バングラデシュ開発の行方

社会学部      小柳尚正


一橋大学留学生センター発行『−一橋と世界を結ぶ−Bridges』Winter 2000 Vol14より

バングラデシュ紀行

バングラデシュは日本と疎遠のように思えるが,バングラシュの国旗は中心が赤い円で,周辺が緑であり,日の丸にている。そして日本はバングラデシュの最大の資金援助国ある。

関わりが意外に深いバングラデシュに対して出発前にかすかな親しみを抱いていた私はダッカ空港に着いて驚嘆した。港から出ようとする旅客を見物しようとするおびただしいの数…。私たちが空港を出ようとすると多くの人が物珍しうについてきて,物乞いも手を掴みながら催促する。この様な光景に私達はとして,これからの視察に不安を覚えた。バングラデシュの面積は日本の40%ほどなのに,人口 1億3千万人で日本よりも多い。だから,どこに行っても辺りは人で一杯である。道路は車もリキシャーもミニタクシーも牛も通り,渋滞は深刻だ。最初はこのような不慣れな環境にとまどったが,次第に溶け込んで平然としていられるのが不思議だ。その中でベンガル人の友好的な対応にはほのぼのとさせられた。一般的にベンガル人は人に親切にすること人と和気藹々と接することに意義を持っており,そのため犯罪率は日本以上に少なく,国内の治安も比較的良好なのかもしれない。

このような思いやりの精神,人のために何かをしょうとい意識が強いバングラデシュだからこそ,国内から多くのNGOが出現し,バングラデシュはNGO大国になったのではないかと考えながら,私はNGO視察を開始した。

ナショナル型NGO、BRAC

BRACは国内最大のNGOの一つであり,今ではほとんど全国にBRACのオフィスが設置されている。1970年の50万人が死亡したサイクロンや1971年の独立戦争で,バングラデシュが疲弊する中で,難民や困窮者に対して生活保護や支援を行おうという目的で,BRACは1972年に誕生した。イスラム社会のバングラデシュでは依然として地位の低い女性に対して貯蓄を指導したり,技術指導や教育を行うことで自立を促している。今や政府の活動だけでは限界があり,事業を広範囲で行って,できるだけ多くの貧しい人を助けたいという考えからBRACは大規模化を図っている。

BRACの活動に触れて

バングラデシュ滞在中にBRACを訪問したのは一日だったが, BRACの活動方針はほぼ理解できた。BRACは20人から40人のメンバーからなる,女性を中心にしたVOという村のグループを作り,各々のグループに融資している。メンバーは貧困のレベルにかかわらず,利子15%で返済しなければならない。また,メンバーは借りたお金の5%を強制的に貯蓄に回さなければならない。このようにBRACは貧困層に対して, 単に援助を施すのではなく,貧困層に融資をするのだが,貧困層もゆくゆくは自立できるように自己責任を持って,最低限のルールを守ることを義務づけている。BRACのこの考え方は斬新であり,評価したいと思う。

しかし,BRACに対する疑問点も見えてきた。例えば養鶏事業をBRACは実施しているが,有機栽培は実施しておらず, 健康にあまりよくない化学肥料を使用して低コストで大量の鶏を生産している。貧困撲滅とは,誰もが同じ権利を持てるふうにすることではなく,単に食糧確保のためだけなのか。ぞれに,現在バングラデシュの国内で深刻な被害を出しているヒ素汚染の問題に対しても積極的に取り組んでいるとは思えなかった。

さらに,BRACは村の階層関係を変革したりせずに,既存の社会関係の論理を崩さずに,貧困層の底上げを行っている。村での地主の大土地所有は温存され,地主・小作関係に変化はない。社会変革に対し地主の抵抗があるのは必然的であるが,社会変革を実行しないで貧困の撲滅を図るのは,貧困層が本当の意味で豊かになるとはいえないのではないか。

つまり,BRACは効率的な分野に限定した活動を行っているのだ。そしてBRACの活動を視察して分かったことは貧困層の女性を労働力として利用し,手工芸品や家具,繊維品を大量に生産し,国内市場(一部は海外に輸出)に出していることだ。貧困層の労働者は低賃金で雇用可能だから,BRAC の活動はRuralを拠点として貧困層を利用したビジネスといえるだろう。今や,BRACは資金面の8割以上を自身でまかなっており,企業や財務機関の株主となって利潤を得たりするなどしてビジネスに積極的に参加している。将来は企業に融資するために銀行を設立したり,大学を設立する構想もあるようだ。BRAC本部で会った方も「BRACはもはやNGOではない」と語っていた。BRACが貧困層の自立に貢献してきたことは分かるが,どうも貧困層がBRACの利潤拡大に利用されているように思われる。

地域型NGO、UTTARAN

大規模な活動を繰り広げるBRACに対して,UTTARANはバングラデシュ南西部において活動を行っているNGOである。 UTTARANはバングラデシュの社会構造が不平等であり,公平な権利が守られていないことに対する社会運動から,1985 年に結成された。UITARANは人材開発を活動の核としており, 貧困層が自立した経済活動を行えるようにサポートを行うと同時に,女性やアウトカーストの地位向上にも取り組んでおり,社会構造の是正や社会意識向上運動に貢献している。

またUTTARANの著しい特徴として地域独特の問題に取り組んでいることがあげられる。UTTARANの活動地域はバングラデシュの中でもヒ素汚染が最も深刻な地域であるために, 井戸水の飲料禁止のアピールなどを行っている。また村の階層関係の変革として,土地無し農民が土地を所有できるように,また地主がそれに対して横暴な行動を起こさぬように調整を図っている。

UTTARANの視察

UTTARANの視察は3日間実施した。BRACのVOと機能的には類似している土地無し農民の集会に参加したが, UTTARANの良心的な面がみられた。例えばBRACは誰に対しても,利子15%での返済を義務付けていたが,UTTARAN では貧困のレベルに応じて利子率が異なり,夫が死ぬと妻は借金が帳消しになる規則もある。また土地を所有しなくても生計を立てられるようなサポートもしている。女性達は UTTRANを信頼しているように思えた。

民衆の健康や環境については,農業でBRACが高品質で大量に生産できるとして奨励しているHYV種をなるべく使用しないようにし,近年発明された環境に悪影響を与えない有機肥料による生産を行っている。貧困撲滅のために,単純に食糧増産のみに着手していない姿勢がうかがえる。

視察の中心であった教育プログラムでは,10学年からなる SecondarySchoolと2年教育のCollegeを訪問した。この地域では教育の必要性の認識が乏しく,まだ子供を学校へ行かせるよりも家の手伝いをさせる方が大切だと考える親も多い。しかしUTTARANは個々の家を訪問し,教育の重要性を訴えており,現在の生徒の出席率は99%とのことだ。実際教室を覗くと皆熱心に勉強しているようにみえ,生徒と話してみると将来は銀行に就職したいという子供もいて生徒のモチベーションは高いようだ。

さらに,UTTARANでは子供連の教育だけでなく,3年前からREFLECTという女性中心の成人識字教育を行い,読み書きや計算だけでなく,グラフや図表を用いた村の諸問題の学習も行っている。UTTARANは教育プログラムによって, 短期的には衛生問題や健康問題の解決を図り,長期的には村の人達が村の階層関係や差別問題を疑問視し,村の人達が中心となって社会改革が実現できることを目標にしている。女性の夫達もこの識字教育に協力的であるとのことだ。

このようにUTTARANは,貧困層各々に機会を与え,貧困層の自立化を図り,貧困層の成長を通じて社会変革を成し遂げようとする草の根的アプローチを採用している。実際に UTTARANの代表者のイスラムさんはBRACを批判し,市場経済の導入こそが結局力を持たない貧困層をさらに貧困に陥れるとして,市場経済に対抗する姿勢をとっている。理想的と思えるような活動方針を貫くUTTARAN。しかし,そのUTTARANに対しても限界が見える。特に資金面や設備面での絶対的な不足が挙げられる。今回の視察で驚いたのが,UTTARANの中央資源センターの貧弱さだ。私たちが見学した時は利用者は誰もいなかった。文献や学術書も千点は在庫があり,新聞も20年間保存しているみたいだが,インターネット設備はほとんど整備されていない。 UTTARANの事務所にしかコンピューターはないとのことだ。このために情報格差は進行し,UTTARANの活動が時代に取り残される可能性もある。また村での下水処理整備は全くされておらず,排水がそのままたれ流しになっており,伝染病発生の可能性もありえる。インフラ整備はなかなか進まない。また人材も不足しており,スタッフ全員が英語に堪能であるとは言いがたい。UTTARANの活動理念に対して現実的な活動はどこまで達成できるのか。現状で手一杯で,さらに向上した活動を行える余地があるのかという点に不安がある。

開発のあり方をめぐって

今回訪問したBRACにしろUTTARANにしろ,国内開発をコンセプトとして貧困撲滅に取り組んでいる。しかし両者の開発の捉え方は異なっているといえる。BRACの開発の概念は「世界経済的なレベルからみて貧しいといえる国家や地域に対して援助を行う」という先進国の開発概念と共通しているように思える。つまり,貧しい地域における経済成長の達成こそが開発だと捉えているのである。このような開発思想の普及によって健全な世界経済であればすべての貧者は救われるという神話が作られ,これまで自給自足的な共同体生活を送っていた社会に競争原理が導入され,共同体は合理的な社会に変容しつつある。

貧民のための銀行を設立し,成功を収めて現在のバングラデシュで巨大な影響力をもつグラミン銀行のユヌス氏にも今回お会いしたが,ユヌス氏は開発において市場経済こそが, 最も有効な手段であるとおっしゃっていた。貧困層も潜在的な能力は所有しているが,機会がないためにその能力を使用できない。そして,その貧困層に機会を与えるのが,市場経済であり,それによって貧困者も競争に参加でき,後は個人次第で生活状況が変わっていくのだから,市場経済は民主主義に近いのではないかということだ。市場が円滑に平等に機能しないのは,政府や官僚などの権力集団が利益を独占しているためで,このような問題が解決されれば市場はより優れたものになるともおっしゃっていた。貧困層に収入向上の機会を与えることが貧困撲滅につながると考えているようだ。

だが市場経済に参加できる機会を貧困層は本当に望んでしるのだろうか。歴史的にみると資本主義が優れているシスうムだといえるが,資本主義の罪の部分も多い。競争原理の中では当然敗者が存在するが,その敗者に対する措置であるセーフティ・ネットは十分ではない。そのために人間として最低限保障されるべき権利が資本主義により侵されることがあり得る。BRACでは農村開発において,効率的に実行できる分野のみにしか参加していないが,それで本当に貧困層は最低限の権利を獲得できたのか。開発において村落社会が崩壊し,貧困層が一層貧しくなる場合も実際にあった。その意味で先進国が提唱する市場化を目指す開発は問題がある。

このような視点から先進国の開発思想に反対して生まれたのが草の根運動である。草の根運動は村落の共同体のレベルにおいて現在直面している課題に取り組んでいこうという点で,民衆の立場に根付いた開発を行っているといえる。現在, 草の根運動のほとんどが強い精神性を持っており,貧しい民衆のために何かをしてやりたいというボランティア的精神から活動を行っている。UTTARANもその草の根型NGOの一つであり,現在の民衆に必要な改革に取り組んでいる。共同体維持を図りながら貧困層に経済面や社会面での機会を与えていく方法で,競争原理を導入しないで貧困撲滅を目指す活動ならば,敗者も生まれず理想的である。ただ大部分の草の根 NGOでは実際に目標どおりの成果をあげていない。その理由として資金,人材,力の不足がある。だがUTTARANのように少しずつではあるが成果はでている。草の根活動の地道な努力に期待すると同時に,より成果のある活動法が模索される。

私はこれからもより深く開発のあり方を考察していきたいが,私は選択の機会を増やし,個人が自分にとって得意な分野の職に従事することで,草の根レベルにおいて,市場性を持ちながらも共同体を維持し,共同体のメンバーが協力して共同体が現在直面している問題を解決することは可能だと思う。

「脱開発の時代」として様々な開発論が提唱される今日では開発は何かという答えはまだ見つかっていない。