予定の出発時刻をとうに過ぎた午後10時前、私たちはようやく乗船できることになった。船内へは、珍しい日本人乗客である私たちを優先して案内してくれた。1階は車両甲板で、入口には「IRAN HORMUZ-12」と、船の名前が大きく書かれていた。2階が客席になっている。
私たちは車両甲板から入って、階段をのぼり、2階の客席へ向かった。客席に入る扉には「PULL」の文字と並んで「ひく」という文字が書かれているなど、船内ではたくさんの日本語を見かけた。また、座席の横に取り付けられたコンセントの形も日本式の形をしており、この船は日本船の中古であることがわかった。
シートは綺麗だったが、弁当などを置く台が傾いていたり、天井から水漏れしている箇所があったりと、かなり使い古しているように感じられた。船内トイレだけはなぜか洋式でも和式でもなく、中東諸国の様式に替えられていた。ただ全体的には、日本で使われていた当時のままの面影がつよかったように思う。客席は満席ではなく、3〜4席分を一人で寝転がって使う乗客もいた。
階段を上がって甲板からバンダレ・アッバース港を眺めると、奥まで多くの船が停泊しているのが見えた。明かりが遠くまで続いており、かなり大きな港である。奥に見える敷地には車がびっしりと駐車されている。おそらく、輸入品の車であろう。
乗客が皆乗り込むと、出帆する前に客席中央部にある売店から夕食が配られた。これは船賃に含まれているものである。夕食は白米と焼いたチキン、ヨーグルトとジュースといったメニューで、イランで何度も食べた典型的なものであった。夕食を食べている最中も船は動く気配がなく、1時間近く待ってからようやく出帆した。 ターミナルに着いたのが17時で、出帆は23時ごろであった。出帆時間の4時間前にターミナルに到着することが求められ、出帆が2時間遅れたので、私たちは合せて6時間程度出帆を待っていたことになる。船での移動の時間効率の悪さを思い知らされた。しかし、現地の人たちは焦る様子もなかったので、こちらでは数時間待つのは普通のことなのだろう。 ホルムズ海峡の外洋に出て港のほうを見返すと、オレンジ色の多数の照明が煌々と輝き、倉庫や、外に入港待ちと見られる船が何隻も停まっていた。乗客は各々、すぐに寝る者や同乗者と話をする者など、それぞれの時間を過ごしていた。客席前方にはテレビモニターがあり、サッカーニュースを眺めている乗客も多かった。
深夜のホルムズ海峡を横断している間、外には貨物船やタンカーと思われる船が、時折私たちの航路を横切っていった。
船内で薄い生地のパンと紅茶という、簡単な朝食をいただき、しばらくしてから甲板に出てみると、船の進行方向にはうっすらと港が見えるようになっていた。たくさんのコンテナとクレーン、その奥には高層ビルが見えた。高層ビルが立ち並ぶ都市景観はイランにはほとんどなかったもので、私たちは驚くとともに期待を寄せた。
すでに到着予定の時刻は過ぎていたのにもかかわらず、船は時間などお構いなしという感じで、午前9時という予定到着時間が大幅に過ぎて焦る私たちを無視してとてもゆっくりとシャリジャー港に入っていった。
私たちの船は、結局11時半頃シャリジャーの港に着いた。山のように積まれた貨物やトラック、コンテナが見えた。バンダレ・アッバース同様、とても大きな港である。
船から降りる際、1階の車両甲板には台車が積まれているのが見えた。トラックには「Iran Shipping Lines」と書かれていた。イランの海運会社、Islamic Republic of Iran Shipping Lines (IRISL Group)のものと思われる。イランと世界各地を海運で結ぶ大企業である。
船から出てすぐのところにバスが2台止まっており、私たち含む乗客はこのバスで入国審査が行われる場所まで移動した。男女は別々のバスに分かれて移動するのだが、男性客が圧倒的に多いので、専用車は満員電車のようにぎゅうぎゅう詰めになった。移動中、袋詰めにされた輸入品が積まれている山がいくつもあった。袋の山の上にはシートがかけられている。後述するが、私たちが観察したシャリジャー、ドバイの町中には建設中の建物がたくさん見られた。建設資材の需要が高いため、セメントが袋詰めにされていたのではないかと推測できる。
満員のバスから降りると、ビザ取得・入国審査・荷物チェックが待っていた。ビザ発行と入国審査を行なう部屋は広くなく、受付窓口と、椅子が並んでいるだけの殺風景なものであった。窓口にいる検査官は、みなトーブ・頭にシュマーグ(いわゆる白いアラブ衣装)を身に着けており、イランから移動してきた人々よりどこか高貴な雰囲気を持っていた。事実、検査官はイラン人への振る舞いが横柄で、どこか見下しているような印象を受けた。途中で部屋に入ってきた別の検査官も横柄な態度でイラン人に何やら注意していたが、イラン人はそれに反抗する様子もなくおとなしくしていた。経済力の差によって、UAEとイランには優劣関係が存在しているとUAE人は思っているようで、イラン人もそれをおとなしく受け入れている雰囲気である。数十分待っても検査官は入国審査を始める気配がなく、雑談をしていたため、私たちは自ら窓口に行って手続きをしてもらった。UAEへの入国ビザを現地で取得することにしていたため、名前や生年月日などの軽い質問と、写真と顔とのチェックをしてビザを取得した。審査を終えた後も、その場にいる全員の手続きが終わるまで、結局1時間近く待たされた。
そのあとようやく、荷物チェックを行う部屋に進んだ。預けていた荷物が地面に無造作に置かれており、セキュリティーなどは皆無である。皆で一緒に預けたはずの荷物もバラバラで、自分の荷物を見つけるのに一苦労だった。同乗していたイラン人などは家財道具、食材や生活雑貨など様々な物を段ボールや袋に詰めて大量に持ってきている。この船に乗っているイラン人たちは、観光客ではなく、UAEで働いて生活をするために来たのである。イラン人たちは、部屋にあるカートに荷物を積んで、我先にと検査官のもとへ向かっていて、部屋の中はとても騒がしかった。荷物チェックは入念で、一つ一つ隈なくチェックされた。細かく見るため、男女は別の列に並び、女性の荷物は女性の検査官がチェックを行なっていた。時計の中身を調べたり、ゼミ生が持ってきていた干し梅を、「これは何だ」と尋ねたりもされた。荷物チェックの様子を写真に撮ろうとすると、注意されて撮る事は出来なかった。カメラを没収されそうになったが、観光客だと伝えると検査官の態度は一変し、私たちへの検査は甘くなった。撮影に厳しい姿勢をとるのは、出稼ぎ労働者に安易に審査をくぐり抜けられないよう、審査の様子が漏洩するのを恐れているためだろう。
港に着いてから手続きが終わるまで、結局2時間近くかかり、ようやく外に出られたのは12時半すぎであった。目の前には大きな駐車場が広がっており、強い日差しと暑さの中汗ばみながらガイド氏のいる車を見つけた。ガイド氏は、船の到着予定時間である午前9時から港にいたとのことで、とても待ちくたびれた様子だった。私たちは車に乗り込み、シャリジャーからドバイまでの13kmほどの道のりを移動した。
専用車に乗り込み、私たちはドバイ方面へと車を走らせた。港を出てすぐはあまり高い建物はなかったが、シャリジャーの市街地に近づくにつれ、高級そうなホテルやレストラン、高層ビルが目に入るようになっていった。オフィスビルが密集しているエリア、商業ビルが立ち並ぶエリアなどを通り過ぎた。中央分離帯に芝生が敷き詰められているなど、道は整備されていたが、周りには工事中の建物や、まだ手が付けられていない更地がちらほら見かけられたため、まだまだ開発途中なのだろう。ガイド氏は、軽妙なアメリカ人好みの口調で、UAEの基本情報や他国とは異なる税制について説明をしてくださった。
シャリジャーの市街地を抜けて幹線道路を走っている間に、ドバイへと入った。ガイド氏が「ここからがドバイだ」と教えてくれたが、特に境界線も検問もなかった。再びビルの立ち並ぶ市街地に入り、ドバイメトロの斬新なデザインの駅を通り過ぎるようになった。ドバイメトロは全長74km、47駅をもつ、ドバイの新しい鉄道系公共交通機関である。翌日、ドバイメトロの運営を行うRTAを訪問したので、詳しくはそこに記述する。
ドバイは東の旧市街と西の新市街に大きく分かれている。そのちょうど間に位置する辺りに世界一高いビル、ブルジュカリファ(Burj Khalifa)は建っている。かなり遠くから見えていたのだが、近づくうちに車窓からは頂点が見えなくなるほどに高くなった。日本一高い塔であるスカイツリーとは比べ物にならない高さである。
隣には世界最大規模のショッピングモールといわれるドバイモールがある。ドバイモールの入り口に向かい、噴水などの水の装飾がなされ、とても優雅な雰囲気を醸し出している正面入口手前に専用車を停め、高級車ばかりがならぶとても広い屋内駐車場を抜けてドバイモールへと入った。
ドバイは高級ホテルやプライベートビーチ、ブランドショップが数多くあり、富裕層が集まる世界都市である。それを象徴するのがドバイモールであって、この中には、世界各国で有名なブランドショップをはじめ、映画館・水族館やフードコートなど、数多くの施設がテナントとして入っている。
ドバイモールは、地下1階、グランドフロア、1,2階の4階建てであり、私たちはグランドフロアから入った。2階まで吹き抜けになっており、中央部分にはヤシの木が植えられていた。広い通路には、欧米の有名なブランドショップが並んでいる。GUCCIやLOUIS VUITTON、FENDIなどから、adidas、NIKE、PUMAといったスポーツショップまで、知っている店を挙げれば必ずあるというほどに何でも揃っている。持ち帰ったパンフレットを見ると、店はファッション系が一番多いことがわかった。私たちは行かなかったが、スケートリンクや映画館といった娯楽施設、地下一階には大きなスーパーマーケットまであるようだ。ここに来れば何でも出来てしまう。その他ジュエリーや化粧品、また子供向けの玩具店やゲームセンターもあり、家族で来る客も多い。ガイド氏によれば、ショップの数は200以上、従業員は12000人以上いるらしい。
モール内の人種構成を観察すると、モールに客として訪れる人は富裕層と思われるアラブ人と西洋人が多く、これに対して従業員は、中国やインド・パキスタンなどのアジア人がほとんどだった。世界の中のより富裕な部分の人々が優雅な消費を楽しみ、この人々が落とすカネが作り出す雇用機会を求めて経済力が豊かでない国から労働者が集まる、という世界都市の縮図を、このドバイモールははっきりと表明していた。とはいえ、外国人労働者の平均月収は1,000ディルハムと、国内の平均月収5,904ディルハムと比べるととても少ない。(出典:『プレジデント』2007年12月号)
モール内で、ムスリムでないであろう外国人でベールを被っている人はほとんど見かけず、肌の露出を控える様子もなかった。中東諸国の中でも厳格なイスラーム国家であるイランから移動してきた私たちには一層違いが顕著に感じられ、同じイスラーム国家とは思えない。植民地時代のイギリスの影響が強いこともあるのだろうか、この国は厳格なイスラーム国家ではないことがわかる。ガイド氏も、女性はベールをかぶる必要がないと仰っていた。飲酒も一般的に禁止されておらず、21歳以上の外国人はパスポートを見せればホテルで酒を飲むことが出来るという。国内で暮らす外国人のために、大きなスーパーマーケットやショッピングモールには、ひっそりと豚肉専門店と酒屋が存在するらしい。世界都市化を図るため、イスラームの原理を大きく妥協することもいとわないドバイの姿勢がみてとれる。
広いモール内を歩きながら、ガイド氏がまず案内してくれたのは水中動物園・水族館(Dubai aquarium)である。砂漠の中に存在するオアシスをイメージして作られたものだという。水中動物園には、魚やペンギン・ワニやヘビなど水中に生息する生き物や爬虫類が通路に沿って数多く展示されていた。水族館は、世界最大の水槽を持つことで有名である。ドバイにはとにかく「世界一」と称号がつくものが多い。トンネルの通路があり、天井部分が水槽になっていてとてもダイナミックである。出入り口は大きくないので外はあまり見えず、トンネルにはいった瞬間は海の中に潜ったような感覚を味わえた。小魚からエイ・サメなど、ここでもたくさんの種類の魚を鑑賞でき、気づけば私たちは周りの観光客と同じように楽しんでいた。
次に私たちは、世界最高の建築物であるブルジュカリファへと向かった。ドバイモール内からの連絡通路を歩き、展望台へと上がるエレベーターへ向かった。客は外国人の観光客ばかりである。
通路にはブルジュカリファ建設当初の写真や、建設工事従事者の集合写真が飾られていた。また、エレベーター前のエントランスにはブルジュカリファで象徴的ないくつかの数字が紹介されていた。「ビルの重さ500,000トン」、「使用されているガラスパネルの数28,601枚」、「耐えることができる風速198km/h」、「95km離れていてもビルが見える」などの表示が、ブルジュカリファの模型と共に示されていた。記念写真のサービスがあったので全員で写真を撮り、エレベーターへと向かった。
124階の展望台へ上がるエレベーターに乗り込むと、壁面が光り輝き、まるでワープするかのようなスピード感を感じさせながら上へと昇っていく。秒速18メートルの世界最速エレベーターは、アメリカのオーチス(OTIS)社製で、ほんの数十秒で452メートルの展望台フロアまでたどり着いた。建物の高さはまだこの2倍近くあるのだが、一般人が行けるのは、この高さまでである。東京のスカイツリーの展望台よりも、2mだけ高い。
フロア中央部には土産物などが置かれているショップがあるのみで、360度のドバイ市街の景色を見下ろすことが出来た。北東方向には私たちが船を降りたシャリジャーがうっすらと見えた。中層ビルが立ち並び、展望台から見るととても低く感じる。北にはペルシャ湾、西にはドバイの新市街が見渡せた。
とはいえ、建物は建て込んでおらず、建設中のビルや使われていない土地が目立つ。フロア内には昔の景観を閲覧できるモニターが設置されているので覗いてみると、かつてはどの方角も砂漠が広がるばかりである。何一つない広大な空間から、この世界都市が作りだされたのだ。
ブルジュカリファから近い距離には、際立って高層ビルが多い。先述した「ダウンタウン・ブルジュ・ドバイ」のエリア開発地域として建設が進んでいる一帯である。少し先に、低層の戸建て住宅が集まっている地区もあった。ここはUAE国民の為に建てられた公営住宅のようなもので、政府が建てて国民に無料で提供しているとガイド氏は仰っていた。ドバイは外国人比率が高いので、UAEの国民を優遇して人口を増やす取組を行なっている。UAE人同士の結婚の場合には200,000USドルを援助する制度もあるそうだ。また、人工水路やクリークで、イスラーム教の大事な要素である「水」をうまく取り入れていることが観察できた。
市街の展望を終えて、エレベーターで下に降りた。出口へと続く通路を歩いていると、建設に関わった人物の紹介がされていた。
投資家のイギリス人3人の名前と写真、建設を請け負ったサムスン物産のプロジェクトリーダーや役員の写真が貼られたパネルであった。イギリス人の写真の方が韓国人のものより少し大きく、パネル上部に目立つようになっていた。やはりイギリス人の影響力は未だ健在であり、それを誇示するように、パネルがデザインされているのだろう。
モール内で昼食休憩を取ることにし、私たちはフードコートへ向かった。とても広いスペースで、イタリアン、中華、和食など様々なジャンルのファストフード店がずらりと並んでいた。イランとは違い、KFCやマクドナルド・BURGER KINGなどのアメリカ企業もめだった。また、子供が遊ぶためのゲームセンターのような施設もその中に設置されており、家族連れも多かった。昼食時ではないにもかかわらず、フードコート内なかなか混雑していたが、席数がかなり多いため座席を探すのには苦労しなかった。食事の値段は日本とあまり変わらず、20ディルハム前後(500〜600円)だった。
ただ、1つ驚かされたのはドリンクの大きさである。私はLサイズのコーラを注文したのだが、1リットル程入るだろう容器になみなみに注がれて提供された。別の店で頼んだ友人も同じ量だったので、どうやらこれが普通らしい。アメリカ人は、日本人よりソフトドリンクの消費量がはるかに多い。飲食店もそれに合わせて、アメリカンサイズの容器で提供しているのだろう。アメリカの消費文化がグローバルに主導的役割を持つことを知って、それを積極的に取り入れていることが、ドバイ世界都市化への志向の顕われの一つであることは、いうまでもない。
続いて私たちが向かったのは、ブルジュカリファを西に進んだところに位置する新市街の一角、ドバイマリーナ(Dubai Marina)である。
ドバイマリーナに向かう道中で、外国人労働者の家が集まる地区を通り過ぎた。外国人労働者は、たいてい企業が住居を用意し提供したところに住んで管理されていて、外国人労働者の集住するスラム地区やホームレスの問題といったものは存在しない。外国人労働者の住居は、ドバイの町外れに多く立地するが、ここにも小規模のものがあるということだろう。通りがかりで見た限りでは、小ぎれいな建物だという印象を受けた。ちなみに写真は、通りがかった住居でなく、町はずれにある外国人労働者の住居である。
ドバイマリーナは新市街の象徴的なエリアで、新しい高層ビル群の中心に、海と繋がったクリークが掘り込まれている。クリークには富裕者のクルーザーやプライベートボートやレンタルボート・ヨットが浮かび、まわりにはおしゃれなカフェやベンチがならんでいて、優雅な雰囲気である。クルーザーやヨットを所有するほど富裕でなくとも、レンタルボートでマリーナを観光する機能も持っている。ガイド氏によると、この地区はほんの少し前まで砂漠で、この建設が始まったのは5年前だそうだ。だが既に、かなりの高さのビルが何棟も建っている。ドバイでは、建物が竣工する前から、印刷物だけの架空の状態のままで不動産取引が成立する。このため、相当の投機資金が流れ込めば、きわめて早いスピードで建設が進む。この関係を、マリーナ地区は実証している。
クリークの周りを歩いたのち、ペルシャ湾方面に再び移動し、パーム・ジュメイラ(Palm Jumeirah)へ向かった。これは、ドバイ政府所有の不動産デベロッパーであるナキール社が手がけたものである。こちらも、2001年に海を埋め立て始めてから5年で居住が始まっている。まさに、現代の滄桑の変である。海外セレブなどの富裕層が持つ別荘や、高級ホテルが立ち並ぶ、ペルシャ湾に突き出たヤシの木のような形をした人工島である。埋め立て地に入ると一本道になり、道沿いには高級マンションが並ぶ。木の幹から枝が生えるように16本の道が左右にあり、そこにはセレブの別荘とプライベートビーチが続く。
先端までたどり着くと、5つ星のアトランティスホテル(Atlantis Hotel)が堂々と城のように建っており、目の前にはペルシャ湾が広がる。私たちはここで一度車から降りた。広大な芝生にヤシの木が植えられていて、とても高級感がある。ホテルは真ん中がゲートのようにぽっかりと空いていて、左右に数百はあるだろう客室がある。ホテルに泊まらずに、目の前で写真を撮る観光客がたくさんおり、私たちもここで集合写真を撮った。ガイド氏は、私たちを案内しながら、「ここは、ツアーの中で一番イランの近くにいる場所だ」と私たちにいった。普段ガイド氏が案内する欧米人たちは、核開発疑惑のあるイランは危ない国だという意識が頭に刷り込まれているため、そう言われると「恐ろしい場所のすぐそばに来ているんだ」と、恐怖感を覚えるのだという。また、この、日本では一般にペルシャ湾と呼ばれている海であるが、アラビア民族であるUAEの国民は「アラビア湾」と呼ぶそうだ。日本海と東海の呼称争いのような、民族間の意地の張り合いのようなものが垣間見えた。
ホテルへの道中にブルジュアルアラブという三日月のような形をしたホテルとビーチに一度立ち寄った。ビーチでは西洋人が優雅に海水浴を楽しんでいた。また、道中に「Knowledge village」と呼ばれる広大な施設を通りかかった。ここには大学キャンパスや330座席ある講堂や商業オフィス、共有で使えるビジネスセンターなどがあり、見識・教養のある人材の教育を行っているという。
私たちは新市街の、アルバルシャ(Al Barsha)地区にあるホテルに到着した。歩いて5分ほどのところにエミレーツモールと呼ばれる、スキー場で知られるドバイで2番目に大きなショッピングモールがある。
午後6時半頃この日の巡検を終え、2日ぶりにホテルでゆっくりと休んだ。
(杉山 優平)