■ ポルトアレグレ 9・14


今朝は、7時45分にホテル出発!のところ、30分遅刻したゼミテンが現れた。巡検も中盤から後半に差し掛かり、気の緩みも出始めた頃である。ゼミテン一同気を引き締め直すこととなった。

幸い、途中に予想していた交通渋滞がなく、予定の飛行機に間に合った。リオデジャネイロの空港はホテルからタクシーで30分くらいのところにある。チェックインをすました、カウンター内には商店があり、店を冷やかしながら時間を過ごした。


歓喜の港――ポルトアレグレ


本日と明日、われわれは、ルラ大統領をだしたブラジル労働党(PT)の拠点都市の一つ、ポルトアレグレを訪問する。労働党政権は、ネオリベラリズムに対し如何なるオルタナティブを提示できるのか、そして、ポルトアレグレの参加型予算・土地なし農民運動(MST、詳細は後述)などのオルタナティブな実験的政策は、どのように機能し、どの程度成功しているのか、などのテーマに、ゼミで注目してきた。また、夏学期のゼミで輪読した、世界社会フォーラムの記録『別のダボス』の中でも、その開催都市としてポルトアレグレが登場した。ネオリベラリズムとPTの問題はブラジル巡検の1つの核をなしており、その舞台であるポルトアレグレの訪問を、ゼミテン一同は心待ちにしていた。

ポルトアレグレの諸機関の訪問については、サンパウロやミナスジェライスなどと異なって、日本での仲介が得られず、ゼミが直接ポルトアレグレ市役所や、MST組織にメイルを出して、面会予約をとりつけた。先方から出発間際まで確認の連絡が来ず、気をもんだが、現地の皆様のご好意によって、結局すべての視察を予定通り組むことができた。


※『世界社会フォーラム』:2001年のポルトアレグレでの会議に始まり5年間開かれている会議。3年間ポルトアレグレで開かれ、2004年にインドで開かれ、2005年は再びポルトアレグレで開かれている。その名が示すように、スイスのダボスで開かれ、ネオリベラリズムの世界覇権をめざして、各国政府や多国籍企業代表が一堂に会する「世界経済フォーラム」のオルタナティブとして開催された。ブラジルのMST運動の他、韓国の「労働組合会議」・ブルキナファソの「全国農民連盟」・ケベックの「女性運動」・フランスの「失業者運動」・短期資金の世界的流動の規制を目指す「ATTAC」などに関わる非常に多くの社会活動家が参加した。その中で新自由主義の支配的なイデオロギーに対する反対とそれに対するオルタナティブを表明した。

リオデジャネイロからポルトアレグレへは飛行機で2時間程度だが、それでも時差が1時間あり、タイトなスケジュールのわれわれに、時間のプレゼントをしてくれた。

南緯30度と赤道から大分遠い都市であるため、空港に着くと、気温も18度前後と肌寒かった。南半球ではこの時期は日本でいう春先にあたる。ここは、今回の巡検でわれわれが行く、もっとも南の場所である。

空港で、ガイドの福岡さんに出迎えられた。福岡さんは、日系移民の娘として、小さなときブラジルに移住した。現地で教育を受けてポルトアレグレの大学にすすみ、社会学を専攻、労働党が主導する学生運動にもかかわられたという。しかし、社会学専攻では大学を卒業して仕事がないので、保健士の資格をとり、現在はポルトアレグレで、社会福祉関係の仕事をしておられる。ポルトアレグレでのわれわれのインタビューはすべてポルトガル語なので、福岡さんに日本語との通訳をやっていただくことになっている。

「アレグリア」という名は、NGOやショーなどに時々聞く。それは、ポルトガル語、スペイン語、そしてイタリア語で「歓喜」という意味だ。「歓喜の港」というのが、この都市名のポルトガル語の意味である。

ポルトアレグレは、サンパウロなどと異なり日系人は少なく、ドイツ、オランダ、イタリアなど大陸ヨーロッパ系移民が多い。そのためか、綺麗に区画整備された通りに年季の入ったヨーロッパ系の建物が並んでいて、街を歩く人も白人が目に付く。

ガイドの福岡さんから、バスの中でポルトアレグレについて簡単に説明を伺った。

ポルトアレグレは、4期16年に渡って労働党が政権を握ってきた都市である。我々が行った時は市長選まであと1ヶ月という時期であったが、福岡さんは「今回、労働党は厳しい情勢だ」とコメントしていた。貧民に対して積極的な政策を施すことで知られる労働党であるが、それでも「貧乏人が多くなっているのに対応しきれておらず、保険が普及してない・病院の数もすくない等問題を抱えている」と福岡さんは指摘していた。財政規模が限られているので、政権が変わって急に公的な福祉政策をとろうとしても、限界があるということなのだろうか。

バスに着いた後バスに揺られて数十分、我々はポルトアレグレの中心地に到着した。バスに揺られる途中、郊外から町の中心に向かう鉄道の線路があった。最近できた、メトロのようだ。地下鉄に類する都市高速鉄道だが、地下を走る区間が全くない。宿泊予定のホテルのロビーに入る。欧州風のどっしりした造りの建物である。しかし、フロントの人は、われわれが予約していた部屋を延泊した客が使っているため、部屋が用意できないと言う。仕方なく、ホテルを変更することになった。新しいホテルは、電車で一駅さきにある「リッターホテル」といい、ドイツ系移民が経営している。ロビーに、このホテルの名前の由来となった、ハイデルベルクのリッターホテルの大きな絵が掲げられていた。ホテルのフロントでは、ドイツ語が通じた。


 市役所


参加型予算のお話しを伺うまで少々時間があったので、市役所を拝見することにした。

ポルトアレグレでは、市役所のある地点が基準点となっている。元々ここは埋立地で、出納局が置かれていたのが、現在は市役所になっているそうだ。市役所の中にある、昔刑務所になっていた地下倉庫を訪問した。ロシア人が作った最後の晩餐が壁に描かれているなど、ここでもヨーロッパの影響を感じさせた。バルガス元大統領像も展示してあった。

市役所を出て我々は近くの中央市場で昼食を取った。

中央市場は2階建ての建物で、サルバドールで感じたようなヨーロッパ調の香りがする綺麗な建物だった。その中が小さなテナントの区画に整然と区切られており、青果物や肉など、日常の食料品や雑貨を販売していた。軽食レストランもあった。





 参加型予算の概要


その後われわれは、1989年に、ポルトアレグレ市が導入した、世界でも類を見ない参加型予算のシステムについて、担当者のルイス・アウベルトさんからお話を伺った。

「参加型予算」(オペ Orcamento Participativo)とは、予算編成の意思決定に一般市民の意見を取り入れるシステムである。1989年は、ちょうどポルトアレグレにおいて労働党が政権を取り始まった時期に対応する。その後、現在まで4期の間労働党は政権を握っており、その間に参加型予算は制度を次第に整えてきた。参加型予算は、これまでNGOやオルタナティブな社会を目指す人々など、など様々な方面から注目されてきた。

参加型予算が始まった理由としては以下の2点が挙げられるという。

・1981年においては1/3がスラムで実質たった15の富豪家族が市政を牛耳り都市発展の恩恵を与っている状態だった。このような状況を改め、「貧民が政治を動かせるように」との狙いがあり、不平等是正の出発点にしたかった。

・予算案をオープンにすることを通じて、都市政治の民主化を進めたかった。市財政にかかわる決定権はそのまま権力・政治力に繋がるもので、市財政の意思決定をオープンにし、透明性を高めることで一般民衆も政治力を共有したかった。


まず、参加型予算のシステムについて、簡単に説明をしていただいた。

ポルトアレグレは人口130万人の都市で、市の中が16の地域に分かれている。16の地域それぞれに予算について話し合う総会が存在し、その区域ごとに、住居に予算を費やすかそれとも教育に予算を費やすかといった、支出のプライオリティーを決めていく。小さなミーティングは3〜4月に始まり、4〜5月に地域ごとに住民を集めて大きな総会が開かれる。ここで参加する住民が多いほどその地域での発言権が大きくなるので、多くの住民が参加するようになる。地域の総会は特定の選ばれた人ではなく、ポルトアレグレの市の住民なら誰でも参加できる。地区ごとの総会と並行して、各地区の地域代表者(デレガード、Delegados)のフォーラムも開かれる。こちらでは5つのテーマ別に話し合いの場が持たれる。ここで一般市民は議決権を持たないが、フォーラムの様子を傍聴することが出来る。その後、各地区の総会・フォーラムの中からそれぞれ2人ずつの評議員を立て、COPと呼ばれる予算評議会の場へ審議が移され、9月下旬までに来年度予算の詳細が決まる。議会の段階同士でリコールも可能となっており、ガバナンスはしっかり行き届いている。


アウベルトさんは、4,5月に総会で決まったことを住民に伝えるためのアシスタントという、市民に近いところで仕事をしておられる。デレガードや総会・地域住民との間をコーディネートし、提案の中身を具体的に詰める話し合いにも参加している。

アウベルトさんは、参加型予算の詳細、そのメリット、現状の問題点などを、次のように語られた。

参加型予算の根底には、少ない予算の中で如何に貧民層を支えていくかという発想がある。限られた資金の中で、どのようにすれば貧民層に資金を回せるかを考えた結果、市民が自ら予算を配分のありかたを決める参加型予算の制度を採用することにした。その結果、ファベーラに住んでいるような低所得者層の住民も、公共サービスの要求ができるようになった。低所得者が自ら提案することで、ファベーラの住環境にも大きな変化がもたらされた。「参加型予算は社会的なニーズに応えられる制度になっている」とルイス氏は仰る。各地域の総会の場では、使える予算を提示した上でどこから予算を配分していくかプライオリティーを決め、重要項目順に4、3、2、1と番号を振っていく。具体的な項目としては住居・道路・上下水道といった基本インフラから教育・ゴミの分別にまで及んでいるが、何年か前から「住居」がずっと1位になっている。これは主にファベーラからの要望で、予算の多くはファベーラ住民の家を良くするために使われている。

ポルトアレグレは貧民層が多い。1950~60年に移住してきた人は、ほとんどファベーラに住んでおり、トイレがなかったり、紙で出来ている家に住んでいたりする住民もおり、居住条件改善は大きな課題となっている。このように、居住条件の改善に当てる予算に最大のプライオリティーを与えるという参加型予算の意思決定方式は、われわれが、サンパウロやリオデジャネイロで視察してきたファベーラの問題解決のもう一つのあり方として、注目されよう。


ルイス氏から説明を受けた後、ゼミテンなどから、活発な質問が出された。

Q:「住民がやるのは順番をつけるだけで具体的な提案は出来ないのか? 例えば『〜の住宅の〜が良くないから何とかして欲しい』といった提案は出せるのか」

A:「重要項目4つの中に入らないものでも問題があれば提案できる。『〜について予算を使おうと思いますがどうか?』と市から選択肢が出されるが、話し合いの中で必要としているものが何かが分かってくると、その選択肢自体に対し、住民が市に対して物申すことは出来る。また、重要項目4つの中に選ばないというのも住民の立派な意思決定だ。例えば『ゴミの分別』の項目を0ポイントとすれば、これはゴミの分別の為にこれ以上予算を割かないでという住民の意思表示になる」

Q:「予算の枠が小さい時、要望がかなえられなくなるが、これについてはどうするのか?」

A:「実際、去年・今年・来年と景気が悪くなった影響で予算の枠が少なくなっている。予算財源の半分を占めるポルトアレグレ市はきちんと予算を出しているが、残り半分を占める連邦政府からの資金が減っている。まず、5月の段階から不景気で予算が限られていることを伝え、住民には本当に予算を割くべき課題について考えていただく。その上で住民と折り合わなかった場合は対話によって解決を図る」

Q:「例えば市としては企業誘致の為に資金を使いたいのに、『住環境の為にお金を使ってくれ』との市民が多くいた場合、市の意向と住民の意向のどちらを尊重するのか?」

A:「まず、市の代表の人が工業団地を作らなくてはいけない理由を説明する。すると、工業団地に外資を呼び寄せ借金が生じるのだが、借金は数年後に返せばよいので、参加型予算そのものには直接影響されない。さすがに、借金は返さなくてはならないので、それに対しては住民は発言権をもてない。つまり、市の動かす大きなプロジェクトの分は差し引いて、それ以外の部分に関して住民は発言権を持つようになる。」

Q:「参加型予算に、ほかに問題点はないのか」

A:「まずは、全員の意見を聞き入れることは出来ないこと。多様な人々が住んでおり、全ての立場の意見を採用することは出来ない。また、先に話したことではあるが、やはり市民が必要としている額は市が出せるよりも多く、市民を説得できないケースもある。また具体的な用途に関しても、例えば道路工事・下水の修理の場合作り直すのと同じだけのコストがかかり、参加型予算システムに提案しないといけないのだが、このことをなかなか理解してもらえないこともある。あとは、従来市の議会で決めていた予算をが、代わりに参加型予算システムで決められるようになったために、議会とはあまり仲良くない。議会は参加型予算システムから出された予算案を再び議論するのだが、議員に予算案を変えないようにと圧力をかける必要が生じる。これは結構大変な作業だ」


参加型予算システムについて、その限界や問題点も含めて、われわれは、担当者のアウベルトさんときわめてフランクな意見交換ができたと思う。


 GAPLAN


参加型予算システムにおいて住民とのインターフェイスをになうルイス・アウベルトさんのお話しを伺った後、次に、GAPLANのマルシオ・ボシオさんにお会いしてお話しを伺うことになった。GAPLANは、参加型予算システムにおいて、具体的に資金をどのように使うか考え、実行可能な支出計画を立てるという、より技術的な性格が強い部署である。

出てきたポシオさんの胸には、労働党のバッチが輝いていた。ポシオさんは大変忙しく、あまりお話を伺う時間がなかったため、質疑応答のみの懇談となった。

「扱う内容は予算配分の細かい設計などで技術的で専門的であるが、それを住民に理解してもらわないといけない」と、ポシオさんは語られた。

ポシオさんに対しても、「不満とかが出された場合はどう克服するのか? 住民の意見を聞いたのだから、ということで住民の不満が丸め込まれはしないか?」との質問を投げかけてみた。すると、ポシオさんは次にように回答して下さった。

不満は予算制約に絡む話が多い。予算制約に関しては、収入を増やしたり、また費用を節約したりする努力をしている。すなわち、企業を作って金を稼ぐなどの方法で予算制約を回避していく。例えば、企業と組んでアスファルトを安く舗装する技術を共同開発する。こうして安くアスファルト舗装が出来れば、予算が他に廻せるようになる。

また、「どういう課題が優先的に予算配分されるのか」は、規則で決まっている。基本的には資金があるところまでプライオリティーが高い順に予算配分することになっている。それで予算がつかなかった課題の場合、必要と主張する住民が他の人たちに受け入れてもらえるよう努力をし、その上でもう1回提案してもらわないといけない。それでも支持を得られないということは、「周りに対する働きかけが足りなかった」もしくは「周りの人にとって対して重要ではない」ということになる。

ただ、GAPLANの側でも「このようにすればプロジェクトが出来るようになりますよ」と助言はしている。新規のプロジェクトの場合資金が足りないケースもあり、その時は複数年計画で実行する等臨機応変に対応している。

予算制約が存在するのはいかんともしがたい事実であり、それと参加型予算が目指す民主主義の理念とどう折り合いをつけるか、GAPLAN担当者の苦悩が伝わってくる話であった。


 COPの現場


午後6時半から、市役所付近の先に紹介した中央市場の2階の1室でCOP(Conselho do Orcamento Participativo)の会議が開かれるということで、我々も見学させていただくことになった。

COPの会議というので、大層立派な建物を使って開かれるのかと思いきや、かなり庶民感覚に近い集会所で開かれていた。出入りは自由で、参加者はマテ茶の回し飲みをしていた。会議室の前にはテーブルとスピーカーが置かれており、司会の方が3人ほど座って議会を進めていた。先ほどお会いしたルイス・アウベルトさんも、司会の3人のうちの1人だった。会議は、終わるまで3時間でも4時間でも続くという。COPでは月1,2度評議員から現状報告がなされ、今回の会議とあと1、2回の会議で、来年度の予算案が作られるようだ。

我々が会議所に入るなり聴衆の方々は拍手で我々を迎えてくださった。会議室の中は熱気と連帯感が感じられた。集会所に集まっている人数は40人程度で、高齢者の方が多く、男性が多かった。そして多くの聴衆が労働党のマークをつけていた。

福岡さんは「ほとんどの聴衆が評議員で、代表者は基本的に夜集まらなくてはならない。このため、参加者は夜に仕事をしていない高齢者が多い。企業に勤めている人はほとんどいないと思う。また、代表者は例外なく労働党員で、構成人員に偏りがあるのは大きな問題だ」と指摘していた。また福岡さんによるとCOPが使い道を決定できる予算額は、ポルトアレグレ市の支出の15%程度だそうだ。とは言え、65%は公務員の給料に当てられ10%が債務返済に当てられるというように市の財政は硬直化しており、自由に使える資金は市の25%にすぎないから、15%というのはかなり大きい数字と言える。特に貧困層の生活向上を思えば、15%の予算決定権を持つだけでも十分意義のあることに思える。

COPでは、代表者の方々が次々と現状報告を行っていた。「金持ちの人たちが『近くに貧乏人の家を建てて欲しくない』と主張している」と司会は報告していた。やはり貧困の問題はここでも大きくクローズアップされている。現状報告の中にはMSTの報告と思われるものも見受けられた。

大体の参加者が労働党の方なので、会議は淡々と進むかと思いきや、突然に労働党員でない人が立ち上がり、発言を始めた。その時、労働党員の聴衆(つまり場内の聴衆ほぼ全員)は身構え、場内は騒然となった。この光景は少々異様に思えた。市の予算が、労働党の意向によってのみ決められている印象を受けた。

水岡先生は「参加型予算には社会運動の学校の側面がある。住民が自治を進めていこうというのは極めて重要で、その点参加型予算は成功している」と指摘された。確かにこの指摘は正しいと思うが、この予算決定プロセスには、労働党の政治的意図が色濃く反映されている。その点で、この予算決定プロセスが果たして、あらゆる政治的立場を含みこんだ民主的な正しいやり方と言えるのか、私は疑問を覚えた。

また、経済状況を考えても、決してポルトアレグレの現状は明るくないように思えた。ポルトアレグレの失業率は高いまま推移している。政府は、住民に積極的に目を向けるあまり「住民の視点に立った、生活のかかった短期的投資」に目が注がれがちで、ポルトアレグレ経済を如何に豊かにするかという中・長期的な判断が難しいという問題がある。

労働組合の影響が小さく、隔絶した場所にもかかわらず多数の企業が工場を立地させ、産業中心の発展を遂げてきたマナウスと、イタリアにおける社会運動の伝統を色濃く反映したポルトアレグレとは、きわめて対照的な姿をみせている。それは、企業が主導する資本主義経済の元で、民主主義と経済発展とをどうしたら両立できるのかという深刻な課題を、われわれにつきつけている。

確かに貧困層の要望が予算に反映され、貧困層の生活は改善されているのだと思う。しかし、それでも、経済の規模そのものを拡げない限り、限界があるのも事実だろう。確かに参加型予算は貧困層の生活改善を考えた場合、素晴らしい制度だと思ったが、課題は残っているという印象を受けた。

われわれがポルトアレグレを去った翌月に行われた市長選で、労働党は敗れ、4期16年にわたったポルトアレグレ市の市政を「人民社会主義党」から出馬した市長に明け渡すことになった。この政治変化によって、この参加型予算システムがどのように変容していくか、今後の動きが注目される。


われわれは1時間ほどCOPの現場を見学させていただいた後、会議中のところを失礼し、ホテルへ向かうことにした。帰る途中、メトロに乗ったところ、電車は日立と川崎重工が作っている日本製だった。0.7レアルと運賃は非常に安い。この日の夜は我々学生はレストランでシュラスコを食べた。シュラスコの値段は非常にリーズナブルで、ビュッフェとシュラスコで15レアル程度だった。ポルトアレグレはサンパウロ・リオデジャネイロに比べるとかなり物価も安いのだろう。われわれは、そろそろ最後のシュラスコになるかもしれないと思い、感慨にふけりながら戴いた


(朝田 隆介)

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