バルト三国は、ソ連より独立後急速に資本主義化が進行している。その資本主義化の流れ
で特筆すべきことは、ドイツ・北欧諸国といった西側の企業が進出してきたことであろう。
しかしこの地域にドイツ・北欧諸国が文化的にまたは経済的に影響力を及ぼしてくるとい
うことは、バルト三国の独立後、突然始まったわけではない。東はロシアから、西はドイ
ツからの圧力の結実するところだったのである。
バルト三国は、地理的には、東にはロシア、西はドイツ・ポーランド・バルト海を挟ん
だ対岸にはスカンジナビア半島を望んでいる。
バルト三国の歴史を見れば分かるとおり、この地域は中世以来常に東方ロシアからの勢
力と西方ドイツからの勢力が衝突する地点であった。そして、その時々の両勢力の状態に
よって、国境線は絶え間なく移動し、書き換えられてきた。
現在、エストニアの首都タリンなど、バルト三国の諸都市では、カトリック系のカセド
ラル、ドイツ風の商家など、西欧風の都市建造環境を見ることができる。バルト三国は
地図の上ではヨーロッパのかなり東に位置しながらも都市建造環境の点では、ドイツから
の影響によるものと、ロシアからの影響によるものとによって二重構造を形成していると
いってよい。
以上詳しい歴史は述べられなかったが、バルト三国の建造環境の中には西からと東から
のせめぎあいにあってきたバルトの複雑な歴史が見て取られるのである。