■ リオデジャネイロ 2004 9.13


この日は、バンでイパネマビーチの北側に位置する2つのファベーラを視察した。 朝、ホテルの前までツアーの専用バンが迎えに来てくれた。 われわれは8人だったので専用車でファベーラツアーに参加できた。 7人未満の場合は、他の参加者と一緒の車でツアーになるのだという。

ファベーラ関連の視察はモンチアズール、シンガポール・プロジェクトに続きこの日で3箇所目だ。 今まで見てきた2つのファベーラとの違いをよく見ようと心に留めつつ、われわれはホテルをあとにした。


 ファベーラ ロシーニャ(Rocinha)

Alfredo de Souzaさんの英語ガイドで、専用車はホテルから西に向かって進み、ビーチとは遠ざかる方向に向かった。 道は急に斜面に差し掛かり、ファベーラに近づいているのがわかった。

最初に視察したファベーラはロシーニャという名前だ。 リオデジャネイロには約800のファベーラがあり、人口の約20%がファベーラに住んでいるという。 その中でもロシーニャはもっとも大きいファベーラの1つで、居住人口は約16万人ある。 4年前の統計では6万人だったというが、これらの数字もどこまで信用すればいいものかはわからない。

少し行ったところの斜面で専用車を降りた。 前方にはTijuca Forestという国立公園の森林が広がっていた。 下車した地点はロシーニャの商業地区の一つのようである。 丘の斜面一帯にファベーラの住宅がびっしりと並んでいる。 住宅はレンガやコンクリートで作られており、間の道はかなり狭い斜面に立地しているため、かなり急な階段も多い。 通りに面する住宅が売りに出されている看板を目にした。

専用車の停車していた道路の道端で、油絵を描いて売っている人がいた。 原色を大胆に使った風景画で、イパネマビーチやファベーラの様子を題材にしたものが多かった。 ツアーの専用車が停車したところで商売していることから考えて、この絵はファベーラツアーの観光客を狙ったものだろう。 ゼミテンの何人かはこの絵を購入した。 価格は40〜70レアルと手ごろで、良い土産となった。

海岸のほうに目をやると、ビルや高級住宅が立地していて、所得による住み分けがはっきりとわかった。

遠望した風景の中に、他の建物とは明らかに造りの違う高級そうな建物が何軒か目にとまった。 六角形の形をした建物が何軒か連なっているのと、白い外壁の高い建物である。 六角形の建物はアメリカンスクールだという。 授業はもちろん英語で行われ、授業料は月1,000米ドルもする。 ファベーラのすぐ近くにあり、生徒の安全を守るためにフェンスが建設されたそうだ。

もう1つの白い外壁の建物は、整形外科医のものだという。 有名な医者らしく、「リオデジャネイロ中の女性の顔を整形した」とガイドさんは言っていた。 パーツにより料金は変わるのだろうが、手術料は、日本円で約10万円はくだらないという。

ファベーラというと、やはり麻薬取引などの犯罪の温床になっているというイメージが先行しがちである。 だが、意外なことに麻薬の取引集団がファベーラの治安を守っているのだ、とガイドさんが話した。 そういった集団がファベーラの外で犯罪をするということはあっても、ファベーラの内部でファベーラの住民に対して問題を起こすということはまれらしい。

市政府のファベーラに対する支援についても伺うことができた。 市政府は住宅やインフラ整備に対する支援や、教育などのソフトに対しての支援、職業紹介など雇用に関する支援を行っているという。 大学に公立校出身枠を設けて、所得格差から生じる教育の格差をなくす試みも行われているという。

ここまで説明を聞いて、われわれは専用車に戻った。

ほんの少し動いて停車したところでは、ボーリング工事をしていた。 道の反対側の壁に目をやると、水道管のようなものが張り巡らされている。 ポンプがあり、水をポンプアップして、山の高いほうにある住宅に供給しているのだろう。 水源が、非常に多くの世帯に共有されている様子が見て取れた。 道の脇には電柱、電線もあった。 1本の電柱に対してつながっている電線が非常に多く、蜘蛛の巣のようにこんがらかっている。 低所得の人々が盗電しているのだろう。 われわれが下車した周辺には、郵便局や上下水道局など公共の建物も立地していた。 当然のことだが、ファベーラは市政府に公的に認知され、通常の公共サービスがここにも提供されているのである。

われわれが工事現場を視察している間に、バスが何台か通った。 行き先をみると“Gavea”となっていた。 Gaveaとは、富裕層が住んでいる地域の名前らしい。

専用車でファベーラの中を通り抜けた。 道は専用車が通るのがぎりぎりといった感じでかなり狭い。 途中、薬局や商店が立地しているところを通り過ぎた。 ファベーラの中で、商業機能はまとまって立地している。

バイクに二人乗りしている人を多く見かけた。 運転手は青いビブスを着ていた。 これはモトタクシー(mototaxi)といって、タクシーのバイク版だ。 料金は距離に比例してメーターで徴収するのではなく、丘のふもとまで乗って1レアルという定額制だ。 このシステムはファベーラに住む人が自主的に始めたものだという。 ガイドさんの話では、ファベーラ住民の約17%が無職であるらしく、うってつけの雇用機会を提供している。モトタクシーは自主的なシステムなので、運転免許とバイクとヘルメットさえあれば、政府の認可をもらう必要もなく、いつでも誰でも開業できる。 丘の斜面に立地するロシーニャでは、坂道の上り下りがきつく、需要が高いので、十分1つのビジネスとして成り立っている。

ここで、われわれは、ロシーニャをあとにし、次のファベーラへと向かった。


 ファベーラ ビラカノアス(Vila Canoas)

この日2つめのファベーラは、ビラカノアス(Vila Canoas)という名前のファベーラで、人口は約25,000人である。

最初に、建物の中を通ってビラカノアス全体が見渡せる屋上に行き、ガイドさんの説明を聞いた。 最初に視察したロシーニャより人口規模は小さいが、ロシーニャよりも密集して建物が並んでいる印象を受けた。 もう見慣れたレンガ造りの建物に、パラボラアンテナが設置されている住宅が目に留まった。 ファベーラには、衛星テレビのような耐久消費財が買える程度の所得がある人々が居住しているのだ。

住宅でびっしりと埋めつくされた谷をはさんで前方には山があり、切り立った崖の側面に沿って水路が建設されているのを確認できた。 ガイドさんによると、水路は市政府の公共事業によって建設されたものであり、土砂崩れを防止するためのものだという。

われわれがいた場所のすぐ右隣には、ファベーラには似つかわしくない高級な住宅が建っていた。 階段状になっていて、下の階には自家用車が止まっている。 ガイドさんの説明によると、この土地の所有者はバスの運転手で、上動産ビジネスで成功し、このような住宅を持つことができたらしい。土地は既に登記済みなのだという。 つまり、ファベーラの内部には、上動産ビジネスも成立しているということだ。

その高級住宅の向こう側には海岸が見え、オスカー・ニーマイヤーが設計したという、現在休業中のホテルがあった。

先ほど、「ファベーラの治安を麻薬取引団体が守っている」という話があったが、このファベーラでもそのような状況だという。 これまで見てきたように、ファベーラの内部には商店、上動産などさまざまな商業機能や公共サービス機能が立地するが、警察だけは歓迎されないらしい。 そのために、警察が来ると、凧や爆竹で知らせるというシステムがあるようだ。 ファベーラ内の麻薬団体が取引している麻薬は、コロンビアやボリビアで生産されたものであるという。 ファベーラは取引の現場になっているだけで、生産する場でも輸出する場でもないということを、ガイドさんは強調していた。

続いて、ファベーラの内部の道は、相変わらず狭く曲がりくねっている。 ビラカノアスには、ラジオ局やケーブルテレビ局もある。 ネットカフェで、パソコンを持っていない人でも、インターネットが簡単にできる。 さらに、無料の地域紙が配られていて、情報やマスコミの機能もファベーラ内部に存在している。

また、CAIXA BANCOという銀行の支店もあった。 ファベーラ内で銀行の需要があるということは、貯蓄する所得があるということの表れだ。 ガイドさんの話では、今までその支店が銀行強盗の被害に遭ったことはないらしい。 麻薬の取引団体が内部で犯罪をしないというのは、たしかに事実らしい。

ビラカノアスの中心商店街に差し掛かった。 どの店もにぎわっている。 食料品、日用品など、最寄品だったら何でも売っている印象だ。 特に肉類などは非常に新鮮なものが売られており、ファベーラの外では販売が規制されているはずの生きた鶏も、商品として売られていた。 専用車の中から見ただけなので、価格までは確認できなかったが、相当に安いのだろう。

他にも医者、歯科医などがファベーラの内部で開業している。このようにさまざまなビジネスがファベーラの内部で成立している。

どのビジネスもファベーラの内部に一定の需要があるために成り立っており、人々はファベーラの外に出て行く必要はあまりない。 ファベーラは、その巨大な集積自体が、非基盤的サービスや商業の成立を可能にし、一つの独立した経済圏をつくっていることが確認できた。


 教育機関、パラティ(PARA TI)

次いでわれわれは、ビラカノアスの中にある教育施設を視察した。 パラティ(PARA TI)という名前で、ポルトガル語で「君のために」という意味だ。 子供がファベーラの外に出なくても教育を受けられるようにという願いのもとに建設されたコミュニティスクールである。 パラティの母体となっているのはコメノイ(COME NOI、イタリア語で「私たちのように」の意味)というイタリアの非営利団体で、ファベーラに財政援助を行ったり、パラティをサポートしてくれる団体を探したりしている。 われわれが参加しているファベーラツアーの料金の約40%も、コメノイの支援にまわされるらしい。

まず、われわれはコンピュータールームに案内された。 何人かの子供がパソコンを使っていた。 情報リテラシーを教える人もビラカノアスの中に住んでいるという。 ここにあったコンピューターは、ファベーラツアーの料金の一部で購入したものである、という説明を聞いた。

階段を下りていき、教室へと案内された。 この日は月曜日だったので、4クラスの授業が行われるらしい。 教室の隅の棚には、教科書やノートが積んであった。 ブラジルで本は贅沢品であるため、このようなサポートが必要なのだという。

教室を出て、やや高いところへ通された。 手工芸品を作る場所らしい。 真ん中の白いテーブルの上に、子供たちが作った手工芸品がいくつも並んでいた。 部屋の壁には子供たちが書いた絵も飾ってあった。 この手工芸品も売り物になっていた。 ガイドさんが「ここに来たという証を残してください」といい、記帳を求められた。 われわれは記帳用のノートに名前を残した。 他の人の名前をチラリと見たが、ほとんどが欧米人で、日本人の名前を見つけることはできなかった。

学校を辞して、ファベーラの建物の中を歩いて進んでいく。 住宅は密集していて、道は狭く、昼間でも薄暗い。 だが、掃除は行き届き、思っていたよりも清潔でこざっぱりとしていた。 ファベーラという言葉から想起されるイメージとはかなり違う。

小さな広場に出ると、そこでは “bella favelas”(「美しいファベーラ」の意味)というプロジェクトが行われた現場になっていた。 これは、ファベーラ内の建物を外壁に気のきいた壁画を描いて、ファベーラの街の雰囲気を明るくするという運動なのだそうだ。 このプロジェクトにも、コメノイが財政面のサポートをしているという。

さらに進んでいくと、少し開けた広場のような場所に出た。 そこで少年たちがカポエラを披露してくれた。 興味深かったのは、ファベーラ内の狭い通りにもちゃんと名前がついているということだ。 これは、ファベーラの各建物にも住所があり、郵便物などはしっかり配達されるということを示している。

小さな広場のすぐ近くに下水が流れている。 ファベーラは意外にも清潔というイメージを抱きつつあったが、ここだけは鼻を突く異臭がした。 近くには野良犬もいる。 狂犬病の予防注射を打っていないわれわれは、犬を刺激しないよう、ゆっくりとそばを通り過ぎた。

小さな部屋にたどり着いた。 ここでは、ロシーニャの道端で売っていたのと同じような絵が壁一面に飾ってあった。 これまでファベーラのさまざまな側面や子供たちの無邪気さを見てきて、この絵を買えばファベーラに少しでも貢献できる、そんなツアー参加者の心理を狙ったものなのだろう。

少し進んで、ガイドさんから説明を受けた。 現在、ブラジルは大国になりつつある。 それはブラジルが国連安保理の常任理事国入りを狙っていることからも容易に想像できる。 しかし、そのためには国内のさまざまな問題を解決しなければならない。 数年前までは選挙をめぐる問題があった。 人々は、候補者の政見などをろくに検討せず、噂や評判だけで投票行動をとることが多い。 このため、20年前の市長選挙では、猿に票が入ってしまったなどという珍事もあったというが、現在では投票を義務化し、電子投票を導入したことでその問題は解決された。

もう一つは、所得格差の問題である。 所得格差から生じる教育機会の不平等などもこれにふくまれる。 所得格差是正のためには、ファベーラへの支援が上可欠である。 こういった考えのもとで、ルラ大統領はファベーラを根本的に変えようとしているのだ、とガイドさんはおっしゃった。 国を変えるためには教育がもっとも重要で、教育が変われば日本やアメリカ合衆国のように優良企業が現れるだろう、とガイドさんは強調していた。

確かに教育の重要性は否定できない。 ファベーラの中にこういった教育機関ができることで、不平等は少しでも解消される方向に向かっていることは間違いない。 しかし、COME NOIはイタリアの団体である。 政府が直属で、ファベーラの社会問題を解決しようとすれば、まだまだ多くの努力が必要とされるのであろう。

ファベーラの狭い通りから出ると、道を挟んで高級住宅街とファベーラが隣接している地点に着いた。 ここは、北米からきたツアー参加者にとっては、重要な参観ポイントに違いない。 なぜなら、北米で、高所得者層の高級住宅地区と低所得者層のスラムがこのように通り1本だけ挟んで隣接して立地することは、ありえないからだ。 北米の場合は、スラムが迫り始めると、高所得者層が、これ以上物件価格が下がらないうちに売り払って郊外へと逃げていき、完全な住み分けが持続される。 リオデジャネイロでは、ファベーラと高級住宅街に住む人の間で相互尊重がなされているために、このような立地が存在するのだという。どちらが先に立地したのかをガイドさんに訪ねてみると、高級住宅街のほうが先とのことだった。 ファベーラが拡大した結果、道を挟んで隣接する形になったのだ。


 ファベーラツアーをささえる経済と社会

今日参加したファベーラツアーは、Marcelo Armstrongという人が始めたもので、欧米からの客を中心に、多くのツーリストが参加して、営利ビジネスとして成り立っている。 モンチアズールのように、NGO主宰者のご好意で見せていただいたものではない。 昨日のコルコバードの丘訪問のような、いわゆる観光名所を巡るツアーとは違うし、アマゾンのエコツーリズムとも異なる。 これが、新しいオルタナティブツーリズムの一形態であることは間違いない。

ガイドさんに、「今まで日本人観光客をガイドしたことはありますか」と尋ねたところ、われわれが初めてだという答えが返ってきた。 こういったツアーの客は、主に欧米人だ。 もちろん、リオデジャネイロに来る日本人観光客の絶対数が少ないわけではない。 それは前日のコルコバードの丘に多数の日本人がおり、土産物屋までできていたことからもわかる。 やはり日本人の観光のパターンというのは、ガイドブックや絵葉書の写真を現地確認に行くというものでしかないのだろう。

旅行会社とファベーラは協力し、観光収入の一部はファベーラの財政支援に回される。 現在ではファベーラの収入の約40%がツアーの収入によるものだという。 また、途中停車したところで、ツアーの参加者は、ファベーラの人々が描いた絵を買ったりする。 ツアー参加者も、間接的に、ファベーラを経済的に支援できる。 企業や政府などから得た資金でNGOが支援するモンチアズール、政府が支援するプロジェクト・シンガポールとは違った、ファベーラ支援の形だ。 そして、この支援と引き換えに、一見(いちげん)の海外ツーリストは、ファベーラの中に深く入りこみ、視察できるだけの安全が保障される。

このツアーのオペレーションは、このようなファベーラの人々との長年にわたる共同体的な信頼関係、そして共存するシステムがあってこそ可能である。 現地の人々に対する収奪的なツーリストビジネスの発想では、ツアーの実施自体が不可能だ。 このことを念頭においてか、ガイドさんは最後に「今日のツアーでファベーラを安全に見られたからといって、自分たちだけでファベーラに入るのはたいへん危険です。そういう試みは、絶対にしないでください」とわれわれにしっかり釘を刺した。

ツアーが終わり、専用車でイパネマビーチへと向かい、ガイドさんと記念撮影をし、その後ホテルへと向かった。


 自由行動

ホテルで解散し、午後は自由行動となった。

各自、お土産を買う、休息をとる、上要な荷物を郵便小包で日本へ送るなど、思い思いに自由行動を満喫した。 レンタサイクルを借り、コパカバーナからイパネマビーチへと爽快なサイクリングにチャレンジした、エネルギッシュなゼミテンたちもいた。


(山田 尚生)

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