国際経済地理学会議、世界各国から200人を越える参加者を集めシンガポールで開催。
経済地理学会役員による研究発表はゼロ…… グローバルな研究潮流からの孤立深まる


2000年12月5日から9日まで、シンガポール国立大学において、国際経済地理学会議(Global Conference on Economic Geography)が開催されました。この会議は、同大学地理学科が、世界経済がグローバル化しつつある状況の中で、経済地 理学の発展をすすめ、教育と研究の両面における国際的な共同研究を構築することの重要 性を認識しつつ、経済地理学者のあいだでのグローバルな対話の機会を提供するという趣 旨を掲げてよびかけたものです。欧米を中心に30以上の国から200人をこえる名だたる経済地理学者が集まり、前世紀における経済地理学のグローバルな展開と、今世紀の斯学の方向性の展望が、3日間のタイトな会議日程の中で真剣に討議されました。会場となったシンガポール国立大学は、英国の伝統を受け継ぎ、欧米人教員も多数擁する、アジアで最高のレベルと国際的パースペクティブ をもつ大学です。

世紀の変わり目にあたり、経済地理学の前世紀の研究蓄積を総括し、今世紀の研究課題を論じて、経済地理学が人文地理学一般・さら に広く社会諸科学のなかで占める位置について再考する契機となる一連の書物が、相次いで海外で 出版されました。Roger Lee と Jane Willis の『経済の地理学』(Geographies of Economies, Arnold, 1997)、Gordon Clarkらが編集した『オックスフォード経済地理学ハンドブック』(Oxford Handbook of Economic Geography, 2000)、そしてEric Sheppardが編集した『経済地理学の手引き』(A Companion to Economic Geography)という浩瀚な学界展望の集積がそれです。これらによって、 20世紀後半の50年間にわたる経済地理学の学問的蓄積と展開が集約され、これをプラット フォームとして21世紀への展望がうちだされました。

1990年代に入ってからのグローバルな経済地理学の動向には、大きく2つの要素が現れて いました。@クルーグマンが唱え始めた「新経済地理学」(最近日本では「新空間経済学」と呼ばれるようになってきています)に沿って産業集積 などを新保守主義的立場から解明しようとするアプローチ; そして、A経済地理学の扱 っている分野が、必ずしも狭義の経済学でのみ解明できるものでないことに着目し、文化 的・社会的・政治的諸要素を取り入れて、より経済地理学の研究を豊富化しようとする「経 済地理学のcultural turn」、の2点です(Sheppard, Oxford Handbook of Economic Geography , pp. 99-100)。

このような、世紀の変わり目における学界状況を踏まえるとき、この国際会議開催は、誠 に時宜を得たものというべきでしょう。
主催者は、この国際経済地理学会議に、@経済地 理学の進歩のため決定的に重要な、地域を超えた対話ができるフォーラムを提供する; A 今日の経済地理学では英米の影響が強くなっているが、アジアの外から来た経済地理学者 がアジアの経済地理学者との交流ネットワークを深化することで、アジアに存在する経済 地理学研究の蓄積をよりよく認識してもらう; Bアジアの外から来た経済地理学者に、 シンガポールと東南アジア経済のダイナミクスを認識してもらう、という3つの目的を設定、 1年以上前からインターネットなどで学会開催を世界に周知してきました。
これに応えて、参加者は、3つないし4つのセションに分かれ、朝8 時半から夜8時まで、熱気ある報告と討議が3日間にわたり繰り広げられました。

全体としてみると、ポーターやクルーグマンなどを援用し、「regional service class」(Lovering, 1999)となって、利権政治を背景にもつ土建屋的国土開発や地域産業振興に媚びて「経済地 理学の有効性を主張」しようとするような、現在わが国の経済地理学会にみられる軽佻浮 薄な姿勢はほとんど見られず、政策とのかかわりから一歩退いて、学問として対象を検討し ようとする着実な研究者の真摯さが多くの報告ににじみでていて、好感がもてました。学界 の席上、Allen J. Scottが、「クルーグマンの説は、かつての地域科学等の焼き直しにすぎず、な んの新味もない」(そもそも、きちんと「焼き直し」ているでしょうか? )、「ポーターには、その背景に、何の哲学もモラルの精神もない」と言い切っていたことが、印象に残り ます。

ペーパーの全体的な傾向を整理してみますと、まさに50年間のグローバルな経済地理学 の発展の縮図を見る思いがします。特に注目される論点や議論のあった報告を、以下にピ ックアップして紹介しましょう。

まず、「経済地理学の理論と言説」のセションでは、中華人民共和国における経済地理学の発展について劉衛東が報告しました。1980年代までの中国では、ソ連の経済地理学に学んで「生産配置の一般的条件」が研究対象となっていました。かつてわが国の経済地理学会でも、同じソ連の影響で、マルクス経済地理学の課題が「生産配置」であると論じられていたことがあります。そして最近は、こうした含意をほとんど考えないまま、市場経済の日本で雪印乳業やカゴメトマトに関わって「生産配置」という語を濫用して学会発表する経済地理学専攻の大学院生がおり、わが国の経済地理学界の没思想性が実感されます。中国では批判地理学がどの程度受容されているのか、という質問に対して、この中国社会科学院の報告者は、ハーヴェイ(David Harvey)の名前すら知らず、「オーソドックス」な社会主義政党の支配する場に新しい柔軟なマルクス主義に基づく批判地理学が浸透することの難しさを示していました。また、このセションでは、わが国の経済地理学会(JAEG)が、批判地理学の学会からundemocratic and neo-liberalist turnsにより没落していく過程についての詳しい報告もなされ、国際的な参加者の強い興味と関心を呼びました。

「都市ならびに地域開発のダイナミクス」についてのセションでは、インドのハイテク 生産地区として注目を浴びるバンガロールが、新国際分業のグローバルなシステムのもと で、実は、域内でのリンケージがほとんどない、主として合衆国からの海外直接投資など にもとづくソフトウエア注文生産などの下請け生産基地となっているという実態がBalaji Parthasarathyによって報告され、ポーター=クルーグマン流の産業集積論に対する実証的な 批判が展開されました。

1日目の夜の、ラディカル地理学誌『Antipode』が主催する講演では、Katharine Gibson(オーストラリア国立大学)が、資本主義が「自然的に」卓越した体制であるという信念に基づく新保守主義的なグローバル化に対抗する「Anti-capitalocentric discourse」として、商業的に採取することが難しく資本主義的企業が従来は無視していたココナツの採取を草の根から援助することで、貧困な人々に所得機会を与えempowermentを図るというパプア・ニューギニアでの実践、そして、香港で働くフィリピン人メイドに積立貯金を推奨することを通じて、帰国後これらのフィリピン人たちが自ら事業をはじめられるようにする運動、など草の根からの事例が紹介されました。こうした活動は、バングラデシュのグラミン銀行と同様の「社会運動の市場経済化、新保守主義化」という批判にさらされる内容も持っており、その帰結については慎重な吟味が求められるものの、この全体講演は、経済地理学の新保守主義化に、一つの重要なオルタナティブを提供したものといえるでしょう。

2日目に「ヴァーチャル経済」と題して、インターネットがグローバルな経済地理に与える影響について報告がなされたのも、この国際会議の大きな特徴でした。インターネットは一般に、誰がどこにいようとも瞬時に世界の情報にクリックひとつでアクセスでき、均質空間をもたらすものと思われがちです。しかし、インターネットが市場経済に取り込まれるにつれ、ドットコムビジネスが用いるサーバは、インターネット回線の帯域幅が広く、情報パケットの渋滞が少なくてすむ特定の大都市へと極端な局地集中を示していることを実証的に指摘したEdward J. Maleckiの報告は、参加者の大きな関心を集めました。

「経済と環境」に関するセションでは、Jerry Patchellが、新保守主義に理論的枠組みを提供している新古典派経済学は、容量無限の生態系を暗黙のうちに前提としており、環境破 壊を作り出している、と指摘しました。また、Hamirdin B. Ithninは、マレイシアでの経済成長に伴って増加している環境破壊が、観光収入を減少させたり災害復旧費用を増大させたりし、逆に経済成長そのものにブレーキをかける要因を作り出しているというパラドクスを報告しました。

「開発と地理学」のセションでは、草の根からのオルタナティブなグローバル化や領域形成をめざす問題提起がいくつもなされました。NGO活動が世界でも活発なバングラデシュの経験を踏まえ、ドナー(資金提供者)へのアカウンタビリティーが強調されることによって、NGOの活動の受益者である農民などの声が聴き取られにくくなっていること、またマイクロクレジットの導入がNGOをビジネス的組織に変質させていること、など新保守主義のもとでの農村開発型NGOの変質に警鐘を鳴らしたMokbul M. Ahmadの報告は、わが国でも一般的なNGOに対する手放しの好意的な見方の転換を迫るものでした。また、先住民である村人に、自らの権利地に関するメンタルマップを描かせ、これをGISの技術を用いて実測図に投射することで、先住民の土地への権利回復運動を地理学から支援するFrancoise Orban-Feraugeのフィリピン・ミンダナオ島における実践報告は、ともすれば経営戦略など新保守主義地理学者の占有物と見られがちなGISをオルタナティブな実践に使う方向性を示した、独創的な報告でした。

2日目の夜に開催された全体集会における講演に立った、Trevor Barnesは、19世紀末、大英帝国が隆盛であった時代におけるチズムの『商業地理学』と、第二次大戦後「計量革命」へのパラダイム転換を推し進めたハゲットの『立地分析』という2著をとりあげ、これらの書物がそれぞれの時代において経済地理学者をネットワーキングし、必読文献となることでそれぞれがもつパラダイムの影響力を増大させていった過程を「パフォーマンス」としてとらえ、経済地理学の学説史を文化現象として分析しようとする、新たな分析視角を示しました。

3日目の「グローバル資本主義の地理学」のセションでは、経済の地理学プロパーの立場からオルタナティブなグローバル資本主義の分析を図る意欲的な報告が続きました。Padraig Carmodyは、今日のグローバル化において、新保守主義が理論的に主張しているグローバルな市場経済の展開による世界経済発展の均衡的な収斂への方向と裏腹に、マクロ経済ごとにことなった域内の市場規模と、為替レートの変動によって減価しうる労働力の価値が、ますます「輸出のプラットフォーム」を各地に不均等な形で勃興させている、と「グローバル化の空間的パラドクス」を指摘しました。また、1982年にHarveyが出した『Limits to Capital』に触発され、Eric Sheppardらによって発展させられた「マルクス主義計量経済地理学」の流れを汲むJim Glassmanは、アジア経済危機を分析し、これがHarveyのいう単純なspatial fix(空間的回避)ではなく、回避しようとした先であるアジアから、回避元への商品の逆流入という過程をとって激化した危機であること、アジア経済は「中心―周辺」という固着化した構造としてではなく、中心から周辺へと連続性を持った階層的な編成としてとらえなくてはならないこと、などを指摘しました。「アジアの大都市」についての研究ならばわが国でもありふれています。しかし、新国際分業からすら見放された場所の都市地理を調査した事例は、資料の制約や調査地の治安の問題もあって、ほとんどありません。Richard Grantの、活字の信頼に足る資料がほとんど無いガーナの首都について詳細な「足で稼ぐ」実態調査とその地図化を行った報告は、アクラでは、西アフリカの玄関口として、外国資本・地元住民・行政機能というはっきりした空間的住み分けがみられること、主として域内のノンベーシックな需要目指して、植民地時代から存続している英系資本やグローバルな米国多国籍資本のほか、ドイツが卓越、中国やレバノンなど他のグローバル都市ではあまり目立たないアクターも活躍し、広告宣伝や商品の価格付けなどにも地元密着型の指向がみられること、などの貴重な事実が示し、大きな関心を呼びました。さらに、Allen J. Scottはこのセションで、経済地理学の研究アジェンダを「文化の生産」の方向に拡張しようとする、近年顕著な経済地理学のcultural turnについて、基調的な論点開示を行いました。

「労働の地理学」セションにも、興味深い報告が並びました。労賃高騰によってますます生産機能の中国本土進出が顕著な香港では、未熟練女性労働者の雇用機会が縮小していることがよく知られていますが、香港には今日でも若干の未熟練女子労働者の雇用機会が根強く存在している、ということの不思議を盧佩瑩が報告しました。これは、中国本土で縫製されたジーンズに「Made in Hong Kong」のラベルをつける作業を行うもので、繊維製品の輸入に際し、各国が割当量を設けているためで、ラベルを縫い付ける工程のみ香港で行うことで、香港の割当量を用い「香港製」として衣類を海外に製品輸出できるようにするためです。グローバル化が、じつはこうした国境という有界性のモザイクの上でしか成立するものでないことを、現代の香港における不思議な労働力需要の残存が表明しているわけです。国境の開放性の度合いが労働力市場と階級関係に対して果たす役割は、Philip S. Morrisonがとりあげました。「国際労働力移動」が研究アジェンダとなり、労働力も資本も同じようにグローバル化しているという皮相なイデオロギーの背景で、労働ビザ発給や入国管理の排他的な権限を有する国家装置による巧みな労働市場調整が、ますます一般的となってきています。これにより国家は、その有界性の調整を通じてグローバルな経済競争に最適な労働市場の階層的編成をそれぞれのマクロ経済の内部に創出できるようになり、資本は労働の上にますます強く君臨しているのです。

「国際貿易と投資の地理学」のセションで計量マルクス経済地理学者のMichael Webberが行った報告は、グローバル化が各マクロ経済内部における経済的不均等を縮小させるという「グローバル経済の収斂」を唱えて経済のグローバル化を支持する新保守主義的な計量経済学者のレトリックを暴きました。すなわち、自由貿易が進めば新国際分業のもとで成長の遅い部門は他の国に立地移動を行い、それぞれのマクロ経済の産業構成はより均質化するので、マクロ経済ごとの経済格差は縮小するのは当たり前だ、というものです。このように、この国際経済地理学会議は、グローバルな経済地理学が長年にわたって蓄積してきた健康な批判精神と、国家・地方を問わず政治装置の意志から独立性を保つ研究者としての自己規律に依拠しつつ、今日のグローバル化の中でのローカル化の深化というパラドキシカルな状況に究明の光を当てた刺激的なペーパーが多数並び、批判地理学にとって大きな学問的成果があがったといえます。

とはいえむろん、今後へのチャレンジにはなお大きなものがあります。経済地理学が国際的に現在抱えている課題は、最終日の夜に開催された、ラディカル地理学誌『Antipode』主催の座談会に集中して現れました。この座談会主催の背景には、近年起っている「経済地理学のcultural turn」が行き過ぎ、本来経済地理学が対象としてきた領域が手薄になっており、しかもこの経済地理学領域での批判地理学的研究がかならずしも十分とはいえなくなっているのではないか、という問題意識がありました。たしかに、文化地理学や社会地理学の分野では、1970年代後半から批判地理学者が蓄積してきた努力によって、「建造環境」「領域性」など地理学独自の概念が多数つくりだされ、これをもとに地理学に独自の研究が進められてきました。経済地理学の分野においても、スコットの『Metropolis』に示されている、資本賃労関係という資本主義に最も基本的な社会関係をバックとして、産業集積とリンケージの空間組織を説く独自のアプローチはきちんとあるのですが、残念なことに、最近は外部からの借り物理論のほうに関心が集まる傾向が、国際学界にもまったくないわけではありません。もちろん、ポーターやクルーグマンは「学問というよりむしろ、地域間競争を担う人々の政治的なツールとして出されてきたものだ」という、本質をおさえた発言がパネリストの一人からきちんとなされており、経済地理学を新保守主義の方向で展開しようとする方向がこの国際会議のコンセンサスであったということは、いかなる意味においてもありません。しかし、この座談会が、こうした「経済地理学の危機」の克服に十分な展望を出せたかというと、これもまた疑問といわざるを得ません。座談会のあるパネリストは、「自分が今まで行ったことのない場所についての話がいろいろ聞けて面白かった」、また別のパネリストは「視点の多彩さが経済地理学の財産だ」などと語っていましたが、これでは、かつての例外主義からあまり遠ざかっていません。フロアから、「多彩と言うが、多彩な視点相互の関係は一体どうなっているのか」と批判されたのは、当然でしょう。また、主催者が提示したアジアでの経済地理学の研究蓄積について認識してもらうという趣旨をふまえたフロアの発言者から「アングロサクソンの考え方が卓越しすぎではなかったか」との疑問も投げかけられました。文化地理学や社会地理学でこの種の討論を行えば飛び交ったであろう「空間」の語がこの座談会であまり聞かれなかったことも、かなり気になったことの一つです。「経済地理学の危機ではなく、むしろチャンスととらえたい」という意見もありましたが、「社会地理学・文化地理学の輝きの陰で、経済地理学は色あせてきているのではないか」という指摘のほうが、斯学がおかれた現在の状況を率直に表現していたかもしれません。

このような、世紀の転換点にあたり、国際的な経済地理学研究において、今世紀に向けたチャレンジの方向を見定める上で重要な意義をもった「Global Conference on Economic Geography」でした。だが、これに日本から参加したのは、わずか5名。しかも、40名以上もいるわが国の経済地理学会役員の中から、ペーパーはただの1本も報告されないという、信じられない状況でした。

この会議の直後、『現代経済地理学−−その潮流と地域構造論』(ミネルヴァ書房)という書物が出版されました。帯には「欧米の経済地理学の理論的成果」とあり、カバーのフラップには、「日本の経済地理学の今日的到達点を世界の経済地理学の中で位置付け、確認する」と明記されています。グローバルな経済地理学界と薄いかかわりしかもたないわが国の経済地理学会の矢田俊文会長と松原宏編集委員長が編者になって、どのような「位置付け」と「確認」がなされたというのか、おおいに興味をそそられます。

内容を見てみましょう。この本は9割方、欧米の経済地理学者・それに関連した論者の説や、それをめぐる議論の、紹介に割かれています。「地域構造論」とは別の流れにあるわが国の社会・経済地理学者たちが、学界の抵抗をおして精力的に紹介の努力を重ねてきた欧米の地理学者の諸説に、「現代経済地理学」を説く書物のこれだけのページ数を割いて耳を傾けざるを得なくなった、という事実は、それ自体、「地域構造論」なるものの理論的な敗北をすでに表明するものです。

もっともこのことから、本書には、「これだけの範囲で、各 論者の基本的な論点を日本語で読めると言うことは、大いに意味がある」という見方も出てこないわけではありません。しかし、あくまで本書の目的は、紹介ではなく、「地域構造論」を「世界の経済地理学の中で位置付け、確認する」ことである事を忘れるべきではありません。こうした本書の目的は既に、取り上げる論者の「範囲」にはっきりあらわ れています。
いわゆる「人文主義的地理学」で功績を上げ、すぐ我々の頭に浮かびそう な国際的な地理学者は、すべてはずされています。また本書は、隣接分野の研究者 も取り上げていますが、これも「地域構造論」が「国内の地域的分業体系」 に関心を持つという制約を受けていて、国際的な新しい分業体系の存在を 提唱した著名な経済学者、フレーベルやヴァーノンなどが抜け落ちています。
シンガポールの国際経済地理学会議はもちろん、海外では、経済地理学の cultural turn(文化論的転回)を支える人文主義地理学の論者や、グローバルな経済地理 を分析するのに必要な新国際分業論が重要な理論的位置を占めている のですが、「地域構造論」を「位置付ける」には不要というわけか、紹介の範囲からバッサリ切り 捨てられているのです。

さて、本書のメインというべき「位置付けと確認」の作業がなされているのは、現経済地理学会長が執筆した「終章・現代経済地理学と地域構造論」です。
まず注意すべきは、これだけ、扱う海外の論者の範囲を制限した上で、さらにハーヴェイもクルーグマンも、「新しい時代の経済の空間システムをどのように把握」するかという「方法論的な枠組み」から除外されてしまっていることです(p.283)。マルクス主義と新古典派と、経済学の立場が全く異なるとはいえ、経済学のそれぞれの流れにおいて、最も強く経済地理学を唱導してきた2人。この人たちすら検討から外してしまうと、あとに一体何が残るのでしょうか……。
pp. 287-288 の2頁に広がる大きな図を見ると、この2名が除外されてえがかれた「世界の主要経済地理学理論」を示すチャートの最後に、本章の筆者である矢田俊文氏の名前が、わざわざ外国人と同じローマ字書きで「T. Yada 1941」と書かれています(ちなみに、1941は、説の発表年ではなく、生年です。年功序列的発想の古臭い匂いが感じられます)。マルクスとダニエルベルに始まる「世界の主要経済地理学理論」の頂点に、ハーヴェイでもクルーグマンでもなく、筆者(矢田氏)自身が来るのだという、日本海経済圏の向こう側にいる「偉大なる領袖」ですらいささか気恥ずかしくなりそうな「位置付けと確認」です。
では、そのような偉大な説は、このたびどのように「再構築」されたのでしょうか? 本書で唯一オリジナルな諸説を展開したというべきこのテーマを扱ったこの項は、わずか7ページ分しかありません。3節の第1項にある、「地域構造論」の紹介を加えても、10頁です。終章といえども他人の説の紹介に大半が割かれていて、本書のオリジナルな部分は、わずかこれだけなのです。10ページ分で、ハーヴェイやクルーグマンを凌駕する高説を展開する?? アインシュタインが10人集まってもこれは至難の業ですが、世界の経済地理学の頂点にあるこの著者ならば、朝飯前なのかもしれません。
そこで、どのような「再構築」が試みられているか、見てみましょう。
要約すると、@世界経済・国民経済といったマクロな空間システムと企業経済というミクロな空間システムとは峻別されるべきだ。 Aグローバライゼーションの展開により、国民経済が解体されたと見るのは行き過ぎだ。 B専門的な中小企業が集積する「新産業空間」は、地域経済システムの主役ではあっても、世界経済システムの主役として位置付けるのは過大評価だ。 C農林水産業・地場産業地域など多様な「産業地域」の分析が、国民経済の空間システムの解明に必要だ。 D地域構造論は、地域政策・国土政策の策定に「科学的な根拠を与えることができる」(p. 309)。
これが、「再構築」のすべてです。「再構築」というより、かつての「地域構造論」の主張の単なる「再確認」「再墨守」と題したほうがよいような気がします。
さらに、「最近の経済地理学の潮流が、ローカルな『産業集積』とグローバルな世界システムに関心が集中し、ナショナルな空間システムについて注目しないのは、世界システムの頂点にあるアメリカの経済地理学者が中心となっているから……で、アメリカ以外の国々の空間システムには無関心である」と説かれます(p. 307)。理論が英語圏中心であるとの指摘は、シンガポールの国際経済地理学会議でも確かに出されました。しかし、研究対象地域(フィールド)に関し「アメリカ以外の国々には無関心」であるということは、シンガポールの会議が扱ったフィールドの多様性を見ただけでも、ありえないことです。そして結びには、「IT革命の進展と冷戦体制の崩壊・グローバライゼーションとは、20世紀末に生じた時代変革のメダルの表と裏なのである」(p. 281)という本章冒頭をひきついで、「情報経済の空間システム論が21世紀の経済地理学を制する」(p. 311)という、どこかで言い古されているいささか陳腐な言明が……。

実際に、「地域構造論」がpp. 288の図に示すように国際的な経済地理学界で評価されているという事実は、全くありません。ところが、経済地理学会の中には、このような「地域構造論」の幻想で頭が固まった(ossify)人々が跋扈していて、世界にどのような経済地理学の新しい研究動向が生まれても、既得権益と結びついた「地域構造論」というカビの生えた眼鏡レンズを通してしかそれを評価できないでいるのです。そして、いつクラッシュするとも知れない600兆円を超える国債・公債乱発の上に展開している政府の国土軸構想を、森首相のお膝元、日本海経済圏について論じるシンポジウムを、経済地理学会は来る大会で開催しようとしています。

今回の国際経済地理学会議で示されたような真摯な研究者の営みからかけ離れたスタンスの本書出版により、21世紀の経済地理学会の行く手は、日本経済の行く手と同様、一層暗くなったというべきでしょう。
前世紀的考え方を神棚で墨守して、新しい潮流を海外に学び斯学を自由闊達に発展させることに背を向け、グローバルな斯学の発展に歩調をあわせつつそれを柔軟に発展させる知的エネルギーを失った、日本の経済地理学会の国際的孤立。本書も、また今回の国際経済地理学会議も、このことをローカルに逆照射し得たという点において、不思議なまでに一致しています。


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