■ 天池 2003 8.29


この巡検は、当初、各自で現地集合し、8月30日から活動を始める予定であったが、全員が余裕を見込んで8月28日にウルムチに到着したため、この日の午後、全員で、ウルムチから車で2時間ほど離れた天池へ向かうことにした。ここは、かなり観光地化しているところということで、あえて巡検での公式訪問地には含めなかったのだが、全員が天池に行くことになったため、この日が事実上、巡検の初日となった。中国の観光開発の状況を知るには、良い機会であった。

天池までの道のり

車は、ウルムチの市街地を出て、整備された片側2車線の高速道路に乗り、ジュンガル盆地を東に向かった。途中、ガソリンスタンドとコンビニのように飲み物や軽食が買えるドライブインのようなところに立ち寄り、ここでわれわれは、ジュースやビスケットなどを購入した。ゼミ生の一人が「けんこういちぼん」(健康一番と言いたかったのだろう)と日本語で表記されたパッケージのビスケットを買っていた。日本からの輸入物ではなく、中国国内で作られているものだった。日本人がパッケージなどに英語を使い、高級に見せたがるのと同じような感覚で、日本語表記を使っているのだろう。

ここでトイレに立ち寄ると、洋式でも、和式でもなく、タイル作りの溝だった。中国沿岸部のトイレはたいてい普通の洋式タイプだっただけに、衝撃だった。個室になっているのだが、溝はつながっていて、一方方向に常に水が流れている。「上流から大きいほうが流れてきたらどうするのだろう・・・」と気になった。

天池にて

天池というのは、『地球の歩き方』では「中国のスイス」というように紹介されている。湖の周りを山々が取り囲み、正面に見える高山、ボゴタ峰(5445m)の頂上には一年中雪が積もっている。景色が美しく、ウルムチの観光スポットとしてとても有名な場所である。

車は高速道路を下り、天池に向かう道に入った。天池に近づくにつれ、牛、馬、羊、山羊など放牧されている動物の姿が見られるようになり、カザフ族のテントもぽつぽつと現れてきた。植生の変化も顕著で、高速道路の周辺は礫砂漠、高速を抜け高地へ近づくと草原、そして山林、と緑が増えてきた。

入口に着くと、まず入山料として一人60元(約800円)を払う。この入山チケットには、天池の美しい写真の絵葉書がついていた。このあと訪ねた新疆地区の有名な観光地のチケットには絵葉書つきのものが多かったので、ずいぶん観光業に力を入れている、と感じた。そこから車で少し進むと、駐車場があり、ここで下車である。自然環境保護のため、天池まで、外からの車で入ることができないのだ。駐車場にはたくさんの車やバスが止まっていた。山々に囲まれた周りの景色はとても美しいのに、この駐車場がそれを台無しにしている気がした。ここまでは車で来ざるを得ないので、駐車場は仕方のないことなのかもしれないが、駐車場の近くには、ゴミ山が放置されているのには幻滅させられた。自然環境保護といっても、まだかなりの中途半端さを感じる。

天池へは、徒歩で登ることもできるが、われわれはゴンドラリフトを利用した。料金は、ここでも25元(約375円)。入山料と、ゴンドラリフトの料金の一部は「新疆昌吉回族自治州地方税務局」というところに収められる。この料金の一部は、観光地整備・保存に使われているのだろう。けれども中国で60元は一般的な感覚ではかなり高額な値段なので、本当にお金のある人しか入れないのではないだろうか。ここは、東部から来る漢民族や海外からの観光客向けの観光地なのだろう。ちなみにこのゴンドラリフトというのは、二人乗りで、囲いも何もなく、横がむき出しになった、むしろスキーリフトに近いものである。けっこう乗っている時間が長く、しかも、深い谷をはるか下に望む高度感のある場所を通るので、高所恐怖症の人にはお勧めできない。だが、そうでない人には、気持ちのよい風も感じることができて、とても爽快だった。

眼下に見える斜面を放牧中のカザフ族の男性が何十匹もの羊を追って駆け下りていく。天池は現地の人々の生活の場でもあるのだ。ただ、今後天池の観光開発が進むと、このような人々がここから追い立てられてしまう可能性もあるのではないかと思う。また、その斜面には、植林の跡が残っていた。観光地化されてしまった以上、人工的に自然を管理していかないと、環境保全ができないということだろう。

ゴンドラリフトが終点に着いても、湖のあるところまで行くにはまだ距離がある。バス便があるのだが、これにも一人5元かかった。湖までたいした距離ではなかったが、登りなので、歩くと結構たいへんかもしれない。

ついに天池に到着した。 標高1980m。事前にガイドブックで見た景色そのままだったが、やはり実物は美しかった。

湖の周りでは、カザフ族の人々が次々に、「お馬ぱかぱかたのしいよ」などと、片言の日本語で馬に乗って散歩しないかと声をかけてきた。私達の顔を見て、日本語で話しかけてくるので、やはり自分たちは日本人らしいところを出しているのだろう。私達のほかにも多くの観光客が来ていたが、ほとんどは中国人の団体ツアー客だった。中には、中国沿岸部の広東省からのツアー客がいた。豊かな沿岸部の都市から内陸部への所得移転が、このようにして行われているのだ。

湖の周りでは、色とりどりのパラソルを出してフィルムを売っていたり、原色の色の船が運航していたりと、景観美がはなはだしく損なわれていた。 つい、そのような光景が入らないように写真を撮っている自分に気づいた。これが、巡検に行く事前に学んだ『観光のまなざし』という本にあったことなのだ。事前にガイドブックで見た美しい光景と同じ光景を求めてここまできて、そのまさにガイドブックと同じような光景を写真に撮らないと気が済まない。当然その周りの、ゴミ捨て場、原色の派手な観光船、観光の船着場、色とりどりのパラソル、漢民族的つくりの建物などの現実は、見て見ぬふりをしてしまう。私は、この天池に来て、入場料を払い、ゴンドラリフトに乗り、まさにこの天池という観光商品を消費している。それにも関わらず、「自然のままの景観の」、「観光地化されていない」、つまり商品化されていない天池を求めていた。矛盾したことだとは思うが、天池を消費している多くの観光客が、ここ天池に対して、このような矛盾した「自然」を求めているのだと思う。

湖の周辺をトレッキングし、清朝の時代に政府が天池の水を灌漑用水に利用しようとして作った水路にできた人工の滝にたどり着いた。これは、農業をしない現地民である遊牧民族のカザフ族にはもともと不要なものだった。この滝は、農耕民の漢民族の侵出を物語るものにほかならない。滝を間近で見られるように川から滝まで小さな橋が架けられており、滝の正面には漢民族的な、朱色の瓦屋根のちょっとしたあずまやがあった。この屋根と滝を背景にして、中国人ツアー客のおばさんたちはみんなで写真を撮り合っていた。彼女達にとっては単なる写真スポットに過ぎないのだろうが、実は先述のような、この地域の中国による支配という、象徴的な場所でもあるのだ。

その後また、ゴンドラリフトに乗って山を降りた。 そして運転手さんとガイドさんが、カザフ族のユルト(テント)の中でご飯が食べられるところがあるというので、そこで夕食をとることにした。

ユルトの中は以外に広々としていた。一面に色とりどりのじゅうたんが敷き詰められており、クッションや寝具も備え付けられ、泊まることもできそうだった。机の上には前菜のようなものが用意してあった。固いパン、ポテトチップスのようなもの、固形ヨーグルト(保存食だと考えられる)などだ。メニューを見ると、びっくりするほど何でも高い。 私達は羊を丸ごと煮込んだ料理を注文したのだが、これは180元(約2700円)だった。ちなみにウルムチの屋台で夕食をとると、シシカバブ(羊肉の串焼き)や砂鍋(肉団子や魚や春雨、野菜が入った鍋)など、一人10元(約150円)もあればおなかいっぱい食べられるのだ。それを考えると、ここの食事は、明らかに観光客用の割高なものだったが、味もまあおいしかったのでそれはそれでよかったと思う。食事中には、お店の人が民俗音楽のDVDを流してくれていた。価格も待遇も非常に観光地的なものだったと思う。

観光についてのゼミ生の議論〜天池訪問を通して〜

食事の値段が高かったこともあり、食事をしながら、ゼミ生から「ボッタクリ」についての意見が出された。旅行に行く者としては、実際に現地の人と同じ物価で同じ生活を体験したいのに、外国人だからといって不当に高い金額を払わされると腹が立つということだった。これに対して、「観光に来る者の所得は現地民よりはるかに高いものであるので、その時点ですでに同じ生活を体験することはできず、現地の人から見れば、お金のある人からより高い料金を取るのは当然のこと」というように先生から指摘を受けた。観光産業は豊かな地域から貧しい地域への所得の再分配ということができるだろう。観光客には、地元民とは違う、観光客が普段生活している場所の物価体系に見合った、別の価格体系があり、地元民の観光業者は、この体系で価格付けしているのだ。

また、入山料、ゴンドラリフト、車代などと、次々にお金がかかってしまうことについて、やはり観光地化されてしまった以上、いまの景観のまま保つには人間の手で環境を保全することが必要不可欠なので、観光者からお金を取って、観光地の環境維持に努めるしかないのではないか、という意見が出された。

しかし日本の観光地と比べて、まだ景観美というものへの意識が薄いように感じた。例えば、自然を売りにする観光地に建てる建物は、その景観に溶け込むようにログハウス風にする、原色は使わず自然に近い色を使う、などということだ。美しい自然にあこがれてきたツーリストを幻滅させないためにも、早くこの景観美を守るという点に気づいてほしいと思う。

だが、このことは、次のような皮肉も孕んでいることも忘れてはならない。すなわち、先述のように、観光客は、観光地という一種の商品を消費しに来る一方で、その観光客は「『商品化されていないと思わせるような観光地」を求めている。景観に溶け込むログハウスというのは、このような観光客の欲求を満足させるための、「作られた自然」にすぎない。にもかかわらず、このような観光客の矛盾した需要に、一見不自然さなく応えられるような観光地化をすすめること、つまり自然を観光商品としてより高い嗜好をもつものに純化することにおいて、天池はまだまだ未発達である。

(桑野 友佳)

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