この日は朝から雨だ。これまでのサンパウロやベロオリゾンチとは対照的に、湿度も高く、熱帯の空気を肌に感じた。
マナウスはアマゾン川の中心地域であり、アマゾン熱帯雨林を想像される方も多いだろう。しかし、マナウスにはもう1つ、企業の生産基地としての側面がある。我々がウジミナス製鉄所に行った時に付近のショッピングセンターに入ったのだが、そこには東芝やパナソニックのテレビ・冷蔵庫などがあり、それらは全てマナウスで生産されていた。、マナウスはアマゾンに孤立して出来た都市で、道も少なく陸路は船に頼らざるを得ない状況であり、物流は極めて悪い。何故、サンパウロでもリオデジャネイロでもなく、このような立地に工業都市が出来たのか? そんな産業立地についての謎を抱きつつのマナウス入りだった。
我々は、ホテルでガイドの陣内さんと合流し、早速アマゾナス日系商工会議所に向かった。マナウスは、人口180万人を数える大都市であるが、途中の街並みを見ると、サンパウロのように高い建物は見受けられない。この都市に、いわゆる「ビジネス街」というものはないのだ。工業都市ならびに観光都市としての性格が強く、分工場経済が成り立っていると考えられる。つまり、経営上の意思決定は本社機能に任せ、マナウスでは専ら生産活動や観光客の扱いに従事していると考えられる。また、植民地都市ではないため、都市景観にヨーロッパ風の雰囲気は全く感じられなかった。
ところで、大変興味深い産業立地の謎は、マナウスの歴史を紐解くと理解できる。マナウスの歴史は日系商工会議所でお伺いしたのだが、一足お先にご紹介したい。
現在マナウスは「フリーゾーン」となっている。フリーゾーンとは経済特区の一種で、関税の優遇措置などを通じて企業誘致を行っている地域のことだ。では、マナウスフリーゾーンはどのようなプロセスを経て形成されたのか。
1880年代からマナウスではゴム生産のブームが起き、1885年から1915年にかけて世界随一のゴム生産地として栄えた。それによりマナウスは、ブラジルに経済基盤を提供した。陰りが見え始めたのは第一次世界大戦が始まる頃である。ゴムは軍需産品として重要であるため、安全保障の上から、確実に生産できる植民地でゴムを生産するインセンティブが生じた。こうして、当時イギリスの植民地だった東南アジアから、安くて品質良く迅速にゴムが供給されるようになった。だが、戦争が終わったら過剰生産になり、アマゾンゴムの価格が急速に下落した。
それから先、1930年初頭までは栗などの自然作物で何とか生活していた。1934年には日本人が入ってきてジュート麻の種をアマゾンに持ち込み、ジュート麻の産業が生まれた。これが日本人のマナウス貢献の始まりなのだそうだ。
日本が第二次大戦で東南アジアを占領すると、東南アジアからアメリカ向けにゴムが供給されなくなり、マナウスでアメリカの需要向けのアマゾンゴムの生産が回復した。こうして、一時的にアマゾン経済は盛り返した。だが戦後、アメリカ軍からの需要が終わると、再びマナウスの経済は地に落ちていった。
1960年頃になると、ブラジルはアマゾンの開発・国境の警備に関心を持つようになる。「アマゾンは環境などのコストばかりを食って何も生産してくれない」という批判も起き、何らかの優遇措置で開発を進めていこうという流れが出はじめた。1963年にブラジルでは軍事政権が発足した。当時ブラジルは外貨不足に悩み、輸入制限が広まり、耐久消費財が不足していた。そこで、輸入代替工業化を図るため、マナウスで耐久消費財を作らせたらどうか、という話になってきた。、アマゾナス州も歓迎した。サンパウロなど大都市では、さまざまの社会運動が盛り上がっていたが、「遠く離れたアマゾンのマナウスでは、激しい労働運動が起こって生産がストップするる可能性が低いという、資本主義企業の意図を反映しているのかもしれない。マナウスへの産業立地は、階級闘争の空間的な回避策ではないか」と水岡先生は仰る。そして、1967年にフリーゾーン基本法が制定され、日系の工場を中心に立地が進んで、現在のような工業都市が形成されたのだ。
アマゾナス地域が出来た当初、輸入代替工業を促進していたブラジルでは、輸入に厳しい制限が加えられ、輸入品が入ってこなくなっていたので、外資系企業から見れば、ブラジル国内に工場を建設してそこで生産すればいくらでも物が売れるという状態だった。しかし、民主主義的な選挙で選ばれたコロル大統領が思い切った自由化方針を取り、いくらでも耐久消費財を海外から輸入できる状況になる。マナウスの製品はとたんにコスト競争力を失い、1990年~1992年で一度どん底状態を経験した。
とはいえ、欧米企業・日本企業などの多国籍企業は、環境の変化に適応するだけの力を有していた。どの企業も、輸入先を変えて安い部品を持ってくるなどの工夫を凝らしてコスト削減を積極的に行った結果、マナウス経済は94年に復活し、再び96年~97年にピークに達した。この間、サンパウロでは日本企業がどんどん撤退していたが、マナウスから撤退した企業はなかったという。こうして、現在でも多くの企業がマナウス工業団地に集結している。
マナウス日系商工会議所に着いてまず目に飛び込んできたのは公文式の看板だった。サンパウロにも公文式の看板は見受けられたが、モンチアズールで採用されていたのは、むしろ子供の主体的な直接経験を重視するシュタイナー教育の方法だった。これに対し、公文式の学習は系統学習のカリキュラムに基づいて構成されており、出来上がった知識や問題の解法を子供の身につけさせるための反復練習を徹底させる。反復練習の勉強を通じて学力を向上させ、良い大学に行けるように、そして理数系の能力を高めて将来的にエンジニアが育つようにとの期待が、マナウスの公文式教育を支えているのだろう。日本からブラジルに流れているのは農業移民や多国籍企業だけではない。公文式のような、もともと日本というローカルな場で生まれた教育システムがブラジルの生活に浸透しているのは興味深く思った。
会議所で、山岸照明会頭から、マナウスフリーゾーンがいかに成功しているか、お話しを伺った。
1967年にフリーゾーン基本法が制定された当時、マナウスの人口はわずか15万人だった。ほとんどは木造の建て屋で、ジャングルだらけだったが、現在は工業団地に約400社が集中し、年間売り上げが100億米ドルの立派な工業都市に成長した。そのうち外資系企業は120社がマナウスに進出しており、日本企業は有名ブランド28社が進出している。近年ブラジルのマクロ経済が成長しているため、2003年から直接工の雇用ベースでは20~30%の割合で増えている。世界に200箇所あるフリーゾーンの中でもトップ5には入る成功地域であり、低開発地域への貢献度も大きいと言える。マナウスにはフリーポート(輸入に税金がかからない箇所)が北部に3箇所存在している。アマゾナス域外に製品を輸出する場合には税金がかかる。フリーゾーンの特典としては、部品・コンポネントを輸入する時は免税となることが挙げられる。例えば、マナウスで作った本田のバイクの場合、輸入品の部品部分は88%の税控除となる。また、工業製品税は免税となり、法人所得税も75%の減税となっている。
もっとも、「これでは、マナウスがすべき負担を財政支出で賄っているだけではないか? 国に財政負担を負わせているのではないか?」という批判も飛んできそうだ。だが、山岸会頭は、そんなことはないと否定された。統計上は、100億ドル生産し、輸出高が10億ドル、輸入高が30億ドル、国内からの部品調達が20億ドル、国庫の負担が20億ドル。「輸入30億ドル+国庫負担20億ドル以上の生産・輸出をしており、マナウスフリーゾーンはブラジル経済に積極的に貢献して親孝行している」と会頭は指摘された。
さて、連邦政府監督局の調査によると、30億ドルの投資のうち外国資本が47%で、日本はその中で30%を占めている。ブラジル国内企業は、地場の家電メーカー(ユダヤ系が多い)や、金額シェアに直すと小さいが家内工業的な下請けの企業が多い。外資系企業のうち、過去30年間、日系企業がトップシェアを守っている。ソニーが統計上アメリカ資本とみなされているため、現在統計としてはアメリカがトップシェアとなっているが、ソニーは本来日本企業であるから、実態として、いぜん日系企業がトップシェアを守っていることに変わりはない。韓国ではサムスン電子・LGが伸びてきており、フィンランドはノキアが伸びている。ノキアは現在マナウスにおける売上トップ企業に成長している。
次に、山岸会頭は、アマゾナス地域の環境問題と、産業部門構成について述べられた。
アマゾナスにおいては、「環境破壊は絶対ダメ!」を基本スタンスにしている。マナウスフリーゾーンにおけるISO9000取得企業数は、アルゼンチン1国の取得企業数よりも多い。熱帯雨林・環境保全はしっかりやらねばならず、そのためには多くの資金が必要だが、現地で頑張っている企業がその点大いに貢献してくれているという。
マナウスでは、工業のほとんどが軽工業となっている。「労働組合運動の影響が小さい」、「安くて良質な労働者が多い」ということで、労働集約的な軽工業がマナウスに合っていたという。また、環境への配慮も大きいようで、煙を出す・化学薬品を垂れ流す産業などは論外であり、電力事情もあまり良くないから、重工業がマナウスでやっていくのは厳しいという。もっとも、近年は隣国のベネズエラから電力を引いてこられるようになったというし、鉱石ならいくらでも手に入るというが、鉱山開発のためには熱帯雨林を切り倒さなければならず、手を付けられないのだそうだ。
マナウスに立地している主要な産業部門としては、テレビ・音響などの電機電子機器、携帯電話に代表される情報機器、本田・ヤマハ等が生産している二輪車、化粧品・健康薬品・プラスチックなどの化学製品が挙げられる。マナウスのような税制上の恩恵を受けていない地域ではコスト競争力が低いため、現在ブラジルの消費物資はほとんどマナウスで生産されている。
ここで、われわれの疑問に、山岸会頭が答えてくださった。
現在マナウス工業団地には、二輪の本田・ヤマハやその周辺企業などが集まっている。マナウスに集う外資系企業のトップシェアは日本企業が握っている。すでにサンパウロで学んだように、日本企業の意思決定様式はバンドワゴン的で、他社の行動を見て、それにならって自社の行動様式を決める場合が多い。他社から突出した行動は、ごくまれにしかとらないのだ。そういう日本企業が、実績もなく空間的にも隔絶したマナウスに大量の工場を立地するというのは、かなり稀で特異なケースと思われる。いったいなぜ、日本企業は、このマナウスのような場所に工場を立地させる意思決定に至ったのだろうか。
日本企業のマナウス進出は、1972年のシャープ工場の立地に始まる。サンパウロに設けられたシャープの合弁会社の代理として、シャープの生産工場がマナウスに入ってきた。しかし、「シャープ」の名前は使っていても、その企業形態は合弁相手がメインで、経営はユダヤ人。シャープは技術を提供していただけであった。つまり、最初にマナウスに立地を決めた企業の意思決定の主体は日本人ではなく、サンパウロの会社を経営していたユダヤ人の着眼だったというわけだ。
当時ブラジルは輸入代替工業政策を取る国であったため、ブラジル国外からブラジルに輸出しようと思っても、高関税のため価格競争力がなく、全く売れなかった。これを、税制の優遇があるマナウスで生産することにより、競争力のある製品を作ることが出来た。こうしてシャープは、ブラジルの国内市場を確保することに成功を収めることが出来た。
このシャープの成功を見届けた後、パナソニック・サンヨー・東芝・本田と次々にバンドワゴン的にマナウスに進出したという。アマゾン熱帯雨林のど真ん中、マナウスにあえて工場を立地させるという「異端・逆転の発想」を打ち出して実践した先駆者は、やはり日本人ではなかった。このことを知り、日本人として、寂しい歯がゆさを覚えた。
次に山岸会頭は、マナウスに工場を立地させるにあたり重要な要因となった、この地域の労働力の状況について、説明してくださった。
マナウスの直接工の賃金は、ブラジル政府の発表する最低賃金がベースとなっており、サンパウロよりは若干高い。消費者物価が高いのでその分給料も高くなっている。また、マナウスでは、フリンジベネフィットも充実している。例えば、企業はかなり安い値段で従業員の朝食・昼食・おやつなどを出している。勝手にコーヒー・お茶が飲めるところも多いそうだ。企業は従業員の食事代も計算に入れて労働費を組んでいる。ただし、食費については、あくまで「補助」にしないと税金がかかってしまうため、若干の食費は従業員に出してもらうそうだ。それでも、従業員が払う食費はせいぜい1日5レアル程度である。
これほど手厚いフリンジベネフィットを従業員に与えれば、労働費という点でサンパウロ等に比べると比較劣位ではないか?と思われるかもしれない。しかし山岸会頭は、「マナウスの労働コストは生産性を考えれば安い」というのが定説になっている、と言われた。
マナウスの労働者は、手先が器用で集中力があり、生産性が高いそうだ。中国への工場進出について、日本でしばしば語られる立地要因と、大変よく似ている。ここの人々の多くは、先住民のインディオと、入植してきたヨーロッパ人との混血である。
アマゾナス地域に企業が進出し始めた当初は、マナウス労働者のあいだに時間に合わせるという感覚はなかったという。これは、1年中熱帯の気候で、いつでも食糧が取れるため、非常に安定した生活が保証されていたからだそうだ。しかし、学校や企業で時間の感覚や仕事の仕方を教えるようになり、徐々に工業都市のリズムが作り出せるようになった。現在、管理職・専門職は大学卒がつとめている。勉強しても金になるという意識が希薄な地域が多い中、マナウスでは勉強すれば金が儲かるという感覚がだんだん分かるようになってきたため、マナウスの労働者の大半は勉学に励んでいるという。組み立てラインで働く従業員でも中学卒業程度の人材は求められているが、彼らも向上心・意欲が見られ、勤勉のようだ。また、フリンジベネフィットを充実させ、企業への忠誠心を培い、従業員を長く一つの企業に留めることで、効率的なOJTを施すことが出来た。日本企業から吸収したOJT教育もまたマナウス労働者に良い影響を与えていると思われる。
このように、マナウスにおける労資関係の状況は、ブラジルのほかの地域とはまったく異なるものだ。まさにマナウスは、「南米の中国」だといってもよい。われわれは、マナウスにおける産業集積の謎を、ようやく解いた思いがした。
次に会頭は、マナウスと他地域との関係について、話を進められた。
輸入代替から輸出へ、というブラジルの経済政策の転換に乗って、近年、進出企業は、ブラジル国内市場の販売だけではなく、製品の輸出を意識し始めるようになっている。
現在、輸出のトップは携帯電話だ。次が本田やヤマハに代表されるオートバイ。3位がカラーテレビ、そして4位は飲料原料だ。飲料原料とはコカコーラ原料のガラナの液である。ガラナはアマゾンでも有数の産出物だ。飲料原料は原料立地指向によるものだが、それ以外は、労働費指向によって立地した産業が占めている。
昔は、マナウスの製品をアメリカ合衆国に輸出するなど夢のまた夢で、主にアルゼンチンを中心とする南米地域に輸出していた。だが、現在では、輸出の60%はアメリカ向けとなっている。近年、アメリカ企業はマナウスへの投資に積極的だ。ここ2,3年の傾向らしい。これは来るべきFTAAを睨んでいるものと思われる。ルーラはかつてFTAAに反対していたが、大統領になってFTAAに積極的な姿勢を示すようになっているから「来年には発足するのではないか」と山岸会頭は期待をこめて語った。
南米域内の国際貿易については、どうだろうか。マナウスは、メルコスールには含まれていない。コスト優位性のあるフリーゾーン製品を認めてしまうと、ウルグアイ・パラグアイからの製品の出る幕がなくなってしまうため、メルコスール域内ではフリーゾーンを認めていないのだそうだ。しかし、アスンシオン協定の直後にブラジル・アルゼンチン間で2国間貿易協定を結び、これにマナウス地域が参加できることにした。これにより、マナウスに立地した企業にとって、ブラジルに加えてアルゼンチンを抑えられることになり、相当な市場規模になる。近年メルコスールでは、EUとの接触も模索し、アンデス共同体との接触を図っているという。今後は、マナウスからEUへのアクセスも考慮されるようになるようだ。
FTAAであれ、メルコスールであれ、マナウスの将来のかなりの部分は、マナウスが共同市場に加われるかどうかに委ねられていると言えるだろう。
現在マナウスに進出してくる欧米企業の目的は、マナウスを「世界に共同市場が出来ている中で、マナウスを世界的な戦略生産基地」にすることだという。FTAA・EUへの輸出戦略の一環として、マナウスを捉えているのである。日系の会社も、同じ目的で投資を伸ばしている。南米は8億の市場でEUも4億の市場。中国は12億の市場だが、FTAA・EUの12億の方が消費能力は高く、将来性は高い、と山岸会頭は力説された。
このようなマナウスの貿易関係は、マナウスと他地域との物流インフラの整備抜きにしては語れない。山岸会頭は、次にこの点へと説明を進められた。
物流に関しては、地理的なデメリットが相当に大きいことは否めない。サンパウロまで、アマゾン川のフェリーを途中まで使うトラック輸送でなんと2週間かかる。部品調達基地であり重要な市場でもあるサンパウロへのアクセスが非常に不足しているという。マナウスからの国道174号線は、舗装されていない悪路で、トラックが通行できないようだ。船を使わず、川沿いの国道を改良し舗装出来れば、10日でサンパウロへ行けるという。なぜ道路を改良しないのか、と尋ねると、並行する川で舟運を営んでいる業者が、政治力を使って、計画を妨害しているのだという答えが返ってきた。サントスからの帰路、ゼネコンの政治力について聞いたが、「鉄の三角形」は、ブラジルのほうがさらにひどいらしい。
ほかの海外輸出ルートに関しては、ブラジル・ペルー・エクアドル3国にまたがる輸送の整備が進んでいない。マナウスから道路でペルーに抜け、ペルーから太平洋に直接輸出の船を出せれば立地が圧倒的に有利となるのだが、特に、ペルー・エクアドルの関係で緊張関係が生じており不安定だという。今のところ、パナマ運河を通らないと太平洋に出られない。また、現在は、輸送手段として船から車への転換を図っている。アンデス山脈にトンネルを掘り、大西洋から太平洋へ、車で一直線に通れるようになるのが目標だ、と山岸会頭はおっしゃられた。
昼食は、商工会議所付近にある日本料理店のバイキングだった。主な日本食は食べ放題、ほかに寿司の量り売りなどがあった。白米、味噌汁などが用意され、巡検も半ばに差し掛かり、若干ブラジル料理に飽食気味だった私は、久々にアマゾンのど真ん中で食べる日本食に妙に感慨を覚えてしまった。昼食中にミーティングを行い、商工会議所の説明を振り返り、次に向かうマナウス・本田への軽い指針を立てた。
まず、マナウスにおいても,産業化はやはり輸入代替工業から始まったことは確認できた。外国技術を活用し、ブラジル国内市場の中で勝って基盤を作り、国際競争力をつける。すると、状況が変わり輸出志向型経済になっても対応が可能になり、更なる成長が可能となる。エンブラエール社、ウジミナス製鉄所と全く同じ流れだ。
またその他に着目したのは、従業員の教育である。マナウスでは良質で従順な労働力が競争優位の大きな源泉になっているのだが、どのように労働者を鍛えていったのかは非常に興味深い。マナウスは、南米における新国際分業の先駆的存在であるとも言える。同じ高品質の製品をたくさん生産していくには組織が重要な役割を果たす。「労働者のモチベーションを、どのような組織で如何に高めていったのか」は1つ本田で聞いてみたい課題となった。
商工会議所から車で数十分行ったところに第一工業団地があり、本田も工業団地内に立地している。工業団地の東には、アマゾン川が流れている。こちらの工業団地は、連邦政府が1平方メートルあたり1レアルで提供しているそうだ。
工業団地の手前にはLGの大看板も見られた。韓国企業のサムスン電子やLGは、目立つところに広告を行っている。出回っている製品に比しても広告は積極的で、ブラジルに企業イメージを浸透させようとする努力が伺える。
本田技研工業に到着し、まずは事務所を案内していただき、概要説明を受けた。
この工場は、1976年11月に生産を開始した。以前は、サンパウロに拠点を置き、製品は日本の浜松で生産したものを輸入して売っていたが、1975年の輸入禁止を機に、現地生産に切り替えたことから始まった。1994年時点では11万台の生産だったが、今年は92万台生産しており、生産台数は順調に伸びてきている。現在本田はオートバイ市場の90%のシェアを占めており、ブラジルで活躍する企業の1つとなっている。マナウスの工場ではオートバイの他にPPB(Basic Production Process)の形態で、エンジン等も作っているという。
本田のオートバイは、日本以外にタイとインドネシアでも生産しているが、ブラジルの特徴は現地調達率が90%と高い点だという。ブラジル国内に本田バイクは10モデルあり、そのうち排気量150ccのCG150TITANモデルが主流で、マナウス本田の中で48%の生産シェアを占めている。このモデルの現地調達率は、99%を誇っているという。
ブラジルでの現地調達率が高いのは、自動車生産技術がブラジルで全般的に伸びて、日本の品質基準を満たすようになったことが大きいという。その基盤として、ブラジル四輪産業の存在があげられた。ブラジルにはフォルクスワーゲン・フォード・GMが進出しており、周囲には、これをささえる地場の部品メーカーも揃っていた。また、ブラジルは基礎産業に強く、アルミ・鉄・ゴムの資源があり、それを加工する技術もあったことが背景にある。そして、マナウス本田のもう1つ大きな特徴として、部品の内製率が高いことも挙げられる。多くの部品をマナウスで内製しているのだ。二輪専用の部品をサンパウロから持ってくるには物流費が大変かさむので、このメリットは大きいという。
次に、従業員のモチベーションについて伺った。工場操業当時、マナウスの現地の人々は、工場労働を経験したことがない人がほとんどであった。だが、アマゾン川の航海に使う船を造っている人がいたお陰で、溶接なら何とかやっていける、という状態だったという。
操業当初は、制服の作業着を着用しなくてはならない、時間に縛られるなど、従業員には不満があったようだ。しかし、現在は従業員のモチベーションが高く、本田オートバイは「マナウスの中で一番仕事をしたいと思う企業」とされているという。
生産台数は販売台数によって決まり、販売台数は経済情勢に大きく左右されるため、いつ人が必要になるか分からない状況である。そのため、毎月のように採用を行っているが、毎月列を成して応募者が面接に訪れてくるという。採用の宣伝はしなくとも、倍率は、毎回20倍程度というから、会社では自在に有能な人材を選択して採用できる。決して給料がトップいうわけでなく、アメリカ系企業でもっと高いところはあるのだが、働きやすさやフリンジベネフィットが評価されているという。例えば、教材の手当て、クリスマス・母の日・子供の日・カーニバルの時など従業員の子供を遊ばせたりプレゼントを上げたりするといった家族的なやり方を採用している。ブラジルでは、物質的な豊かさを享受できない人もいるため、こうしたフリンジベネフィットは非常に喜ばれる。また、先に商工会議所で伺ったように、従業員の食事代もほぼタダに等しく、月1レアルだけ貰っている。
特徴的なのは、労働組合の影響を受けにくいことだという。以前、サンパウロから組合運動のオルグが来て、本田の従業員バスをストップさせ従業員が出勤できないようにさせるピケが張られたことがあった。ところが、その際従業員は、このオルグを無視し、ピケを乗り越え通勤したそうである。ブラジルの労働組合は日本のような企業内組合ではなく、横断的な産業別の組合であり、基本的には全従業員が組合員ではある。だが、ストライキの影響はまず受けないという。ブラジルでは一般に社会運動の伝統が人々にしっかり根付いていて、都市部ではとりわけ労働組合が強いから、お話を伺い、この点は、立地決定のうえで大変重要だと思われた。
「マナウスの従業員は真面目で、かつ福利厚生などを通じて本田の思想を理解して貰っている」のだそうだ。不況でリストラをすることもあるが、景気が回復したらレイオフする体制も整っており、従業員はあまり不満を抱えずに仕事が出来ているという。
次に、従業員の教育に関してお話を伺った。
マナウス本田では、新しく入った従業員を1ヶ月間訓練しているという。訓練は、まず生産ラインなど同じ環境を作って擬似的に作業を行い、1週間くらいしたら手伝いにつかせてOJTで訓練を続ける。きちんと訓練を吸収できるように、採用する人は全て高卒以上になっている。ここでも、福利厚生を基盤に持った日本型経営のメリットが生かされていると思われる。基本的に本田は終身雇用を前提としており、それを見込んで愛社精神を持って貰えるよう福利厚生を施している。こうした社会的基礎があるから、しっかりとしたOJT教育を施すことが出来る。もし、従業員がすぐに退社し、外部へ出てしまうのなら、OJT教育はコストとなってしまうからだ。
また、QCサークルは日本以上に活発で、社内に有効な生産効率・職場カイゼンのシステムを有していると説明して下さった。
概要説明の後、工場の案内をしていただいた。鋳造・加工・溶接・組み立ての工程を見学することが出来た。私はエンブラエール社・ウジミナス製鉄所と工場を見てきて、徐々にではあるが、工場見学の勘所を掴みつつあった。例えば、従業員の配置・ラインのスピード・機械の様子(製作国・大きさなど)・部品の製作国・工場の清潔度・QCなど従業員サークルの掲示物、といったことを見ていけるようになってきた。
まず、見学したのは鋳造工程である。
鋳造は熟練を要する工程で、1つの機械に1人ないし2人の従業員がついて作業に当たっている。部品は整理して並べられていた。鋳造の工程では、アルミを溶接たり金型に入れたりして部品を作っている。こうした工程は、日本では下請けに出すのがほとんどらしいが、マナウス本田ではアルミ部品も内製している。アルミ部品の中にはエンジン部品のシリンダーヘッドも含まれていた。特に、基幹部品は、性能の面でも、納期や供給数量の点でも、部品生産工場と密接なリンケージの上に生産を進めていかなくてはならない。しかし、サンパウロなどブラジルの他の産業集積とマナウスとの間には莫大な距離がある。このリンケージの困難を、内製という手段で補うことができるのは、本田の1つ大きな強みだと言える。
鋳造の機械は日本から取り寄せている。製造は、東芝となにわだった。小さい機械なら現地調達できるが、大きい機械になると日本製などに頼らざるを得ない。特に薄い部品を作るとなると、プレスで400kgもの圧力をかけて鋳造するので、日本製の鋳造機械を用いるようになる。金型は、その製作に熟練技術を要するため、今まで日本から持ってきていたのだが、これからは金型製作も徐々に現地化し、今後はブラジルで生産できるよう努めたいと説明して下さった。そのために日本に従業員を研修させることも検討しており、年に5人日本に派遣する計画だそうだ。そのうち2人は3週間横浜で研修、3人は千葉で日本語を用いて3ヶ月研修させるという。
次に見学したのは部品の加工工程である。日本のメッツという企業から部品を調達している。マナウスはすでに十分な産業集積がある地区なので、部品企業としても、マナウスに工場を設置すれば、複数の川下企業に部品を出せるから都合が良い。
加工工程・溶接工程と進むにあたり、所々に不良品・稼働率などを記したマニュアルやQC活動のポスターが掲示板に貼ってあった。こうして常に従業員に、品質に関する意識の向上を促しているようであった。
最後に、組立工程を見学した。エンブラエール社でベイシステムというものを見学したが、本田では創業以来ベルトコンベアの生産ラインを採用している。ここで感じたのは「人が多いな」ということであった。ちらちら我々の方を見るなど、従業員には若干の余裕があるように見受けられた。ラインのスピードを、緩めにしてあるのだろうか。航空機や鉄鋼とは事情が異なるが、次々と部品を組み立てていく工程1つ1つに複数人をあてていて、従業員がラインに密集する様には少々驚いた。
マナウス本田では、6千人の労働者が働いているそうだ。この点に関し伺ったところ、「従業員の数は多い。賃金・生活水準が上がってくれば、機械による自動化を進めることもあり得る。ただ、現段階では二輪のライン自動化は難しい。金をかけてでも機械に入れ替えた方が良いかは慎重に考える必要がある」と説明して下さった。ITを使うとなんでも効率的になるとわれわれは考えがちだが、実はそうではない。ITを用いた生産装置を立ち上げたり、メンテナンスしたり、またモデルチェンジのときに装置の動作を組み替えたりするのは、すべて熟練技術者である。この作業にはコストと時間がかかり、故障や手違いによる機械の動作不良というリスクが生まれる。このため、労働力のコストが安い場合は、むしろIT生産技術を採用せず、従業員の労働をメインにして製造したほうが、新しいモデルへとフレキシブルに対応し、リスクを軽減できるというメリットがあるのだ。中国に立地している工場では、このような考えから労働集約的生産工程を採用している工場が多い。マナウスでも、本田のこの工場は、同じ考え方でやっているといえよう。
見学しながら「ラインに従事して単調に作業をしている従業員は、モチベーションを維持できるのか」と尋ねてみた。すると、「従業員には『本田にいる』という誇りがまずある。福利厚生がしっかりしていることも本田の一員としての意識を芽生えさせているのだと思う。また、本田は24時間の工程なら3交替制を敷いており、決して従業員に無理はさせない。そのため、創業以来本田で働いている従業員も多く、外へは出て行かない。サンパウロから連れてきたエンジニアの人は終身雇用に近い形態で採用しているし、そのつもりで教育も行っている」と説明して下さった。
この工場では年々生産台数が増加しており、今年は92万台生産する予定である。日本の二輪売上は頭打ちであるのに対し、ブラジルでは、賃金では四輪が買えない顧客・交通渋滞がイヤという顧客に、二輪に対するニーズがあり、まだまだ伸びしろはある。しかし、現段階では100万台の生産能力しかないらしい。「では、今後は工場を新設して規模を拡大していくのですか」と尋ねてみたところ、「単純に規模を拡大させてくれと言っても、本社はOKサインを出さない。まずは高技術で付加価値をつけることで生産性を高めないといけない。知恵を絞って設備効率をあげないといけないね」と説明して下さった。
たしかに、マナウスの特殊事情として、「部品の内製化により、安定した性能と数量の部品供給を図ることと引き換えに、工場全体の設備効率はどうしても落とさざるを得ない」ことが挙げられるだろう。上流の鋳造工程は熟練技術が必要な分、時間がかかり、生産のボトルネックにもなりうる。その結果、規模の経済を生かせず、設備効率が悪化してしまう可能性はある。ただ、内製化せずサンパウロから部品を調達するとなると、今度は、部品の輸送コストや不安定供給のリスクをかぶってしまうトレードオフを抱える。マナウスの工場には、こうしたジレンマが存在する。このジレンマを如何に解消するかが、1つの重要な課題と言えるかもしれない。
マナウス本田を辞去して、市内に向かうバスの途中、工業団地付近にドブ川があり、その周辺にファベーラのような質素な住宅が並んでいるのを見つけた。これは労働者の住宅地域と思われる。工業団地で働いている人たちにはフリンジベネフィットが与えられているが、社宅の手当てはないらしい。
我々は、工業団地近くの郵便局で各々絵葉書を出した後、オペラ座のある広場へ着いた。マナウスはポルトガル人が作った都市ではないが、広場はヨーロッパ風の雰囲気を醸し出していた。
このオペラ座は、マナウスがゴム景気で沸いていた1900年代初頭に創られたもので、当時は世界の3大劇場の1つと呼ばれたらしい。ゴム景気で資金が大量にあり、建築資材はすべて、カネに飽かせて、はるばるイタリアやフランスから輸入してきたという。設計は、当時文化の中心だったヨーロッパのオペラ座をまねたもので、まさにゴム景気の頃に富の巨大さを誇るマナウスの象徴的建築物だった。建物の中に入って上を見上げると、エッフェル塔を見上げた絵が描かれており、オペラに用いられる中世風の衣装が展示してあるなど、とにかく豪華な装いだ。こちらでは年30回程度の公演が催されるという。基本的に入場料金は高いようだが、たまにチャリティーが催されコンサートを安く拝見できることもあるそうだ。以前、坂本龍一氏や小柳ルミ子氏も来訪したことがあるそうだ。また、日本の少年少女が和太鼓を演奏したことがあり、大好評を博したそうだ。こうしてリッチな気分に浸った我々はこれでマナウス1日目も終わり、薄暗くなった街を通り、ホテルへ戻った。
ホテルに戻ると、我々は停電に見舞われた。午前中に商工会議所でアマゾンは電力事情が悪いとの話を伺ったが、停電はよく起こることなのだろう。しかし、数時間後電気は一部復旧し、事なきを得た。
明日はいよいよ、アマゾンの熱帯雨林ジャングル探索だ。