物の隣にはヤギが歩いていて、ゆったりとした空気が流れている。ならんでいる建物のほとんどは、植民地時代から残るもので、独立以降、投資から取り残された印象を受ける。

ナイジェリアにあるイギリス植民地時代の建物の様式は、インドにあるような植民地政府の威厳を感じさせる様式に比べると、外見よりは熱帯の気候に合うような機能性を重視したものが多い。 屋根は大きく斜めになっており、柱を外側に配して、風通しがよいように、バルコニーのような廊下がある。バルコニーの廊下は、世界中のイギリス植民地にはどこでも見られる特徴的な様式だ。ラゴスでは政府機関の建物は植民地時代から建てられているものが多く、近似した建物を、ラゴス島やビクトリア島でもよく見かける。

ナイジェリアにあるイギリス植民地時代の建物の様式は、インドにあるような植民地政府の威厳を感じさせる様式に比べると、外見よりは熱帯の気候に合うような機能性を重視したものが多い。屋根は大きく斜めになっており、柱を外側に配して、風通しがよいように、バルコニーのような廊下がある。バルコニーの廊下は、世界中のイギリス植民地にはどこでも見られる特徴的な様式だ。ラゴスでは政府機関の建物は植民地時代から建てられているものが多く、近似した建物を、ラゴス島やビクトリア島でもよく見かける。





▽NRCの職員とインタビュー
用意された部屋は2階で、植民地時代からの建物特有のバルコニーを歩き中へ入った。応接室で待った後、会議室に通され、6人の職員と対面し、殆ど機能していないNRCの現状や課題について話を聞いた。

【インタビューの内容は、 コラム「西アフリカの鉄道《を参照】




▽ぶらぶらしている作業員、車輌の廃墟――車輌工場の視察

インタビューが終わると、職員に車輌工場の視察に連れて行ってもらった。車輌工場に行くまでの間に、鉄道の歴史について展示しているという博物館があった。訪問しようとしたが今はやっていないそうだ。

NRCの敷地内には植民地時代の建築様式の建物もいくつか残っている。かつては、英国人の鉄道高級職員の住宅だったのであろう。いまでも、高級職員住宅などとして使われているそうだ。

敷地内を10分くらい行くと線路が2本並行していて、車で渡れるようになっていた。その上には腕木式信号機があった。日本にかつてあったのと同じ型のもので、日本もナイジェリアも、鉄道技術の源流は英国にあることを物語っている。だが、今は機能していないという。線路の隣には車両置き場があり、そこから中に入れた。

私たちが訪問した建物は全部で3つある。これは、そのうち一番小さいもので、ここでは運行された後、次の運行に備えて簡単なメンテナンスをするのだ そうだ。車庫は植民地時代にイギリスが作ったものである。

中には合衆国製という緑のディーゼル機関車が一台あり、後ろには貨車が連なっていた。NRC発行の冊子Facts and Figuresによると、機関車は、中国製、合衆国の ゼネラル・モーターズ社製やゼネラル・エレクトリック社製、ドイツのヘンシェル社製、カナダのMLW製、日本の日立製などの購入履歴がある。

車庫の更に奥には中国から1994年に得たという機関車があった。だがこれは、いま使われていないという。現在の問題点は、資金上足による スペアパーツの上足だ。機関車が多くの国から来ていて、一つのサイズに標準化されていないことが、原因の一つだろう。

たむろしている整備員が6、7人ほどいて、多くは若い見習い工であった。彼らは、仕事自体がないのか、ぶらぶらしていて、集中して仕事に取り組んでいるようには見えない。ここの車庫に配属されているのは100人程だそうで、彼らは中学を卒業した後、職業専門学校に行き、NRCに雇われている。見習い工を新規採用していることからすれば、一応鉄道技術の継承は行われているようである。


2つ目の作業所へと車で移動した。移動する途中に、使われなくなり、草むらに放置された多くの客車や貨車があった。風雨に晒され錆びて、車体の中からも草が生えている。その無惨な姿は、ナイジェリアの鉄道の現在の姿を可視化しているようだった。メンテナンス上良で使えなくなってしまったのなら、かなりもったいない。 そしてその近くの草むらには、放し飼いになっている馬がのんびり歩いている。日本の鉄道会社の敷地にはありえない光景だ。

2つ目の建物は、1つ目に比べればかなり大きく、 長方形型になっている。こでは、機関車の作業が中心に行われている。作業用Sに地面が掘ってあるレールがある作業ラインが平行しており、各列に様々な部品が置いてある。例えば”BOGIE SHOP”という看板の下では、車輪のパーツの作業をしていた。

各作業所には、労働者が4、5人単位でいて、作業を行っている。しかしてきぱきと働いているようには見えず、1,2人が作業していて、 周りは見ているという情景が多かった。

2つ目の作業所を出て3つ目の作業所へ向かった。3つ目の作業所は2つ目の作業所と同様の作りをしていた。ここでは機関車より客車や貨車の数が多かった。 奥に置いてある客車のいくつかに入ることができた。寝台つきのコンパートメントに分かれた車両、コンロが付いている車両、洗面台と風呂が付いている車両、ナイジェリアの国旗の色である緑と白のリボンで車内が装飾されてソファーが置いてある高級車両、通路を真ん中に左右 2列ごとに座席を配している一般車両、など様々な車両の中に入ることができた。

一部の車両は薄暗く、ゴミが散乱していたため、かなり長い間使っていないのかと我々は思い込んでしまったが、職員に聞くと1週間前に使ったという。一同、思わず驚いてしまった。

全ての客車というわけではないが、 多くは緑地に白のラインが入った外装となっていて、NRCのロゴが入っていた。数種類あるロゴの1つは、客車を前から見た構図に、Nigerian Railway Corporationと描かれている。だが、一様に印刷されたものではなく、稚拙な手描きで描かれているものもあった。車輌工場の横にはNNPCというナイジェリアの国営石油会社の文字が入った、石油輸送車両が並んでいた。

ナイジェリアの鉄道の現在の運営状況からすれば、これだけの車輌工場がまだ一応機能していることが、むしろ驚きであった。打ち棄てられた車輌群は、ナイジェリアの鉄道インフラに対する無策な投資の放棄を如実に物語っている。とはいえ、一応これだけの工場と技術者がいまなお存在しているのだから、適切な復興プログラムが実行されさえすれば、ナイジェリアの鉄道には、まだまだ可能性があるようにも思われた。

インタビューした本社事務所の前に戻り、職員の人たちと別れの挨拶を交わし、次のインタビューを行うホテルに急いだ。

地元にしっかり根付く、味の素(株)現地法人



昼食時は、味の素(株)の現地販売会社であるWest African Seasoningの代表の林さんに、私たちのホテルの部屋にてインタビューをしった。味の素(株)の西アフリカでの営業活動のみならず、林さんから見た様々なアフリカ経済・社会に対するご意見も伺うことができた。

▽ギッフェン財の市場を途上国に!

日本をはじめ先進諸国では、所得向上に反比例するように、「うま味調味料《グルタミン酸ナトリウム(MSG)の市場が縮小傾向に向かってきた。食材の自然さを生かす動きが強まり、かつて「化学調味料《と呼ばれたこともあるグルタミン酸ナトリウムが、人工的だとして敬遠されるようになってきたのだ。グルタミン酸ナトリウムが一種の「ギッフェン財《的状況におかれるなか、海外に市場を求めていかなければならないという要因も後押しし、味の素(株)は、積極的な海外展開を行っている。 現に味の素(株)は、アメリカ、フランス、マレーシア、インドネシア、フィリピン、タイ、ベトナム、ブラジル、ペルーなど、世界各地に進出していて、中国には加工食品の工場がある。こうした世界にまたがる状況の中で、アフリカにも目が行くことは当然の成り行きだった、と林さんは話を始められた。

アフリカ全体を見渡した時、東アフリカは、中東を基点とした物流が活発なイスラム貿易圏の内部にあるため、直接販売しなくても、味の素(株)の製品が流れている。一方西アフリカには、東洋のものがあまり入ってきづらい環境がある。歴史的にみてみると、北部から来たイスラム文化と、沿岸部から来たカトリック文化が存在している。そのため西洋系の製品はまだ入ってくるが東洋系の製品が入ってきづらい。 西アフリカ内部で見れば、ナイジェリアは最も市場が大きく、人口は1億6千万人近くである。(統計上は1億4千万人。) 他の要因として、英語が使える点、治安は悪いものの軍隊が強いことで政治思想の問題に巻き込まれづらい点、といった進出するに当たっての好条件が揃っていた。更に中国製の近似製品が進出していることから、市場性ありと判断できた。

▽海外でのビジネスの始め方と拡大戦略

しかし、市場性がありと判断したところで、実際にどうやって商品を供給するかという困難が存在する。味の素(株)は、土地の購入など外資系企業には難しい手続きをやりやすくするため、最初に現地のパートナーを見つける。このパートナーに求めることは、国際的な契約をする能力があるかどうかで、その際判断材料になるのが、資金力だそうだ。資金力があれば、途中で裏切られるというリスクも減る。

まず最初に貿易事務所を作り、情報を集めつつ、パートナーが信頼できると判断するなど、必要な準備を整える。その上で、製造に移る。もっとも、ナイジェリアでは、ブラジルと東南アジアで生産したグルタミン酸ナトリウムをトン単位のバルクでナイジェリアに輸入し、工場で、現地調達した包材に、ナイジェリアの消費者向けに小分けに包装しなおして小売の流通に流しているだけであり、原料の生産は行っていない。

そこで私たちは、原料生産まで事業拡張の可能性を伺ってみた。すると、物価の大幅な変動のリスクがあるという答えがかえってきた。この半年だけでも世界中の物価は大きく変動している。こうした状況の中で、ナイジェリアのような一般消費者の購買力の低いところでは、増加したコストを消費者にすべて転嫁できない。そのため、ここ数年の物価が安定しない間は、多角化や原料の現地生産化などの事業拡大に対して慎重な姿勢を取っているということだ。

▽途上国の未熟なインフラ

途上国においては、十分なインフラが整備されていない場合もある。ラゴスの場合、最大の港であるアパパ港の容量が足りない。輸入貨物量が上昇する一方なのに、保管敷地面積や運搬機器、管理システムがそれに追いついていない。午後にお話を伺うJETROの志釜さんも、アパパ港は物理的な限界を超えていて非効率であり、海には港に入るのを待っている船、陸には荷積みを待つトラックが多く滞留している状況だとおっしゃっていた。この状況は、味の素(株)に財政的に大きな影響を与える。アパパ港の状況改善は、ラゴス経済基盤向上のためにも必要上可欠なことである。こうした問題を解決するため、アパパ港改良事業に日本のODAを向けることに、味の素鰍ヘ、積極的に貢献している。

▽West African Seasoningの企業活動

West African Seasoningは1991年、グルタミン酸ナトリウムの生産・販売会社である、フランス系企業のオルサン株式会社(Orsan)と味の素(株)との合弁会社という形で作られた。当初、株式は味の素(株)とオルサンが50%ずつ所有していたが、1993年に味の素(株)が100%所有することになった。ちなみに、 味の素(株)の発表 によると、2002年にオルサン株式会社自体も味の素(株)の支配下に入っている。West African Seasoningが現在販売している商品の種類は、グルタミン酸ナトリウム1種類のみだそうだ(右上写真、カノのマーケットにて発見)。しかし今後多角化の必要性を感じると林さんはおっしゃっていた。2007年は年間100億円の売り上げに達し、販売量は36000tに上ったという。売り上げのうち90%強がナイジェリアで、残りは周辺諸国にも販売している。

▽販売形式

商社を通さず、メーカーが市場に直接販売するやりかたは、日本企業としてはまれに見る販売形式である。ただし、一般消費者に対して直接販売することはなく、売り上げは、小売業者に対する売り上げが半分、現地の卸売業者(ディストリビューター)に対する売り上げが半分を構成している。日本のような大きな問屋さんを経由する商品の流通システムが成り立たない点が、日本と根本的に異なる。

小売業者に対する販売について、営業活動は地道に一店一店回ることから始める。購入してくれると判断したところには、丁寧に足を運ぶ。そのために、販売担当は250吊も現地の人を雇っている。

最初の1週間は買ってくれても200ナイラか300ナイラ程度である。やがて、1ケース、1,5ケースと、買ってもらう量を徐々に増やしていく。ある段階にいくと、小売業者側から、もっと仕入れたいという要望が出るようになる。安定的な販売地域と認定できるようになれば、小売業者に直接販売していく方針から、その地域を管轄する卸売業者を育成していく方針へと変えていく。

売り上げの残り半分を占める卸売業者は、主に穀物を扱い、最近はスパゲティも扱っているような業者である。彼らは独自のお客さんを持っているが、お客さんへのデリバリーサービスはしていない。構えている店に客の方から買いに来る。販売効率は小売業者よりも良くなるので、小売業者よりも有利な条件で取引する場合もあるという。ただし、バルクで販売してしまうと、商品の性質上管理が難しくなってしまうので、大きくてもカートン単位での販売だという。

その、ドブ板を踏むような地元に密着した市場拡張の活動には、うかがっていて頭の下がる思いがした。

▽他社との競争関係

「味の素《に、競合商品は多数存在する。グルタミン酸ナトリウムというのは、サトウキビなどの原料、電力、アンモニアがあれば比較的簡単に製造することができる。味の素(株)はいくつかの製法に対して特許を持っているが、その製法を使わなくても、他の製法で近似品を製造できることから、参入の技術的なハードルが低いという。 競合他社の中でも、スイスのネスレは強敵である。日本では、インスタントコーヒーや、受験生に人気のキットカットの会社として認識されやすいネスレであるが、世界的にはスープやブイヨンの部門の方がコーヒーよりも大きく、ナイジェリアのみならず世界各地で「マギー《のブランドを構築している。調味料市場においては、ブランド構築が、市場確保において欠かせない。多国籍企業の積極的な海外進出を考える上で、このブランド構築という点は重要であり、味の素(株)は、ナイジェリアにおいても、10年以上前に、ブランドごとの陣取り合戦にいち早く参入するため進出したのである。

価格に関しては、中国製品が安い。ナイジェリアでは全ての価格が5ナイラ単位に切り下げ、又は切り上げが行われるため、5ナイラごとの価格設定しかできない。味の素(株)の製品も中国製製品も5ナイラから買うことができるが、1商品当たりの量が中国製製品の方が多い。ただし、中国製製品はしょっぱいという評判があるそうだ。 調味料という同じ機能ながら、スープないしブイヨンのかたちで多彩な味付けのものを販売しているネスレ、そして単位重量あたり価格の安さで競争力を誇る中国製を向こうにまわし市場展開をすすめていくには、大変な努力が必要であろう。その困難にあえてアフリカの地で挑戦している企業家精神に、私たちは感銘を覚えた。

▽イスラム系に好まれる、うまみ系の「味の素《

売っている商品は西アフリカでは一律であるが、ナイジェリアの宗教分布、民族分布は地域によって異なるため、売り上げに関して地域的な傾向がある。ナイジェリアは大きく南北に分けられ、南部は西洋人とともに伝来したキリスト教文化の影響を大きく受けている。そのため、南部にはユニリーバやネスレの商品が自然と入ってきた。しかも、南部の住民が好む肉系の食事にはフレーバー系の調味料の方が、相性がいい。一方北部には、ナイジェリアの人口の半分を占めているイスラム教徒が多く住み、米や川魚を好む。こうした料理にはうまみ系の「味の素《の商品の方が、相性が良いそうだ。(写真は北部の街、9月10日マイドゥグリにて発見された路上広告。同様の広告は8月31日にロコジャでも発見された。)

だが、北部は南部とは違う文化圏ができていて、ハウサ語やアラビア語が主に話され、公用語の英語が使えないときもある。北部のお客さんをラゴスに招待しても、冗談でラゴスなんて違う国だ、などといってしまうそうである。このため、北部用に、ハウサ語の宣伝パンフレットを特別に用意している。 ナイジェリアはいずれ、インドネシアを抜き、世界一のイスラム教国になると言われている。この状況は、味の素(株)に有利な状況に違いない。

▽現地社員とローカルな人事システム

これだけの経営活動をやっていながら、日本人社員は4吊しかいない。代表を務める林さん以外に、販売担当、工場技術担当、製品開発担当の3人が派遣されている。とりわけ工業技術と製品開発に関しては、日本に現地起こっていることを伝え、解決策をもらうなど、日本との連携を取るシーンがあり、将来的にも日本人社員の必要性が高いということであった。

これに対し、現地社員は約550名。そのうち臨時社員含む生産担当が約250名、本社勤務が約100名、販売担当が約200名という内訳である。市場だけでなく、雇用面でも、大幅な現地化が進んでいるということだ。

人事の現地化に伴って一番大変なのは、複雑な民族関係だ。時には「あの民族にだけ上公平じゃないか《といった意見も出るのだそうだ。日本人には顔を見ただけでは、どの民族だと判断することはできないが、ナイジェリア人同士であれば、民族を判別できる。民族対立の問題は、過去の歴史とも関わってきて、うちの民族は過去にあの民族に殺されたという遺恨も時にはあるのだそうだ。このような民族対立の問題は社内でも発生しかねない。

ここで重要な日本人社員の機能は、いかなる民族からも中立的であることだ。上述したような民族絡みの問題において、中立性は欠かせないものになるであろう。 ちなみに法律上、入社する際に民族を聞くことはできないが、仮に民族をいかに考慮しようとしたとしても、民族を理由とした上満は必ずや発生するので、結局、人事評価システムをしっかりさせることで解決しようとしているそうだ。

他には、AIDSの問題もある。入社の際、必ずAIDSについて調べないといけないが、その結果を知ることができるのは、社内では社長と総務部長のみで、他者には当然漏らしてはいけないし、それを理由に解雇してもいけない。

100名もいる本社勤務社員の半分以上は、治安対策としてのセキュリティー関係者ということであり、治安に対しては出費を惜しまないというのが会社の方針である。 人事に関して、現地の幹部社員の育成についても話が及んだ。多国籍企業が世界的に展開するために上可欠なのは人材と人脈である。後者の人脈はお金を使えばできるという。しかし前者の人材はそう簡単には行かず、日本企業が当たっている壁なのではないかとおっしゃっていた。

お話によると、ある外国の多国籍企業では、新たな国に進出するため、その国に10人のオランダ人を派遣する際、同数のナイジェリア人を他の国にばらまくという。派遣されたナイジェリア人に派遣先で企業文化・慣習・ノウハウを、実務を通して学ばせると同時に、サクセス体験を積ませる。数年後、彼らを出身国に戻し幹部社員に起用したり、適した国で実務にあたらせたりするのだそうだ。ネスレにも、同様の国際的な人事システムが存在しているという。

現地法人なのだから、現地のナイジェリア人を現地で使うのは当たり前であるが、出身国を中心にしたものにとどまることなく、世界中を網の目にした、一歩先の国際的な人事システムを構築していくことが課題である、とおっしゃっていた。味の素(株)も、これに率先して取り組むつもりのようだ。

また、ある化学メーカーは日本でアフリカ人を採用しており、国際的な人材システムの構築に挑んでいる会社もあるという。だが、こうした例は、日系企業には珍しいというのが実際のところである。

ただし、日本企業の人材を国際化するためには、日本の法制度の壁もある、というご指摘があった。人権などに関わる多くの手続きが必要なこともあるし、年金システムも上利であったりする。企業だけでなく政府も取り組んでいかなければならない問題である。

▽渡辺製菓ジュースの素の失敗

味の素鰍フ海外進出を後押しする一要因には、国内におけるギッフェン財であるグルタミン酸ナトリウム市場の縮小と、いったものがあったであろう。だが、それは自動的には訪れない。時代の変化に飲み込まれてしまい、ギッフェン財による国内市場衰退を海外でカバーしきれないまま、経営危機に陥り、廃業・身売りを迫られた企業は数知れない。

1960年代まで、日本で粉末ジュースを生産し、1杯5円の低価格をウリにして繁盛していた渡辺製菓はその好例であろう。海外では、「TANG」のブランドで、合衆国の食品多国籍企業であるクラフト社とその子会社が、いまも粉末ジュースを製造・販売している。海外ならば市場はあるのだ。それゆえ、渡辺製菓も、1970年代以降、日本では、市民の所得向上とともに、ビン入りコーラ飲料などに押されて需要が衰退し始めたとき、積極的な海外展開を図っていれば、渡辺製菓にも、違った企業発展の可能性があったであろう。

この点、味の素鰍ェ、危機に備えて、アフリカにまで多角化や海外展開を積極的に図っている姿勢はたいへんに素晴らしい。しかも、商社を通さずに、現地のパートナーを独自に選定しながら、現地に根を張る形で浸透していっている。こうした海外への事業拡大戦略は、他の日本企業にはなかなか類を見ないものである。私たちは、味の素(株)の、地元との関係を強化しつつ積極的な海外展開をすすめているチャレンジングな経営姿勢に対して、かなりの好印象を抱いた。

オイルマネーが活かしきれないナイジェリア**JETRO



林さんのお話を伺った後、私たちは専用車でホテルを出て、ビクトリア島にあるJETROの事務所に向かった。ビクトリア島に入ると、海外の銀行、オフィスなどが立ち並んでいる。向かう途中、合衆国シティバンクのナイジェリア現地法人本社横を通りかかった。そのビルは、まるで要塞のようで、頑強な警備が敷かれていた。前日に教授が訪れた際、警備員が厳重に管理する門を通過した後、建物の周りを歩かされ、更に窓口のある建物内に入る時、空港で行われるのとおなじセキュリティ検査があって、金属系統のものを全て外させられたそうだ。

やがて、JETROの事務所に到着した。事務所も堅固な壁に囲まれていて、警備員に中に通してもらった。JETROの車は大使館ナンバーになっていた。現地職員の方に案内され、約束の16時までブリーフィングして頂く部屋で待たせて頂いた。

2007年の7月からナイジェリア事務所に赴任されている志釜研作氏に作成していただいたレジュメに沿って、ところどころ質問を交えつつブリーフィングして頂いた。

ブリーフィングして頂いた内容は
【インタビューの内容は、 コラム「?金融危機前後のナイジェリア経済」を参照】

ニ重経済の上の世界*高所得者向けスーパー



JETROを出発して、レバノン僑がやっている高所得者向けスーパー「グッディーズ(goodies)」を視察することとなった。JETROの事務所から5分程の場所ですぐに到着した。この近くは、二重経済の上層を構成する外国人も住む住宅地区であり、その需要をにらんでこのような高級スーパーが立地している。

私たちの専用車を近くの道端に止めると、物売りや乞食が車に近づいてきた。物売りの中でも、携帯電話のプリペイド・カードを売っているものが目立った。JETROの志釜所長曰く、通信部門の成長は主に携帯電話で、2008年5月末時点で約5000万件の契約があり、その数はアフリカでは圧倒的1位だそうだ。1人で2、3台持っているケースもあるという。 高所得者向けスーパーというだけあって、店前に座り込む乞食も多い。私たちは、彼らを無視して、店の門をくぐったのだが、乞食が多いということは、ここで乞食に恵む人もかなりいるということだろう。つまり、この高級スーパー前の空間は、二重経済の上層と下層とをつなげる、所得再分配の機能をインフォーマルに果す場所となっている。

高級スーパーとはいえ、店内はいわゆる欧米にあるごく一般的なスーパーといった感じである。1階は、食品売り場になっている。広い店内に、棚の列が何列かできていて、調味料の棚、缶詰の棚といった感じで分かれており、壁沿いには野菜コーナーや、ハムコーナーなどが設置されている。

ただし、価格は高めだ。コーラの瓶は12本で1320ナイラ(約1190円)、ネスレのマギーキューブは8g×50個入りで390ナイラ(約350円)であった。合衆国から輸入のアイスクリームは、1パイント(473ml)入りパッケージで、1,250 ナイラもした。約1,125円というのは、日本に比べても非常に高価である。しかし、それでも販売されているということは、これを買ってゆく人がいるということだ。顧客層は高所得者層のみだが、人種は様々でナイジェリア人、レバノン人、白人などであった。ナイジェリア人と思しき黒人も1階のカフェで談笑するレバノン系の人達や白人の親子連れを見つけた。

味の素(株)の林さんのお話では、レバノン僑はスーパーや、港の荷揚げなど商業資本で存在感を示している。レバノン人経営のためか、棚には、アラビア語で書いた商品が目に付く。多くの商品は、中東経由で仕入れられているに違いない。

グッディーズは2階建てになっており、2階はテレビ、冷蔵庫などの電化製品、雑貨、衣?などが扱われ、薬を扱っているコーナーもある。テレビの価格はシャープの37インチのテレビが27万ナイラ(約24万5千円)、LGの同じサイズのテレビが24万ナイラ(21万5千円)であった。日本の電気量販店のように、各商品の特性が書いてある紙が貼ってあるわけではなく、単にメーカーと値段が書いた小さな紙が貼ってあるだけだ。商品に詳しい店員が、すぐそばにいるわけでもない、商品の差別化はあまり図られておらず、全部同じように見える。

このように、グッディーズは、二重経済の上層に属する人々の、購買活動の拠点である。これに対し、下層に属する一般のナイジェリア市民は、26日にみたような、固定商店施設を持たない野外の市場で購買活動をする。二重経済は、このような、たがいに隔絶され、空間的に分断された複数の異なる消費の場を、アフリカの都市ラゴスにつくりだしているわけだ。

ホテルへ戻り、感想を交えつつ夕食



▽美術館と同系列のBogobiri House

一部のゼミメンバーなどがお菓子などを買い、われわれはホテルに戻った。今日は早めにスケジュールが終わったので、各自ホテルでゆっくりすることができた。夕食は教授とゼミ生1人が泊まっている一番大きな部屋でとることになった。夕食はステーキや羊カレー、海老料理などを頼んだが、たいてい唐辛子の調味料を使っており、いずれの料理も激辛である。

▽本日の感想、抱いていたイメージとそのギャップ

夕食では、インタビューして伺った話を振り返りつつ、みんなが抱いていた感想を共有し、再確認することとなった。全員が共通して抱いていた感想は、以下のようなものだ。

ナイジェリアの経済状況に関して、日本にいるときは、原油高による富の流入、高い経済成長率などにおされて、楽観的なイメージもあった。しかし、現在の状況は、輸出経済基盤を石油に依存しすぎた、かなり足腰の弱い金融バブル経済である。足腰の弱さとは、主に鉄道に対する政府の姿勢や電力問題にみられる、インフラ整備における深刻な欠陥や、着実な製造業の発展が乏しいということである。金融経済のバブリーな成長は、二重経済の上層部をより富裕にさせたかもしれないが、下層にその富が流出する回路は細く、2重経済構造は是正され難い。深刻な二重経済は犯罪を助長し、治安の改善も難しい。

日本から見えていたポジティブなナイジェリア像とは裏腹に、ネガティブな一面も鮮明に見えてきて、得るものの多い一日であった。食事を終えると、各自の部屋に解散した。


(下野 皓平)

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