私たちが宿泊していたゲズントブルンネン地区は、ベルリンの中でも北東の位置にあ
り、その語源、ゲズント(健康)・ブルンネン(泉)からもわかるように、昔は温泉
のようなものがあり、ベルリン市民の保養地であるとともに、バルト海沿岸など、旧
東独北方地域からの鉄道が結節するベルリンの地区中心としても栄えた。、1945年以
降の東西分割では西ベルリンに属したが、東西の境界に近く、1961年に、ベルリンの
壁がゲズントブルンネン駅のすぐ東側に作られて東との交通が遮断されると、ゲズン
トブルンネンは、かつての商圏を失って西ベルリンの辺境地となり、中心性を失って
街は荒れていった。商業機能に代わって、安いアパートなどが多くなり、トルコなど
からのガストアルバイターなどが住みつきはじめた。
かつて西ベルリンは周りを全て東独に囲まれており、西ベルリン内の国電(Sバーン)
も全て東独国鉄(Deutsche Reichsbahn, DR)が運営していた。東独国鉄は、西ベルリン
内の運賃を、東ベルリン内よりもはるかに高く設定していた。つまり、東独政府は、
西ベルリン内での鉄道営業で、欧州最強の西ドイツマルクという外貨を獲得していた
のである。そこで、東独を拒否する西ベルリン市民の多くは国電をボイコットしてお
り、当然西ベルリンの国電駅前は発展しなかった。ゲズントブルンネン駅は、Sバーン
の小さな駅に落ちぶれていたのである。
東西統一後、ベルリンの壁がなくなって交通の遮断が解除されたことで、ゲズントブ
ルンネンの町は再び活気を取り戻してきた。もはや、Sバーンを市民が拒否する理由
はなくなり、ゲズントブルンネン駅は、SバーンのS41とS42というベルリンを一周する
日本でいう山手線のような路線、南北に地下鉄路線、そしてベルリンを発着する長距
離列車などが通る交通の結節点として、再び復興を遂げた。Sバーンは、今では東西の
国鉄が連結し民営化されたDB(Deutsche Bahn)グループの傘下のSバーン・ベル
リンが運行している。その車両は昔から変わらない山吹色とえんじの2色のボディ
ーである。駅前の広場には、ゲズントブルンネンが15年かけて町の活気を取り戻した
という「15年 ゲズントブルンネンツェンター」というモニュメントがあった。
駅前にできた総合ショッピングセンターは、日用品、家電用品、洋服店などのテナン
トが入っており、住民の日用的な商品が並ぶ。翌日このショッピングセンターを訪れ
る機会があったが、客が多くにぎわっており、再び活気を取り戻しつつあるゲズント
ブルンネンの姿がうかがえた。ショッピングセンター前の広場には、スカーフを巻い
たトルコ系と思われる女性や黒人男性が歩いている。かつてのガストアルバイターで
あったトルコ人などが今もまだ多くゲズントブルンネンに住んでおり、ベルリンのエ
スニック地区としての性格を今なお留めている。
8時38分発のRE(Regional Express)で、2つ目の駅エーベルスヴァルデ(Eberswalde
)へと向かう。通勤時間帯だが、ゲズントブルンネン駅にはあまり人がおらず、駅か
ら見える道路には車が渋滞を起こしているのが見えた。ベルリンの中心地からは少し
離れたゲズントブルンネンの人々は、電車ではなく車で通勤しているのかもしれない
。
ドイツの電車では自転車をそのまま電車に積み込むことができ、犬も電車に乗ること
ができる。改札はなく、各自が切符を買ってそのまま乗り込むことができる。Sバーン
やUバーンでは車掌が毎回チケットを見に来ることはあまりないが、たまに検札があり
、見つかると、ベルリンの場合60ユーロという高額の罰金をとられる。DB Deutsche
Bahn (German Railways)の都市間列車では車掌がチケットの確認に来る。この時にチ
ケットを持っていないと不正乗車とされ、やはり100ユーロ近くの罰金が科せられてし
まう。
基本的にはドイツ鉄道は時間が正確であるが、私たちの今回乗る電車は10分遅れでや
ってきた。ドアのボタンを押して電車の中に入ると、2階建てになっており、私たちの
乗った車両は1階部分が自転車を置けるスペースとなっていた。ドイツの電車では自転
車をそのまま電車に積み込むことができ、犬も電車に乗ることができる。近くにある
席は空いていなかったため、私たちは廊下のスペースに立って車窓観察をすることと
なった。
電車は北へと進んで行き、車窓から見える景色が変わってきた。旧西ベルリンの市域
を越え、旧東独地域、ブランデンブルク州へと入ったのだ。途中通過する駅も古びた
ものになり、レンガ造りの古い民家や社会主義住宅などが目に入るようになってきた
。農場は1農場当たり面積が広く、かつて国営農場だったようである。たまに、日曜菜
園として貸し出している小さい畑と小屋が目に付く。
9時15分、エーベルスヴァルデに到着した。エーベルスヴァルデ駅は、かつては大きな
駅で、プラットフォームには電光掲示ではないアナログ式の行き先表示板がそのまま
置いてあるなど、旧東独時代の遺産がそのまま残っていた。駅近くには旧東独国鉄の
車両工場もそのまま立っている。
駅では、今回のドイツ巡検のアポイントメントを行ってくださった、フォアポンメル
ン旅行サービス社社長シュマーガー(Michael Schmager)氏、今日私たちのために通
訳をしてくれるグライフスヴァルト大学英米学科3年生のヨハンソン(Tanja
Johannsson)さんが私たちを出迎えてくれた。シュマーガー氏の旅行会社は、日本人
へのガイドは初めてにもかかわらず、アポ取りやアレンジメント等に大変尽力してく
ださった。かつて社会主義時代の東独の旅行会社は国営であったが、市場主義化して
個人の旅行会社として運営をはじめた。個人経営を始めて20年ほどだが、私たちのよ
うな観光目的ではない視察のアレンジメントにもチャレンジするという経営努力を示
してくれた。
バスに乗って最初の訪問先、太陽光発電所のあるフィノウ(Finow)まで専用車に乗っ
て向かう。
エーベルスヴァルデは、今も旧東独時代の面影が色濃く残る地方都市である。
旧社会主義国に特有のトロリーバスもそのまま維持され、道路にはトロリーバスのた
めの架線が張り巡らされている。社会主義住宅は、外壁が明るい色に塗りなおしされ
ているが、建物は今も使っているようである。町の外見はきれいだが、人の姿はあま
り見られない。エーベルスヴァルデの街は市場主義化に伴う混乱で産業が衰退し、高
い失業率となっているとのことで、町に活気がなかった。
とはいえ、街には自動車の販売店が多く立ち並ぶ。ベルリン郊外ということからも、
住民の足として自動車の利用は高いのだろう。ドイツのフォルクスワーゲンはもちろ
んのこと、日本車のニッサン、トヨタ、三菱など、そしてチェコ車として有名なシュ
コダ(Skoda)の販売店もある。今はフォルクスワーゲンの子会社となってしまったが
、東欧では比較的有名であるため、ブランドとして残っているようだ。
9時45分、エーベルスヴァルデ・フィノウ飛行場(Flugplatz Eberswalde-Finow)に着
いた。ここに、私たちが視察を行う、ドイツ最大規模の太陽光発電所がある。現在こ
の発電所を運営しているアルティラ(Altira Renewables Management GmbH)の技術リ
ーダーのフィッシュバイン(Ralf Fischbein)氏が出迎えてくださり、さっそく、も
と軍事用の管制室であった塔に登って、ソーラーパネルを望みながら概説をしてくだ
さった。
エバースヴァルデ・フィノウ飛行場は、かつて軍事基地であり、ソ連軍が駐留してい
た。ソ連軍撤退後の現在は、北ベルリンにある民間商業空港として使用されており、
軽飛行機などを中心に2011年には約12000人ほどの輸送を行っている。しかし、こうし
た運用ためだけなら、かつての軍用飛行場ほどの広い土地は必要でない。そこで、敷
地を有効利用するため、敷地の一部に31万8000個のパネルを敷き、100MWの太陽光発電
を行なっている。もともと軍用飛行場であったということから、広大な土地があり、
周りに建物などが建っていないという環境が、太陽光発電にはぴったりだったのだろ
う。
もともとここで太陽光発電事業を始めたのはソーラーハイブリッド(Solarhyblid)と
いう会社であった。ところが、ドイツ政府の太陽光発電による電力買取価格の値下げ
や補助金値下げで2012年3月に倒産してしまい、その後を再生可能エネルギーなど成長
分野を中心に投資を行っているアルティラ社が引き継いだ。アルティラ社は、成長の
見込める分野などに投資をし、その利益を儲けとする、一種のベンチャー投資会社で
、本部はフランクフルトにある。
脱原発の決定における倫理の原理と、再生可能エネルギー促進策における経済原 理の矛盾ドイツでは、2000年に再生可能エネルギー法によって全量固定価格買取制度を導入し たが、これらの高い価格設定の買取料金や太陽光発電への補助金などは、家庭用電気 料金への上乗せや税金などの国民負担によってまかなわれた。補助金の追い風もあっ て、ドイツは今や世界随一の太陽光発電国家となったものの、それが逆に負担の増加 につながり、ここ数年で補助金の減少や買取価格の値下げなどが相次ぐようになった 。 この補助金引下げで、ドイツの太陽光発電は経済的にひきあわないようになった。皮 肉にも、2011年3月の福島原発事故を受けて世界でもいち早く脱原発へと舵を切ったド イツで、再生可能エネルギーが経済的に立ち行かなくなってしまっているのだ。ドイ ツでいち早く取り入れた、太陽光発電による電力の全量固定買取制度は、ドイツの国 内でその関連産業を育成することに失敗し、ドイツ国内で、太陽光発電会社ソーラー ハイブリットならびにパネルメーカーQセルの倒産を生んだ。太陽光パネルで大規模な シェアをつかんだのは、安い中国製品だった。 再生可能エネルギー代を拠出している国民にエネルギー政策の経済的負担が重くのし かかっている状況から、国民の中には、電力料金を上げるくらいなら原発の方がいい という声もでている。脱原発を進めていく政策決定をしたものの、それは経済原則を 必ずしも考慮しない倫理的原理に基づくものであった。一方、再生可能エネルギーの 生産については、あくまで経済原理の適用を行った。この矛盾した政策原理をとった ことのジレンマが露呈してしまったのである。 日本でも、今後の原発のあり方が議論されている中、太陽光発電による電力の買取が 始まった。だが、ドイツの先例を見る限り、今後の日本のエネルギー政策の将来図は 必ずしも明るくなく、「環境主導の経済成長」などは難しいように思える。 |
現在、フィノウの太陽光発電所では、新たな拡大などは計画されていない。だが、日 本の福島原発事故を受けて再生可能エネルギーへの需要が高まってきている中で、海 外進出やそのノウハウ売りなどに興味はあるという。
実際にパネルに近づいてみることができるということで、私たちはまず、飛行場にあ
る草の生えた丘のようなところに向かった。この「丘」は、人工の施設で、ソ連軍基
地だった時代には、ミグ戦闘機をしまっておいた格納庫なのだそうだ。草が生い茂っ
た丘のようにしか外から見えないのは、空爆を避けるためのカムフラージュである。
同じような丘に見える戦闘機収納庫が10基ほど残っていた。
土つきの急な斜面を登って、頂上の平地に出た。「丘」の上からは、大量のソーラー
パネルが一面にすべて同一方向を向いて並んでいるのが見える。ここにあるソーラー
パネルは、太陽の向きにあわせて動くタイプではなく、ずっと据え置きのものである
。このため、太陽が当たる時間が限られ、発電量に制限があるが、動くタイプのもの
はもっと高価だし、動かすこと自体にもエネルギーがかかる。パネルの支柱は1.5mほ
ど地面に埋め込んで固定しているそうだ。もと軍事用飛行場ということで、地表の状
態が様々であるため、コンクリートを流したりする工夫などもしているそうだ。
さらにソーラーパネルに近づいて、パネルを実際に触ることができた。私たちが見た
ものはサンテック(Suntech)と表示があり、中国のサンテックパワー社(尚梠セ陽能
電力有限公司)製のものだった。枠はアルミ製で、パネルの表面は触ってみると柔ら
かかった。
中国製のパネルが増えてきているのも、決め手はやはり価格が安いことである。その
品質はまだわからないそうだ。「20年もてばいいけど、どうかな」とフィッシュバイ
ン氏も苦笑ながらに語っていた。最近の問題は、太陽光発電パネルが盗まれることだ
という。これまでに80パネルも盗まれている。太陽光発電は広大な敷地を必要として
おり、置いてあるだけであるため、有刺鉄線やカメラなどのセキュリティーだけでは
防ぐことができない。1モジュール約12キログラム、約300ユーロほどのため、大掛か
りな盗みである。フィッシュバイン氏は、ポーランド人が盗んだのかもしれないと疑
っていた。もちろん、ポーランド人が犯人だという証拠は全くない。旧東独の人には
、いまだにポーランド人に対する差別の目が残っているのかもしれない。
最後に、並ぶパネルの間に建つコンバーターと変圧設備を見学させてもらった。白い
建物にはヒューズと整流器、変電機が並んでいる。960Vの直流で発電された電力を整
流器で直流から交流に直し、さらに変圧機で2万Vまで上げる。このフィノウの太陽光
発電所には44の変電施設と76のコンバーターがあるそうだ。この装置は、台湾製やス
ウェーデン製などの部品も使って、ドイツで組み立てられたそうだ。変圧などの重要
な機械はドイツ製のものを使っていた。定型で量産化できるソーラーパネルは中国製
のものを使い、変電関係の装置など高技術の必要なものは台湾・スウェーデン製など
のものを使うという、新国際分業のネットワークがこの発電所にも見てとれた。言葉
を変えれば、太陽光発電で最も大量に需要される装置であるソーラーパネルは、すで
に成熟技術の製品で、高賃金のドイツにもはや競争力はなく、太陽光発電を導入して
も、国内経済を成長させる波及効果は小さいということになる。
ソーラーパネルが実際に置いてある場所を歩いてみると、草が伸び放題になっている
。これは、管理が行き届いていないことのしるしではなく、ここにトカゲが卵を産ん
でおり、その生息地を守るためにわざと草を伸ばしてあるのだ。これを、エバースヴ
ァルデ大学の自然保護の学科が管理しているそうだ。大量の太陽光パネルによって覆
われて広い面積の植生が失われるというのは、太陽光発電に対してしばしばなされる
環境保護の立場からの批判である。この発電所では、植生ににも気を配っている様子
を示すことで、こうした批判に応えている姿勢を示そうということなのであろう。し
かしながら、太陽光パネルで影となった部分には、光が当たらないため草は生えてい
ない状況も見てとることができた。
アンクラムアンクラムとは「海に近い」という意味のスカンジナビア語であり、中世初期にスカ ンジナビア人やスラブ人の要塞都市として始まった。13世紀にはハンザ同盟の一都市 として外敵から土地を守り、貿易都市として栄えた。30年戦争によって衰退が始まり 、17世紀以降はスウェーデンによって支配されていた。19世紀初頭にプロイセン領と なり、東独時代にはソ連軍が駐留していた。 このアンクラムは飛行機の父として知られているオットー・リリエンタールの出身地 である。彼は鳥の飛び方を研究し、ハンググライダーをつくって有人飛行を試みたが 、残念ながら試験飛行中に墜落して死んでしまった。町にはリリエンタール博物館も ある。 |
私たちはさらにルブミンを目指して北上する。途中見受けられた風力発電の風車は、
根元を緑色に塗ってあるなど、景観への配慮もそれなりに見られた。またフィノウの
ものと同じように広大な敷地にひろがる太陽光発電所や、民家、さらには納屋のよう
な小さな小屋にまでソーラーパネルが着いている様子が観察された。再生可能エネル
ギーの普及の高さがわかる。
L262号線を、まずはルブミンの町を通り過ぎて、バルト海に面するEWN(Energiewerke Nord GmbH)に向かう。ルブミンはバルト海に面した海浜リゾートとして知られる、人 口2,000人、13.8km2の町で、南西には、より大きな中心地としてグライフ スヴァルトがある。かつてはここに、ソ連の技術を用いた東独国営(VEB)のグライフス ヴァルト原子力発電所が稼動していた。だが、1990年の東西ドイツの統一で、チェル ノブイリ事故が露呈したソ連製原発への不安から、1990年に廃炉が決定された。
私たちはまず、L262号線を、まずはルブミンの町を通り過ぎて、廃炉された原発の解
体をになっている企業EWN(Energiewerke Nord GmbH)の視察に向かった。道を進むと、
周りにタンクやトラックなどが並ぶ原発関連建物が間近に見えてきた。有刺鉄線が張
り巡らされ、厳しい警備の雰囲気である。15時ちょうどにEWN社に到着した。
受付は黄色い平屋で、正面に大きくENERGIEWERKE NORD GmbHと書いてある。ここには
人と車の入場をチェックする関門がある。かつてはここが、東独のエネルギーをにな
う国家戦略に位置づけられた発電所の入り口だったのだろう。だが今では、そばには
発電所にあったと思われるタービンや機械などがモニュメントのように置かれている
。廃炉となった原子炉ならではの展示である。
私たちはまず、受付・インフォメーションセンターに通された。受付には、燻製博物
館や動物園など、原発とは関係ない近くの観光施設のパンフレットがおいてある。か
つての戦略的発電所は、いまや、ほかの博物館のようにこの地域を回遊する一般観光
客の見学地のひとつとなったのだろう。インフォメーションセンターにはいると、原
子力発電に関する展示やEWNの業務に関しての展示、EWNのパノラマなどが数多く設置
されており、パンフレットも置いてある。訪問者を受け入れ、情報をわかりやすく開
示する設備がしっかりと整っていた。パンフレットは子供向けの冊子や、英語版のも
のもあり、外国人を含む幅広い市民に向けて情報開示がなされている。事前に見学申
請をせずにこの会社にぶらりと立ち寄っても、このインフォメーションセンターだけ
で、ドイツの原発廃炉作業の現況について十分情報が得られそうなほどの充実振りで
ある。
私たちは勿論、これらのEWNの業務や実態を、実際に自分たちの目で視察するために、 見学の事前予約を取っていた。受付で、見学申請していた名前の確認をパスポートで 行い、訪問者用名札をつけた。
まずはじめに、オルデンブルク(Gudrun Oldenburg)さんが私たちを出迎え、ENW社に
ついて簡単に説明してくださった。
EWN社は、放射性廃棄物の除染と原子力発電所の解体を行っている株式企業で、原子炉
解体・除染の他にも、使用済み核燃料の中間貯蔵・処理なども扱い、ドイツの放射性
廃棄物を一手に引き受けている。その前身は、旧東独が稼動していた国営グライフス
ヴァルト原子力発電所であった。1991年にEWNと改名、有限会社化し、さらに2000年に
は100%政府所有の株式会社化された。2014年には解体作業を終えることができると計
画されている。雇用者数は920人、プロジェクトの総額は41億ユーロで、2010年予算は
1億4100万ユーロ、2011年予算1億ユーロである。プロジェクトにかかる41億ユーロの
内訳は、30億が6号機の廃炉、6億がその他の原子炉の廃炉、5億が廃棄物の最終貯蔵と
なっている。
EWNグループには、旧グライフスヴァルト原子力発電所の解体・廃炉、除染、中間貯蔵
を行っているEWNグループの本部の他にも、ラインスベルグ(Rheinsberg)の原発の解
体・廃炉を行うEWN GmbHや、原子炉の解体や移送などを中心に扱うAVR GmbH、原子力
設備の除染・加工・廃棄を中心に行うWAK GmbH、放射能汚染物質の保管に関して計画
・建設・管理を行うDBEなどがある。最近は、ロシア北部艦隊の原子力潜水艦の廃棄事
業をムルマンスクで行うなど、経営の多角化・多国籍化も徐々に進めている。
EWNでは、再利用できる素材は工業分野などでのリサイクルを進めている。180万トン の旧グライフスヴァルト原子炉の廃棄物がどのように分別されていくかをみていくと 、
まずカテゴリー1として「汚染されていないもの」が123万5000トン、カテゴリー2、3
に「汚染の疑いがあるもの」として56万5000トンと分けられる。カテゴリー2、3がさ
らに6つに分類され、A.規制なく発電所から持ち出しできるもの、B.規制つきで持ち出
しできるもの、C.定型的な廃棄物として処理できるもの、D. A〜Cに至るまで貯蔵処理
されるもの、E.他の核設備に再利用できるもの、 F.放射性廃棄物として処理される
もの、とされる。この分類の結果、Fの最終的に放射性廃棄物として処理されるものは
、たったの1万6000トンにすぎなくなるという。このような体系性ある原発廃棄物の分
別処理のやりかたは、さすがドイツに特有の論理性の底力と感心させられる。ただし
、最終処分場で処分する放射性廃棄物の具体的な最終処分場は、日本と同様にまだ決
まっていない。ルブミンの中間貯蔵施設が実質的な最終処分場になってしまう不安も
ある。
EWNは、政府が所有する唯一の核処理をする会社として、放射性廃棄物処理を安全に行 い、公共の最終貯蔵に関してもその計画・調整に焦点を当てている。かつての東独国 有原発では、原子力発電所を安全に稼動させることがその使命であったが、現在のEWN にかわっても、原子炉の解体・除染という業務内容の「安全、効率、責任」という使 命は変わらない、とオルデンブルクさんは強調された。
EWNのCEOが私たちの質問に答えてくれるとのことだったが、あいにく体調が悪くなっ
てしまったとのことで、代わりにラムトゥン(Jurgen Ramthun)氏が対応してくだ
さった。
EWNの使命は、東独時代の国有原発の「原子力発電所を運転する」という任務から、ド
イツ統一後、あまりにも急に、そして短期間にその使命が変わってしまった。雇用者
数は約5,500人から約5分の1に減少した。しかしEWNが、東独時代の労働者を辞めさせ
て新たに別の人を雇い入れるのではなく、それまで原子力発電所の稼動を支えてきた
人々を、一部であれそのまま雇用し続けたことで、それまでのノウハウを生かすこと
ができた。これがEWNの特徴だという。
業務の大幅な変化に伴って重視したのは、従業員の信頼関係を守りながら事業をすす めたこと、そして、状況に応じ計画を段階的に修正していったことである、という。 原子炉の解体・除染が進められたさい、現場の従業員たちは、東独時代とは根本的に 異なる仕事に不安もあったようだが、その使命は安全に稼動させることから、安全に 除染することに変わったにすぎない、と説得を重ねたという。1ステップ1ステップが 手探りであったが、試行錯誤の中で、廃棄物を一つ一つ切って運ぶよりもそのまま持 ち込んで運び、それから切って除染したほうが効率的であることなど、新しいノウハ ウを見つけ、技術革新を重ねた。 私たちは、「御社はこのようなすばらしいノウハウをもっておられる。福島の原子力 発電所事故を受けて世界的に原子炉解体・除染のノウハウへの需要が高まるのではな いか。ならば、これをビジネスチャンスに、この事業を世界的に拡大するつもりはな いのか」という質問をした。これに対しラムトゥン氏は、「EWNはあくまでも政府所有 の企業であり、その使命は母国ドイツの除染にある。したがって他のヨーロッパに対 して支援をしたりもしているが、解体・除染事業を多国籍企業のように拡大する計画 はない。」と返答された。もっとも、実際には、ロシアの原子力潜水艦の廃棄処理で 、海外に事業を拡大しているが、これを大規模に行う計画は今のところ無い、という ことであろう。海外に進出した場合、各国の事業内容が違うことも問題の一つである ようだ。特に福島の原子炉など特殊な事例には、このEWNのもつテンプレートが必ずし も使えるとは限らない。さらにこのノウハウをライセンス化して売ったりしないのか 、という問いに対しても、特許がとれていないが、この技術はあまりに複雑なため、 とても盗まれるようなものではないとおっしゃっていた。
やはり株を100%政府が所有している企業で、ドイツ国民の税金を使って事業を行っているため、利益を上げて海外に進出していこうという積極的姿勢には乏しいのだろう。出た利益は、将来の企業発展のため内部留保するのではなく、政府に戻しているそうだ。
私たちは、今回EWNを訪問する前に、「日本の原子力発電所事故を受けて原子炉の解体・除染事業が世界各国で需要の高まりをみせていくであろう。そしてその技術・ノウハウをもつ企業が世界的に事業展開していくチャンスではないか」と考えた。そしてその先駆者としてEWNが挙げられるのではないか、と予想していたため、利益を出さずに事業拡大もしないというEWNの政府系企業に特有の姿勢には少々戸惑いを覚えた。解体のプロセスや民営化のプロセスなど、特殊なノウハウを必要とする分野では、それを持つ企業が競争優位を獲得する。今回の原子炉の解体・除染技術も、世界にはフランスのアレバ社などごく少数の企業しかもっていないから、いうまでもなく世界的にユニークで、国際競争力をもつ事業であるはずなのだ。せっかくのビジネスチャンスがありながら、政府所有の企業だから海外進出は考えていないという消極的姿勢に、私たちは「もったいない」と感じずにはいられなかった。
次に私たちは、実際に6号機原子炉を視察しに行くこととなった。6号機に到着し、建
物に入る。建物はコンクリート製で、特に特徴のない茶色の長方形の建物である。建
物の入り口付近にはVE Kombinat Kernkraftwerke “Bruno Leuschner” Greifswaldと
書かれた小屋がある。この東独時代の運営組織の名前を書いた看板がそのまま残って
いた。また、6号機内部の壁や装置などに、ところどころロシア語で書かれているもの
も見られた。
この原子力発電所の5号機、6号機は、5号機が試運転をしていたのみで、実際に稼動さ れたことはないため、他の1,2号機、3,4号機の建物に比べてきれいである。とりわけ6 号機は、建設されたものの、1回も使用されることなく廃炉になってしまったため、放 射能に全く汚染されていない。よって、その安全性が保障されているので、2000年から一般に公開されており、原子炉を間近で見られる貴重な展示物となっている。この建物の5号機、6号機は5号機が試運転をしていたのみで、実際に稼動されたことはないため、他の1,2号機、3,4号機の建物に比べてきれいである。
6号機に入るとヘルメットをかぶる必要があるが、放射能汚染の心配はないため防護服
などは着る必要がない。安全なため、この6号機視察は近隣の学校なども学校行事で行
っているようで、子供用の6号機の案内パンフレットが置いてあった。カメラやメモ帳
なども自由に持ち込める。中はきれいで、順路にそって白いテープが床に張ってある
。一応の安全のため、コンクリートからは離れているよう注意された。
@センサールーム
通路を進み、まず始めに入った部屋はセンサールームで、たくさんの細い管と目盛り
が見られる。センサールームでは、第1サーキットの水の圧力が管理される。大量の水
がステンレスでできたパイプやバルブを通じてセンサールームの計測機器を通る。ど
こかで第1サーキットに漏れが生じると圧力が変わるため、圧力が一定に保たれるよう
管理される。
A原子炉
階段を下り、原子炉底部のほうへ降りていく。そこに直接原子炉が置いてあるのでは
なく、部屋の中央にある原子炉の周りを分厚いコンクリート壁で覆ってある。このコ
ンクリート壁は原子炉の放射線から守るためのもので、厚さは4mにもなり、バイオロ
ジカルシールディングと呼ばれている。そしてそのコンク
リートには、ケーブルを通す穴と、ケーブルを巻き取る装置が見られる。これは、原
子炉内の核分裂を制御するために中性子束を測定ための装置である。
原子炉内部の熱生成は、ウランの核分裂の数に左右される。高密度の中性子が連鎖反 応の制御に重要であり、中性子束は原子炉活動に比例している。原子炉の周りにある 24のイオン化チェンバーによって中性子束の量や変化率(原子炉ペリオド)が電子的 に記録され、中央管理室に表示される。中性子の数と連鎖反応が管理できていないと メルトダウンを起こしてしまうため、この中性子束の測定が重要である。
イオン化チェンバーが通るチューブにはガスが充満されており、このチューブによっ
てイオン化チェンバーを中核地帯の正しい計測位置に持っていくことができる。原子
炉内部の中性子束を測定することは放射能の危険があるため、このように厚さ4mのコ
ンクリートで原子炉を覆い、イオン化チェンバーを使って遠隔的に測定をするのであ
る。
B気閘、ポンプ室
次のポンプ室に行くために通路を通り、階段を上る。途中、分厚く頑丈そうな、青い
扉を通った。この扉は気閘(Airlock)と呼ばれる。原子力発電所の制御地区は外気に
比べて気圧が低くなっているらしく、第1冷却水の通る主要部分へは気閘を通らなけれ
ばならない。
次に入った部屋には、中央に原子炉、回りにたくさんのパイプや装置が置かれている
。原子炉内で熱された第1サーキットの水は循環パイプを通って蒸気発生器へと行き、
第2サーキットの水へ熱交換が行われる。熱交換後に第1サーキットの水を冷やして原
子炉へ戻すために6つの循環ポンプがある。ポンプ室では、原子炉の回りを囲むように
6つポンプが置かれていた。しかし今では最後の1個のポンプのみが置いてあり、5つは
チェコの原子力発電所に運ばれて、そこで使われているそうである。かつて同じ東欧
社会主義国でやはりソ連の技術を導入したチェコの原発には、このポンプがうまく合
うのであろう。原子力発電所を廃炉する際に、まだ装置として使えるものは再利用を
進めることはわかる。だが、結局、他の国において、ドイツと変わらず危険なはずの
原子力発電を延命させる役割をこの廃炉工程がはたすという、NIMBY的発想に、複雑な
思いがした。
私たちは、原子炉も実際にのぞくことができた。銀色に光る原子炉内には制御棒が見
えた。建設されたものの1回も使われなかったため、6号機の特殊性によって、このよ
うに原子炉をのぞくことができたのは、大変興味深かった。
C蒸気発生器
最後に通路を進んだ先にあった蒸気発生器では、5,536本の熱交換パイプによって、第
1サーキットと第2サーキットが互いに密閉されたまま熱交換を行うことができる。こ
のダブルユニットデザインによって、タービンを回す第2サーキットの水が放射能汚染
されず、タービン自体も汚染されずにすむため、解体したあと、タービンは他の産業
への再利用が進められているそうだ。
また順路途中には、放射線に人体が汚染されていないか計測する機械も展示されてい
た。この計測ではアルファ線、ベータ線、ガンマ線、さらに中性子線を測ることがで
きる。さらには貯蔵庫などに入る際の防護服も展示されており、ヘルメット、防護服
、靴にさらにオーバーシューズをはく姿などが展示されていた。
このような本格的な見学用の模擬原子力発電設備がわざわざ作られることはない。だ が、この6号機の場合は、その稀な歴史によって、改めて本物の原子力発電所を、放射 能の危険性なく見られる貴重な機会がつくられた。ただし、ここにはチェルノブイリ などの原発事故による被害の展示はなく、原子力の平和的利用の歴史を伝えるものな ど科学的中立な展示が中心になっていた。原発反対を訴えるイデオロギッシュなアピ ールが目的ではなく、ソ連の技術をドイツが受け入れた、東独時代の負の遺産を粛々 と展示しているにすぎないようだ。そして、この原発はソ連製で、自国のエネルギー 政策の機密ではないところから、一般公開してもよい、という判断があったのかもし れない。
6号機視察にあまり時間が割けなかったため、足早の視察であったが、改めて本物の原 子力発電所を、放射能の危険性なく見られた貴重な機会であったと感じることができ た。
それにしても、今回のEWNのインタビューと視察から、20年前に廃炉が決まった原発でまだ解体・除染作業が延々と続けられているのを見て、原発の責任の重さを思い知った。原発は、火力発電より効率が良く、二酸化炭素排出も少なくて済むといわれるが、その放射線の危険性と廃炉の処理には、気の遠くなるほどの時間とコストがかかる。原子力を用いて発電するという今の私たちのエネルギー政策の決定は、自分たちだけで責任を取れるものではなく、次の世代にまで責任を押し付けるものなのだ。廃炉から20年たっても解体・除染作業の終わらない原発を見て、改めて原子力発電のあり方について考えずにはいられなかった。
17時30分に私たちはEWNを後にし、専用車でルブミンのホテル・ゼーブリュッケ
(Hotel Seebrucke)に向かった。今回私たちがこのホテルに宿泊を決めたのは、ゼミ
の事前学習でみたNHKの番組「脱原発に揺れる町」がルブミンを取上げ、原発や放射性
廃棄物の中間貯蔵施設のイメージから、海辺の観光リゾートとして有名なルブミンで
観光業が打撃を受けているという話をこのホテルの女将さんが語っていたからである
。ところが、私たちは4ヶ月ほど前から予約を試みたにもかかわらず、客が多く、一部
満員で断られてしまった。その後キャンセルも出なかったため、ゼミのメンバー全員
がこのゼーブリュッケに泊まることはできず、分宿しなければならなかった。予約で
部屋が満室ということからみても、夏にはなかなか繁盛しているようだ。
ゼーブリュッケは、目の前すぐにバルト海がひろがり、ルブミンの観光アトラクショ
ンの一つでホテルの名前となった桟橋も目の前である。ホテルの佇まいは、海岸沿い
のペンションのようで、小奇麗なブルーの木造立てである。ホテルの入り口はレスト
ランになっていて、レストランだけの利用もできる。1階部分の部屋はバルコニーから
直接海に出ることもできるようになっており、海に遊びに行って、そのまま部屋のシ
ャワーを浴びることができる。海に訪れる観光客が客の中心なのであろう。
まず私たちは、夕飯をホテル・ゼーブリュッケでいただいた。かぼちゃのスープ、イ
ェーガーシュニッツェル(狩人風カツ)、アプリコットケーキにワンドリンクで1人お
よそ12?であった。メインの付け合せはマッシュポテト、ベイクドポテト、カリフラワ
ーなどの野菜盛り合わせと量が多く、イェーガーシュニッツェルはマッシュルームソ
ースをかけていただいた。イェーガーとはドイツ語で狩人の意味で、きのこソースを
かけるのが特徴である。ヴィーナーシュニッツェルと比べると肉厚でボリューム満点
であった。どれもおいしくいただいた。
夕飯後の19時半より、分宿したもう一つのホテルであるホテル・アムパーク(Hotel
Am Park)で、ルブミンの地域経済、観光産業についてお話をうかがう懇談会が開かれ
た。この懇談会には、ルブミン名誉町長のフォイクト氏(Axel Voigt)、ルブミン商
工観光協会代表、暖房・衛生関係の企業を経営しているハンケ(Marco Hanke)氏、保
養ならびに観光行政の代表であり、私たちの通訳として同行してくれたターニャさん
の姉であるヨハンソン(Denise Johannsson)氏、他に地元新聞記者の方なども同席す
る、錚々たるメンバーが出席してくれた。
質疑応答、最後に観光産業についての話が行われ、夜の22時過ぎまで続く大変内容の
濃い懇談会となった。飲み物やおつまみなどはルブミンの方々のほうで準備していた
だき、大変豪華な会であった。
まずはフォイクトさんから、ルブミンの自治体行政と地域経済について、概要の説明 があった。
ルブミンはフォアポンメルン地区に属し、一つで独自の行政単位ではなく、周辺の9つのコミュニティーを合わせて1万1000人の自治体となっている。法人税や事業税、固定資産税などが市町村レベルでは重要な収入となっており、事業者が増えることで税収が増えて自治体が潤うため、企業誘致を積極的にしている。また、清掃業務や教育など一部の分野では事務組合のようなものを形成しており、公共セクターの果たす役割はいまだに大きい。ルブミンはビーチリゾートによる観光と、幼稚園や学校・病院・ホテルなどのインフラの充実といった強みをもち、人口が増えているが、これ以上土地がなく、拡大は難しい。
こういった強みの逆として、やはりルブミンは原発というネガティブなイメージを持 つという。観光においてライバルとなっている町は、ルブミンの南東に15km程度離れ 、同じくバルト海に面したビーチリゾートのクレスリン(Kroslin)である。
ルブミンでは住民の足となる公共交通はあまり整っておらず、路線バスがあるのみな ので、自動車が重要な交通手段になっているため、各家庭では2台ずつくらい自動車を もっている。
≪原発の遺産と地域経済発展≫
続いてフォイクトさんは、ルブミンの地域経済成長政策における原発跡地としての強 みを説明された。
ルブミンの観光に原発の負の遺産が影を落としているといわれるが、悪い面だけでは ない。かつて原子力発電所があったことで、道路、工業用鉄道、工業港、高圧電線な どのインフラが整っており、さらに東独時代は、原発コンビナートに、高い技術を 持った熟練工が数多く集積していた。このためルブミンでは、統一後、熟練技術を生 かした産業が発達してきているそうだ。例えば、ドイツの重機多国籍企業、リープヘア(Liebherr)の溶接工程が立地している。また、風車関連産業がある。ルブミン沖に風車をたてるプロジェクトがも進んでおり、風車の土台をつくったり、船が風車にぶつからないような防衛システムをつくったりと環境技術の分野で成長しているという。このような熟練労働力の強みをいかすことで、ルブミンでは、失業率2.5%というきわめて低い水準が達成されている。多くの他の旧東独地域では、インフラ整備の遅れなどから企業が誘致できず、税収が得られないため更にインフラ整備が進まず、更に企業は来ないという負の連鎖に陥っているが、ルブミンは、東独時代に原子力発電のため重点的に整備されたインフラと熟練工のおかげで、このような負の連鎖に陥らずに済んでいる。また、海浜リゾートで過ごしやすいところから、ルブミンに住んでいる人々は、グライフスヴァルトの企業トップや医者など、近隣の都市で働く高い地位・高所得の人々も多い。こうしたところから、もっとルブミン自体の地域経済を盛んにしていきたいとフォイクトさんは期待を膨らませていた。
さらに地域経済の成長を目指すために、ルブミンは2つの強みをもつとフォイクトさん はいう。工業港をもっていることと、ロシアからの海底ガスパイプライン、ノルドス トリームの終点となっていることだ。特にガスパイプラインは、ロシアから、ポーラ ンドやウクライナなど陸上を経由することなく、バルト海底を通って直接ガスが供給 されており、天然ガスの輸送量は年間550億立方メートルにもなる。ここでルブミンが ガスを使って取れる戦略は2通りある。ガスをそのまま売るか、発電して売るかという ものだ。後者は、ガスを用いてルブミンに火力発電所を誘致するというものであるが、ロシアがきちんとガスを供給し続けてくれるかどうかという政治的な問題が絡む。ガス供給が止まると発電施設などの固定資本を遊ばせておくしかなくなってしまうから、民間は参入しにくいだろう、という。発電所をつくって工業化をすすめたいが、ドイツのエネルギー政策はますますロシア頼みになってきている。それはルブミンだけの問題ではなく、ドイツ全体の問題である、とフォイクトさんは困り顔で語った。東独時代の政治経験が長いフォイクトさんが、かえって、ソ連の後継国であるロシアに不信の念をあらわにし、ロシアに対しナイーブともとれるドイツ連邦政府を批判的にみているようだ。ここに、東独時代に苦しんだソ連の覇権から脱することができたこの地区のドイツ人が抱く複雑な思いが垣間見えた。
≪再生可能エネルギー≫
ルブミンでは、海上風力発電のサポート事業が進んでいる。そこで私たちは、脱原発 と再生可能エネルギーについてうかがった。まず、フォイクトさんは、原発はいずれ 全て廃炉になり、再生可能エネルギーにシフトしていくとの一般的な方針を述べられ た。ドイツは、2011年の脱原発の決定に伴って、電力を他のEU諸国から輸入し始めた が、輸入元のうち隣のフランスは、電力の70%以上が原発によるものである。これで は、ドイツ自身は脱原発を達成しても間接的に原発依存をしていることに変わりない ではないか、と問うてみた。すると、再生可能エネルギーが発達するまでは難しい問 題であるが、周りの国も脱原発していき、いずれは再生可能エネルギーによる電力に なっていくだろう、だが、原発を0%にすると決定したのではなく、再生エネルギーの 比率を将来的に高めていこうとしているのである、と語ってくれた。ただし、フォイ クトさんは個人的な見解として、太陽光発電は非効率であるため賛成しかねるともお っしゃっていた。
《観光業》
最後に、原発跡地というマイナスイメージで観光業は打撃を受け、観光中心の地域経 済が衰退しているという、研究室での事前学習で見たNHKの報道番組の内容を現地で確 認すべく、観光業について尋ねた。
ルブミンには、5月から9月にかけて7000人ほどが観光に訪れる。ルブミンは、ロマン
ティック街道のような旧西独の観光地のようにはその到達範囲が広くなく、ほと
んどが国内旅行客である。海外からでは、近隣のポーランドやスロベニア、スウェー
デン、アメリカなどから訪れるという。今のところ観光資源はバルト海のリゾートの
みである。だが、エネルギーツアーが人々をひきつける潜在的な力をもっているため
、町として、来年辺りから、この新しい観光資源も押し出していく計画だそうだ。具
体的な内容は、私たちが昼に見たEWNの原発関連の見学や、ノルドストリームのガスパ
イプライン関連、海上風力発電関連、などであるそうだ。ルブミンの抱える原発跡地
という負の側面を、逆に観光産業として生かしていこうとしているようである。
特に日本の福島原発事故を受けて、ドイツでの原子炉廃炉や再生可能エネルギー開発 について現地で学ぼうとする人々に、このようなエネルギーツアーは関心を呼ぶので はないだろうか、と私たちは考えた。フィノウの太陽光発電所と合わせれば、ベルリ ンから一泊二日で、グローバルな到達範囲をもつ視察ツアーを組むことができ、観光 業のビジネスチャンスが広がる可能性が大いにある。風評被害を嘆くのではなく、こ の逆境をオルタナティブ・ツアーの資源に活用して観光客誘致につなげれば、地域経 済が発展する。旧東独・ルブミンの人々も、社会主義経済が崩壊して20年経過した今 、自らがもつ市場における競争のポテンシャルをしたたかに自覚しはじめている。原 発⇒風評被害⇒観光客減少⇒地域経済衰退、というのは、地域住民を受け身にとらえ る、あまりにステレオタイプ的なNHKの報道姿勢だと感じた。
ルブミンを訪れるまで、私たちは、原発を地域経済における負の要素としてしか考え られなかった。しかし、実際にルブミンを視察し、話をうかがうと、逆にそれまでの 原発によるインフラを生かして他産業分野に上手く成長機会を見出したり、原発がル ブミンに定着させた熟練工をうまく地域経済発展の競争力として使うなど、新たなビ ジネスにチャレンジするルブミンのしたたかな姿勢がうかびあがってきた。このよう な意味で、旧東独のこの地では、社会主義計画経済から市場経済へという転換が、着 実に進んでいるのであろう。
本日は、ドイツの太陽光発電と旧原子力発電所の視察をすることができ、貴重なエネ ルギー政策の勉強の機会となった。今日、日本でもエネルギー政策が議論されており 、原子力発電所の危険性や再生可能エネルギーへの関心が高まってきている。ドイツ は再生可能エネルギーの先進国である。そこでは、原子力発電所の解体・廃炉事業が 進むとともに、エネルギー政策を新たな観光資源とする地域成長戦略がはじまろうと している。現実を肌で知るために、世界からもっとたくさんのエネルギーツアー客が 視察に来れば、自分の目で見、自分の肌で感じることをつうじて、一層エネルギー政 策への考察も深まるのではないか、と感じられた。
2012年度のゼミ巡検は良いスタートとなり、これからの日程を楽しみにしながら初 日の巡検を終えた。
(坂本 彩 / 吉田 達郎)