この日、午前中は、シンガポールプロジェクト(Projeto Cingapura)という政府のファベーラ対策の住宅を視察することになった。
われわれはバンでホテルを出発し、アルファインテル南米交流の米田利耕様のガイドで、シンガポールプロジェクトの住宅へと向かった。米田様は、大変よく勉強されている博識のかたで、われわれに沢山の貴重な現地情報を提供してくださった。
リベルタージのホテルからまわると、バンはすぐ途中、ベラデスタ通りという道にはいった。ベラデスタ通りの周辺には、1822年当時には1万人ほどの人口しか居住していなかったが、その後人口爆発が起こり、一気に住宅問題が深刻化した。ベラデスタ通り周辺には、ファベーラと比べると規模は小さいが、「コルチッソ」と呼ばれる、いわゆるインナーシティのスラムが存在している。それとの関係か、このあたりでは、MST運動の都市版ともいえる「屋根のない人々」という名前の社会運動が起こり、廃屋となったホテルが占拠されるという事件も起こっている。リベルタージの日系人街に近いところから、昔は日本人がこのホテルをよく利用したらしいが、経営が行き詰まった。そのホテルが、「屋根のない人々」の占拠対象となったのである。現在は、運動家は追い出され、ホテルは封鎖されている。われわれはバンの中から封鎖されたホテルを見ることができた。6〜7階建てのホテルで、入り口はコンクリートで覆われていた。
バンで、今日もわれわれはまず、ブラジルのビジネス中心地であるパウリスタ大通りへと向かった。シティバンクに立ち寄り、カードで現金を下ろすためである。ブラジルは想像以上に両替事情が悪く、シティバンク以外のほとんどのATMでは、カードで現金を下ろすことができなかった。このことによってゼミテンの何人かは手持ちの現金が上足し、旅の終盤苦しむことになる。この日のレートは1USドル=2.92レアルだった。
両替を終えて、シンガポールプロジェクトへと向かった。途中、バンの中から教会が見えた。現在、人口の75%がカトリック信者で、プロテスタントが増えているのだそうだ。もともとカトリックだった国で、プロテスタントが増えているというのは、人々が旧来の伝統にとらわれず、より自由な考え方を求めていることの証であろう。
サンパウロでは、近郊鉄道網の上備を補うようにあとから地下鉄が建設されだため、モータリゼーションが進んでいる。車による大気汚染や渋滞も問題になっており、車のナンバーの末尾番号による交通規制などの対策も行われている。そこで、大金持ちは末尾番号の異なる車を複数所有しているという。
ファベーラは、人口流入によってできあがり、それによって悪化する。北の旱魃地帯をはじめ、農村部から人々が雇用を求めてサンパウロにやってきてファベーラを形成し、兄弟などを呼んで一緒に住んでしまう。このため、ファベーラは次第に過密化し、物理的な住環境は悪化する。
ブラジルには住民票が存在しないが、 水道代金の伝票や郵便配達のアドレスも、これらの人々が居住の事実を証明するには有効であるらしい。10年間住み続けてしまえば、その土地に居住権が発生する。もっとも、10年間住んで得た居住権を売って金儲けをし、再びファベーラでの生活を送るという悪循環も存在する。
学校は住民票がないために、入学する生徒の数を把握できないという問題が起こる。これにより、入学は早い者勝ちになり、定員が埋まった場合には学校に行くことはできない。
これらも含め、ファベーラには大きく分けて4つの問題が存在する。第一に住民の生活環境の問題、第二に治安の問題、第三に教育の問題、第四に雇用の問題である。
昨日訪問したモンチアズールでは、シュタイナー教育と保育所運営を軸として、主としてソフト面からNGOがファベーラを支援していた。これに対し、シンガポールプロジェクトは、ファベーラの衛生面や生活面の問題を高層住宅によって物理的に解決しようというのが、狙いである。
ファベーラ居住者に住民としての権利を与えるべきだという動きは、軍事政権下に当選したマルフィ市長時代に、ファベーラに水道と電気を供給したことがきっかけになった。この動きが発展して、シンガポールプロジェクトのような事業が行われるようになったという。さて、われわれはシンガポールプロジェクトの住宅が立ち並ぶ地域に到着した。ここはV. STO. STEFANOという地域で、セー広場から南に8〜9kmほどのところだ。
シンガポールプロジェクトという名前は、公営住宅を作ってスラムの人を住まわせるという、シンガポールの政策にヒントを得たことに由来する。
外壁は緑や茶色の、日本の昔の公団住宅を思わせるような建物である。周りの環境とはマッチしていないが、予想以上に整った外観で、何も知らない人がそこだけを見ればファベーラ対策の住宅だとは気づかないかもしれない。しかし、すぐ近くに寄り添うようにしてファベーラが立地している。
ブラジルでは6階建て以上はエレベーターの設置義務があるが、シンガポールプロジェクトの住宅は5階建てなのでエレベーターは設置されていない。上層階の人は、引越しのとき、大変だろう。
外をぐるっと回って、住宅の様子を観察した。窓には洗濯物が干してある。住宅の傍に駐車場があり、車が何台か停まっていた。ここに住む人には、自家用車を保有する人もあるのだ。遊具施設があるのも確認できた。
シンガポールプロジェクトの住宅に住むため、毎月の住宅ローンの支払いは約100レアルだという。給料は1ヶ月に500レアル程度というから、相当に高いという印象だ。シンガポールプロジェクトの住宅は所有なのか占有なのかという部分が曖昧になっていると伺った。本来なら固定資産税がかかるのだが、滞紊している人が多いという。住戸は、入居して数年間は譲渡できないという規則があるという。
このシンガポールプロジェクトには、特有の政治的な位置づけがある。サンパウロは外縁部に多くのファベーラが立地している。しかし、シンガポールプロジェクトが行われているファベーラは都市の中心部に近い。なぜ外縁部のファベーラには対策が施されないのか。中心部のファベーラに住宅政策を施すことで、「今の政府は住宅政策にも力を入れていますよ」ということをアピールすることができる。
実際にシンガポールプロジェクトが行われたのは、1996年〜2000年までの間であった。このプロジェクトを推進した市長は既に退任し、シンガポールプロジェクトには、「既に終わった政治的プロモーション」という位置づけがなされている。現在では、シンガポールプロジェクトの住宅は維持費がかかり、市政府の財政を圧迫しているという言説が出されている現状のようである。
この日の視察だけでも、ファベーラに存在するさまざまな問題を垣間見ることができた。ファベーラは一つの居住形態としてブラジルの中で認知されている。貧困層にとっては、ファベーラは生活に根付いた行為空間の場であり、それをすべてシンガポールプロジェクトのような物理的な住環境改善で解決するには、途方もない政府の努力を必要とする。このプロジェクトが最良の解決策を提供したといえるのか、見極めるべき課題は大きいと思った。
シンガポールプロジェクトの視察を終え、バンは市の北部にむかった。途中には、建設途中で頓挫し、放棄されたままの車輪軌道バスの高架が目に入った。これは、前市長が計画し、相当に建設工事がすすんだところで市長が交代、それによって建設がストップしたのだという。前の市長の事業を続けても、政治的得点にはならず、かえって前の市長の存在感を強めるだけだからというのが、工事ストップの理由らしい。川にでると、護岸工事が行われていた。これは、日本のODAで行われているらしいが、そのことは一見してブラジル市民にはわからない。よく探すと小さな看板があって、日本から代議士が視察に来たときは、わざわざその看板の前を車が通るようにするのだそうだ。
米田さんは、EMBRAER社 へと向かうわれわれとの別れ際、バスターミナルの近くで、もう一つのシンガポールプロジェクトでできた団地を私たちに紹介してくれた。
午後2時からのEMBRAER社の視察のため、バンはサンパウロ〜リオデジャネイロ間を結ぶ幹線道路をリオデジャネイロ方面へと走った。
途中、ブラジルの主要な輸出産品でもある乗用車を大量に積んで輸送するトラックが走っているのを見かけた。幹線道路の両側には、Panasonic、トヨタ自動車、Philips、LG、Peugeot、Fordなどの外資系メーカーの工場が軒を並べて立地していた。この幹線道路がブラジルの主要2大都市を結ぶ重要な道路であることを実感した。同時に、ブラジル国内の耐久消費財はほとんど外資が実権を握っているという経済構造も見て取れた。
途中、昼食をとるために、サービスエリアに停車した。このサービスエリアも地元向けではなく往来車向けのサービスを提供している。前日のようにトラブルが発生してアポイントメントの時間に遅れることを恐れたわれわれは、ポテトとフライドチキンを買って足早にサービスエリアをあとにし、移動中の専用車の中で昼食をとることにした。
エンブラエール(EMBRAER)社に到着した。この会社社は、サンパウロから東に100km弱のSao Jose dos Camposというところに立地している。午後2時までにはまだ40分以上時間があった。「羹に懲りて膾を吹く」といったところだろうか。入り口で、しばし駐車して時間まで待つことにする。
このEMBRAER社の視察は、当初実現しない可能性があった。水岡先生が直接視察のアポイントメントを取ろうとしたところ、断られてしまった。そこで、日本にいるブラジルの大使を通じてアポイントメントを取りつけ、ようやく今回の視察が実現したのである。
ブラジルの主な輸出品目で連想されるのは、コーヒー豆、鉄鉱石、大豆などかもしれない。しかし、現在輸出額1位の品目は、実は航空機である。そして、ブラジルの新たな外貨獲得手段に大きく貢献しているこの航空機生産の担い手がEMBRAER社である。
EMBRAER社のもとをたどれば、1950年に航空宇宙センターという空軍の研究・教育施設に行き着く。そこの卒業生がEMBRAER社のエンジニアになったのだという。1969年に政府主導の国営企業としてエンブラエールが設立された。当時の政府の狙いは、輸入代替型工業化の促進と、ブラジル自前の軍事力を持ち、合衆国からの脱却を図ろうということだった。その後、1994年に民営化し、現在に至っている。
カルドーソ政権下の民営化後、ブラジル経済の「勝ち組」となった企業の一つである。
われわれはレセプションルームに招かれ、アポイントメントの時間までそこで待つことになった。受付の女性は、ポルトガル語と英語の両方を流暢に操っていた。後で、EMBRAER社は社内言語として英語が使われているということを知った。社内は一切撮影禁止であったため、われわれはカメラをレセプションルームに一時預けてから社内へ入った。
Paulo Lourencao博士と石川シュンスケ様に迎えていただき、会社概要のブリーフィングを受けた。石川様は移民家族のご子息としてブラジルに渡られ、その後ブラジルで理系の大学教育をうけられ、、現在はシニアエンジニアとしてご活躍されている。
交通、通信の発達に伴って企業内の分業が進み、エンブラエール社でも、部品などの中間財を取引する新国際分業の体制を確立させている。170の関連会社があり、支社は合衆国をはじめ、フランス、シンガポール、オーストラリア、中国など世界35カ国に展開している。ただし、日本には進出していない。
エンブラエール社の新国際分業の現状について、詳しい説明がなされた。エンブラエール社の航空機は、さまざまな部品を各国が分担して製造している。主翼は日本の川崎重工、尾翼はスペイン、エンジンはアメリカのGE、コクピットと翼の連結部分はブラジルといった具合である。エンブラエール社の方が強調していたのは、コクピットと翼の連結部分は国産であるという点と、コストベースで見たときには80%が外注だが、技術内容でいえば100%がブラジルであるという2点である。エンジンとソフトウェアはアメリカが供給しているが、それもブラジル側のスペックに合わせ、そのニーズに沿って生産されたものだという点も強調していた。あくまでも「国産の」航空機であるということを主張する必要があるのだろう。しかし、航空機の基幹部品はいうまでもなくエンジンである。エンジンの供給が止まれば航空機は生産できないし、高度な技術を必要とするエンジンは、代替性がない。はたして、エンブラエール社が,技術的に自立しているといえるのか、難しい点である。
新国際分業に関連して、生産方式で印象的だったのが、Digital “Mock-Up”という方法だ。”Mock-Up”とはもともと「模型を作る」という意味で、コンピューターのスクリーン上で模型を作ってシミュレーションするという方法だ。先ほど紹介したように各国が製造するさまざまな部品を実際に持ち寄ってシミュレートするには莫大な時間と費用がかかる。これらを節約するためのシステムがDigital “Mock-Up”である。このシステムは2000年から導入されている。通信の発達が新国際分業を可能にしているという、好例だろう。
企業戦略の観点からエンブラエール社が特徴的なのは、ニッチ企業だという点である。同社は、エアバス社やボーイング社が製造しないような中・小型の航空機を製造し、その市場においてシェアを確保するという戦略をとっている。EMBRAER 190など、やや大型の機種も製造するようになっているが、それでもエアバス社やボーイング社の製造する最も小型の航空機と同程度の大きさだという。ゼミテンから「今後機種の大型化が進んで、エアバス社やボーイング社の市場に参入するのか」という質問が出た。それに対し、エンブラエール社は当面のところ、今まで通り中・小型機の生産に特化してシェアを確保していくという回答であった。大手2社がいる大型機市場は参入障壁が高く、当然の戦略と考えられる。
労働者の構成は、高卒者が61%、大学の学部学生が31%、大卒者が8%となっており、全体の25%はエンジニアが占めている。エンブラエール社は技術者の養成にも積極的に取り組んでいて、わずか18ヶ月で航空エンジニアを卒業できるカリキュラムの専門学校があり、ここ5年間で8,500万USドルが技術者の訓練費用として使われた。さらに進出先の現地人雇用も進んでいて、中国のハルビンでは、労働者の85%以上が中国人だという。
サンパウロには、農薬散布用の航空機を作る子会社もあるという。後日視察することになる堀田農場の飛行機にも「EMBRAER」のロゴが入っていた。
概要説明を受けたあと、生産現場を視察した。
エンブラエール社は、大きく分けて2つのタイプの航空機を製造している。旅客機と軍用機の2種類だ。旅客機のなかでも比較的大型の170型(約80人乗り)と190型(約110人乗り)は、ベイシステムという生産方式を採用していた。これは造船と同じ方式で、本体は固定されたままで、パーツを集めてきて組み立てるという方式である。ベイシステムの工場には4台の航空機があり、塗装工程まで終わっているものもあった。ベイシステムでは、これらの旅客機1台を生産するには、およそ3ヶ月かかるとのことだ。2006年には120人乗りの195型の認可が下りる予定だというが、これもここで生産されることになる。
一方、小型の旅客機はライン生産方式を採用していた。ライン生産といってもベルトコンベヤーがあるわけではなく、本体に車輪のようなものがついていて、それで製作中の機体を工程から工程へと動かすのである。
一見、生産方式を統一したほうが余分なコストがかからなくてすみそうな気がするが、ベイシステムにはそれなりのメリットがある。ライン生産の場合には1つの部品を取り替える場合でも、段取り替えに非常に時間がかかるし、生産ラインをストップしなければいけないので稼働率も下がる。その点、ベイシステムではフレキシビリティを保つことができる。もう一つ重要な点は作業員のモチベーションアップにつながるということだ。ライン生産の一部として単純作業を繰り返していると、作業員のモチベーションが低下して生産性も低下する。ベイシステムは、作業員に「自分がこれを作ったのだ」という自覚をもたらし、モチベーション低下を防ぐ役割があるのだ。
軍用機のほうはSuper Tucanoという小型機から、EMB145という中型機まで製造されているという。さすがに、軍用機の生産工程は、視察させてもらえなかった。軍用機は受注が上定期だが、企業としては相手の発注に対して素早く対応するのがもっとも重要だとの説明を伺った。
私が驚いたのは、トヨタ自動車のかんばん方式が採用されていたことである。ローマ字で”KAMBAN”と表記されていた。かんばん方式は後工程引取り方式の代表的なもので、後工程が「何を、いつまでに、どれだけほしいのか」を書いた伝票(かんばん)を前工程に渡すというものである。これによって無駄な中間在庫がなくなり、効率化できる。実際にかんばんを見ることができなかったのが非常に残念だ。
工場と工場の間を移動しているときに、労働者が工場から出て行くのを見た。エンブラエール社は3交替制をとっており、ちょうど交替の時間にわれわれが通りかかったようである。敷地内には滑走路もある。完成した飛行機は、工場渡しとなっており、エアラインからパイロットが来て、自分で操縦して持って帰るのだという。同社の1号機のプロペラ機が今も現役でテスト飛行用として飛行しているという話も伺った。
企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility:以下CSR)についての話題が出た。エンブラエール社は、地元の高校の教育も支援しているのだという。具体的には地元の高校で理科やパソコンの教育を行っているとのことだ。ブラジルでもっとも優秀な大学はサンパウロ州立大学だが、ここの入学試験を突破するためには私立の学校に通い、レベルの高い教育を受けなくてはならない。だが、私立の学校は公立の学校より多くの教育費用がかかる。その結果、富裕層はハイレベルな教育を受けられるが、貧困層は受けられないという教育の格差が発生する。このような問題を解決するために大学に黒人枠を作るなどの対策が行われているが、エンブラエールも、貧しい人でもいい教育を受けられるようにする努力をしている姿勢がうかがえた。社員の福利厚生にも力を入れている。エンブラエール社の指定した病院では、医療費の8割をEMBRAER社が負担するのだという。
レセプションルームに戻り、私たちはエンブラエール社を後にし、サンパウロへと向かった。
専用車の中でもCSRに関してのゼミテンの議論が続いていた。「B to B(Business to Businessの略。企業に財を販売する産業)の産業がCSRに力を入れるのはイメージ戦略の意味合いがあるのではないか」という意見が出された。
EMBRAER社を実際に見学することで、ルラ大統領の産業政策の一端を垣間見ることができた。航空機などの基幹産業に注力することで、対外債務を徐々に返済し、金利を下げて新たな消費や投資を誘発するという長期的視点に基づいた経済政策である。EMBRAERを見た限りではこの政策はうまくいっているという実感を得た。「産業界にとってはルラの政策は歓迎されるべきものだ」というFIESPの見解とも整合性が取れている。これからもルラの思い描いたとおりに経済は進展するのだろうか。この問題はブラジル・ボリビア巡検を通じての大きなテーマのひとつである。
エンブラエール社を実際に見学することで、ルラ大統領の産業政策の一端を垣間見ることができた。航空機などの輸出向け基幹産業に注力することで、貿易黒字を上げ、対外債務を徐々に返済し、金利を下げて新たな消費や投資を誘発するという長期的視点に基づいた経済政策である。エンブラエールを見た限りでは、この政策はうまくいっているという実感を得た。「産業界にとってはルラの政策は歓迎されるべきものだ」というFIESPの見解とも整合性が取れている。これからもルラ大統領の思い描いたとおりに、ブラジルの産業経済は進展するのだろうか。この問題は、われわれの、ブラジル・ボリビア巡検を通じての大きなテーマのひとつとなった。