経済地理学会事務局、東京学芸大学に強行移転


 経済地理学会員の皆様で、去る6月3日に開催された総会に出席されなかった方は、6月半ば、日付のない「経済地理学会事務局移転のお知らせ」という文書を受け取って、驚かれたことと思います。この文書の入った封筒は、経済地理学会の事務局の連絡先であった一橋大学の住所が乱暴にサインペンの×印で抹消され、その裏に、「東京学芸大学地理学研究室気付」とする新しい連絡先が、追加印刷されているものです。

一体、何が起ったのでしょうか。

実は、この封筒が、今の経済地理学会の実態を、目に見える景観として物語っているのです。

経済地理学会の事務局はこれまで、1954年度から59年度までは明治大学文学部地理学教室に、60年度から63年度までは法政大学文学部地理学教室に、64年度から78年度までは明治大学文学部地理学教室に置かれてきました。一橋大学に置かれたのは、1979年度からです。これが、さる6月4日の総会で、東京学芸大学に移転されることが、突如として強行決定されたのです。

いずれの場合も、学会事務局を容れる空間は、学会と、それを受け入れた大学とが何らかの賃貸契約を結んで確保されてきたわけではなく、その時々の研究室の好意により提供されてきたものでした。その背後には、学会運営に貢献しようとする、会員の積極的なボランティア精神がありました。

このことを考えれば、事務局の移転に際しては、これまで事務局を維持してきた主体を含む当事者間の十分な話し合いが必要ですし、また、場所を移転する際には、従前よりもさらによい学会サービスが会員全体に提供できるよう、以前より好条件の場所でなければ意味がありません。

はたして、今回の事務局移転は、このような性質を満たすものだったのか。検証します。

山本健児代表幹事は、6月3日の幹事会ならびに4日の総会において、移転理由を次のように要約しました――:

(1) 一橋大学に長年「迷惑」をかけた。

(2) 次期評議会での話し合いがあった。

(3) 「より良い条件」のある受け入れ先があった。

これらの点について、順次検討してみましょう。

まず、第一の点について。 一般的にいって、最近の新保守主義的な行政改革のなかで、国立大学においては、関係大学教員の個人的な好意に基づいて国有財産を便宜的に無償使用する行為は、強い圧力にさらされるようになっています。これは、どの国立大学でも多かれ少なかれ共通の問題です。一橋もまた、むろん例外ではありえません。

これまでも、事務方からの圧力もあって、過去の幹事会などで、「一橋大学経済地理学研究室」としては、一橋大学東本館の事情を説明し、事務局運営の具体的な面で協力を要請せざるを得なくなったことはありました。しかし、迷惑だから事務局に出て行ってほしいと求めたことは、一度もありません。むしろ、どのような負担があっても、寄贈文献も学会誌のバックナンバーも余裕あるスペースに十分保管できる一橋大学に事務局を維持することは、学会の一員としての重要な義務だと考えてきました。学会という外部の団体の国有財産利用に関わって当然に存在するさまざまの困難にもかかわらず、「一橋大学経済地理学研究室」では、経済地理学会の業務ができるだけスムースに進むよう、誠心誠意の努力を払ってきたのです。

一体どのような「迷惑」があったというのでしょうか? 

6月3日の幹事会では、「一橋大学東本館では改修工事で一切トイレが利用できなくなった」などという、虚偽の事実までが「移転の理由」としてもちだされました。実態は、男子トイレでは改修工事が行われていたものの、女子トイレは利用に全く支障がなかったのです。「地理学は実証重視の学問」と主張するのならましてのこと、今回の移転提案にあたって、「一橋大学経済地理学研究室」からのヒアリングをきちんと行い、実態を正確に把握すべきでした。しかし、このような当事者からの実態把握の努力は、全く行われませんでした。

百歩譲って、「迷惑をかけた」という認識が本気ならば、こうした「迷惑」に対し、きちんと、陳謝とはいわないまでも感謝の意思表明が公式にあってよさそうなものです。しかし、そのようなものは、今日に至るまで、21年間学会事務局を引き受けてきた「一橋大学経済地理学研究室」に対し、公式に全くなされていません。

「迷惑」という理由が、口実にすぎないことは、明らかです。

次に理由とされる第2の点について、考えてみましょう。

この事務局移転の案件は、さる3月28日、日本地理学会会場(早稲田大学)において開催された、次期 評議員の会において発議されたものでした。すなわち、まだ総会で承認されてもいない「次期評議員」が、こうした重要な案件を「発議」したのです。このこと自体、民主主義のルールに照らして大いに問題があるのですが、さらに問題なのは、この「発議」に基づき、山本健児氏が、今期代表幹事としての資格で、東京学芸大学地理学教室に事務局受け入れ検討を依頼したことです。この一連の過程は、幹事会はもちろん、当事者である「一橋大学経済地理学研究室」にも全く相談のないまま、いわば密室裡にとり進められました。

ようやく、4月8日の幹事会になって、この件が山本代表幹事により事後的に紹介されることになります。しかし、この幹事会を召集する会議通知の議題の中に、事務局移転の件は含まれていませんでした。これに出席していた一幹事の証言によれば、同日の幹事会の席上では、事務局移転の件に関し、山本氏からの説明があっただけで審議決定がなされたわけではなかったといいます。ところが、議事録には、これがあたかも決定された既定事項であるかのように記載され、こうした疑義ある議事録が、6月3日の幹事会において、そのまま強行承認されてしまったのです。

もともと、事務局の設置場所は、会則の附則で定められるものです。それゆえ、事務局を移転しようとするのであれば、本来、会則の改定としてこの案件が幹事会より提案されなくてはなりません。しかし、今回の移転は、会則改定として提案されたものではありませんでした。山本代表幹事は、総会の席上、会則の附則は変更せず、まず事業計画として承認を求め、そのあと会則改正を検討すると述べ、会則と実態との両者に齟齬があっても差し支えない、とあえて述べました。

より前広に準備が必要な会則改定をあえて避け、既成事実を作ることをまず先行させた、不明朗な学会運営である、といわざるを得ません。

さらに、理由とされる第3の点について、検討しましょう。

経済地理学会が最近、新保守主義のみならず、例外主義的な志向をもにじませてきているところからすると、東京学芸大学地理学教室に事務局をおく学会で刊行する地理教育誌『新地理』と『経済地理学年報』との「産業集積」は、ポーター流にいえば案外お似合いの「クラスタリング」かもしれません。たしかに、両誌の表紙の雰囲気まで互いに似てきた、という声も出される今日この頃です。

冗談はさておき、冷静に考えてみますと、移転先の東京学芸大学も国立大学であり、近年の事務方からの規制強化という問題は、移転したところで、根本的に何も解決しません。それどころか、移転先では、20平方メートルという国立大学の規格どおりに狭い上野和彦研究室に事務局は同居し、一時は「パニック状態」(事務局職員の話)。「空間が欠乏」しているため、これまで学会員や国内外の他学会などから寄贈された貴重な文献や、『経済地理学年報』のバックナンバーを保存することができません。

このため、今回の移転で、バックナンバーの在庫は流通経済大学へ、寄贈文献は愛知教育大学へ、とそれぞれ遠く離れ離れの場所に散ってゆきました。今後、学会のかけがえない学問的財産である、寄贈文献と、バックナンバーが失われる危険が生じています。

まず、『経済地理学年報』のバックナンバーについて。山本代表幹事は、4月8日の幹事会において、バックナンバーは若干部のみ残し、あとは二束三文の価格で販売する、という趣旨のことを述べています。文部省助成金を資金の一部として刊行された学会誌バックナンバーが処分されれば、学会員の会費だけでなく、一般国民の血税がドブに捨てられることになります。このようなことを平気でする学会に、果たして文部省刊行助成金がこれからも必要か、これは税金の無駄遣いではないかと、タックスペイヤーの市民から疑問が出ても無理からぬところでしょう。また、将来、大学図書館などがまとめてバックナンバーを欲しても、もはや実物では入手できません。もっともこの「焚書」は、それなりに批判地理学の実践の場だった学会の過去はもうきっぱり見限り、あらたに新保守主義の学会として再出発する意思表示と考えれば、理解できないわけではありませんが。

次に、寄贈文献について。少なくとも、これまで事務局で自由に閲覧・借り出しができた寄贈文献へのアクセスが、今後は困難となるでしょう。文献類がもし破棄されることにでもなれば、二度と回復できません。経済地理学会がこれからも真剣に学問を取り組む学会でありつづけるならば、これは致命的です。しかし、6月5日、山本前代表幹事と藤田直晴前総務委員長が来て、学生アルバイトを指揮し、愛知教育大学に発送する梱包作業を行ったさい、寄贈文献の入ったダンボールにはマジックで「勝手に送ってきた」と書かれていました。悲しくなるような言葉です。学生がわかるはずはないので、寄贈文献について事情を知っている人が語ったことが書き込まれたのでしょう。学会に業績を寄贈した人々の好意に、なんということでしょうか。

バックナンバーや寄贈図書は、これまで事務職員の久野さんの継続的な努力によって維持されてきたものでした。こうしたバックナンバーや寄贈図書が、このような粗末な扱いを受けるとは、残念なことです。

これが本当に「より良い条件」の場所なのでしょうか。なぜ、このようなところに、いま学会事務局を移転しなくてはならないのでしょうか。

移転の理由の本音はむしろ、別のところにあります。

6月3日の幹事会で、次期常任幹事・編集委員長となった松原宏氏は、経済地理学会に新保守主義への転向と非民主的運営をもたらす危険があると指摘して「会則改定」案を批判した学会員へのアピール文書が「一橋大学経済地理学研究室気付」で差し出されたことが、事務局移転の理由である、と正直に語りました。

会則改定を強行した前期執行部を会長として統括する立場にあった竹内啓一氏もまた、4日の総会において、これまでの一連の、経済地理学会の新保守主義的・非民主的転換を批判するウエブサイトが一橋から発信されていることが、事務局をもはや「一橋大学経済地理学研究室」に置けない理由であるとの考え方を示しました。

会員が800人近くもいる学会において、そこには多様な考え方の会員がおり、それが多様な様式で表明されるのは当然のことです。こうした文書やウエブサイトも、こうした多様な考え方の一つとして表明されているものです。仮に現学会の中心的な人々の考え方が、新保守主義や非民主主義に学会を導くようなものであるとしても、「一橋大学経済地理学研究室」は、多様性ある思想や研究志向をもった広範な一般学会員の利益と便宜を何より尊重するという立場から、引き続き事務局を引き受けてきました。学会の事務局運営をサポートするという「公」の立場と、個々人に保障されているはずの自由な発言の権利とのあいだには、しっかりけじめをつけてきたのです。事務の効率性やその中立性は、「一橋大学経済地理学研究室」においても十分に守られてきましたし、会員すべてがその恩恵を享受してきたことはあえて言うまでもありません。

上に述べた松原氏や竹内氏のような、自分たちの仲間うちと異なる意見を表明する会員のいる研究室にもはや事務局は置けない、という発想には、経済地理学会のやっていることがtaken for granted(自明的)に正しく、それに対する批判は異端であるとする、1950年代初めまでにソ連でおなじみだった一枚岩の党派的思考様式がにじみでています。

1950年代、経済地理学会が、批判地理学の拠点として機能していたとき、この党派性は一つの進歩的な意味を持っていたかもしれません。しかし、学会の主導理念が新保守主義に転じたとき、経済地理学会に埋め込まれたこの党派的思考は、逆に思想の多様性を圧殺するという否定的機能に転化したのです。

このことは、これまで「一橋大学経済地理学研究室」が、思想の多様性を承認するという民主主義の基本原理に基づいて、国立大学に学会事務局を置くことが一層難しくなっている新保守主義状況のなかで、事務方からの圧力に身体を張って抵抗し、学会事務局の存在を維持しつづけてきた「一橋大学経済地理学研究室」の、学会に対するボランティア精神と誠意を裏切るに十分なものでした。

事務局移転は、このように、党派的発想から、「まず移転ありき」として強引に提案され、あとから「理由」がこじつけられたものであることはあきらかです。そしてまた、そのゆえに、その総会における意志決定のプロセスもまた大いに疑義を孕むものでした。

総会において、この事務局移転案は、2000年度事業計画の第7項として提案されました。上述のような、学会運営を中心的に担ってきた人々からの、学会事務局に関わる信頼関係を破壊する言動に直面しながらも、「一橋大学経済地理学研究室」を代表する水岡会員は、あえてこれに耐え、この第7項を今回は撤回して、事務局は引き続き現行どおり維持するという修正提案を、幹事会ならびに総会において行いました。もちろん、このように修正したとしても、もし必要であれば次期の学会関係者がこれについて「会則改定」という本来の手順を踏んで、来年度以降の総会に事務局案件にかかわる提案を試みることは、理論的に可能なのです。

総会のフロアからは、こうした問題を総会に提案する前提として、予め当事者間で話し合っておくべではないか、また、会則と事業計画とに齟齬があるのは問題ではないか、という誠に常識的な発言が出されました。しかし、代表幹事は、個人攻撃に類する発言でこれをかわそうとし、結局上記のような、この事務局移転の問題性についての議論はほとんど深まらないままにおわりました。

これまで経済地理学会の事務局が置かれてきた一橋大学東校舎では、その実、「空間の充用」をめぐる学内の厳しい環境にさらされていたのです。少々内部の事情になりますが説明しますと、5月に、TV端子工事にかかわって東本館を管理する事務官が研究室を訪れ、学会事務局のある部屋で、「なんでここにこんなものがあるんだ」と水岡会員を怒鳴りつける、という事件が発生しました。さらに、同月末には、東本館で経済学部が管理する従来空室だった研究室に学術振興会研究員が入室することとなり、このため事務机が絶対的に不足する事態が発生しました。年度内に直ちに新調することは予算制約上困難であるため、使用できる机ならどれでも、いますぐリサイクル利用したいという事情が持ち上がっていたのです。

このような学内状況を踏まえつつ、総会において「一橋大学経済地理学研究室」がこれまでつくしてきた好意とボランティア精神を正面から裏切る幹事会ならびに総会の審議に直面した水岡会員は、極めて不本意ながら、どうしてもこうした問題を孕む移転決定を強行するのであれば、その趣旨に沿って、総会日を含め3日以内に事務局を一橋から撤収してもらいたい、と述べました。

ところが、ここまで来た総会の議論で、学会事務局移転を強行しようとした人々の口から、信じられないような反応が、こぼれ出てきました。

千葉立也氏は、気色ばんで立ち上がり、これは学会活動に対する妨害だから、総会で決議して、「一橋大学経済地理学研究室」に、移転まで事務局をおくよう強制させよ、さらには水岡会員を学会から除名せよ、とまで叫びました。しかし、移転強行という原因を作り出したのは、そもそもその提案者ではありませんか。「一橋大学経済地理学研究室」には、何の責任もありません。そして、いくら大きな声を出してみたところで、国有財産である研究室施設の利用について、経済地理学会は権限をもっておらず、なんの強制力もないのです。強制でラーゲリ送りでも何でも自分の思い通りになるという考え方と、経済地理学会に根強く埋め込まれている党派性とには、1950年代前半までのソ連の状況などに目を配ると、瓜二つの相同性を感じ取ることができます。流石に、この途方もない主張は、議長をつとめた長岡顕氏ですら取り上げることができませんでした。

次に松原宏氏は、「借地借家法でも、立ち退きまでに数ヶ月の余裕期間があるはずだ」、といい始めました。しかし、はじめに述べたとおり、学会事務局が国有財産である研究室を使用している根拠は、「借地借家法」の契約関係とは全く異質の、好意とボランティア精神に基づく便宜使用なのです。このような主張が、不動産の経済地理学の「専門家」だという人の口から平気で出る……。

このような、わけのわからないことを語って慌て始めたのは、要するに、学会事務局の強行移転という横車を今回のようなやりかたで押したとき、どのような帰結が生じうるかについて、移転強行派の人々に、何らリスク管理ができていなかった証左に他なりません。こうした人々が、競争的環境だとかマイケル・ポーターだとか語っているのです……。 多少この種の文献を読みかじってみたのかもしれないが、経済地理学会では、新保守主義そのものさえ、まだこの程度の理解なのでしょう。ネオリベラリスト(新保守主義者)ならばネオリベラリストらしく、首尾一貫して行動することすらできないのでしょうか。

経済地理学会の学問水準も、お里が知れるというものです。

狭い党派的発想からゴリ押しされ、強行的に採決・決定された、理不尽な学会事務局移転。このために一般の経済地理学会会員が蒙ることとなる犠牲には、かなりのものがあります。

まず第1は、学問研究の基本である、学会誌のバックナンバーや寄贈文献など、文献類が散逸し永遠に失われてしまう危険です。

第2に、竹内啓一会長は6月3日の幹事会で、今回の移転により、将来的に経済地理学会事務局が有料の民間賃貸施設にさらに移転せざるを得なくなる状況が生ずることを示唆しました。他学会の例をみると、このような民間賃貸オフィスを借り上げた場合、1年におよそ200万円の費用がかります。これを単純に計算し、現在の会員数約800人で割りますと、現行の1人1年8,000円の会費に加え、さらに1人年2,500円の負担となります。経済地理学会は今年度、学会誌の国際化対応が遅れているとして刊行助成金を文部省から全額カットされ、約100人分の会費に相当する額の収入が減少して、学会財政に余裕がなくなってきました。批判的立場から経済地理学を実践してきた研究者も、櫛の歯が欠けていくように、一人、また一人と学会を退会しており、新入会員が多く入っても、会員数純増は、本年度12名しかありません。それゆえ、この学会事務局強行移転は、いまや、インターネットを活用したNACSISの電子図書館で誰でも読めるようになっている年4回発行の学会誌に対し年額1万円を超える、大幅に値上げされた会費として、いずれ、全学会員の肩に転嫁されてゆく以外に方法はなくなるでしょう。

1998年から続いた、「会則改定」に始まる、経済地理学会で起ってきた一連のごたごたがいったい何であったのか。その高いツケは、やがて学会全体に回ってきて、学会員一人一人がそれを思い知ることになる日は、それほど遠くない将来に来るのです。

事務局と並んで重要なこととして、会務運営に直接携わる常任幹事が、新会則で総会の審議事項でなくなり、役員名簿を資料とした文書の会議資料さえ総会参加者に配付されず、山本健児氏が総会閉会後の騒がしい中で口頭紹介しただけ、という信じられない事態も起きています。総会にきちんと参加した会員ですら、常任幹事が一体誰なのか、はっきりわからないまま、総会の承認も得ておらず、その正統性が疑義にさらされる常任幹事会が学会を取り仕切り始めているのです。

そこには、新保守主義に乗っかり、特定の「党派的」意図を非民主的なやり方で、「効率」という名の下に押し通そうとする、窮屈にも退屈な存在に変わり果てた経済地理学会の姿があります。

 


会長に、政府国土審議会委員の矢田俊文氏

会計監査に北村嘉行氏、寺坂昭信氏


事務局移転を「発議」した、今期学会評議員会
(定数40名)
青木英一、青野壽彦、秋山道雄、阿部和俊、生田真人、石原照敏、礒部啓三、伊藤達也、伊藤喜栄、伊東維年、上野和彦、小田宏信、岡橋秀典、加藤恵正、神谷浩夫、熊谷圭知、 栗原尚子、高阪宏行、合田昭二、竹内淳彦、竹内啓一、千葉立也、辻 悟一、富樫幸一、 富田和暁、友澤和夫、長岡 顕、中藤康俊、日野正輝、藤田佳久、松橋公治、松原 宏、 宮川泰夫、宮町良広、森川 洋、柳井雅人、山川充夫、山崎 朗、山本健児、山本 茂


以上の今期評議員の顔ぶれを全体としてみると、次のような特徴を読み取ることは容易です:

  1. 「再選禁止規定」が今回の選挙では適用されなかったこともあって、これまで長期にわたり学会役員をつとめてきた会員が相当数またもや任についており、高齢の方もかなり目立つなど、<新しい選挙制度による学会役員の新陳代謝>なるものが、実は「会則改定」と一部の人々による党派的な学会支配を強行するための口実にすぎなかったことを示しています。

  2. とはいえ、長期に役員を務めた会員で今期もまた任にあるのは、新会長となる矢田氏を頂点とする「地域構造」派に近い会員が中心です。「地域構造」派から自由な立場で、1970年代初期まで世界的に高い水準にあった批判地理学の研究活動を経済地理学会という舞台でおしすすめ、斯学の発展に画期となった著作を発表されて、前期まで学会評議員などの任にあった方々の顔は、この中にほとんど見られません。

  3. また、若い世代で、日本地理学会作業グループ「空間と社会」幹事をつとめるなど、ICGGやEARCAGのようなグローバルな研究組織と連帯しつつ、わが国の社会科学一般の分業の中で新しい批判地理学の学問を創造的に発展させようと取り組んでいる多くの会員も、これまたほとんどこの中に代表されていません。

  4. このように、学会事務局の強行移転を「発議」した今期の経済地理学会評議員の顔ぶれを見ると、経済地理学会が、従来の批判地理学の伝統を振り払って、新保守主義を「効率的に」推進しうる組織へと大きな転換を遂げたことが如実に示されています。そして、この母集団から不明朗な「話し合いを含む互選」でそのポストについた執行部は、その顔ぶれが総会で資料としてすら配付されず、総会の承認すらないまま、学会を思うがままに動かしはじめているのです。これが非民主的学会運営でないなら、「民主主義」とはなにか、根本から改めて定義しなおさなくてはならないこととなるでしょう。


経済地理学会−−もはや揺るがぬ新保守主義化の流れ


批判地理学国際集団(ICGG) Neil Smithより、今回の経済地理学会(JAEG)の選挙結果と関わって、次のメッセージが2000年1月21日に寄せられました。

On the question of the JAEG, It is certainly very disappointing news although by now expected.
My most important concern is that the apparent conservative turn of the JAEG is not an isolated event and that it mirrors a conservative backlash taking place, as I tried to suggest in my paper , in other countries and national societies.
Still, I remain hopeful that another radical movement is beginning to emerge in Japan and internationally and that this time our internationalism puts us well ahead of this backlash.
Some younger German colleagues will come to Taegu, and this is a real victory given the conservatism of German geography.
The ICGG is very important for such a movement to succeed.


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