カリーニングラードにおける農業について


 ここでは、カリーニングラード巡検中に見学する機会のあった、一農家の紹介を通し

て、そこから垣間見ることのできる問題点を2つほど挙げてみたい。ただし、ここで取り

上げるのは、ロシア農業一般のことではなく、農家の見学という個人的な経験から、主観

的に引き出したものであると言うこと、必ずしも客観的なデータで裏付けがなされている

というわけではないということをあらかじめ了承していただきたい。

・カリーニングラードの農業の変遷

 カリーニングラードの農業の変遷についてまず、簡単に触れたい。 「歴史」の章でも触

れたように、この地域は第2次世界大戦以前は約700年にわたってドイツ領であった。

この時代において、この地域は穀倉地帯として集約的な農業が展開されていた。しかし、

第2次世界大戦以後、ソ連支配の下では、カリーニングラードは軍事拠点としての機能に

特化され、農業は一部の集団化された国営農場を除いて排除され、農作物は他の地域から

移入されるようになった。我々の見学した農家はこれらの残された国営農場(ソホーズ)

の一家であった。

・農家の紹介

 次に、農家の紹介と、そこから垣間見ることのできる問題点を挙げたい。我々の見学し

た農家は、カリーニングラード市の南西にバスで1時間半ほど走ったところに位置してお

り,ドイツ系ロシア人の一家であった。ソホーズであるので、所有地の100haの内、

16haは自留地であり、残りは国有地である。農業用機械として、トラクター3台、種

蒔き機、収穫機、すきおこし機が各1台を所有しており、これらの機械は海外のドイツ人

コミュニティーからの援助によるものだという。作物としては小麦、ジャガイモなどを主

に栽培しており、それらを政府に売り渡したり、民間の市場(ストリートマーケットのこ

とか?)に出しているという。政府買取り価格は小麦1kgで300〜500ルーブル、

ジャガイモで400−800ルーブル程度であるのに対し、市場に出せば小麦1kgで、

2000ルーブルで売れるそうなので、政府の買取りだけでは経営が難しいという。

 以上が農家の紹介であるが、ここから問題点を2つ挙げたい。すなわち(1)効率的な

流通市場の欠如、(2)ドイツ人との関係、である。

(l)効率的な流通市場の欠如

 この問題点は、旧ソ連の諸都市についてもいえるかもしれない。カリーニングラード、

バルト三国の諸都市を巡って目につくのは、ストリートマーケットと呼ばれる露店市のに

ぎわいである。食料品をはじめ、衣料、自動車の部品など生活に必要な晶からおもちゃま

で大抵の晶はここで手に入るようである。これに対して、カリーニングラードの国営マー

ケットは肉、魚類などストリートマーケットではあまり見られなかった生鮮食料品などを

中心に置いてあったが、品数はあまり多くはなく、客数もあきらかに少なかったのが印象

的であった。カリーニングラードに限っていえば、これらの他に、食料品を扱う、スーパ

ーマケットのような大規模な小売店は見当たらなかった。カリーニングラードの人々にと

ってストリートマーケットが生活を支える上で大きな役割を担っていることがうかがえる。

このストリートマーケットの構造を観察してみると、食料品の場合、狭い区画に農家の人

があきらかに自分のところでとれた作物を少量並べているといった形式である。そのほか

に農作物貯蔵用の倉庫などのインフラは見当たらなかった。農作物を一括して取り仕切る

ような専門の流通小売り業者も存在していない。農家にとってみれば、この流通システム

は非効率なシステムである。運搬能力の制約と、作物貯蔵インフラの欠如により、農家は

狭い販売区画で1日に売れる分量の作物を販売日ごとに運搬しなくてはならなくなる。特

に保存のきかない牛乳、卵、肉、魚類などの生鮮食料品は多大なロスを生じさせることと

なる。しかし、このような非効率な流通市場に頼らなければ経営が成り立たないのがカリ

ーニングラードを含むロシア農業の実情なのである。

(2)ドイツ人との関係

 この問題点は農業をふくむ、この地域のあらゆる面にかかわってくる問題点であろう。

歴史的に見て、この地域の最も大きな特徴は、この地域が長い間ドイツ人の土地であった

ということである。しかもケーニヒスブルクの名でドイツの中心都市として君臨し、偉大

な哲学者イマニュエル=カントを生んだ土地である。この地に対するドイツ人のメンタリ

ティーは想像以上のものである。1991年にカリーニングラードが外国入に解放された

とき約5万人のドイツ人観光客がこの地を訪れた。またこの地域に住むドイツ系住民に対

してドイツは積極的に援助を行っている。これは政府の公式な援助ばかりではなく、人道

主義に基づき、キリスト教教会を中心に草の根的な援助も行われている。先に紹介した農

家の農業用機械の寄付もこれらの援助によるものであろう。これらの支援の目的はドイツ

人同胞のアイデンティティーと文化の保護を目的とするとされている。しかし政府援助な

どのなかには、旧ソ連の崩壊によりドイツ系住民が大量にドイツに流入することを防ぐた

め、その地域に定住を促すという目的も含まれている。

見学した農場を営む、ドイツ系の農民一家 耕作放棄された農地

く参照文献>

・「旧ソ連諸国に対する西側諸国の対応」 p. 84−89  (社)ロシア・東欧貿易会

・Baltic States & Kaliningrad  p.396  lonely planet