■ アティラウ→クングラートの国際列車 2003 9.6


アティラウ駅にて

われわれは、まだ暗いうちに車でホテルを発ち、アティラウ駅に着いた。駅の構内は薄暗かったが、思いのほか人の姿は見られた。

改札口も切符の検査も何もないまま、午前6時発のタジキスタンの首都ドゥシャンベ行き国際列車が停車中のホームに入っていた。 この列車が走る、アティラウからアラル海の南岸を経てアフガニスタン国境ならびにタジキスタン方面に向かう路線は、かつて帝政ロシアの軍隊がオレンブルクを出発しヒヴァとブハラの汗国を征服するのに経由したルートに沿って建設されている、だが、ロシアからアラル海の北岸を経てタシケントに向かう中央アジア鉄道の本線ではなく、それに並行する副次的な線である。沿線に、海外からツーリストが訪れるような著名観光地はない。それゆえこの列車は、ツーリストが利用する列車ではなく、現地の人々が移動と交易のために利用する列車だ。

この国際列車は4人で1つのコンパートメント(クペという個室)になっており、各個室には内側から鍵のかかるドアが付いている。

中央アジア 影の物流

ガイド同伴で、われわれが予約していた4人1室のクペに向かうと、中にはすでに、見知らぬ人たちが乗り込んでいた。この列車は、ボルガ川河口にあるロシアの都市アストラハンが始発駅なので、ロシアから乗ってきた人たちなのであろう。ここで、このすでに乗ってっていた人達と、われわれはしばらくもめてしまった。われわれは、この列車の正規の寝台券を、旅行社にロシアのアストラハンまで行って購入してもらい、持っている。そこで当然、席をどいてもらわなくてはならない。すると、車掌の代理人のように振舞う謎の「セルフ車掌」(?)がどこからともなく現れた。この「セルフ車掌」氏が、その人たちに何やら話すと、彼らは棚の上やベッドの下から、酒のビン、衣類、電化製品、そして自動車のタイヤなどを次々に取り出して、別のコンパートメントに消えていった。ガイド氏は「彼らは警察に・・・」と言っていたが実際は、この見知らぬ人たちは、最後まで列車に乗っていたようである。

われわれは、中央アジアの物流には、少なからず正規のルートを経ない「シャドウエコノミー」としての物流が存在することを目の当たりにした。あの酒も衣類もタイヤも、税関を経ないまま、どこかのバザールで売られるのであろう。このような影の物流は当然ながら税関を通らない。そして統計にも反映されない。マクロ統計には、意図的に数値が改ざんされていなくとも、不確実さが多分に含まれていることを目の当たりにした。この列車は、タジキスタン向けのこうしたシャドウエコノミーのルートになっているわけだ。

後に分かった話だが、アフガン戦争・イラク戦争以後は南からの物資の流入がストップし、中央アジア(特にタジキスタン・トルクメニスタン)ではモノが不足しがちなのだそうだ。あまつさえ、中国の新疆などと比較してもモノ不足が明確な中央アジアにおいて、合法的な正規ルートではないにしろ物資を供給する役割を果たしている「影の物流」を遮断することは、国民の物質生活を低下させることに直結しかねない。政府が、これを厳格に取り締まると、それが反政府運動のような動きに展開する恐れがあるので、結局見てみぬふりをせざるを得ないのだろう。

車内にて@カザフスタン

また、例の「セルフ車掌」が、シーツ代金として4人で3000テンゲを要求してきた。旧ソ連地域の列車ではシーツ代がかかるそうだが、あまりにも高いので値切ってみると2000テンゲになった。しかし、ガイドブックなどによると、どうやら1USD程度でよいそうだ。ホテルで十分寝ないまま早朝に起床したので眠く、やがて寝台で寝てしまった。

しばらくして目が覚め、窓の外を眺めると、アティラウ出発直後に生えていた草地はなくなり、列車は砂漠の中を走っている。雨が降ったときにだけ川や池になるような場所が乾燥して塩の河・池になっている光景が点在している。進行方向の右手側、カスピ海方面に、油井と、廃ガスを燃やしていると思われる炎が見られた。テンギス油田もある方角である。線路沿いには道路は見られなかったが、電線は張られていた。

列車は,トイレがとても汚い。洋式トイレなのだが、便座の部分が著しく汚れていて、とても座れたものではない。縁の上に立つ、空気いす・・・といった高等テクニックが求められる。また用を足した後ペダルを踏むと便器の底が開き、線路に直接流れるしくみになっている。思わず便器の底から線路を眺めてしまうこと必至だ。

期待していた食堂車は連結されておらず、駅で商人から買うしか食料の調達の方法はない。幸い、ホテルでプラスチックバッグ入りの相当食べ応えのある朝食を用意してくれたので、これで腹ごしらえはできた。しかし、乗車前にもっと飲食物を買って持ち込むべきだっただろう。

カザフスタン出国

干上がった川や池に、分厚く堆積した塩が広がる砂漠を過ぎると、薄い植生も見られる砂漠になった。

砂漠をひた走るうち、14時10分、列車は、カスピ海に面した港町アクタウに向かう支線の分岐駅、ベイニョウBeyneuに到着した。 8時半にも一度パスポートのチェックがあったが、今回は本当に出国チェックのようだ。列車全体を、制服の係官がものものしく取り囲んでおり、下車することはできない。やがて、出国管理官が乗り込んできた。しかし、検査は意外と簡単で、カーキ色の服の管理官にパスポートを提出しスタンプを押してもらうだけであった。あとは簡単な荷物チェックがあったが全く厳しくなかった。税関申告書のチェックもなく、また出国の際に新たな申告書を書かされることもなかった。

検査のため2時間停車しているあいだ、客車内に風が入ってこないので、蒸し暑くてたまらない。この列車には、エアコンが全く付いていないのだ。周りにいた現地の乗客も裸足、上半身裸になって涼んでいた。窓の外には商人がたくさん集まってきており、乗客が客車から外に出られないので、窓からお金を落として商品を投げ上げてもらう形で商売をしている。われわれは、ペットボトル入りの水を買った。水は冷凍庫でカチンカチンに凍らせてあり、この暑さに大変ありがたかった。なかなかいい商売のアイディアを考え出したものだ。他に、焼き魚・ナン・サラダ(といっても数種類の野菜が袋に入っているだけ)を買って食事にした。駅売りの商人たちはラジカセ・VCDプレーヤーといった電化製品や衣類も販売しており、乗客の中には、それらを買う人の姿もしばしば見られた。自分で使うのだろうか。それとも、タジキスタンのバザールで売って金を稼ぐのだろうか。

興味深いのは、買い物にテンゲ(カザフ通貨)、スム(ウズベク通貨)のみならず、ルーブル(ロシア通貨)も用いることができる点だ。これは、この列車がアストラハン(ロシア)→カザフスタン→ウズベキスタン→ドゥシャンベ(タジキスタン)という国際列車であることが原因であろう。これらの通貨の中にはインフレにより減価したり、国内経済が不安定であるため決して保有するメリットが大きくないものもある。この点を考えると、これらの通貨は「決済機能」のみを目的に流通しているのだろう。商人はいずれの通貨も決済においては需要があり、保有・受理しないことで機会損失を被る可能性もあると考えているのだろう。そして、「富の保存」には、米ドル等を用いているのだろう。鉄道沿線で、貨幣の機能ごとに異なる通貨が用いられている姿を垣間見た。


ウズベキスタン入国

2時間程度停車した後、列車はベイニュウを出発し、ウズベキスタンへ向けて出発した。列車は再び砂漠の中を走り抜け、やっと少し涼しくなり始めた17時30分頃、ウズベキスタン側の国境の駅、カラカルパクスタンに停車した。駅の表示が、これまでのキリル文字から、ローマ字に変わっている。

入国管理官にパスポートを提出し、入国審査を受けた。車掌室に陣取る係官は、帳面にパスポート番号や国籍を控えている。それを見ると、ほとんどの乗客が、タジキスタンの国籍であった。ここではじめて、われわれは英語を話せる係官に出会った。係官は、興味津々と行った様子で、片言の英語で色々と話しかけてきた。こちらの審査もあまり厳しくなく、税関申告書を書かされることもなく、割とすんなりと通過できた。結局1時間30分程度停車し、18:45ごろ出発した。


車内にて@ウズベキスタン

国境を通過すると、車内を商人が巡回し始めた。どうやら先の国境の駅で乗り込んできた人達のようである。ウズベキスタンのほうがこういった車内での自由な商業に寛容であることが推測された。

われわれは、身と荷物の安全のために、基本的にクペのドアを閉めて施錠していたのだが、ウズベキスタンに入った頃から頻繁にドアをノックされるようになった。ドアを開けると、ランニングシャツを着た現地の人が立っていて何も言わずに立ち去っていく。また20分ぐらいするとノックされ、ドアを開けたところにいた人が「日本人か。4人・・・」といったことをロシア語で言いながら去っていく。ウズベク語で物の名前を教えようとしてくる人や、先の係官のように話しかけてくる人も少なくなかった。ロシア語は少ししか分からないのだが、「俺はパミールから来た。タジク人だ。」といったことを言って来たおじさんもいた。この人だけでなく、他にもタジキスタンに向かう人がたくさんいたであろう。こんなことが繰り返し行われた。そう、彼ら・彼女らにとって日本人は珍しいのだ。

その点とも関係しているのであろうか、この列車では一度も乗車券のチェックがなかったのである。つまり、われわれのコンパートメントに居座っていた人達だけでなく、一般に無賃乗車が横行している可能性が高いと思われる。しかし前述したとおり、この路線がロシア→カザフスタン→ウズベキスタン→タジキスタンを結んでいる点、そしてそこで相当量の「影の物流」が行われているであろう点を考慮すると、この路線の無賃乗車を徹底的に排除することは現実的に困難で、かつ無意味なことであると思われる。

(成田 博之)

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