1−1、金融危機発生直後の楽観的観測
2008年9月にリーマン・ショックが発生して数ヶ月の間、ナイジェリアは 国際的な金融市場に組み込まれていないという理由付けで、金融危機の影響は少ないという意見が根強く存在していた。例えば、JETROは、同年10月末に発表した記事において、国内の金融機関関係者や政府高官の声、有力新聞社の意見として、「国内金融セクターに対しては大した影響がないとする見方が多い」と報じている[1]。
1−2、金融危機後の対ドル・ナイラ安と株価下落
しかし、2008年11月後半から、金融危機がナイジェリアへ与えた影響は顕在化し始める。通貨ナイラはリーマン・ショック以後も、11月後半まで米ドル1ドルに対して、約120ナイラで落ち着いていたが、11月後半から1月半ばにかけて対米ドルで約120ナイラから150ナイラまで値を大きく下げる結果となった。ナイラの通貨価値は対ドルで、2009年6月現在150ナイラ前後のナイラ安で安定している。(図1参照)
図1 為替レート[2]
株式市場も同様に大きな影響を受けた。ナイジェリア株式市場の全株指数は、過去最高値66,371ナイラを記録した2008年3月5日からリーマン・ショックの起きた9月まで下降傾向にあった。しかし、その勢いは下げ止まらず、2009年3月末に20,000ナイラを切ったところで底打ちするまで、下降し続けた。そこから持ち直したが2009年7月現在、
20,000ナイラ台を前後している。(図2参照)
図2 ナイジェリア全株指数チャート[3]
ナイジェリア経済は、原油に大きく依存している。貿易収入に占める石油の割合は1990年代には約95%であり、2006年度は5兆6000億ナイラの石油輸出収入があって、それは輸出総収入の98%弱にあたる。また、2003年にはGDPの20〜40%、歳入の65%を石油関連で占めている[4]。
従って、原油価格が145ナイラから45ナイラまで、約4ヶ月の間に大きく下落したことが、マクロ経済に打撃を及ぼすことは必然であった。国内の金融システムの国際化の進行具合は問題でなく、投機的な原油取引によってナイジェリア経済がグローバルなマーケットとリンクしている以上、金融危機の影響は不可避であった。
図3 軽質油の価格推移[5]
以下では、金融危機以前のナイジェリア経済を概観した上で、政府と石油生産、並びにネオリベラリズムに特徴的な世界的短期資金の流出入の関係についても言及しながら、今後のナイジェリアの経済・政治の方向について検討する。
[1]exchange-rates.org 2009年6月5日閲覧
[2]Oanda.comで提供される数値データを加工した
[3]Bloomberg.com 2009年7月15日閲覧
[4]Roy Cole, H.J.de Blij,Survey of Subsaharan Africa: A Regional Geography, Oxford University Press, 2007, pp.322
[5]futuresource.com 2009年7月15日閲覧
2−1、金融危機以前のナイジェリアのマクロ経済
2−1−1、好調だった経済成長
金融危機直前、2008年の8月後半から9月半ばにかけて私たちがナイジェリアを訪問した際、ナイジェリアは高い経済成長の中にあった。ジェトロ作成の資料[1]には
「ナイジェリア中央銀行によれば、2008年第1四半期の実質GDP成長率は6.49%、IMFも2008年実質GDP成長率を6.3%と予測しており、依然ナイジェリアは高い成長率を記録すると予想されている。」
「07年にそれぞれGDP成長率で金融部門が5.01%、建設部門が13.02%、通信部門が32.84%の伸びを記録するなど好調だ。」
と、楽観的見通しが記されていた。金融危機以前に作成されたこの資料からは、ナイジェリア経済の好調ぶりが読み取れる。金融部門の成長率は、2005年12月に行われた最低資本金の引き上げなどの金融改革の成果であり、この過程で、ナイジェリアの民間金融機関は、90行から24行に再編された[2]。
特に伸び率の高い通信部門の成長率は、携帯電話の契約者増に支えられていた。2008年5月末で約4960万件の契約数に達しており、同年10月末には南アフリカを抜き、アフリカ一の携帯電話大国に至っていた[3]。
2−1−2経済成長を支える市場のキャパシティと石油収入
好調な成長の背景には、ナイジェリアが約1億4800万人(2007 年、国連予測[4])というアフリカ最大の人口を有することによる、大きな国内需要のキャパシティが挙げられる。味の素株式会社のナイジェリア現地法人であるウエスト・アフリカン・シーズニング社(West African Seasoning Co. LTD)の林社長は我々が行ったインタビュー[5]で、海外進出を図る際にナイジェリアを選んだ理由を「ナイジェリアは西アフリカ内部で見れば最も市場が大きい。他の要因として、英語が使える点、治安は悪いものの軍隊が強いことで政治思想の問題に巻き込まれづらい点、といった進出するに当たっての好条件がそろっている」と述べている。
また、ナイジェリアでは石油価格の高騰によって石油収入が増え、外貨準備が高くなった。志釜所長の作成した資料によると、外貨準備高は2008年5月末時点で、591億8千万ドルとなっている[6]。ナイジェリアで採掘される原油はボディライトと呼ばれる種類であり、異物混入が少なくエネルギー加工率が高いことからサウジアラビアの重質油よりも品質が良いとされ、需要が高い[7]。こうしたことから、石油はナイジェリアの基幹産業となってきた。冒頭に述べたように、ナイジェリアのマクロ経済は、石油への依存度が高い。それゆえ、石油価格の高騰はそのまま直接ナイジェリアの経済発展に貢献したと言える。
2−1−3、バブル経済としての側面―不動産投機とインフレの進行―
しかし、好調なナイジェリア経済は、バブル経済の投機的な側面を強め、インフレを加速させた。
私たちが現地を視察した頃は、都市の郊外の至る所に、投機目的のほとんどだれも住んでいない住宅を見つけることができた。また、地元銀行は、地方都市に至るまで、きわめて立派な支店の建物を新築していた。ジェトロ・ラゴス事務所の志釜所長は、私たちが8月末に行ったインタビューにおいて、「2008年9月時点でナイジェリアのインフレ率は10%台後半であり、政策金利は10.25%、個人向けローン金利は17.18%、預金金利は10%である。中央銀行は4回ほど金利を引き上げたそうだが、インフレ率を考慮すれば、金融引き締めの効果はない。」と語った[8]。2008年の4月、5月になって、地元市場の物価も上がったという。例えば、水道水をビニールの小袋につめて売られているピュア・ウォーターと呼ばれる水は、5ナイラから10ナイラに価格が上昇、小麦、米、セメントは5割増しから10割り増しに上昇、バイクタクシーの運賃も値上がりした[9]。
2−2、金融危機の影響が大きかった背景―ナイジェリア経済の構造的脆弱性―
2―2―1 石油依存の財政と貿易
既述の通り、ナイジェリア経済は大幅に石油産業に依存する形で成り立っていて、それ以外の税収基盤が極めて脆弱であったことを意味する。ナイジェリアは2007年2月1日時点でOPECから日量約216万バレルの生産割り当てを受けており、原油価格の下落を増産で埋め合わせることができないので、価格下落は即座に貿易収支の悪化を招く[10]。グローバルな石油への投機が、ナイジェリアのマクロ経済に直結しているのである。
2−2−2 肥大化し非効率的な官僚機構
ナイジェリアの行政組織、予算を運用する事業官庁は、その効率性において問題視されてきた。ナイジェリアの閣僚数は43名に上る[11]。各省庁は巨大な官僚機構を抱えており、政府関係機関、公企業も多数存在している。好景気で膨張する財源を主要課題に適切に配分しなければならないのだが、巨大な行政組織による効率の悪い運用がそれを妨げてきた。縦割りの発想から抜けきれない省庁体制は新たな課題への対応の点でも柔軟性を欠く。この点がまさに今回の金融危機における対応に影響してきたと言える。
2−2−3 外貨準備増大がもたらした、通貨供給増大とバブル経済
ナイジェリアでは増大した石油収入で、外貨準備が増えた。外貨準備は中央銀行が民間から米ドルを吸い取ることで積み上げられる、ナイジェリアにおいては、外国からの貿易収入や投資で流入した外貨の一定比率を中央銀行が吸い上げることが法律で定められている。これは、ナイジェリアの中央銀行が、自国通貨の価値の裏付けのために米ドルやユーロなどのハード・カレンシーの準備を必要とするからである。諸国の通貨は平等ではなく、グローバルな経済格差の中で位置づけられている。
米ドルをナイラと引き換えに買い上げるのであるから、その分ナイラが市場に供給される。こうしたことを背景に、ナイラは市場で供給過剰状態となり、過大な通貨供給に牽引されてインフレが生じたり、その資金が投機に回ったりした。石油収入の増大は、バブル経済という不安定な投機による経済成長をもたらしたことは、ナイジェリアのナイラが諸国通貨のグローバルな階層性において未だに下位に位置づけられていることが原因であったと言える。
2−2−4 短期資金の流入
このようなナイジェリアのバブル的な経済成長は、グローバルに跋扈する短期資金をナイジェリアに呼び込んだ。短期資金は、流入も容易であるが引き揚げることも容易であり、しかも流入するときは、市場ではやされてバンドワゴン的に過剰に流入する。金融危機以前、グローバルな金融市場においては、ハイ・リターンの投資先が探し求められ、仮にその投資先がハイ・リスクであったとしても、充分にマクロ経済の堅実な持続的成長の可能性が評価されないままに投資資金が流れ込んだ。経済成長著しい新興国は、このような短期的投機資金の投資対象として認識されてきた。
しかしながら、ナイジェリアは、マクロ経済の持続的成長の可能性という点からすれば、かなりのリスクをかかえていた。その理由として、@インフラの未整備、A比較優位のない人件費、B治安の問題、の3点が挙げられる。
第一のナイジェリアのインフラ整備が進まない問題について、2008年8月に行ったインタビューで、志釜所長は「政府の失策として目立つのがインフラ建設で、そのスピードは非常に遅い。政府の上層部にいくほど、インフラ建設にやる気が感じられないと言う人もいる。予算で実施予定のプロジェクトは発表されていても、具体的な情報はほとんどなく信憑性に欠いている」と指摘した[12]。
2008年度の国家予算では、電力プロジェクトに1144億ナイラ、ダム・灌漑施設建設に312億ナイラ、高速道路建設に731億ナイラがあてられていた[13]。インフラ整備は、長期的な計画の必要性があるが、それを策定する主体として連邦政府は適切に機能していない。とりわけ電力問題は深刻な問題であり、現状としては一日あたり、電気はラゴスの場合約2時間、アブジャの場合12時間ほどしか送られてこない。ちなみに、現在ナイジェリアには発電所が14個あり、うち火力が11個、水力が3個という内訳で、計画中の発電所は43個ある[14]。発電能力は全体では4914メガワットで、現状は3194メガワットのみ発電しているということになっているが、実際の数値とは明らかに異なり、本来の値は誰も把握していない可能性もあるという[15]。
二点目の労賃に関して、ナイジェリアは、中国やバングラデッシュと比較した場合、その労働力の質が良いわけでもなく、人件費が安いわけでもない。したがって、労働力という点で賃金がより安く質も高いアジア諸国と比較し、外国からの製造業投資を誘致するインセンティブに欠ける。我々は8月28日にレッキ貿易自由区を訪れた際、外国から全く製造業投資が進まないナイジェリアの現状を目にした。これは一点目のインフラ整備とも関連することであるが、人件費における比較優位が無いということもまた、主たる理由である。
三つ目の治安については、リバー州のポート・ハーコート周辺におけるニジェールデルタ解放運動(Movement for the Emancipation of the Niger Delta、MEND)が2008年7月からその活動を活発化させ、パイプラインや石油関連施設が攻撃を受けている。治安が悪いと、投資の際に安全対策などのコスト負担は必然的に高まる。
こうした潜在的なリスクが充分に評価されないまま、短期資金が流入し、その資金が金融危機をきっかけに引き揚げに動いてしまった。ナイジェリアは国内市場としても充分に内部の需要喚起が行われず、市場としてのポテンシャルを最大限に活用できていない。こうした中で、海外資金の流入が滞ると、バブルははじけ、マクロ経済は急速に下降に向かう。
[1] ジェトロ・ラゴス事務所 志釜所長作成資料、2008年8月
[2] ジェトロ・ラゴス事務所 志釜所長インタビュー 2008年8月27日
[3] ジェトロ・ラゴス事務所 志釜所長作成資料、2008年8月
[4] 国際連合, UN Data Country Profile 閲覧日2010年3月23日
[5] West African Seasoning Co. LTD.の林社長インタビュー 2008年8月27日
[6] ジェトロ・ラゴス事務所 志釜所長作成資料、2008年8月
[7] ジェトロ・ラゴス事務所 志釜所長作成資料、2008年8月
[8] ジェトロ・ラゴス事務所 志釜所長インタビュー 2008年8月27日
[9] ジェトロ・ラゴス事務所 志釜所長インタビュー 2008年8月27日
[10] 『外交フォーラム:TICADWのすべてがわかる本』、No.239、都市出版株式会社、2008年
[11] 『外交フォーラム:TICADWのすべてがわかる本』、No.239、都市出版株式会社、2008年
[12] ジェトロ・ラゴス事務所 志釜所長インタビュー 2008年8月27日
[13] ジェトロ・ラゴス事務所 志釜所長インタビュー 2008年8月27日
[14] Federal Ministry of Energy (Power Sector)”Investment Opportunities in the Nigeria’s Power Sector and Investors’ Comfort Framework”, 2008,pp.4
[15] ジェトロ・ラゴス事務所 志釜氏インタビュー 2008年8月27日
3−1−1 堅実な外貨準備があるとはいえ、原油価格に左右される経済
ただし、こんにちのナイジェリア経済は、不安定な状況ではあるものの、崩壊寸前という状況ではない。金融危機後、ナイラ安になったことで、米ドル換算で目減りはしたものの、比較的豊富なキャッシュが存在する。外貨準備高は2008年5月末時点で、591億8,000万ドルであり、2009年度の政府予算は約190億ドル相当(1ドル=150ナイラで換算)であるから、外貨準備は政府予算の3年分近くに当たる。これは、ナイラの為替レートを、ほぼ1米ドル=150ナイラ周辺に事実上ペッグさせ、安定させることに貢献している。
とはいえ、不安定さを否定することはできない。すでに述べたとおり、ナイジェリア経済には、原油の投機的な価格変動という大きな不安定要因が組み込まれている。そして、国内的には、原油生産に脅威を与える武装勢力の存在が、もうひとつの不安定要因をなしている。
3−1−2 不安定要因1 原油の価格変動
原油価格は未だに低迷している。2009年度の政府予算は1バレル45ドルという想定で予算が組まれたが、現在45ドル以下を推移している[1]。輸出収入の98%を占める製品の価格が3分の1近くに値下がりした際の、国民経済に与える影響は言うまでもない。現在は、好況時に蓄積した豊富な外貨準備が存在するが、今後原油価格が現状維持であった場合、これらの貯蓄はいつか尽きることが危惧される。
3−1−3 不安定要素2 原油生産に脅威を与える武力勢力
石油生産地が集中しているニジェールデルタには、民族間対立に根を持つ、武装勢力が存在し、石油施設で働く外国人技術者の誘拐やパイプラインの破壊など、石油生産に対する妨害行為が後を絶たない。金融危機前のナイジェリアの経済が好調な時期においても、治安の悪化によって石油セクターは成長が鈍化していた。産出量は日量255万バレルから210万バレルまで落ち込んでいる。2008年5月にはアンゴラに日量生産量で抜かれる形となっていた。
この武力勢力の中心的存在はMENDである。MENDは2006年から断続的に石油インフラ施設に対する攻撃を始め、2008年9月14日に「戦争」開始を宣言し[2]、1週間後に「停戦」宣言するまで破壊行為を強めていた[3]。
このMENDの問題は非常に複雑である。なぜなら、この問題は、イギリスによって上置境界を設けられ、独立後ナイジェリアという1つの国家の枠組みの中に押し込められた諸民族が歴史的に長い間繰り返してきた、地域ごとの諸民族の内部対立を反映したものであるからだ。ナイジェリアは、北部のイスラム系のハウサ・フラニを中心とした勢力、南東部のイボ族を中心とした勢力、南西部のヨルバ族を中心とした勢力の3つが、対立・抗争を繰り返してきた。特に、北部と石油採掘地域の集まる南東部は歴史的に激しく対立し、1960年代後半には、飢餓問題で世界の関心を呼んだビアフラ戦争を引き起こした。この40年前の戦争の最大の背景が石油であったことと同様に、現在の石油を巡る問題を考える際も、北部と南東部の対立を考えることは避けて通れない。
現在の南北対立の状況を、政権幹部の出身地から見てみる。2006年の選挙でヨルバ族出身だったオバサンジョ氏(Olusegun Obasanjo)が大統領の座を退いた。そして、現在北部出身のイスラム教徒でカチナ(Katsina)州知事であったヤラドゥア氏(Umaru Yar'Adua)が大統領を務め、南東部出身でバエルサ(Bayelsa)州出身のグッドラック・ジョナサン(Goodluck Jonathan)氏が副大統領を務めている。各勢力は、大統領の席など要職を分け合う形で、綱引きを展開している。南東部のグッドラック・ジョナサン氏などの政権に入り込んでいる南東部の勢力と武装勢力MENDは繋がりがあり、2008年4月に北部の強硬派がヤラドゥア氏の病欠を利用して策略を練って、石油産出地周辺に住むイジャウ(Ijaw)の収入を減らしたとき、パイプラインを爆破して、北部勢力に対して、南東部の勢力は牽制する動きを見せた[4]。このような状況によって、石油に依存した連邦政府の財源は、大変不安定な状況となっている。
3−2、ナイジェリア政府の今後の課題
今後ナイジェリアが、金融危機の影響を乗り越え、安定した成長を続けて行くための課題は、国内の産業基盤の安定的・持続的な確立である。今後は、リーマン・ショック以前のように、原油生産国に湯水のように投機資金が流れこむことは、少なくとも今後数年間は期待できない。従って、ナイジェリアは新しい経済発展モデルの構築を急がなければならない。
その上で、上述した2つの不安定要素を極力解消する方向に導くべきである。
まず、一つ目の不安定要素である原油価格の変動リスクを軽減するためには、少しでも石油依存の経済から脱皮する必要がある。そのためには労働集約型の工業を発展させるという方策がある。しかし、このためには、外資系企業の誘致に至る工業団地整備や、交通・電力などインフラの整備、そして関税など制度の効率化が不可欠である。
もう一つの、原油生産に打撃を与える武装勢力の影響を弱めるための道は如何なるものであろうか。このMENDを巡る問題は、上述したように、歴史的に存在する民族対立問題に強く根ざしたものである。この問題を連邦スケールで解決していくには、各3勢力のバランスをうまくとって行きながら、国内融和の道を探っていくしかない。
しかしこれは、植民地の上置境界に規定された人工国家であるナイジェリアが独立以来苦しんできた問題であり、「国内融和」が容易に達成されると考えるのは、あまりに楽観的である。現状では、このような問題にさいなまれた連邦スケールを棚上げして、州の領域を細分化し、民族的な異質性が少ない州のスケールへの政策策定と実行のリスケーリングがすすんでいる。この点からすれば、皮肉なことに、ナイジェリアの今後の経済発展の政治的可能性は、地方分権が今後どれだけ実質的に進むかにかかっているともいえるであろう。
[1]_financial_crisis_nigeriaThe Financial Crisis in Nigeria(2009)
[2]AFP通信2008年09月19日「ナイジェリア武装勢力、シェルのパイプラインを破壊」
[3]AFP通信2008年09月22日「ナイジェリア武装勢力、石油産業との「戦争」で戦闘停止を発表」
[4]_financial_crisis_nigeriaThe Financial Crisis in Nigeria(2009)