分断化された農村社会開発とその克服

社会学部      小柳尚正

<論文の構成>

1.始めに

2農村社会開発の分断化

論点@ 地主などの既得権力集団の横行による階層関係変容の複雑性

論点A 保守化を図り、利益独占化をねらう政府の存在

論点B 貧困層の立場を理解していない農村社会開発の存在

論点C お恵み的な援助による貧困者の援助依存

論点D 世界的に台頭するネオリベラリズムの存在

3.農村社会開発連続性への展望

@PRAの農村社会開発アプローチ

APRAによる農村社会開発の達成と限界

Bマイクロプロダクションの効果

Cポジティブ・サムゲームの可能性

D草の根NGOによる多様化した援助

E草の根ネットワークの可能性


本文は、草の根レベルからの農村社会開発が、現在直面している課題、すなわち、農村社会開発を阻害している要因を述べ、そして、そのような阻害要因がどのようにして克服することができるかを述べることをねらいとしている。本文は3つの章からなる。1章では、農村社会開発の誕生の契機と、現在の農村社会開発の現状を説明する。そして、2章では農村社開発の阻害要因を、3章では農村社会開発阻害要因の克服のためのパースペクティブを述べていく。

1.始めに

「開発」の概念は第2次世界大戦が終了し、植民地政策が崩壊しつつあった時代に産声を上げた。一九四九年の1月20日にアメリカ大統領のトルーマンは就任演説において、「科学の進歩と産業の発達がもたらした我々の成果を、低開発国の状況改善と経済成長のために役立てようではないか"と宣言した。この発言は、当時深刻化しつつあった共産主義下のソ連との東西冷戦においてアメリカが優位に立つために、途上国を支援し、途上国を資本主義下のアメリカ側に就かせようという意図から発せられたのであろう。だが、この時初めて「低開発国」というコンセプトが生まれ、近代化されて所得水準が高い北の欧米諸国に追いついていくことが南側諸国の目標となっていった。

このようにして、西洋的な近代化・工業化が絶対的だという思想が普及していき、南側諸国は積極的に技術発展・生産性の向上・市場経済・貿易の自由化などを進めてきた。南側諸国は先進国に追随していったのだ。現在においても、このような風潮はネオリベラリズムによって受け継がれている。ネオリベラリズム(新自由主義)とは全世界が規制緩和により自由化・市場化を図れば、グローバルレベルまで平等化が可能であり、世界中のすべての人が豊かになるという考えである。アメリカなどの先進国は、発展途上国にも市場原理を導入することで、グローバルレベルまでに自由貿易・市場経済を導入していこうとするネオリベラリズムの思想を掲げている。世界資本主義化によって真の自由と公平が実現されることを図っており、それによって先進国が一層の利益を獲得しようとしている。市場化による経済発展は多くの途上国で試された。

だが、開発の目標が経済成長だけに偏っていたために、様々な弊害も同時に生み出された。典型的な例として挙げられるのが、南アジアでの緑の革命である。南アジアでは高収量品種の稲の導入により、集約的な米作が可能となり、米の生産量拡大がなされた。だが、化学肥料や農薬の大量投与によって土地が疲弊化したり、生態系のメカニズムが崩れたりするマイナス面もみられた。また、乏しい資源をめぐる対立や競争が生じ、村人が協力しながら生活していく村落共同体が失われていった。ついには、社会構造が崩壊していったのだ。

このような経済偏重の開発に対する反省からか、近年オルタネーティブとして、様々な開発アプローチがなされている。その中での主力が、草の根レベルからの農村社会開発である。この開発の方針は、地元に根付いた農村開発を行うことで、貧困層や住民の立場に立って、その人々のニiズに合わせた開発を行っていこうとする草の根的な開発方針である。このような草の根的アプローチは、貧困層に対してエンパワーメントを行うことで、貧困層が自立化して、生活の質が向上していくことを目標としている。多くのNGOは総合農村開発事業として、教育活動・衛生活動などの農村住民のニーズにあわせた複合的な活動を行っている。

草の根レベルの農村社会開発には解決すべき様々な問題が含まれている。そこで、農村社会開発のコンセプトを、比較的に短期間で解決されそうな問題から、解決するのに長期の時間を要する問題へとタイムスケールによって区分してみる。

A   短期レベル
      比較的解決が容易な問題。住民もその主旨をすぐに理解するような問題である。衛生的活動、災害復興など。

B   中期レベル
      解決に多少の時間はかかるが、解決の道はほぼ見えてきているような問題(注1)である。ウッタランの事業でいえば、ユニオン(村議会)の活性化による地元政府の発展や道路建設などのインフラ整備、小学校建設による教育復興など。

C   長期レベル
      解決に長期の時間がかかる間題としては、根本的な社会システムを変革することがあげられる。これこそが、草の根レベルの農村社会開発に関わる主体の大部分の目標でもある。具体的な課題としては、農村における地主などの既得権益集団と、貧困者や土地無し農民が存在する階層関係を克服することである。また、従来から差別され続けていた女性の地位の向上や、古代から根付いており、植民地時代に強化された階層制による身分差別是正も図っていく。

このように、草の根レベルの農村社会開発における目標は最終的には社会構造の変革にある。しかし、草の根レベルにおける農村社会開発はなかなか成果が現れない。その理由として農村社会開発を阻害するいくつかの要因があることがあげられる。農村社会開発は、結局は農村社会の既存の構造を変えるという社会改革を目指すものなので、徹底的になされなければ実現しにくい。社会開発が分断化されている、すなわち何らかの要因によって阻害されているのならば、社会変革の目標は達成できないのではないかと思える。

次章では、バングラデシュの事例を中心として、農村社会開発において形成されている分断構造、すなわち農村社会開発の阻害要因がどのようなものであるかを検証していく。また、次々章では、その上で分断化されている農村社会開発がどのようにして、阻害要因を克服したものになっていくかも考察していく。


2.農村社会開発の分断化

農村社会開発の阻害要因は克服しにくいために、本当の意味での農村社会開発を達成するのは極めて困難だ。実際、強い精神性を持って行われている草の根型開発が進展しないのはこのような事情があるためであろう。このような限界性のある状態を農村社会開発の分断化と呼びたい。このような状態になる原因、すなわち農村社会開発を阻害する要因を順に考察していく。

論点@
地主などの既得権力集団の横行による階層関係変容の複雑性

まずは、既得権力集団が密接に結びついて巨大勢力を形成し、腐敗が横行しつつも、社会改革が実現しにくい点である。従来は中国などに見られるように、資本主義こそが不平等化や階級格差を生み出す悪であるとして批判し、社会的共同や連帯のメカニズムによって開発を図ろうとした。しかしこの社会主義型の開発こそが、実は中央政府に独占的に権力が集中するという典型的な既得権力層を生み出すメカニズムであった。そのために、個人の自由は達成されずに反乱が勃発し、90年代までにこの体制は崩壊していった。

だが、現在でもこのような構造は数多く残存している。地主などの既得権力者が利益を独占している。そのために、一般市民や貧困層は利益を得られず格差は温存される。バングラデシュなどの南アジアでは、富裕層と貧困層の序列化が確立しており、貧富の差が特に激しい。

この背景として、イギリス植民地により、大土地所有制が発達したことがあげられる。従来は5000年以上も前から制定されていたカースト制度により、バラモンに土地が集中し、低カースト者は上位カーストに従属していた。しかし、植民地化がなされることにより、世界市場の変動に取り込まれていくことで労働者が自立化し、バラモンによる大規模経営は衰退していった。この過程で農村がイギリスの原料供給地となることで、農村の商業化が進み、新たに富を蓄積して多くの土地を獲得した勢力が存在した。一方では、この農村の商業化により、負債を負って没落した勢力がみられた。その中で地主・小作関係が確立されていった。カースト制は薄れつつあったが、新たに生まれた少数の地主層が土地を独占的に所有し、多数の農業労働者や小作人は低収入や高小作料の重圧の元で、余剰が蓄積されないという構造が根付いていった。

イギリスはこのようなシステムが自国の利潤につながるために、このシステムを奨励していった。ザミンダール制はイギリス植民地時代に発達していった。イギリスが旧来の地主のザミンダールの権利を近代的土地所有権と位置付け、彼らを地租納入の直接責任者としたのがザミンダール制である。イギリスはインド支配をザミンダールに依存した。これによって、地主の権利は増し、階層構造は強化されていった。

現在においても植民地時代に形成されたこの構造が維持されている。富裕者と貧困者の存在する階層関係が社会的に極めて固定化されていて、社会変革を行う余地を見出すのが困難でもある戸不在地主も多く見られるような非効率な構造の中で、地主などの権力集団は利益を独占しているが、貧困層である小作人は、地位の向上を図3 る機会を失っているのである。

今回視察で訪れたバングラデシュのテレビ工場では日本円で30万円くらいの値段でテレビを国内市場に特化して販売していた。このために一般の市民はテレビを購入することができないで、既得権力集団のみが手に入れる。これらの集団は自由主義経済になると自らの利益が脅かされるために、保守的で不透明な対応を取る。また、社会開発に対しても批判的だ。シャプラニールのボイラ村襲撃事件(注2)は貧民のエンパワーメントを進める地主の反発として起こった。これらの集団は現状維持を図るのだ。

このような構造是正こそが農村社会開発アクターにとっての真の目標であるが、この構造は社会に深く根付いているものであり、また有力者・地主と貧困者・小作人の利害が相反するものであるために解決は極めて困難である。実際、これらの集団に対抗するには莫大な資金や権力を要するが、大部分のアクターがこの条件を満たせていないために、改革は難しいのだ。

論点A
保守化を図り、利益独占化をねらう政府の存在

このような利益独占化は政府にもみられる。このような政府は民主化も自由化も進めようとしない。民主化や自由化を達成することで自分達の利潤が減少するからである。民主化や自由化は西洋的価値観ととらえて、受容拒否する政府も珍しくない。これらの政府は不透明な政治を行なうことで利益を獲得し、貧困層の地位向上に対する政策はとろうとしないのだ。バングラデシュ政府などは非常に保守的である。

そして、このような政府は資金ばらまき型の援助によって増強される。資金ばらまき型タイプのアクターは貧困層のニーズに合わせた開発を行うのではなく、資金提供などの一方的な援助をしていく。典型的な例としてあげられるのが日本だ。日本は世界最大のODA投資国である。しかし、日本の投資額が多いのは、日本はGNPが高いのに、海外支援を行っていないという批判的な世界世論に水を差すためである。そして、投資した資金は肝心の貧困層には行き渡らずに、巨大な権力を握った腐敗政権や有力企業に流入してしまう。このために、権力集団がより多くの利潤を得ることにつながり、社会開発にかえってさらなる悪影響を与えてしまう。バングラデシュ援助に関わるドイツNGOによって書かれた『死の援助』の著作の中では、「援助は両国の支配構造を安定化させる装置」とまで言っている。このような貧困者の立場を理解していない一方的な援助が、権力者の利益につながり、社会開発を妨げているのである。

論点B
貧困層の立場を理解していない農村社会開発の存在

そして、このような貧困者の立場を理解していない援助は貧困者自身に対してもなされているのである。つまり、農村社会開発が上位の視点から行われていることである。農村社会開発を行うアクターは基本的に農村の部外者である。彼ら・彼女らは、優れた専門性を持つ、比較的に裕福な先進国出身者が多い。彼ら・彼女らは農村の現状を知って、自分達との違いを自覚し、貧困層のためにエンパワーメントを行おうとする。だが、それは彼ら・彼女らの視点で行われるもので、彼ら・彼女らは貧困層にとって必要なものを見出し、それに基づいた開発をしていくのだ。彼ら・彼女らの多くは、実際に農村に長期間滞在して、農村の現状を把握していない。GDPなどの統計や映像などの二次資料に頼りがちだ。また、広く世界中で行われている画一的な方針を取りがちでもある。貧困層が求めているものはその場その場で異なるにもかかわらずだ。貧困者のニーズを理解していない的外れな援助がなされているのである。例えば,アメリカで開発された労働節約化と肉の大量生産を図る牧場モデルが1960年代前半にケニアに導入されようとした。各ブロックを扶養能力が同じくらいになるように4つに分割して、各ブロックで4ヶ月ずつ順番に放牧を行なうことで、牧草地を再び使うまでに12ヶ月牧草地を休ませるシステムであった。ケニアの天候や水の供給状態などの要因を考慮せずに、このような融通性のないシステムをアメリカは導入しようとしたのである。こういう形態の援助が依然として繰り広げられているのなら、真の農村社会開発の達成は見込みが無い(4)。

論点C
お恵み的な援助による貧困者の援助依存

そして、農村社会開発がこのように上位の視点から行なわれるために、もう一つの問題が生じる。農村社会開発の対象者である貧困層が援助に依存してしまい、自立心が低下してしまうことである。その結果として貧困者は農村社会開発達成に対してのモチベーションが生まれてこないのである。

上位の視点から見れば、貧困者は援助が不可欠な脆弱な存在である。そのために、貧困者に対して過度の支援を行ないがちである。このような援助はお恵み的な援助である。また、このような援助は、貧困者から見ればまるで天から福を授かったようなものだ。だから貧困者は開発アクターの支援に依存してしまって、貧困者自身が自立していこうとする意志が薄れ、結局農村社会開発は達成されていかない。特に、バングラデシュ社会は貧しい人には施しをせねばならないというイスラム教の社会であるために、都市では職をもてるのに、自らこじきとなって、施しを受けようとするこじきビジネスが盛んであることから、一層貧困者が自立しにくい社会である。このような社会では、お恵み的な援助は一層発達するであろう。

このような援助は貧困層の役には立たず、かえって貧困層が援助に従属することを強いる。それに、ここでの援助とは物資の支給などで、一時的には貧困者のためになるかもしれないが、村を発展させるほどの恒久的な支援ではない。このようなことから、上位の援助者と下位の貧困者の優劣構造が強化されてしまい、貧困者自身の成長や向上がなされず、このような援助は農村社会開発をかえって衰退させている。

論点D
世界的に台頭するネオリベラリズムの存在

このようなお恵み的な援助を批判しているのがネオリベラリズムである。全世界的規模で市場化や自由化を図るネオリベラリズムは、途上国にも、途上国の農村社会にも市場化を図り、貧困者に市場という機会を与え、その市場の中で貧困者が自主的に利潤獲得を図ることで、貧困者の生活が向上していくことを目指している。貧困者が自己責任で、市場を用いて豊かになっていくことで自立化していけば、農村開発もされていき、農村は活性化されていくであろう。しかし、ネオリベラリズムも農村社会開発にとって障壁となる。

第一の理由として、アメリカなどのネオリベラリズム型の支援国が農村の社会構造変革を望まないからだ。確かに、このタイプのアクターにとっては発展途上国が少数の権力集団によって支配されていくのは不都合である。権力集団は自分達だけが利潤を獲得しようとするために、保守的な政策をとり、自由貿易や市場経済導入を快く思っていない。そのために、このタイプのアクターは保守的な独裁政治を是正するためにも、民主化を進めていく。アメリカが草の根レベルからの民主化を図るNGOのウッタランに資金援助するのはそのためである。第二次世界大戦後の日本はアメリカという巨大な権力により、強制的に農地改革が実施されて地主の土地が取り上げられて自作農が創出された。これは、農地改革を行うことで、少数の有力者が利潤を独占する非効率な状態を是正し、生産性の向上により、日本の市場経済化を目指したのだ。

しかし、同時にこれらの支援国は社会改革実現を快く思っていない。社会改革を実施することで、既存の資本主義体制が崩壊していくことを恐れるからだ。社会変革によって共産化が進行すれば、市場主義導入は一層困難になる。そのために、これらのタイプは積極的に社会改革を実行していかない。ネオリベラリズム型は、民主化は進めたいが、社会変革は進めたくないことでジレンマがある。緑の革命など、農村における経済改革は行っても社会改革を行わないのは、社会改革実施が困難でリスクがあるからであろう。だから農村社会開発が拡張して実施されていかない。ネオリベラリズム型の支援は経済レベルに限定されてしまいがちなのだ。

そして第二には途上国で実際に農村開発に関わるネオリベラリズム型のアクターが自らの利潤獲得のために活動を行なっていることである。このネオリベラリズムのコンセプトを現地で実際に実施しているのが、今回の巡検(注3)で訪れたグラミンバンクのようなタイプだ。前述したように、市場を評価し、市場というメカニズムを導入することで、農村の貧困層に機会を与え、それを貧困層が使用することで貧困層が自立して豊かになっていくという信念をこのタイプのアクターは持っている。グラミン銀行の総裁であるユヌス氏の思想は、「貧困層は潜在的に起業家精神を持っており、市場という機会を与えられれば、その他の援助がなくても生産的な自己雇用を生み出すことができる。」というものであり、そのために、お恵み的な上からの一方的な援助は貧困層のインセンティブを弱めてかえってマイナスになると考えている。

だから、グラミン銀行のようなアクターは、貧しい人々を貧困から逃れさせようとするが、自分達が中心となって社会変革を行おうという意志はないのである。バングラデシュで全国的な規模にまで発達しているNGOのBRAC(注4)やPROSHIKAなども、従来は成人識字教育などの農村社会開発を純粋に行っていたが、近年市場経済を農村に導入して貧困者の自立化を図る方針に転換しており、社会改革では地主小作関係を維持させるなど、安定化策を実施している。

私はユヌス氏の思想も、貧困層のエンパワーメントを図ろうとする点で、農村社会開発に通じていると考える。だが、近年グラミン銀行は貧困者をより多く自立化させていこうというよりも、銀行のサステナビリティーを重視するようになっており、現在活動している地域のメンバーを対象に、携帯電話のグラミンフォン導入化を図るなどの多角化を進めているようだ。このような活動方針はもはや、自らの利潤を維持するために活動しようとする考えである。また、BRACなどに見られるような、自らの勢力を拡大するために、他のNGOと競合して農村開発を進めていき、新たな活動地域を拡大していくという活動も最近では顕著に見られる。

このように、これらのアクターはもはや従来の方針である、貧困者へのエンパワーメントを実施しようとするのではなく、専ら、従来の方針を実施する手段であった、農村における市場化のみを図っているように思える。以上の点から農村社会開発は現地では軽視されており、貧困者の実質的なエンパワーメントは達成されていかないのだ。


3.農村社会開発連続性への展望

農村分断化を是正するにはこれらの現状を克服せねばならないために非常に困難である。それでは、そのような困難な状況の中で、分断化された状況が是正されて、阻害要因が克服され、真の農村社会開発が達成されるためにはどのようにすればよいかを考察していきたい。

@PRAの農村社会開発アプローチ

このような農村社会開発の現状の中で、近年評価されているアプローチがPRA(主体的参加型農村調査)などの、学習と行動プロセスによる参加型アプローチである。PRAは1970年代にブラジルの教育学者のパウロ・フレイレが始めた参加型行動反応研究に起源をなす。1990年代に入って、イギリスの農村社会開発学者であるロバート・チェンバースなどの実践により、急速に広まっていった。

PRAとは、弱い立場にあり、貧しい人がエンパワーメントを図るために、地域地域で現在解決すべき問題となっていることを、住民達が自分達で現実の状態を分析し、計画を立てて行動していく過程である。PRAは

A   外部者の態度は支配するのでなく、ファシリテート(促進)する

B   閉じたものから開かれたものへ、個人からグループヘ、言葉から視覚へ、計測から比較へと比重のおきかたを変える

C   内部者と外部者の間の対等な立場関係を図る。協力や共有を図る、

という3つの原則からなる。以下、これらを簡単に説明する。

A
PRAでは主導権や支配力が地域住民に移譲されていく。外部者は一方的に情報や知識を与えるのではなく、地域住民を尊重し、住民を促し、きっかけを与えるのである。PRAは、地域住民は多くのポテンシャルを持っており、きっかけを持っていないにすぎないと考える。これはグラミン銀行総裁のユヌス教授の「すべての貧困層はポテンシャルを持っている。」という考えと同じである。ただ、ネオリベラリズムがこの前提の下で、外部からこれまでには農村には存在していなかった市場という「新しい」概念を取り入れたのに対して、PRAは住民の知識や情報という「既存」の手段を用いて、農村社会開発を進める点で異なっている。

そして、いったんPRAを始めると、自分達のできることの多さに地域住民は驚き、モチベーションを持つようになって、行動していく。ここでは外部者は地域住民による活動を見守って、サポートしていくような行動様式を持たねばならない。

B   
●閉じたものから、開かれたものへとは、個人や地域の現実を外部者に向けて発信することである。

●個人からグループヘとは、グループの利点を生かす方法である。地域の住民がグループで連帯して自由に話し合うことで、お互いの知識や知恵を出してよりよい考えや解決策を考案する。

●言葉から視覚へとは、参加型地図や図表を用いることで情報を視覚的に共有することである。情報を視覚化することで、弱い立場にある人や不利益な立場にある人、文字の読み書きが出来ない人も参加することができ、参加者を平等化できる。

●計測から比較へとは、従来偏重していた絶対的な量による分析から、相対的な比較によるアプローチを導入することである。比較を導入することで、情報が視覚化され、情報が共有でき、誰でも参加できるようになる。

この特徴は市場原理と類似した特徴を持ちつつも、住民の主体性を生かした草の根釣要素を併せ持っているといえる。個人からグループヘ、言語から視覚化へというアプローチは市場原理にも取り入れられている。市場原理ではグループ化することで、市場を浸透化させようとしたり、グループの中で、個人の規律や責任を遵守させるために監視体制をつくったりすることでメリットがある。又、グループ化は、共同体を維持して、共同体のメンバーが連帯して信頼関係を維持しながら、共に発展していくというプロセスによって、共同体の崩壊を防止するのにも役立つ。PRAは一層の知識の共有や協力をして、開発の促進化を図るためにグループを作る。

視覚化という情報の共有化・完全化を図るアプローチも、ネオリベラル型は取り入れている。ネオリベラル型のBRACが識字教育を行なったり、グラミン銀行がインターネットやグラこンフォンによる空間統合化を図るのは、情報の進展が効率化につながるからである。PRAでは住民誰もが同じ情報を得られるようにという視点から情報の共有化を図っている。

この段階に加えて、住民の知識や情報などの住民の内在的なポテンシャルと主体性を重視し、各々の村がどう発展していくか、何を必要としているかを考慮しながら発展していくプロセ久がPRAなのである。

C
    内部者と外部者の信頼関係構築がPRA実施の促進化に役立つ。外部者が最初に力まずに、正しく振舞って、住民がPRAに意義を見出し、過程が始まりさえずれば、後はPRA自体が信頼関係を育てていくのだ。だから最初に外部者が地域住民と平等関係を築くことが重要なのである。ネオリベラリズム的な開発では市場という外部手段を用いることで、従来のように援助者と貧困者の上下関係が作られている。PRAはこのような構造を是正した斬新的な手法なのである。そして、PRAによって、地元住民が自分達で表現・分析するという創造活動を「楽しむ」ことで、信頼関係は一層強化されていく。

PRAが1990年代に入るまで、実施されてこなかった理由として、ロバート・チェンバースはこう述べている。「農業技術者・医者・教師などの外部者が自分達の知識が優れており、農民の知識が劣っていると信じ込んでいた。外部者は支配的立場にあり、貧困者を抑圧した。このような思い込みにより、貧しい人達の知識は無視された。また、外部の専門家も住民が自分の知識を表現し、他人と共有し、さらに広めていける方法を知らなかった。地域住民の無能さは外部者の行動様式や態度によって作り出されたものだったのである(5)。

農村社会開発は途上国の農村で生活している貧困層を貧しい状態から解放してあげたいという精神を背景として、発達してきたものだ。このような精神はイギリスなど、従来途上国を植民地化していた旧宗主国にみられ、「かつての植民地政策がその被植民地国の発展につながったために、自らの植民地統治を肯定的にとらえ、現在も貧しい国のために慈善的な支援を行おうとする」コロニアル・チャリティー精神に由来している。これは、従来イギリスの上流階級が持っていた、「豊かな階層はそれなりの責任を果たさなければならない」というノブレス・オブリッジの意識にもつながる。このような農村社会開発は援助する側の方が援助される側より、すぐれているという優越意識を背景としてなされているのである。アメリカなどの先進国もこのような優越意識のもとで援助を行なっている。これらは、2章で述べた上位の視点からの開発アプローチである。

その一方で、ポスト・コロニアル的な立場から農村社会開発を行おうというアプローチも近年発達している。この立場では、従来の植民地支配を否定しており、植民地的な序列関係を排除して、貧困層を主体として、貧困層を貧困から解放させようとするのである。PRAとは、ポスト・コロニアルのアプローチであり、今まで外部者主体で行われていた開発を逆転する斬新な思想である。

APRAによる農村社会開発の達成と限界

それでは、このようなPRAを用いてどのように農村社会開発が達成されるかを考察していく。例えば、ウッタランのREFLECTの例を見てみる。ここでは、村の中で弱い立場にある成人女性に対する識字教育がなされている。そこでは、村の中で弱い立場にある者だけを集めて、彼ら・彼女らを連帯化しながら、エンパワーメントを図る方式がなされている。土地所有分配図を用いることで、女性達に土地が与えられていないことを自覚させて女性達に階層差別の問題を考えさせようとしている。このようなプロセスによって、弱い場にある者が組織化することで、誰にも干渉されることなく、エンパワーメントを実現できる。しかも、PRAによって、メンバー達が主体的にエンパワーメントに参加していく。このような連帯方式で参加者が協力することで補いあいながら成長していくことで、より多くの発展が可能になる。最終的にはREFLECTのセリムさんが述べたように、メンバーが自主的に組織を作って、問題解決に向けて行動していくという自立化を図ることがPRA開発の目標である。

自立化の急進的な例は多数報告されている。例えば、インドのクジャラート州の農民達は自ら土壌と水の保全のモニタリングを行い、その変化を地図上に記録していった。カルカナ州では、村人が石を使った侵食防止工の技術を披露し、バンガロールで開かれた会議に出席し、政府よりも自分達の技術の方が優れていることを説明し、政府の考えを変えることに成功した。地域住民達がこのようにして自分達の力で発展していくことがPRAの理想である(6)。

このように、地域住民が創造力を働かせて助け合いながら発展していくプロセス、これをサポートするのがPRA型の農村社会開発である。だから、このプロセスに対する支援はネオリベラリズムが指摘する「貧困層の自立を妨げるお恵み型の援助」ではないのである。農村がこのように開かれたものになっていくことで、真の農村社会開発が達成されていく。

しかし、このような斬新的なPRAは発達していくのであろうか。私はこのようなPRAには2つの限界性があると思える。一つ目は豊かさの認識である。PRAを推進するチェンバースはこのように豊かさについて考えている。「豊かさとは、所得の向上だけを意味しない。地域住民にとって、所得は二の次であり、病気であること、人の世話になること、社会的責務が果たせないことを克服することの方が大切なのである。地域住民の豊かさの指標は様々であるのだ。資金を獲得できても、市場化を達成できても地域住民は豊かになったと思わないのではないか。地域住民を真の意味で豊かにさせること、そのためにPRAは必要なのだ(7)。

このような認識は世界的に受けいられるだろうか。グローバルレベルにまで押し寄せるネオリベラリズムの風潮の中で、市場を画一的に導入しようとするアプローチによるネオリベラリズムの弊害によって、ネオリベラリズムヘの反発が生じるのは必然的だ。しかし、所得の向上を重視しないアプローチは世界的に受けいられにくい。その意味でPRA的アプローチは世界的に普及してはいかないであろう。

二つ目は、住民主導のアプローチの限界である。確かに、住民は優れた知識や情報をもっており、ポテンシャルは大きい。しかし、住民の知識を前提とした開発では、開発規模が小さく、時間も非常にかかる。又、教育など現在の住民がそれほど必要としないことは、取り入られにくい。

さらに、PRAが有力者をどう巻き込んでいくかも困難である。シャプラニールのショミティ方式もウッタランのREFLECTも貧困層のみを集めて実施している。このようなプロセスにおいて、「参加しているメンバーに対して、識字教育やマイクロクレジットの導入などでエンパワーメントが図られても、村全体を巻き込んでいかずに自己完結してしまうのでないか。村の有力者がこのシステムに対してそれほど反発を示さないのは、このシステムに対して賛同しているというよりもむしろ、このシステムの影響力が大きくないために黙認しているのでないか。」という指摘もされる。それに、PRAでは、貧困層に、有力者と貧困者ではどれほどの格差があるかを認識させるのにとどまっている。そのためにPRA的な活動が農村社会構造を変えていくほどの影響力を持つことは困難であろう(注5)。

Bマイクロプロダクションの効果

このようなPRAの限界性を克服する可能性のあるアプローチが、近年、オーストラリア国立大のキャサリン・ギブソンらによって提唱されているマイクロプロダクションである。このアプローチでは、所得の向上を重視.しつつも、市場の弊害を取り除いた点で斬新的である。マイクロクレジットの問題点は貧困層が借金を返済することが義務付けられているために、借金の取立てが厳しく、一種のサラ金状態になっていることである。ネオリベラリズム型の農村開発は開発アクターが利潤を獲得しようとするために、貧困層の真のエンパワーメント達成・地位向上ということがなされにくいのだ。しかし、貧困層の所得の向上が貧困層の豊かさに大いに貢献することは否めない。

そこで、登場したのがマイクロプロダクションである。このアプローチでは、貸し付けられた資金によって、貧困層が自分達の食糧増産を図っていく。借金返済の義務などは融通が利く。そのために、貧困層が困窮せずに、所得の向上を図れる。このアプローチは貧困者を主体にしてなされているものであり、援助アクターが過度に支援をすることで貧困層の自立化に悪影響を与えるという「お恵み的援助」でもない。又、住民のニーズを考慮しながら、外部のアクターによって主体的に開発がされていくために、規模も大きくなっていく。そして、貧困層の地位向上がされていく。パプアニューギニアなどでこのようなアプローチが実験されている。このような活動はまだ始められたばかりで、局地的にしかなされていないが、これから阻害要因を克服して真の農村社会開発が達成される重要なオルターネィティブ開発になっていくことに期待したい。

Cポジティブ・サムゲームの可能性

他のアプローチも考えてみよう。有力者を農村社会開発にどのようにすれば巻き込んでいくかが課題である。チェンバースは、農村社会開発が有力者には不利益で貧困層だけに有益になるゼロサムゲームではなく、有力者も貧困者も有益になるポジティブ・サムゲームにもなる可能性があると述べている。灌概施設の管理において水の配分を変えたことにより、すべての当事者が利益を得た場合もある(8)。

このように、農村社会開発自体が有力者の利益につながることにもなる。すべての、農村社会開発がポジティブ・サムゲームであるとはいえないが、不在地主のように、所有地を荒地の様に放っておけば、有力者にとっても貧困者にとっても非効率であることはいうまでもない。農村社会開発がポジティブ・サムゲームならば村の有力者にとっても有益であることを農村開発アクターやエンパワーメントされた地域住民は訴えていかねばならない。そして、このような農村社会開発が実現されるには、有力者と貧困層が結びついていく関係を作っていかねばならない。両者が信頼関係を築いてこそ、村の効率化が図られ、村全体が活性化していく。このような農村社会開発の可能性もあり得る。

D草の根NGOによる多様化した援助

だが、ポジティブ・サムゲームがなされる場所は限られている。その中で、住民のニーズにあうような開発を行なうには草の根NGOの影響力が重要である。そして、地域地域において農村社会開発をより多様化させていくことが必要である。ばらまき型のアクターやネオリベラリズム型のアクターは、援助する地域を画一的にとらえ、どの地域に対しても同じような政策をとろうとする。そのために、多くの弊害が生まれてきたことは事実である。緑の革命が食糧増産につながったことは評価すべきである。しかし、地理的な違いや社会状況を考慮せずに、あらゆる地域で同じように進められたことで、土地の疲弊化や生態系の破壊を招いた地域もある。地域のロカリティーを考慮しない政策は限界や問題がある。

住民のニーズにあわせて、草の根アクターは多様な機会を住民に与える必要がある。又、PRAの限界として、地域住民のニーズによって開発がされるために、教育のように現在の地域住民にとっては必要でないことは取り入れられないことがあげられる。この地域で住民が必要とされるものを外部者の草の根アクターは補わねばならない。ネオリベラリズム型のように画一的に経済的な地位の向上を推し進めるのではない政策ならば、経済的アプローチも有効である。ウッタランのマイクロクレジットによって、村の手工業や大工仕事・養鶏業が成功しているようだ。また、ウッタランのように、教育を必要とする意義を見出せない住民に対して、家庭訪問をしたり、教師が生徒の村まで訪問して授業を行うヤード・ミーティングをしたりすることで、教育の必要性を訴えることは必要である。さらに、これまで政治とは関わりが疎遠であった地域住民を地方政府であるユニオンのメンバーと対話する機会を設けることで、住民に自分達の手でユニオンの候補者を選び、地方政治を自分達で担おうとするモチベーションを生ませることも意義がある。より多様化を図って、住民が自立できるように、住民が望むものや、住民が持つべきと考えられるものを与えていくことが必要だ。

ただし、草の根アクターは大部分がある地域内で局地的に小規模に活動している。そのような活動の限界性として、資金不足があげられる。資金不足から、ウッタランもコンピューターが本部にしかないなどの設備不足が目立った。この他に、人材不足や情報不足などの問題も草の根アクターは抱えている。この点で草の根アクターの活動には限界があり、真の農村社会開発は達成しにくいのではないか。

E 草の根ネットワークの可能性

このような限界性を克服して、農村社会開発を徹底的に進めていくには、各局地型の草の根アクター同士が結束して協力していくことである一従来は、各アクターは自分達独自の開発方針を掲げて自立的に活動していた。そこで、他のアクターとの連携が取りにくく、そのために情報の不足や資金不足・人材不足が問題となっていた。それが草の根アクターの限界でもある。

ウッタランはその意味で、他のNGOや市民組織との連携を図っており、国政レベルにまで将来は社会開発を実現していこうとしている点で評価できる。ウッタランの力ースランド運動(注6)は医師連合などの市民組織が共鳴し、全国的な反響までをも呼び起こし、最後には首相までもが現地視察に訪れた。また、市民組織やNGOと結びついたウッタランの湛水問題(注7)への取り組みにより、堤防を壊さないで問題解決を図ろうとした政府の案をしりぞけ、堤防を壊すことに成功した。

このような草の根アクターによって農村社会開発やエンパワーメントを図るには、一つのアクターだけで活動していくのは限界がある。これからの農村社会開発では一層、草の根的なネットワーク作り・協力体制が必要になってくる。これによって大規模な農村社会開発が可能になり、貧困者の地位が向上して社会構造の変容が可能になるかもしれない。各アクターそれぞれが、どのようにしてネットワークを作り、より高レベルの農村社会開発を達成していくかがこれからの課題であろう。インターネットなどを利用することで、ネットワーク作りを行なっていくのも一つの方法ではないかと思える。

以上、農村社会開発の展望と、農村社会開発の阻害要因の克服へのアプローチについて述べてきた。阻害要因克服は困難であるが、不可能ではない。このようなアプローチは現在、世界的に実施されているわけではないが、将来行なわれる可能性もある。このようなアプローチを用いることによって、阻害要因を克服して、真の農村社会開発が達成されることを期待したい。


(注2)  シャプラニールは一九七三年に成立した中規模NGO。バングラデシュの農村を中心に貧困者のエンパワーメントや災害復興を図る。1977年にボイラ村襲撃事件が生じ、シャプラニールの駐在職員が現地人に襲撃されて負傷した。この事件は、貧困者の支援を行なうシャプラニールに対して、村の社会構造のバランスを崩すと村の有力者が反発して不満を持ったために、生じたと分析される。

(注3)   巡検とは2000年9月1日から9月12日にかけて行なわれたバングラデシュ・インド東部の水岡ゼミナールの巡検である。バングラデシュでは、新国際分業化に組み込まれつつあるバングラデシュの産業構造や開発方針の異なるいくつかの農村開発の現状を視察した。インドでは、カルカッタとダージリンを訪れて、建造環境や社会体制から、イギリスが植民国インドにどのような影響を与え、現在どのような影響を残しているかを視察した。

(注4)   BRACは、バングラデシュ国内最大のNGOであり、今では全郡にBRACのオフィスが設立されている。独立戦争などで国内が疲弊する中で、支援を行なおうという目的で、BRACは1972年に誕生した。いまや、政府の活動だけでは限界があるために、事業を広範囲で行なって、できるだけ多くの貧しい人を助けたいという考えからBRACは大規模化を図っている。マイクロクレジットを導入した貧困層の経済自立化が近年の活動の主体である。

(注5)    この他には、PRAを取り入れようとするNGOが結局はトップダウン方式の開発を行なってしまうことがあげられる。外部者の行動様式や態度が地域住民のファシリティターであるのに、現場では常に地域住民の教師役で、外部者であるアクターが地域住民に教え込むという状況がみられることがある。外部者がどのような態度で住民に接し、どこまでをサポートし、どこからを住民達に自主的に行なわせればいいかが分からず、トップダウン方式がなされてしまうのであろう。
その他には、PRAが近年評価されていることから、コンサルタントがPRAを契約書に盛り込んで、実際にはPRAを実施しないケースがある。また、資金不足や人材不足からPRAを実施しきれずに、トップダウン方式に切り替えるケースも存在する。PRAがどのようにして実行されるかが課題である(9)。 (注6)   カースランドとは政府の公有地である。政府はこの地を土地無し層に支給しようとしたが、地元の有力者や地主が占拠した。そこで、ウッタランは他のNGOや市民組織と協力しながら、力ースランド占拠に反対する運動を繰り広げ、全国的な反響を巻き起こした。

(注7)   1960年東パキスタン政府によって海水を遮断して湿地を農地化するために、堤防が建設された。しかし、少なくなった湿地に大量の海水が流入し、海水が運んでくる粘土が大量に堆積した。このために、堤外地の水位が上昇し、堤防に守られている粘土が流れてこなくなった農地の標高よりも高くなっていった。そして、雨季の氾濫によって広大な農地は水浸しのままになり、農業が著しく停滞した。この問題を湛水問題という。ウッタランは市民組織やNGOと協力して問題解決に取り組んでいる。


<文献>

1. ウォルフガング・ザックス編、三浦清隆他訳『脱開発の時代』(晶文社, 1996年)

2. 柳沢悠『南インド社会経済史研究-下層民の自立化と農村社会の変容』(東京大学出版会, 1991 年)

3. 原洋之助『不完全市場化のアジア農村−農業発展における制度適応の事例』(第T章農業発展論の反新古典派学的視座を求めて)(アジア経済研究所, 1995年)

4. ロバート・チェンバース著 野田直人他訳『参加型開発と国際協力』(明石ライブラリー, 2000年)

5. 前掲書

6. 前掲書

7. 前掲書

8. 前掲書

9. 前掲書