■ ウルムチ 2003 8.28


上海から2泊3日の寝台列車の旅をようやく終え、夜の9時ごろ、ウルムチ駅に到着した。ホームから駅舎までの道のりを、皆大荷物を抱えて、ぞろぞろと歩いていく。駅構内も人が多く、混み合っていたので、スリ等に会わないか心配だった。私達ゼミ生はバックパックにはレインカバーをかけ、荷物は自分の手でしっかり持って緊張しながら駅舎を後にした。

タクシー

しかし、駅の外も出迎えに来た人や、タクシーやホテルの客引きたちで、混雑していた。外も真っ暗だったので、駅の中にいたときよりもいっそう緊張した。

タクシーをつかまえようと、タクシー乗り場を捜したのだが、うろうろしていると次々にミニバスやタクシーの運転手たちが交渉にやってくる。到着してすぐのタクシーの相場がわからない状態での交渉は、不当に高い値段を要求される危険があったので、彼らを振り切って自力でメーターつきのタクシーを捜した。

メーター付のタクシーは私たちのほかの客にも人気でみんな捕まえるのに必死だったため、なかなかつかまえられなかった。それでもなんとか2台メーター付のタクシーを見つけて、6人のゼミ生は3人ずつに分かれてそれぞれ乗り込んだ。

私の乗ったタクシーは10分ほどでホテルに着いたのだが、もう1台のタクシーに乗ったゼミ生たちは20分ほど遅れて到着した。実は彼らの乗ったタクシーはホテルがある方向とはまったく違う方向に猛スピードで走り出し、運転手は得意げにカーチェイスのようなことをしながら、遠回りをしてなんとかホテルにたどり着いたということだった。無事に着いたからよかったものの、乗っていたゼミ生はもちろんだが、待っているほうも、本当に心配だった。料金は私たちが乗ったタクシーは20元(約300円)、遅れて着いたタクシーは30元(約450円)だった。しかし、無事だったから言えることなのだろうが、スピード狂のタクシーに乗ったゼミ生たちはスリル満点の体験ができていい思い出になったと言っていた。

ウルムチの屋台

そして、ホテルで先生とも無事に合流できた。ウルムチで待ち合わせての再会はなかなか感動的だった。チェックインした後、みなお腹がすいていたので、外に食事をしに行くことになった。

ホテルに着くまでははじめての土地で緊張していて、意識して町の様子を見ることができなかったのだが、このときに初めて周りを観察できた。ウルムチは意外と発展しているのだ。デパートや高層ビルが立ち並んでおり、デパートにかかっている看板なども流行の洋服や化粧品の宣伝がされていた。日本のデパートの看板広告と同じようなものだった。夜だというのに街は全体的に明るく、ネオンがまぶしかった。

ここウルムチは西部大開発の拠点となっており、中国沿岸部の都市が引っ越してきたようになっているのだ。

すでに閉店しているデパートの前の空きスペースに数十件の屋台が集まっているところがあったので、そこで食事をすることにした。スパイシーな調味料のかかったシシカバブ、魚や肉、春雨などが入った砂鍋という日本の鍋料理のようなもの、水餃子、タニシの激辛炒め、焼き魚など、中央アジア、ウルムチならではの料理が一人10元(150円)程度で味わえた。

食べている間には、ガムやイチジクを売っている物売りの人たちが何度もやってきて、断るのが大変だった。 食後には屋台で働く若いお兄さんがブドウをサービスしてくれた。さすが、フルーツの有名な内陸部、甘くてとてもおいしかった。そしてそのお兄さんはイスラム教のお祈りの時間がきたのだろう、おそらくメッカの方向であるデパートの壁に向かってひざまづいてお祈りをしていた。このとき初めてイスラム教の地に来たのだという実感がわいた。

この日はもう時間も遅かったので、おいしい食事でおなかいっぱいになった私たちは、次の日からの巡検に備えて、早くホテルに戻って休むことにした。

予定であったが、全員が余裕を見込んで8月28日にウルムチに到着したため、この日の午後、全員で、ウルムチから車で2時間ほど離れた天池へ向かうことにした。ここは、かなり観光地化しているところということで、あえて巡検での公式訪問地には含めなかったのだが、全員が天池に行くことになったため、この日が事実上、巡検の初日となった。中国の観光開発の状況を知るには、良い機会であった。

(桑野 友佳)

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