パブリック・スクール

パブリック・スクールとは、イギリスにおいて平均年齢12・3歳から18・9歳の学生を対象としていた学校で、大学教育の基盤であり、イギリスの大学の意義や教育の本質を理解するのには欠かせない教育制度である。全寮制の私立学校であり、高額な授業料や寄宿料がかかる。 パブリック・スクールの起源は14・15世紀に遡る。当初は教会の僧を対象に教育が行われていたが、17世紀以降は貴族階級を中心に、大学の予備校的な学校として存在した。今は大学から独立した一個の教育課程である。

著しい特徴としては、その後の過酷な人生の試練に耐えるために精神と肉体の鍛錬を目的とした「スパルタ式教育」をパブリック・スクールが取り入れていることである。自由を尊重するイギリス人があえて教育のために自由を奪うことで学生に自由の意義と規律の必要性を理解させようとしているのである。

パブリック・スクールは支配階級の子供が大部分である。卒業後は、大部分の学生は官僚や弁護士など社会の指導的な地位にあって活動をしている。これには、特権階級であるからこそ、特権に伴う義務や責任を果たそうとする「ノブレス・オブリッジ」の精神がある。また、パブリック・スクールは特権階級のためのもので、保守的・封建的なシステムでもあるのだ。また逆に、それ以外の階層の人々がそのような職業に就くことはまずない。つまり階層によって職業がかなり明確に分かれており、さらなる支配階級の再生産が行われるわけだ。


パブリック・スクールに進むのは以下のような家庭の子供たちである。

@ まず生まれてからは家庭で母親による厳しい教育がされる。

A 4・5歳〜 家庭教師による教育がされる。子弟の間に美しい友情も生まれる

B 7・8歳〜 プレパトリー・スクールという初等学校に通う。この学校は寄宿であり、温和な気候に恵まれた田舎に存在する。先生たちは優秀であり、一生をこの学校で過ごす。卒業年齢に規定はなく、全国統一の学力試験に合格すればパブリック・スクールに進学できる。

C 12・13歳〜 パブリック・スクールに入学する。自分の母校に子供を入れたいという気持ちが強いために、パブリック・スクールには親が卒業生という生徒が多い。

D 18・19歳〜 高等教育 大学(ほとんどがオクスフォードかケンブリッジに進む)士官学校 海軍兵学校に進む

E 将来の進路 外交官などの政府高官や企業家

パブリック・スクールの生活の特徴は、教師と生徒相互の親密な接触によって人格陶治の機会が生まれ、責任や規律の観念が要請され、自制耐乏の訓練が与えられる点である。パブリック・スクールを卒業した父兄は良識と勇気を持って、子弟の将来のために子弟をパブリック・スクールに入学させる。

一方、全体の利益を優先するために個人の利益が犠牲に供せられる、すなわち個性の否定がされる点も否めない。例えばたいていのスクールでは母校の名誉を第一とするために、運動競技が盛んである。スクールでの運動競技は「個人的利害や肉体の苦痛を犠牲にしてチーム全体の利益に貢献する精神」を真の精神としており、そのために個人競技よりも団体競技が発達している。しかしそのせいで、ある個人がすぐれた芸術センスを持ち合わせていても、それが評価されないことがある。異端に対する憎悪がスクールの中には少なからずあるのだ。そのために、スクールの生徒が価値に対して深刻に悩むこともある。

だから、スクールは個性を持ち合わせていないで、抑圧に甘んじ、大勢に順応できる大多数の者(社会では中堅的存在)は平穏無事な生活を送ることができ、在学時代に甘美な思い出を抱いていく。一方、個性を重視して生きていく者は異端として孤独な数年を送るのである。つまりこのスクールは、他人と異ならないことを信条とした妥協の社会としてのイギリス社会の側面を現しているものともいえる。

この欠点を克服している学校では誰に対しても多大な利益をもたらしている。


パブリック・スクールのシステムとしては校長が最高権力者であり、学校生活のあらゆる部門が校長を中心に運転される。教職員会議はなく、教職員は校長にのみ責任があり、校長の信任によりその職にあるのだ。校長の社会的地位は非常に高く、校長は比較的若くに就任し、終身この地位を動かない。校長は個々の学生が学校生活に精進するために心身共に常に最善の状態にあることに対して個人的な全責任を負っている。つまり、校長の行動にスクールが影響され、校長次第で学校が変わっていくのだ。

パブリック・スクールには他に、ハウスマスターと教員がいる。ハウスマスターは「教員の中で各寮に専属し、学生と起居を共にして、学生の訓練にあたる教員」であり、ハウスマスターの優劣が寮の気風に反映される。マスター達は生徒のことを思った指導をし、そのために強い忍耐力が必要だ。教員達もまた学生に教訓を伝える。しかし相手に言い分があれば十分言わせ、自己の誤りに気付けばこれを認めて撤回する態度ももっている。

その他では、プリーフェクトの制度がある。プリーフェクトは「最高学級に属し、人格成績衆望いずれも他の生徒の模範となり、何らかの運動競技の正選手をしている者の中から、校長によって選ばれ、校内の自治を委ねられた数名の学生」である。「弱いもの苛め」を無くすことを目的として作られた制度で、彼らは学生の調停を行う。プリーフェクトに選ばれた者は尊敬の対象とされ、名誉ある経験をする。


次に、パブリック・スクールの生活を具体的に紹介しよう。

学生は1学期に2回の休日と週末の30分間以外は郊外外出禁止で、外出先も規定される。自由な世界を学生から遠ざけるために大学訪問も禁止されている。イギリス青少年はあらゆる機会において規律を守り、服従せねばならないという精神を植え付けられる。衣服については制服は無いが、皆質素な格好であり、ネクタイは黒か学校のカラーに限られた。住居は私室が与えられないで、共同部屋である。食事は質量共に劣悪で夜食もない。栄養のない食事だが、食事のために健康崩したものは誰もいないようだ。休日が生徒達にとって一番の楽しい時で生徒は思い思いの場所に出発する。

一日のスケジュールは、朝8時から昼1時までが学課で、昼食後は運動競技をする。その後は学課自習や士官訓練や音楽練習などを行い、次いで大講堂で自習をする。この間は真剣に勉強することを義務づけられ、その時間以外に勉強することは禁じられている。日曜日では学課と運動も禁止されて、日曜礼拝・聖書講義のみを行う退屈な安息日である。夜は家族へ手紙を書くことになっている。このような生活を生徒は最初苦しむが、忍耐の精神が生まれて次第になれていくのだ。

学課は、従来の古典偏重教育が矯正されつつある。学年は6つで学年は年齢と関係がない。入学年齢も卒業年齢も様々であり、試験によって進級が決まる。落第が多いので落第に対する恐怖心が少なく、したがって不正行為もないようだ。学生生活が試験に支配されることがないのだ。授業は講義だけでなく、学生相互に討議させて教師が正しい結論を導き出すという点に重きをおいている。週2度軍事教練も行い、士官としての心構えや兵の運用統率を重点的に学ぶ。問題点は学習時間を制限したりして、学生の知的発達を阻害している点だ。また、人格育成を歴史や哲学でなく、古典によってのみ行うこともあげられている。

規則を破った生徒には罰則が与えられる。罰則は与える側、与えられる側の相互の妥協によって成立する。生徒が教師の与える罰則に納得しなければ、罰則は成立しないのだ。その反面、不正手段で罪から逃れようとした者に対しては極刑が下される。罪を犯したら男らしくこれを認めて罰を受けるのがパブリック・スクールの精神であるからだ。

このように、パブリック・スクールとは長きにわたってイギリスの支配下級を再生産しつづけてきた教育制度である。したがって植民地においてもイギリス人たちがパブリック・スクールを造ろうと思ったのは大変自然なことであると言えるだろう。更に言えばそのような学校にはイギリスに似た景観、イギリス人だけの社会というものが不可欠であり、パブリック・スクールがダージリンなどのヒル・ステーションに建設されたのも納得がいく。

(参考文献) 池田潔「自由と規律」『岩波新書』1949年

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(経済学部2年 山下 拓朗)