20回目となる2012年度水岡ゼミの巡検先は旧東ドイツ地域、スロバキア、ハンガリー、そしてウクライナで、12日間に及ぶ巡検となりました。今回の巡検がドイツからウクライナまでという、やや広範囲にわたっているのは、以下のような複数のテーマがゼミ生より提案されたためでした。
@福島の原発事故により浮き彫りになった原発の持つ周辺地域への影響、廃炉への困難な道のり、太陽光や風力といった代替エネルギーのゆくえを、原発の全廃を決定したドイツでの事例をもとに考察する。
AEU辺縁部での、異なる国の地方自治体の地域協力、地域統合の動きを、ザカルパチア地方における事例をもとに考察する。
B旧社会主義国であるウクライナでの市場経済への移行過程の様子を観察する。また、ロシアとの強いつながりが残る一方、潜在的にEU加盟の可能性があるという二大勢力に挟まれたこの地域の実情を観察する。
これらの意見をまとめた結果、上記のような行程となりました。
以上の3点が今回の巡検の大きなテーマですが、今回の巡検において最もメインとなったのはBのウクライナです。
ウクライナに対する、一般的な日本人が持つイメージは「旧ソ連の一部だった国」、「チェルノブイリ原発事故」、くらいではないでしょうか。しかし、ウクライナについて知識を深めていくと、私たちの想像以上に奥が深いものがあることがわかります。
ウクライナは社会主義経済から市場経済が混在しており、その進捗度は地域によって大きく異なります。これは、東部地域にかつて植民したロシア人が今でも多数居住しロシアとの強いつながりの維持を求める一方で、西部は脱ロシア、親EUを志向する市民が多く、東西で文化的・政治的軋轢を起こしていることが一つの大きな原因です。言語も西部はウクライナ語が、東部ではロシア語が主に話される言語となっています。
産業面では、伝統的に肥沃な黒土地帯での生産性の高い農業が有名ですが、豊富に産出する石炭を利用した、鉄鋼業も盛んで工業国としての一面もあります。ただこの工業においては旧ソ連時代の設備をそのまま利用しており老朽化という問題に直面しています。
日本との関わりで考えれば、チェルノブイリ、福島という原発事故の問題に共通して直面していることがあげられます。経済的な関わりはまだ非常に薄いですが、人口は4500万人以上で東欧最大、面積はロシアの欧州部を除けば欧州最大の広さを持ち、日本にとって未開拓な市場として非常に有力な国であることがわかります。また忘れがちですが戦後の日本の運命を決定づけた「ヤルタ会談」のヤルタはウクライナの都市で、日本人にとっては非常に関係が深い地です。
このようにウクライナには多くの知られていないことが多くあります。今回の巡検報告で、今までみなさんが見ることのできなかったウクライナの新しいイメージを持っていただけたら幸いです。
【追記】
私たちが訪れたクリミア半島は、2014年にロシアによって軍事侵攻され、ウクライナの田の部分とを繋ぐ地峡の道路は封鎖されて、今日もなお、ロシアの占領下に置かれています。また、ドネツクなど東部についても、分離主義者の軍事行動があり、安全に訪問できる場所ではなくなりました。かつてソ連政府によりシベリアに強制的に送られ、その後ようやくクリミアに帰還を果たしていたタタール人の運命がどうなったかと考えると、心が痛みます。この巡検記録は、これ以前の、ウクライナがまだ平和だったときのものです。ウクライナが再び統一を取り戻し、平和な国家となることを心より祈ります。
それでは私たちの巡検報告をごゆっくりお楽しみください
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