■ アマゾン 2004.9.11

5時50分起床。朝食をとり、7時にホテルのロビーに集合する。

今日も朝から雨模様だ。

ロビーに迎えに来られていたニーロ樋口博士に簡単に自己紹介し、いざアマゾンへ。樋口博士は森林学を専攻されて、国立アマゾン研究所(INPA)に勤めておられる日系の方である。現在、INPAは、JICAと共同で、熱帯雨林の環境保全のための合同プロジェクトを進めている。今から向かう場所は、アマゾンの熱帯雨林の中に、生態調査のため1980年に建てられた、高さ45mの熱帯雨林展望台、通称INPAタワーである。2台のジープは、樋口博士とその同僚の方が用意して下さった。

 INPAタワー

ベネズエラの首都カラカスまで続く全長2100kmの国道174号線を、ジープでINPAタワーに向かう。この道路は、マナウスから外に出ることができる、唯一の舗装道路である。トラックや長距離バスの往来も見られた。

マナウスの郊外を走っている間、道路の両側には多数の工場があった。コカコーラの工場もある。ここでガラナからエキスをつくり、コーラの原液の成分にしているのだという。ガラナは、ブラジル独特の飲み物であり、われわれの巡検中の喉の渇きを癒してくれた。


街を出ると、道路の両側は、それほど背丈は高くないものの、緑の草木がうっそうと茂ったジャングルになった。

途中、樋口博士から興味深い話を聞くことができた。

アマゾンの熱帯雨林は、ブラジルのアマゾナス州を中心に、ペルー、ボリビアなど計7カ国にまたがっている。マナウスでは、工業がさかんである。アマゾナス州で生産されたそれら工業製品は、アマゾン川をフェリーで下ったあと、陸路をとりトラックでサンパウロなどの都市に送られる。トラックは、帰り道に荷台を空にしては片道分の運送コストが無駄になるので、サンパウロから野菜をアマゾナス州に持ち帰る。そのため、アマゾナス州の野菜の需要は満たされており、同州では、アマゾンの熱帯雨林を切り開いてまで野菜畑を作ろうというインセンティブは起きない。つまり、皮肉なことに、アマゾナスの工業発展が環境保全に貢献しているというわけである。

アマゾナス州には、自分の私有地の半分までの林を伐採してもよいという法律が存在するらしい。しかしこれはザル法である。なぜなら、名義を次々変え、その都度半分ずつ森林を伐採していけば、限りなく100%に近い面積を伐採できるからだ。しかし、そのようなインセンティブがアマゾナス州にはないということであろう。

一方、ペルー、ボリビアなどの諸国は農業国であり、アマゾンの熱帯雨林を切り開いて耕地を作ろうとするため、環境破壊が深刻なのだという。


途中、ガソリンスタンドに立ち寄り、水を買った。

国道の沿道には、観光客目当てに地元の人々が作った、いろいろな施設が点在している。

かなり進んだところでジープは、舗装された国道を左に曲がり、土の側道に入った。道の両側の真緑の木々の背丈も高い。いよいよジープが本領を発揮する。水溜りを車体の高さまで跳ね上げ、揺れも激しさを増す。

2時間ほど乗り続けたあと、ジープは道路の端の広場で停まった。ここからあとは、熱帯雨林のジャングルの中を歩いて、INPAタワーに向かうことになる。このジャングルのトレッキングのため、日本で準備ぬかりなく予防接種をすませてきたゼミテンもいた。

来る途中に雨は上がり、青空がのぞき始めた。


鬱蒼としたジャングルを歩く途中、樋口博士が立ち止まって教えてくださった。厳密に言うと、アマゾンの森林は「熱帯雨林」ではなく、「熱帯湿林」であると。「熱帯雨林」とは熱帯に位置し、かつ年間降水量4000mm以上の森林を指す。しかし、アマゾンの森林のある地域のように、年間降水量が4000mmに満たない場合は、「熱帯湿林」というのだそうだ。

われわれが今いる場所は河口から2000kmも内陸に入ったところであるが、海抜はわずか100mしかないという。これでは地球温暖化が激しくなって海面が上昇すれば、アマゾンの熱帯雨林のかなりの部分は水没してしまうかもしれない。

高い木々に森林の中、ピンクの紐が巻かれている木を見つける。木の直径の成長を計測しているのだという。

道はぬかるんでおり、いたるところに水溜りがある。足元を泥で汚さないよう、慎重に足場を選んで歩き続ける。途中、泥にはまって動かなくなったジープを通り過ぎた。40分くらい歩き、ようやくINPAタワーの足に着いた。

われわれはそこで、サンパウロ大学で物理学を専攻している博士課程の学生に出会った。INPAタワーには、データ採取のために来ているのだという。彼は、ジャングルから大気へ放出される粒子の成分が大気にどのように影響しているか研究しているらしい。アマゾンの森林地帯は、地球の温暖化を緩和する二酸化炭素の削減に多大に貢献している。どういうメカニズムで森林が二酸化炭素を削減しているのかを、粒子の動きという観点から研究するのだそうだ。

INPAタワーは純粋の研究施設なので、つくりが極めて質素である。意を決して、階段を登りだす。階段の踊り場とその次の一段目に、階段一個分ぐらいのスペースが開いており、地面がはるか下に見えるので怖い。ここで段を踏み外せば、まっさかさまに転落だ。下を見ないよう、足を踏み外さないように、お互い声をかけて注意を促しながら、約15分間かけて慎重に登り続け、ようやく頂上に着いた。

タワーの頂上であたりを見渡す。地上から見ればあれだけ高かった木々の頭を見ることができる。地平線まで見渡す限り、生い茂った緑の葉で埋め尽くされている。さながら緑の雲の上にいるようである。その中で色鮮やかな鳥が2匹飛んでいるのを見ることができた。

頂上の5m四方くらいののスペースに1.5m四方ほどのテントがあり、中に研究に使うための機具があった。学生はデータを採取するために、この塔を一時間に1回、上り下りするという。

INPAタワーから降りた後、樋口博士が自分のことについて語って下さった。博士の幼少期と青年期をすごしたころ、戦争直後であった。惨めに荒廃した敗戦国であったその頃の日本は、博士にとって到底誇れるものではなかった。そのため、親とともにブラジルに移民してきた博士は、日本人としてのアイデンティティを持つことを拒否し、日本語も忘れ、日本文化に関心も持たなかったという。ポルトガル語だけを話し、ブラジル人として生きてきた。しかし、今では日本は経済大国として復活し、日系人にとって誇れる存在となっている。ブラジルでは、アニメや漢字に代表されるように日本文化も人気があり、日本語を勉強する日系人の若者も多いという。こうして、樋口博士は、自分の中にある「日本」を再発見することになる。しかし、忘れてしまった日本語はもう取り戻せない、と残念がっておられた。今日の午前中の視察中、お互い日本にルーツを持つはずの、樋口博士とわれわれとの会話は、すべて英語で行われた。

サンパウロでもお聞きしたことであるが、外国にいる日本人及び日系人は、本国にいる日本人より、日本の動向に敏感である。本国にいる日本人は、まわりに外国人が少ないため、外国人が日本のことをどう思おうがあまり影響を受けない。しかし、外国にいる日本人及び日系人の場合、外国の日本への評価は、その国での彼らの立場を直接に左右し、また、日系人たちのアイデンティティの問題としても深刻なのである。われわれが、海外に出て、こうして日本という国の重要さを再発見するとは、思ってもみなかった。

再びジャングルの同じ道を駐車場までトレッキングし、車に乗り換えて、マナウス市街にもどった。車で、「科学の森」の入り口まで送っていただく。樋口博士とはここでお別れをする。

樋口博士、お忙しい中ありがとうございました。

 「科学の森」

 

「科学の森」とはINPAが創った研究兼観光施設である。INPAで行っている研究の広報の意味合いもかねているのであろう。

ここでは、熱帯雨林を模した鬱蒼とした林の中を歩きながら、生きたマナティや、昆虫、植物の採取コレクションを見ることができた。

ブラジル巡検でゼミテンにはすっかりおなじみになったX-Tudoというバーガーを食べたあと、われわれは次の目的地に向かった。



 アマゾン・エコツアー

われわれは、出発前にゼミで、英国の社会学者アーリの『観光のまなざし』を読んだ。午後のプログラムは、アマゾンにおける、こうした「観光のまなざし」のありさまを実地で視察し、体験することである。

われわれはタクシーを捕まえ、アマゾン・エコツアーのガイドと待ち合わせている、トロピカルホテル(Tropical Hotel)に向かった。途中、たくさんの工場やホテルを見かけた。ホテルに近づくと、車の左手には、海のように広大なネグロ川が流れ、右手はたくさんの高級マンションが立ち並んでいた。

トロピカルホテルは、バリグ航空直営の、五つ星豪華ホテルである。飛行機のパイロット、乗務員を横目に、薄汚れた?装のわれわれは、場違いを肌で感じながらロビーで待つこと10分、ガイドが現れ、ツアーがスタートした。

バンで、アマゾンの支流のネグロ川のさらに支流Igarape Taruma Acuの船着場まで行き、ボートに乗り換えた。ボートは、快調に水面を20分ほどすべった後止まった。川に張られたロープがはずされるのを待っているのだ。ここから先は、私有水面となる。さらに進み、われわれはリゾートホテルに到着した。

リゾートホテルはすべてコテージタイプになっており、南国を感じさせるつくりだ。建物をはじめ、椅子、机、パラソルすべて木や葉で作られおり、コンクリートで作ったものはほとんど見当たらない。かといってジャングルのような自然らしさはなく、洗練されており居心地がよい。われわれは、半日の日帰りという急ぎの客だが、もっとゆっくりしたい人は、このリゾートホテルに泊まって、アマゾンを堪能できるようになっているのだ。

私には、リゾートのつくり、外観が、ツーリストが十分に堪能できかつ上快に思わない程度の「アマゾンらしさ」を出しているように感じられた。東南アジア風、原住民風といったところだろうか。ツーリストは、コンクリートのような都会らしさは嫌うが、同時にすごしやすい洗練されたつくりを求めるのである。

ツーリストは非日常性を求めてこういったリゾートに足を運ぶ。それは、自分が出発前にイメージした非日常性であり、日常の生活レベルは落としたくないと考えるのである。リゾートには、フロントに申し出れば自分の国の新聞がすぐに読めます、と宿泊客に案内するチラシもあった。非日常性を追求しながらも、新聞に何が書いてあるか気になり、日常から完全には抜け出せない人たちがいるのである。

このリゾートでは、午前中に訪れたINPAタワーように靴やズボンが汚れるようなことはない。虫に刺される心配もしなくてよい、ジャングルの非日常性になら本来必ずあるはずのあらゆる苦痛が排除された自然が、人為的に生産されている。アマゾンの森林伐採など現実の社会問題はじめ、社会的葛藤の影を微塵も感じさせないようにし、「アマゾン」を巧みにスペクタクル化しているのである。

棕櫚のような屋根で覆われたホテルのテラスでバナナチップとジュースを楽しんだ後、今度は手漕ぎボートに乗り込んでさらに支流へと進む。クルーが操るボートはマングローブの林を縫うようにして進んだ。時々、ボートの胴が枝にこすり、ボートが揺れた。

私が興味深かったのは、2人のこぎ手の非対称性であった。われわれは、2つの手漕ぎボートに4人ずつ分かれて乗船した。一方は英語も堪能で、ボートのこぎ方のうまいガイドが担当したが、もう一方のクルーは、英語は話せず、ボートのこぎ方もガイドより明らかに未熟練だった。 実際、ガイドがこいだボートでは英語の解説が行われ、川を広く使ってボートを進めていたが、未熟練なクルーがこいだボートでは英語の解説は行われず、曲がりくねった川のほぼ最短距離を進んでいた。ガイドは、そのクルーに終始、指示を出していた。英語が話せないなどの状況から考えて、この未熟練なクルーは地元の人ではないかと思われる。そうだとすると、ここのエコ・ビジネスは、地元の未熟練労働者の雇用に一定の役割を担っていることになる。英語が話せる熟練ガイドの賃金は高くつくので、賃金の安くてすむ地元の未熟練労働を雇ったのだろう。

川の水は赤茶ににごっていた。日本で見たテレビ番組を思い出す。それによると、アマゾンの特定の支流の水が赤茶に染まっているのはマングローブから樹液が解け出すためであるとのことだ。

リゾートに戻る前に、川岸の一角に立ち寄った。そこでボートを降りると、猿が突然駆け寄ってきて、ゼミテンの足やカバンに抱きついてきた。このエコツアーを行っている団体は、密輸で捕獲したサルや街に出てきたサルを集めて野生に返すプロジェクトを行っているそうだ。少し奥まで歩いてみると、檻の中にサルが飼われている。病気が治るまで隔離しているそうだ。それにしてもいろいろな種類のサルが木々の中から出てくる。別の欧米人らしいツーリストの一団が来て、サルにえさをやり、それをビデオでとり、抱きかかえるなどして楽しんでいた。

要するに、この野生猿を助ける「慈善プロジェクト」は、観光化されているのだ。めずらしいアマゾンのサルたちを長期的に飼うことは、動物愛護、自然保護の観点からいって一般的には難しいだろう。そこで、「慈善プロジェクト」として猿を飼うことで、警察などからそういった猿サルを保護する特別な許可を受け、その猿たちを観光に利用しているのである。

北海道にある「のぼりべつクマ牧場」は、野生の熊を狭い空間に閉じ込めて虐待しているとして、海外の動物愛護家から批判を受けている。それに対し、ここのエコツアーは「慈善活動」を行うことによって、そのような批判を回避していると考えられる。さらに、このエコツアーは、動物愛護などに関心を持つ人々をマーケティングの対象にしている。はるばる来てツアーに参加する消費者たちは、自分たちのツアー代の一部が慈善プロジェクトに使われたことを認識し、自分自身が多少なりとも自然保護という大義に貢献できているという心理的満足を得て帰っていく。そして、このリゾート開発自体がアマゾンの自然にどういう影響を与えているかという問いかけは、そこでストップしてしまうのだ。観光客の心理に、このような状況を作ることもまた、商業的ツアーが販売するパッケージの一部に、しっかり組み込まれているのである。

次はピラニア釣りだ。竿はなく、ビニール紐が木片に巻いてあるだけの釣具を使う。針に牛肉をつけ、それをできるだけ岸から離れたところに飛ばそうとする。だが、何度やっても、ピラニアに肉をつつかれるだけで、肉と時間だけがなくなり、いっこうに釣れる気配はない。ガイドが挑戦し、一度ピラニアを水面まで吊り上げたが、逃げられてしまった。

そうこうしているうちに、どんどん雲行きが怪しくなってきた。熱帯特有のスコール降ってきたので、釣りを止め、迎えに来たボートに乗りリゾートに避難した。船が岸に着いてしばらくすると雨は止んだ。

帰り道きいたガイドの話によれば、このエコツアーをやっているリゾート地は、集合に使ったトロピカルホテルとは関係がなく、サンパウロに本拠を持つ個人が、この敷地を所有して経営しているのだという。

リゾートを後にして船着場まで戻った。船着場の周囲は、戸建ての高級住宅がならび、船着場の横には、アマゾン川をクルーズする個人所有のボートの艇庫がならんでいた。マナウスのセントロから見て西側、昨日訪問した工業団地そばのファベーラのような住宅とはちょうど対称の位置にあるこの地区は、マナウスの中でも高級な住宅地区であることを知った。マナウスは、決して熱帯自然に囲まれた夢のリゾートではなく、場合によるとほかのブラジルの都市以上に、強く分断されているのかもしれない。

船乗り場から最初のホテルのロビーまで帰ってくる。ここでガイドと別れた。

時間は6時前である。われわれはアマゾン本流を見に行くかどうかで迷っていた。今から行っても何も見えないという気持ちと、ここまで来たのだからついでだという気持ち。両者を天秤にかけた結果、結局行くことになった。タクシーに乗って、マナウスを西から東へまるまる縦断するのに30分かかった。別に、渋滞していたわけではない。マナウスは、想像する以上に広い都市なのである。

国道の切れた地点である川岸の市場に降ろされる。この国道は、形式的には、アマゾン川を渡り、南に通ずる幹線道路ということになっている。しかし橋はなく、渡河の手段は、フェリーである。

ここは、トロピカルホテル周辺とは全く違う、庶民の場所だった。市場では、軽食屋とともにアマゾンで捕れた魚をそのまま売っている屋台のような店が並んでいた。地元の人が利用しているのではないかと思われる。観光客が来るような場所ではなく、それ用のレストランなどはなかった。歩いて岸に行くと、こちらの川岸には何艘か船がとまっていた。アマゾン本流の対岸は遠く、すでに日は落ちていたので、どこにあるかわからない。小さな光を少し確認することしかできなかった。川の水面上に、電気をこうこうとつけたガソリンスタンドがあるのが面白い。船に給油するのであろう。長距離の道路が上備なマナウスの人々の主要な交通手段は、車以上に船ということなのだろう。

なにはともあれ、われわれは、アマゾン本流を見たという事実は作ることには成功した。

お腹もすいたので、夕食を食べに行くことにした。セントロまでタクシーで移動し、『地球の歩き方』にも載っているレストラン「Canto da Peixada」で、アマゾン特産の魚料理で店名にもなっているペイシャーダを食べた。一品3人前はある。魚のスープでとてもおいしい。 マナウス最後の夜、サルバトールに次いで、われわれは、ブラジル料理がシュラスコに代表される肉料理だけではないことを知った。


ホテルでシャワーを浴び、荷物をまとめて、タクシーで空港に向かう。今夜は、マナウスからリオデジャネイロまで、夜間飛行である。

この2都市間の直線距離は約2700km、日本の東京からフィリピンのマニラまでほどもあって、国内線で夜行が成立するくらいの飛行時間となるのだ。運賃も相応に高く、われわれはパスを利用しているので安上がりだが、ノーマルにチケットを買うと、往復で5万円は優に超えるらしい。これでは、労働組合のオルグも、簡単にマナウスには来られないだろう。ブラジルの広大さを、改めて認識する。

アマゾンの夜景に少し期待していたが、疲れていたのか、飛行機がマナウスを飛び立つと、すぐに寝てしまった。



(荒木 直哉)

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