少数民族政策

--その隠された目標や問題点

経済学部2年 チャッカラパン ユワリ (Chakraphan Yuwari)


1999年度 雑誌『一橋』B部門入選作

 はじめに        

世界のどんな国々においても、唯一の民族しか持たないいわゆる完全な単民族国家は、現在存在していないといっていいだろう。

しかし時代を遡って考えてみれば単一民族からなりたつ地域というものも存在している。なぜだろうか? 結論は簡単に出るものではない。しかし主なものはやはり、交通インフラの未発達によって、それぞれの地域が分断されたために、お互いに独特の文化を築きあげられた、ということだろう。

今の人類は約50万年前にアフリカ大陸に出現して以来、世界中に散らばっていった。移動している段階においてもさまざまな人種が混血し、地域ごとに多彩な民族に分かれた。また気候や土地環境に適応して、地域によって独特の人種ができあがっていった。人類の移動は絶えず行われたが、約1万年前、氷河期において、再び大移動が起こった。大陸と大陸の間に移動可能な場所も増えてくるし、住むのに適切な場所を探す旅をするようになった。そして新しく流れ込んだ者に対して初めて民族間の争いがおこり、世界最初の民族問題になった。

人類の歴史は移動の歴史といっていいだろう。人類は地球上の土地を占領し、自分達の境界を引き、そして自分達の国を作ったが、外部からの侵入や内部分裂によってその国は盛衰を繰り返してきた。国の境界線は確定的なものではなかった。しかし第二次世界大戦後、国連を設立することによって世界中の国境が確定され、外部からの侵略・国境の勝手な変更が不可能になった。だからこそ我々は、より深く国家について考える必要がある。まず国家はなぜ、そしてなんのために作られ、境界線が引かれるのだろうか? 国家が作られるならば、すくなくとも社会的側面においては、集団の交渉する力が保たれ、集団としての生存が保障される可能性がより大きくなる。国境を引き、国家をつくることによって、自分達の「民族」を確立した。例えば、外国との交易においてもやはり国家という後ろ盾があるから、お互いに相手の立場が尊重される。

国境があり、国家があるから少数民族問題が起こるといっても過言ではない。国家があると人間が国籍によって外部と内部にわけられるのだ。もし国境も国家もなければ人間は自由に動くことができるだろう。しかし権力の及ぶ範囲を国家として確定するために、国境が定められ、定められた国境内の地域が一国の支配下に置かれる。すると、一つの国の中における本流(メジャーな人種)と少数民族(マイナーな人種)が区別される、といったことが生じる。人々はそれぞれの階級や身分に分けられ、もちろんもし本流ならば正当な権利が与えられ、少数民族ならばなんらなの差別を被る。 

現在の少数民族問題を国家の形成過程のパターンで種類分けしてみると、2つになる。第1は、元来原住民がその場所で権力を持っていたタイプ――支配的民族がフロンティアを拡張することによって、原住民が支配されていくタイプである。例としては、アメリカ大陸の原住民やオーストラリアの原住民のような人々が挙げられる。彼等は侵略されることによって土地を奪われ、白人などによって支配されるタイプである。

この場合には2つの過程がある。入植段階とフロンティア拡張段階である。入植段階においては、まず白人達が大航海時代において新しい大陸を発見し、新しい夢を抱きつつ本国を捨てるといった理由で新しい大陸に移住した。確かに初めごろは原住民と共存して生活をしていたが、やがて帝国主義の時代が到来し、白人達はより多くの植民地をもつためフロンティア拡張段階に入り、武力制圧によって原住民を支配し、逆に原住民達が少数民族になってしまった。そして、一方は支配者側、他方は従属側に分かれた。

上述の原住民の種類を見てみると、やはり2つに分類することができる。稲作文化をもつタイや中国の少数民族と、狩猟生活を営むカナダの原住民である。両者の違いはやはり生活様式によるものだ。前者は農耕民族であるため、少なくとも彼らには土地利用という概念、または土地所有概念が存在している。農耕民族である彼等の土地を政府が勝手に占領することは難しい。しかし狩猟生活を営むカナダの原住民や日本のアイヌ民族のような狩猟民族にとっては、はっきりとした土地所有概念が存在しない。彼らの生活は動物の群れなどを追い、広い範囲を移動するので、土地に対する愛着は稲作文化である農耕民族と比べかなり薄い。土地は共有地であるため、支配民族の政府が勝手に占領するのにその理由を探すのはさほど難しくない。

もう1つの少数民族問題としては、少数民族自身が移民者であって、その力が弱いタイプである。このタイプは第一番目のタイプと違って占領されるのではなく、いわば「都市マイノリティ」となる。例として、都市に新しく流入してくる移民達の出身地の違いにより差別されるものがある。また一国の中における少数民族が都市に流入し、二級市民として扱われるような、現代の都市における少数民族問題も挙げられる。

やはり人間は、自分が力を持てば、より立場が弱い者を支配する傾向を持っている。本流の人間は、少数民族に対してなんらかの差別や不平等な政策を行う。少数民族政策というものは、ただ人数において本流とくらべ人口が少ない民族に対する政策だけではない。たとえば帝国主義時代に、原住民と比べ数が少ないイギリス人やフランス人が植民地原住民に対してとった政策も、「少数民族政策」だ。つまり決定的なものは人口の数だけではなく、権力の所在によるところが大きい。

 人間は、何らかの利益が得られなければ、その目的に対して動かないという性格を持っている。少数民族政策に対しても同じことが当てはまる。少数民族政策にはいろいろな目的が隠されている。人助けとみせながら、どうすれば支配される側である少数民族の反発を押さえるか、というのも支配する側(政府)にとって大きな問題である。

 


1.対少数民族政策、その隠された目標

 まず先に述べたものに加え、もう一度「少数民族」の定義を定めておく。少数民族は数において本流と比べ劣っている場合もあるが、それだけではなく、外部性という要素も含まれる。少数民族は、本流側から異質な存在として見られる。さらに権力の面において支配する力を持っていない。

地理学の空間からみると、自然の性質においては、小さいものから大きなものまで自分に対し異質なものをその空間から排除する傾向がある。例えば人間の体細胞のスケールで見ると、外部から進入して来るヴィルス・細菌などに抵抗し、体に適応しまた害がないものだけに取り入れて利用する。その性質はより大きなスケールで見ると、人間社会などにも適応できる。例えば見たこともない旅人がある小さな村に入ると、お客として迎えるか、初めからお断りをするかということなどを最初の段階からある程度判断する。その後しばらく滞在して様子をみてから、スパイや暴動を起こすようなら排除するし、平和的な人ならばより長く村に住ませ、お互いに良い関係を持ちながら生活する。

 その関係をより大きな地理的スケールで考える。例えば国単位で見ると、現在の地球上には、単民族国家は存在しない。何らかの形で二つ以上の民族によって構成されている。そして先に述べたように、もしそのさまざまな民族が平和に暮らせばにはお互いに問題はなく共存できるのだ。しかしいったん民族間で摩擦が起こると、やはりなんらかの形で相手を排除する傾向が出てくる。民族間の戦争や内戦にまで発展することも考えられる。

 

A: 支配民族のフロンティア拡張によって支配される少数民族

 この種類の少数民族に対する政策の主な狙いは、2つにわけられる。1つは国の政治に関わる問題である。もう1つは経済や開発に関わる問題である。 

 1)政治的問題

いろいろな民族を1つの国にまとめるのは容易ではない。少数民族というものは本流と違っている祖先をもち、異質でありまた権力をもたない。そこで少数民族政策は、少数民族をいかに満足させ、反政府思想を押さえるか、またうまく平和的にお互い住んでいけるようにするかが大きな課題となる。

少数民族は、本流にとっての軍事的脅威となるだろう。この脅威のため、その国の政治が不安定になれば、経済発展もうまく進められない。逆に、政権が安定すれば経済がうまくいく。経済が安定した国こそ、少数民族が満足し、政権が安定するともいえる。

今でも、少数民族による武力闘争は世界中で行われている。たとえばイラクやトルコのクルド人闘争、ユーゴスラビア内戦やパレスチナ問題など、少数民族化された先住民が政府の差別に対して反発し、闘争が絶え間なく行われている。内戦が終らない国では、経済の発展どころか、うまく食料を供給できる体制すらできない。政治がうまく行けば経済発展につながるし、経済発展が政治基盤を固めることになるのだが、そこに行きつけない。

タイの場合、約20の少数民族が存在している。たとえばヤオ族・アカ族・ミャオ族などで、主な居住地としては北部山岳地帯が多かった。タイの少数民族にたいしては、タイ国の地にいる者はタイ人として扱う、という同化政策がとられた。同化政策はさほど反発もなく行われた。

しかし、実はタイ本国にとって、彼らは政権の巨大な脅威となった民族だ。問題は、25年前に広がった共産主義思想だった。タイにとって共産主義は脅威である。親米政策をとって、学生運動を粉砕し、軍事政権をとったのも、主な建前上の理由は民主主義を守るためのものであった。確かにあの時代は多くの学生の命が奪われ、また多くの人々は北部の山岳地帯に逃げ込んだ。少数民族地帯はタイ政府の力が及ばなかったところであり、また多くの少数民族はビルマや中国、ラオスなどに散らばり、そのため共産主義者のネットワークを広く持った。よってタイ政府も、なかなか彼等を簡単に弾圧できなかった。長い赤狩り時代が実際にあった。

 少数民族の多くは生活水準が低い。作物を作っても山岳部であるため収穫量が不安定である。したがって彼等は阿片や麻薬のような少量で莫大な金が儲かるものに手をつけた。タイにおける麻薬の主な産地は北部の山岳地帯であるゴールデントライアングルである。多くの麻薬はタイ国内を流通してから外国に輸出されることになる。私はタイの小学校1年の時から、麻薬のもたらす害や社会における問題の大きさについて授業で学んだ。当時から相当な社会問題になっているのがおわかりであろう。タイ政府は、彼等による麻薬の流通や生産を止させめようとして対少数民族政策をもちだし、少数民族に価値のある果物、例えば、りんご・イチゴ・桃などを栽培させ、安定した収入をもたらした。さらに収入が安定し、生活水準が高くなれば、彼らも麻薬から手を引き、やがて麻薬もなくなるだろう。

 タイに似ている政策をとる国として中国があげられる。中国は昔から巨大な国土を持っている。また多民族によって構成されるため、少数民族政策がとられている。中国には50以上の少数民族があり、全人口の10%程度に過ぎないが、居住区域は全国土の40%以上をしめている。1949年の中華人民共和国建国以降、憲法のもとに「民族の平等」政策をとり、少数民族にも代表を党大会に参加させるなど、表面的には平等のようにみえた。だが、中国が共産主義国であるため、問題が表面に出てこないのが実情だ。しかしタイと同じく麻薬問題も抱えている。

 カナダにとっても、原住民を満足させることが政権安定につながる。原住民が反政府運動を起こさないためには、ある程度彼らの権力や自由を認めることが必要だ。カナダもアメリカと同様、もともと原住民しか住んでいないところに白人が勝手に占領し、そして定住し、原住民を追い払った。18世紀当時はやはり原住民の反発闘争が盛んに行われたが、武器の性能の差により結局原住民が負け、彼等の住む地区も制限された。

 確かに闘争は20世紀に入る前に終わった。これは白人と原住民との間において居住地域決定されたためだ。しかし1960年代に入ってからの人権運動が活発化した時代において、原住民の権利闘争がまた盛んになった。発端はアメリカにおける闘争だ。政府もようやく原住民の存在に気づき、もう一度彼らに一国の人民として平等な市民権を与えた。闘争が社会問題に発展すれば、また治安維持が脅かされるからだ。

 2.経済的問題

2の少数民族政策の狙いは経済的問題である。不幸なことに多くの少数民族の居住地域は山岳地帯であるため、地下資源に富んでいることが多い。タイにおいては地下資源が乏しいが、少数民族が住んでいる北部は、鉱山開発すれば莫大な金や銀が出てくることが調査によって判った。そのため政府が行ったことは、まず彼らにタイ人として市民権を与え、土地売買できるようにさせることにより、政府が正当な開発の権利を手に入れることであった。そしてその分、彼等の土地に対する権利を民間が安い値段で買取り、鉱山開発を合法的に進めることができるようになった。

また地下資源だけではなく、政府にとって「環境問題」という地上の問題にも注目しなくてはならない。なぜならば少数民族の多くは焼畑がおもな農業のやり方であり、彼らにとって肥料を使うという概念が薄い。だから同じ土地を長く使い続けることができず、23年経ったら新しい土地を開拓しなくてはならない。タイにおいては多くの森林地帯が北部にあるため、少数民族の焼き畑をなくせば、森林破壊に対する影響も減っていくという見方もできる。

ここで、経済的インセンティブが、問題のもう一つの側面をなす。確かに彼等はタイ族と違う人種であり、当初はタイ政府の下ではなく独立した集団として生き残りたかった。しかしやはり彼等もタイの経済発展によってもたらされる物質的文明に心がひかれ、より良い生活を手に入れたいと思うようになった。結局、独立問題は経済的インセンティブにより消えてなくなったようにみえる。言ってしまえば経済というものは国を政治的に統合するための手段としての役割も担っているのだ。

次に中国の場合をみると、やはりタイと似た問題が見られる。まず地下資源の確保問題。簡単に見ると、例えばチベット地区には莫大な金が埋まっているため、戦後に中国が無理に占領してしまった。チベット独立問題は、未だに解決していない。内陸における鉱山開発では、主に国が開発する権利を持っているのだ。

カナダにおいてもやはり鉱山開発が主な目的としてあげられる。政府は石油や金が豊富にある土地に目をつけた。カナダ政府は少数民族に莫大な援助金を与える代わりに、土地開発の権利などを原住民から譲りうけた。そして原住民が狩猟生活をするために広い範囲を自由に動くにもかかわらず、政府は、開発のために彼等の居住地を定めた。原住民に援助金を送ることは、政府にとって少数民族の土地を占領するための十分に正当な理由となったのだ。

 

 B: 移民流入によって成立した少数民族問題

ここにも、先住民族がフロンティアを拡張してきた支配的民族にとりこまれ少数民族化した場合の政策のほかに、新たに流入してきた民族が少数民族になった場合の政策がある。これは、移民的少数民族の問題である。それは主に都市における移民だ。東南アジアにおける華僑問題、アメリカ大陸における黒人・原住民・アジア系移民の問題、また日本における在日コリアンも問題として挙げられる。

東南アジアの華僑は、商売のためではなく、貧困を逃れようとして移民となった者も少なくない。、実際、当時中国の南部における土地生産量が落ち、人口過剰による食料不足が、彼らを移民させる主な理由になったのだ。決して彼らは元々裕福な民ではなかった。アメリカ大陸においても、黒人やアジア系移民は農業・建設労働者として連れて行かれた。決して名誉ある移民などではなく、いろいろな差別を受けながら生き)たのだ。また日本のケースも同じく、第二次世界大戦時、出兵による国内の労働力の低下を補うため、200万人ものコリアンが本土に連れてこられた(金 敬得、「国籍法改正と在日韓国人」、『朝日新聞』1998210日号)。戦後、在日コリアンはほとんど帰国したが、約50万人は今も日本本土に残っている。

これらの種類の少数民族は、主に都市に集中して住んでいる事が多い。なぜかといえば、都市には雇用機会が多く、また相互扶助組織が存在するからだ。例えば華僑の場合は、最初から土地所有権が与えられず、よって多くは商売をして生計を立てた。もちろん都市は商売にとって最適な場所である。彼らは、居住地区も独特な特徴をもつ町を形成し、排他的な要素が含まれ、しばしば摩擦も起こった。

アメリカにおいては奴隷解放の後、黒人たちが職を失い都市に流入した。やがてスラム街など家賃の安い地区に集まって居住した。彼らは商業を生業とはしなかったが、都市の安い労働力を供給する役割を担った。もちろん彼等はきちんとした教育を受ける機会もなく、また環境においても衛生状態は悪く、生活も苦しい。そのため犯罪に身を投じる人も多い。政府が彼らに対して生活を改善するような政策を施していくことが、彼等の犯罪減少につながる一つの方法といえよう。

日本において、朝鮮半島から連れてこられた在日コリアンは、多くが工場労働者となった。そして戦争後、日本に残った彼らの多くが3Kの仕事に携わり、彼等の多くはやはり都市に残った。日本政府は、在日コリアンに対し十分な人権を考えていないのが現状であり、彼らの生活水準は決して良くはない。なかには暴力団や犯罪に関係する人もいる。これは悲しいが現状であり、人権を尊重する憲法を持ちながら、未だに対外国人差別が日常生活の上で残っているのだ。

 


 

2.少数民族の政策体系や問題点

 少数民族政策というものには、世界中どこの国においても、2つの種類がある。種類分けをすれば、それは同化政策と自立させる政策である。

 まず、第一の同化政策というものについて定義づけよう。「同化」させるためにはまず、同化する相手と同化する方法の存在が必要だ。そこで「同化」を簡単に以下のように定義する。「本流が決めた規則に少数民族が従い、本流と同じようなレベルの生活、同じ文化を受け入れる。もちろんそれに対する相手側(少数民族側)の賛否は問わない」。

 現在、同化政策を打ち出す国々は多い。この種の政策の発展段階をみると、面白いことに、同化政策を行う国には本流と少数民族の人口の割合が極端に違うケースが多い、という法則が特に観察できる。そして外部者のフロンティア拡大段階における力の支配によって、原住民が本流の支配の下におかれたのである。

 そしてその同化政策の色が濃い国においては、もう一つの特色がある。それは自分達の国が単民族国家であるという意識の強い国民が多い、ということだ。例えば日本やタイ、そしてカナダの60年代における政策が色濃く残っている。それは「精神的社会統合」の手段のひとつでもある。 

 第二番目の政策は自立させる政策である。自立の定義は「自分の力によって安定した生活が営まれ、更に他人に対しても害を及ぼさない存在でなくてはならない。また相手とお互いの関係を保ちながら、将来に渡って、今の生活を発展させ、より良いものにする力を持続することが出来なくてはならない」ということだ。

 このような自立政策を採用する国は、多民族国家や一部の先進国である。その理由は二つがある。コストと政治の問題だ。コストに関していうと、自立政策のほうが同化政策よりも高くつく。それは自立のための援助金として大量のお金を必要とするからだ。その分国民から税金をとらなくてはならず、またある程度の財政的余裕がないと実行しにくいという面もあると考えられる。

 多民族国家はいろいろな民族によって構成されていて、お互いの成長や発展を尊重しながら、民族ごとに、より大きく成長していけるのだ。政策がうまくいくならば平和で、もし失敗すれば戦争や内戦が起こる。自立政策を使うには、政治の安定がある程度まで発展しないといけない。さもないと、自立させることがいわば「独立させる」ことになってしまい、クーデターや内戦に発展する可能性があるからだ。先進国であるため、ある程度政治が安定していてはじめて、自立政策採用という条件がクリアできるのだ。

 各々の政策について、もう少し詳しく見てみよう。

 

A: 同化政策に関するもの

1) 支配民族の先住民に対する同化政策

歴史的にみると、同化政策は昔から行われていた。ローマ帝国時代にさかのぼってみると、彼らも地中海の多民族国家であり、いろいろな少数民族を支配し、ラテン語を強要し、ローマ文化を押し付ける政策をとった。同化がローマ帝国による支配の基本となったのだ。

19世紀における植民地の形成が盛んなころにも大規模な同化政策が行われた。たとえばマレーシアは4つの民族、華僑・マレー人・インド人・イスラム商人によって構成され、イギリスの支配のもとで共通な文化を持たせるために、英語を共通語として使わせた。その他フランスのインドシナ支配、インドのイギリスによる支配にも同じような政策がとられた。彼等の古い文化を制限し、国民の精神を宗主国側の言語を使わせることで統一した。もちろん20世紀の朝鮮半島における日本帝国も、同様な政策をとった。

同化政策により精神構造を統一させれば、生活、経済面において本流が少数民族をうまく収めることができる。一番簡単な方法は先に述べた通り、言語を統一すること、つまり意識を統一することだ。政府が共通語を定め、そしてそれを普及させ、公認することが基本である。あらゆる同化政策を実行する国々においては、ほとんど共通言語を少数民族に押し付ける。今日世界中に英語が普及しているのも、その理由として歴史的経緯があるのはすぐ判るだろう。言語の普及も支配側にとって優位に立つための一つの条件であり、文化的優位性を保つためのものである。本流は少数民族の言語を知らなくてもいいが、少数民族は本流の言語を学ばなくてはならない。

タイの同化政策の場合、まず政府は共通語であるタイ語を少数民族に押し付け、教える。彼らをタイ国の国民として迎え入れるために、タイ語を教えるのだ。義務教育においてもやはりタイ語で授業が行われ、出来るだけ早い段階で同化させる方針をとっている。タイ政府は、彼らの言語を守るような政策はとっていない。また、タイ語教育は、学校の子供達だけではなく、子供の親達にも、子供を通してタイ語を普及させた。少数民族も経済的インセンティブに惹かれ、自発的にタイ民族社会に統合を望むレベルまで行くといっていいだろう。しかし先に述べたように、同化政策は彼等の文化や言語にとってとって破壊的なものであることについては、これからまじめに考えていく必要がある。

今度は、中国の場合を見る中国は多民族国家であるため、憲法によると少数民族の文字、言語や習慣を尊重する立場をとっている。多分この政策は少数民族の反発を和らげるためであろう。今の言語の数は80種類以上もあるのだ。政策の目的は、各民族の平等・団結・共同繁栄のためだという。例えば民族自治区の職務は、その地に通用する言語で執行される。また少数民族の言語を発展させる段階で、妨害・制圧・制限などがあった場合、そのような行為をした者は罰せられる、という制度がある。文字が存在しない言語の場合、新しくピンインを付けさせ、文字をつくらせることなど、政策の表向きはとても素晴らしくみえる。また学校の教育においては、「学校は全国で共通する共通語の使用を推し進めるべきである。また少数民族学生の募集を主とするで学校は、少数民族に通用する言語文字を用いて授業を行うことができる」と定めている(呉 宗金編著、西村幸次郎監訳『中国民族法概論』、成文堂出版、1998130-169ページからまとめた)。

しかし、実際辺境地の少数民族学校においては、共通語としての普通話しか教えられていない。これは、教える側の人材不足が一つの理由である。だが、少数民族言語を尊重するのは表面的な政策かもしれない。実際は、漢民族に同化させることが本当の狙いではないだろうか? 言語を統一すれば同化も簡単である。また現在の中国経済の急成長によって、ここでもタイと同じように、少数民族が、できるだけ本流の社会に溶け込もうと、自身の方から積極的に同化志向を持ちつつある。しかしGNPから見ると、年間約250ドルにも達しておらず、東海岸の大都市とくらべ約10倍以上の所得格差があり、これからの課題にもなっている。

次に、カナダの教育政策について述べる。70年代までは同化政策が施され、英語を共通語とした教育を普及させた。昔学校では、少数民族言語の授業時間がなかった。70年代前生まれの世代にとって、英語の方が日常生活の中に浸透していた。しかしその後、少数民族たちを自立させる方針に切り替えた。その後彼等も自分達の言語や文化を重んじるようになり、現在の学校では少数民族言語が教えられるようになったことによって、家だけではなく、社会の中の一般会話においても誇りを持って自分たちの言語を使えるようになった。これはとてもよいことだと私は思っている。

   2) 移民してきた少数民族に対する同化政策

もう一つの種類は、移民に対する同化政策である。アメリカやカナダにおいては、大規模な同化政策が行われているといえるだろう。たくさんの国の人々が集まって、大都市に居住地域が形成された。私が注目したいのは、彼等が二級市民として扱われたことだ。北米の原住民や黒人やアジア系の人々たち、またその他一般の国々においての都市に対する少数民族の移民の例を見たい。

まず彼等のような移民を発生させたプロセスをみる。移民である彼等は貧しい土地に生まれ、生活や家族をささえるために貨幣を必要とし、地元には雇用の機会が少ないため、都市に出てくる必要があった。しかしあくまでも彼らは二級市民で、同化したとはいえ、やはり本流と同じ権利が平等に与えられることはない。就職・住宅・教育の機会など、けっして平等とはいえない。結局同じ言語をしゃべり同じ国に住んでいるにもかかわらず、同化していながら、本流の社会には溶け込めない悲しい現状がある。つまり都市において同化していながら、差別という連鎖からのがれられない。同化はすべての要素を画一化するのではない。かえって差別の根拠となる違いを、よりはっきりとさせる。ここから、同化政策が、少数民族を一国の一員としてみなす代わりに、少数民族自身が自らのアイデンティティを加速度的に失わせる危険性がでてくる。この段階に起こった問題は、少数民族の自己の文化や言語の軽視である。テレビの普及などにともなって、外部世界の優位性を認識してしまうこともある。

貨幣経済に伴う物質的文明の優位性が、結局豊かな精神や自然を見捨ててしまうことも往々にしてある。現在のようなグローバル化した現代において、同化政策は、言語・文化や習慣におけるものだけではない。経済においても、一国の貨幣経済の中に彼等を取りこみたいという狙いをはらんでいる。採集経済から貨幣経済に移行する時には、自然な過程と政策的な過程がある。彼等にとって「お金」という概念はいまだ薄い。生活用品を買うためには貨幣を必要とするが、食料品においてはまだ自然に頼る事が多い。しかしこのまま進めていけば貨幣経済が浸透し、彼等の生活に与える影響も大きくなっていくだろう。少数民族と本流との経済格差というものが、これから政府にとってますます大きな課題となってくる。

もっとも、過度な同化政策が進むと、おもいがけない反動を作り出すこともある。少数民族が自分達のアイデンティティをもう一度復活させる精神を持つことだ。教育の普及やメディアによって社会問題などに触れる機会が多くなるにつれ、自分達の民族や自分達が築いた文化の大切さや、人権の不平等などがわかるようになった。また外部世界の物質や思想の普及は、彼等に今までの状況に対する不信感をあたえつつある。外部の人間とのトラブルによる摩擦も増えるし、政府の差別的側面が露見することもある。すると、「自立」を手に入れるのが、彼等の最終的な目標になるのだ。 

 B: 自立させる政策に関して

少数民族の第2番目の政策は、自立させる政策である。先に述べたように、この政策を採用する国は少ない。やはりある程度の経済的・政治的条件が達成できるレベルまで行かないと、先にのべたように政策は自立ではなく「独立」になってしまう恐れがあるのだ。自立の問題としてまず挙げられるのは教育である。どれほどの割合で彼等の文化・習慣・言語などを教育課程に取り入れるのかが問題になってくる。彼等にとってやはり知識がなければ何にもできないのが現状であり、まず自立に達するための予備知識や基本的な学問をある程度世界共通のレベルまでやらなくてはならない。

もう一つの大きな問題として、自立政策には莫大な援助金が必要ということがある。たとえばカナダの場合がそうである。彼等の自立はただお金だけではなく、その自立を支えるための組織の運営や、長期にわたる資金の運用を必要とした。たとえばカナダのDIANDから始まり、現代のCEADまで発展した組織がそれだ(Elspeth Young, Third World in the First, Development and Indigenous Peoples, Routledge, 1995, pp. 95-102)。彼等に対し、低金利・長期的な資金の提供が必要だ。原住民による企業や会社起こしにも、まずチャンスが必要なのだ。

中国は完全な同化政策ではなく、中間的な政策をとっている、面白いことに、はっきりとした自立政策とはいえないが、ある種の援助をしている。まず少数民族地区に対して、他の地区と比べ税金が1割ぐらい安い。また彼等に対する商業・農業の援助金を低金利で返済期間が長期にわたるものを提供している。また漢民族の多い地区と比べ、援助金を3%から5%多くしている。とくに1982年に制定された憲法によって、民族自治地方の自治機関には地域財政の管理権が与えられた。しかし国の機関である国務院の承認を必要する。中国は1980年代以降、政策的には中央集権から地方分権に移行する過程をたどっている。

しかし、どこの国においても、自立政策において、先に言ったように莫大なお金が必要だ。そのお金はやはり外国の援助や国際機関だけではなくやはり国中の人々の税金からとることが多い。税金で賄うことよって、やはり本流にある国民の不満を高める結果となる。よって、しばしば補助金に反対する運動まで発展することもある。また、国家の枠をそのままにして彼等を自立させることは、彼らを一国の経済や社会の周縁部においてしまうことが多い。

 これを、同化政策と自立政策のジレンマとしてまとめてみると、次のようになる。

 

政府側

1) 同化政策

3)自立させる政策

少数民族側

2) 同化政策

4)自立させる政策

 

 


 3. これからの少数民族政策のアスペクト

現在、世界は急激にグローバル化している。国家レベルを超え、地球規模になってしまった。確かに現在は同化政策が主流である。しかし国連が出来て以来、同化と言っても、人権が尊重されるようになったため、同化政策はあくまでも教育の共通語に対するものに限られることが多い。今の時代は、国の政策によって少数民族の文化などが逆に尊重されるようになった。文化が尊重される主な理由は、観光目的で、ある部分を保存する形がとられるのだ。最近はやりの、グローバルでインターナショナルな観光が発展していくことにより、観光のため、文化的見せ物がより戦略的に使われるようになる。文化的理解ではなく見せものとして残される文化が多い事実は、とても悲しいことだ。しかし幸いなことに、最近少数民族に対する学問研究や調査の興味が増加することによって、彼等に対する理解も増えるようになってきた。

結局、現在の少数民族政策に関して、同化と自立が混合している形の政策をとる国が多い。国際化のためバイリンガルを必要とした社会が多くなり、そのため一人の人間が多くの言語や文化を知る必要がある。共通語だけではなく、自分達の少数民族言語を知ること、普及することはとても良いことだ。より多くの言語を知っていると、ビジネスチャンスがより高まるという利点もある。

今日、アメリカの世界規模な英語同化政策の中にはまってしまい、英会話をあせって習う人も多い。同化政策における本当の問題は同化のレベルである。どこまで同化するかというのがポイントである。国際的言語の普及は、その時代に覇権を握っている国による影響が大きい。私の考えだが、少数民族が知るべきものは支配者側の言語である英語などだけで十分で、その言語は、「文化」ではなくあくまでも道具として考えればよいのではないか。簡単に言うと、教えられた言語は、彼等が外部の世界と接し自分の力をつけるための手段の一つに過ぎないのである。その他、支配者側の外部文化に従う必要はないと思う。私にとって、一番良い少数民族の同化政策はあくまでの言語の普及であり、彼等の可能性を広めることだけだ。その言語を使うか使うまいかは彼等の自由である。また彼等に対して、ある程度自立政策を押し付ける必要がある。その段階においてはまず経済的自立を達成し、そして外の世界と関連付けながら自分の力で持続的長期的にやっていける力をつけていくことが大切だ。

現代の移動の自由化や、相対空間の克服によって都市や国境を超える移民問題が一層大きくなった。これからの地球の国々における将来像を見てみよう。ヨーロッパ連合(EU)などでの大規模な空間統合によって、その地域内の人口、労働移動が自由になっている。将来においては、国家の連合体がより強まる傾向が広がると思われる。こうしたなかで、ASEANのような経済圏の確立や国家間の協定が昔と比べかなり積極的に行われるようになった。確かに、現在ASEANは、EUのようにはうまく空間統合が発展していない。だが、とりあえず将来のために第一歩を踏み出していることは否定出来ないのである。

とはいえ、私は、少数民族問題は簡単に解決できないと考えている。人間が外側の人種、民族に対する先入観がある限り、この問題は解決しない。人種差別問題は人類が現れて以来、解決出来ない問題であり、今も続いている。解決のためには、第一に、我々はより平等に人々を見て、彼等に平等な就職、教育の機会を与える必要がある。地球上に人として生まれた以上、平等な権利や機会が与えられるはずだ。もう一つの方法として、例えば少数民族が都市に流入することを止めなくてはならない。それには、少数民族地域に雇用機会を作ることが有効だ。つまり一極型成長ではなく、分散型開発が必要なのだ。

また将来のあるべき人間像として従来の歴史認識、および歴史教育に起因すると思われる偏見をもってはいけないということだ。少数民族ではなくお互い対等な人間同士として相手と接しなければならない。しかしこのようなことは決して自分の身から遠いものではない。例えば日本に対する在日コリアンは、国籍をもっと自由に選べる権利を持つべきだし、また国籍を問わず日本国民と同等の権利をもつようにすべきだ。現在、国際化の波に乗り出そうとしている日本にとっては、より広い心を持つ政策が必要ではないだろうか。

 


あとがき: 留学体験の私                    

やはり日本においては、少数民族問題や歴史の本当のできごとをもっと正しく理解する必要があり、そして間違った歴史を直していく努力が必要だ。例えば、日本の歴史の教科書は、第2次世界大戦について最近まで正しいことを教えようとしなかった。私が学んだ東京学芸大学附属高校でも、日本史の最後の授業は1939年までで、「そのあとは適当に読んでおいてください」と言われて、びっくりした。単民族の色が濃い日本人は、なかなか在日外国人やアイヌの人たちのような少数民族の存在を認めようとしないのだ。

私は、日本にはまだ同化政策が多く残り、また外部の者を受け入れにくい部分がある、と感じている。高校において、留学生の私は3年間、日本人生徒と同じ制服で、古文・漢文にいたるまで同じ課程により日本語で教育を受けた。タイ語の時間も、タイの歴史の授業もない。だが、いくら服装も勉強も日本人と同じでも、私は日本人の目から見ると外国人であり、日本国内での少数民族の1人に過ぎない。私に対してある種の外部性を感じているのであろうか、決して本当の仲間として見ていない、というのもしばしば感じられる。「君は外国人だからだめだ」と言われることもある。日本人はいつも外国人に異質な存在として接し、実際本音で私とつきあうことをこわがる。だから、だらしなさに至るまで「同化」させておかないと、不安でたまらないのだ。外部の多様な人間と接する機会や期間が、歴史の面をみても、社会構造においても、日本人には浅い。こうした考えかたは、同じ流れの方向に管理されやすく、特徴ある専門家を育てにくい。これからの日本経済を立て直すには、標準化と同化を求める人間ではなく、多様性をグローバルに認めることのできる専門家が必要というのに。やはり同化された社会ではなく、いかに個人の個性を認めるような社会に作り直せるかは、これからの日本の行方を暗示することになるのではないだろうか。

最後にいいたいのは、国際化が進んでいく21世紀に向けて、先に述べたようにわたしたちはより心を大きくしなくてはならない、ということだ。またその点においては日本だけではなく世界中の国々も心を開けば、人間が本当に人間であるといえる社会の実現も、人類にとって決してではないのであろう。

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