2011年8月29日 タウポ

国家主導の産業政策の遺産:
原料地立地のコンビナート型ベニヤ板工場

この日私たちは、まず午前中、キンリース(Kinleith)にある、 カーター・ホルト・ハーベイ(Carter Holt Harvey)社 のベニヤ板工場を視察した。

8時にホテルを出ると、空は曇っており肌寒い上に霧が濃く、数百メートル先すらほとんど見えない。 私たちは、昨日のトレッキングの時にこの天気でなくて良かったと、幸運に感謝するばかりであった。

タウポからキンリースまでは、車で5号線と1号線を通って1時間ほどかかる。交通量はそれほど多くなく、 車はたまにすれ違う程度である。ホテルを出発して5分ほどで郊外になり、家はほとんど見えなくなった。 牧場が広がり、針葉樹の林も見られ、一部植林されているものもあった。

途中、ワイラケイ(Wairakei)川を渡った。橋のところだけ道幅が狭まり、車が一台通れるほどの広さであった。 ニュージーランドでは、農村部の人口密度は低く、 交通量が少ないので、こうして、一車線の橋にすることで橋建設の費用を節約したのである。

カーター・ホルト・ハーベイ社は、現在イギリスのランク(Rank)グループが資本を所有している。

植民地時代以来長い間、ニュージーランドでは、大きな政府が主導して産業化やインフラ整備を進める政治が為されてきた。 ベニヤ板工場は、国の一次産品を高付加価値化する政策の下、1960年代にForest Companyという国営企業が建てて国が経営してきた。 このベニヤ板工場の隣には、同じくCarter Holt Harvey社の経営する製紙工場も立地しており、これも国営だった。 木材という一次産品を高付加価値化するという経済政策のもとに、 それらを空間的に集積させて集積の利益を獲得するため、政府がこのような産業配置を行ったと考えられる(写真)。

ところが、1984年に発足したデビット・ロンギ(David Lange)政権の財務大臣ロジャー・ダグラス(Roger Douglas)によって始められた、 「ロジャーノミクス」と呼ばれるネオリベラリズムの経済政策によって、電力、通信、金融など様々な分野が民営化され、 そのほとんどの分野にアメリカを中心とした外資が進出してきた。 この工場も、この政策によって民営化された。

工場視察後に伺った工場長のお話によれば、まず、開拓初期からのニュージーランドの国策会社であるチャレンジ・コーポレーション(Challenge Corporation)、 フレッチャー・ホールディングス(Fletcher Holdings)などが合併して誕生したフレッチャー・チャレンジ(Fletcher Challenge) というパルプ製造や油田探査を行っている民間会社が運営した (FUNDING UIVERSE)。 その後、アメリカ資本の インターナショナル・ペーパー(International Paper) という巨大多国籍企業の手に渡る。だが、これによって利益は海外に流失し、失業率が増加し、 貧富の格差が拡大するなど国内経済は大きなダメージを受けてしまった。

その反省から、近年は、国内企業がそれらの外資から買い戻しをするケースが増えてきている。 このベニヤ板工場は、近年になって、英国系のカーター・ホルト・ハーベイ社が買収し、現在に至っている。 英国系の会社は、ニュージーランドの仲間うち、ということなのだろう。


《ハイテクに改造して、末永く使われる機械――ほとんどは、英連邦か欧州製》

敷地に入ると、工場の横に鉄道引き込み線が工場内部にのびており、 オークランド(Auckland)など北島の主要都市と工場を繋いでいる。原料や製品の輸送に使用されているのであろう。 貨車が停まっていることや、レールが錆びていないことから、現在でも使用されており、鉄道が物流を担っていると分かる。 工場の敷地内には、丸太や角材などが至る所に積まれ、運搬に使われる台車が2台連結されたトレーラーも停まっていた。 ベニヤ板工場や隣の製紙工場からはもくもくと蒸気が上がっている。

私たちは、まずレセプションに通され、受付をすると共に、さっそく工場内の視察に赴いた。 危険防止のために防塵眼鏡や耳栓などを渡され、 機械には触れないこと、決められた所だけを歩くことなどの注意を受けた。

大学キャンパスの立て看でおなじみのベニヤ板は、木材の丸太を大根の 桂むき のように薄く剥き、できた薄板を何枚か貼り合わせることで作られる。単に木を伐採して製材しただけでは作ることができず、 工程が多いため、比較的高付加価値の製品といえる。 原料である木材は全てニュージーランド北島から持ってきたものだという。 ベニヤ板は、原料が重く、製品にすると軽くなり、しかも積み重ねて出荷できるので、原料地志向の立地をする。

ベニヤ板ができるまでのこの工場の工程は、次のようなものである。

まず、原料の丸太を12時間ほど蒸す(左写真)。こうすると剥きやすくなるのだそうだ。 その後、8フィート(2.45m)、9フィート (2.75m)の長さに丸太をカットする(中央写真)。 そして、レーザーで丸太の形や太さなどを測定し、 そのデータに基づいて、丸太を大根の桂むきのように剥いて薄い板状にする(右写真)。

こうしてできた板を決められた大きさにカットし、何枚もの薄い板にする(左写真)。 ここで、穴が空いているなどの不良品は、人の手によって取り除かれる(中央写真)。 こうしてできた薄い板同士を、糊で貼り合わせて、規格通りの大きさにカットする。糊は、 この工場内の独自のノウハウで作る自家製を使用しており、原料の小麦粉やソーダ灰(無水炭酸ナトリウム)などが、工場内に山積みされていた(右写真)。

最後に、人の手によって、汚れている部分があれば塗料で隠して綺麗にし、製品としての付加価値を高める。 こうして完成したベニヤ板は、品質ごとに分別して包装・出荷され、住宅の建材や立て看板など、さまざまな用途に使用される。

なお、皮や残った丸太、製品として使えない廃材などは、薪や、隣にある製紙工場で燃料として使われるという。 さらに、丸太を剥いたあとに残った芯に関しても、製品を積む際の仕分け棒として再利用されている。 このように、原料の木材を余すことなく全て有効活用している様子が見られる。

これらの生産のため工場内で使われている機械は、おそらく国営時代からの長い間使われた貫禄あるものが多く、 生産国は、イギリスやカナダなど英連邦諸国のもの、もしくは技術力の優れたドイツ製などばかりであった。 ベニヤ板工場の中核となる工程を担う丸太を剥く機械は、カナダ製である。 近年では、水の温度を計るカメラや、木材の形を分析するレーザーなど、機械にハイテクな改良が数多く施されているが、 それらもカナダや英国産ばかりで、この工場内で私たちが見つけることができた日本の機械といえば、 川崎重工業 のフォークリフトのみであった。こうしたところから、国営工場の時代以来続いている、ニュージーランドの産業と英連邦との関係性の強さを見てとれる。

また、このように、近年は機械のハイテク化が進んでいるため、工場内には従業員の姿はそれほど多く見られなかった。 この工場では約200人が働いており、12時間シフト、2交代制で24時間操業がされている。 上述したように、彼らの仕事は、不良品を排除する、汚れを綺麗にするなどのまだまだ機械では難しい細かい作業に限られている。 ベニヤ板生産というと、在来産業と考えられがちだが、予想以上にハイテク化が進んでいることに驚かされた。 木材を加工する作業のため、木の粉塵などの発生があるが、 工場内を歩いても気にならず、労働環境を維持する努力はきちんとなされている印象であった。(右写真)


《近隣諸国に限定された、製品のマーケット》

工場見学を終えた私たちは、工場長であるイアン・ポッター(Ian Potter)さんのお話を伺うことができた。

主要なマーケットはニュージーランド、オーストラリア、太平洋諸島で、日本や中国向けにはあまり作っていないという。


この点は、積極的に日本などのアジア市場に進出している乳業会社 フォンテラ と異なる点である。製品輸出先が近隣諸国のみであるのは、それほどの大きな工場を建設するほどの投資力が無いことや、 マーケティング不足などの理由も考えられるが、一番の理由としては、資源の問題があるだろう。 アジアには日本、中国など巨大なマーケットがある。それらの需要を満たそうとすると、ニュージーランドの木材が全て無くなってしまう恐れがある。 そのためにこの程度の輸出に留まっているのであろう。

ポッター工場長はまた、かつての国営企業が民営化され、外資に売り払われたあと再び英国系企業に買い戻される過程をたどった、 ネオリベラリズムの経済政策への反省についても私たちに語ってくださった。 (上記参照)



歴史の古いもと国営地熱発電所は、
民営化され豪資本の経営に

ベニヤ板工場を後にした私たちは、元来た道を引き返した。途中、蒸気を上げる大きなパイプラインが数本走っているのが見えた。 世界で二番目にできた歴史をもつ、ワイラケイ地熱発電所のパイプラインである。

今回、私たちはこのワイラケイ地熱発電所にはアポを取っていなかった上に、”no tour”(視察は受け入れない)との看板が道端に建てられていた。 しかし、無理を承知で事務所まで行き、せめて資料だけでもくれないか受付でお願いしてみた。 すると、単なる観光客ならダメだが、教育関係の団体ならよいと言って、 なんとアポ無しで発電所内の視察を受け入れてくださることになったのである。

日本では、このような状況ではまず視察を許可してもらえないだろう。 ニュージーランドでは、こういった面でのCSRがかなり発展しており、 現地の判断によりフレキシブルな対応をしてもらえる場合がある。 私たちは、その開放的な企業の姿勢に大いに感謝した。

火山を発電エネルギーに活用するニュージーランド、活用しない日本

ニュージーランドは、日本と同じように火山国で、そのエネルギーを利用した地熱発電が盛んな国である。 ニュージーランドにおける2008年の一次エネルギーの構成をみると、 天然ガスが約23%、石炭、石油が共に約19%、水力が約12%で、地熱や太陽光などの再生可能エネルギーが約17%となっている (International Energy Agency) 。そして、ニュージーランドには原子力発電所が無い。

一方、原子力に依存してきた日本では、再生可能エネルギーの開発は遅れており、 2010年度の一次エネルギー全体に占める再生可能エネルギーの割合はわずか3.2%、うち地熱は0.5%しかなかった (資源エネルギー庁エネルギー白書2011)。

硫黄の臭いが漂うワイラケイ地熱発電所の広大な敷地内には、何本ものパイプラインや高圧線が張り巡らされている。 私たちは、まず、レセプションに通された。ここには操業開始を報道する新聞記事などが貼られており、歴史とプライドを感じさせる。 まずは、ここで今回案内してくださるケリン・ブロックバンク(Kerin Brockbank)さんから、 硫化水素を吸い込む危険があるので窪地には行かない、機械には触れないなどの諸注意を受けた。

まず、このワイラケイ地熱発電所の歴史について説明をしていただいた。 ワイラケイ地熱発電所は、1958年に国営地熱発電所として操業を開始した。 これは、1913年に操業を開始したイタリアのラルデレロ(Larderello)地熱発電所に次ぐ世界で2番目に古い地熱発電所である。 この地に地熱発電所が建設された理由として、地熱が大量に発生すること、 冷却水として使用する大量の水がワイカト(Waikato)川から得られることが挙げられる。

その後、ネオリベラリズムの政策によって、この発電所は1996年に民営化され、オーストラリアの オリジンエナジー(Origin Energy)が51%出資する コンタクト(Contact) という民間会社により運営されることになった。

発送電分離

ネオリベラリズムのもとで、ニュージーランドは、最近日本でも話題になってきた発送電分離の方式を取っている。 「発送電分離」とは、発電と送電を垂直分割して、それぞれ別会社に担当させる方式のことである。 電力事業においては、送電部門でネットワークに範囲の経済が強く働き、自然独占になってしまう傾向がある。 しかし、発電部門はそうではなく、通常の市場競争の原理が働きうる。 そこで、発電部門を独立させて競争を起こし、電力業の効率化を図ることが考えられた。 しかし、電力供給の一体性が失われてバランスのとれた設備の編成が維持し難くなり、電力供給が不安定化するとの批判もある。

ブロックバンクさんによると、コンタクト社は、発電だけでなく、電力販売も行っているという。 しかし、コンタクト社は送電設備を保有していないため、発電した電力を他の送電会社に売り、 その送電ネットワークを通って電力を送った後、その電力を送電会社から買い戻し、顧客に売るシステムを取っている。


《地熱発電の原理: 汲み上げた熱水の高圧蒸気でタービンを回す》

地下からポンプで汲み上げられた熱水の蒸気は、発電所から5kmほど離れた場所からパイプラインで運ばれ、コンデンサーによって凝縮される。 この蒸気の圧力を強めてタービンに噴射し、タービンを回して発電する。(図はGNSでいだたいた資料より)


現在、このワイラケイ地熱発電所では、9機のタービンによって1日160kwが発電される。 発電が済んで温度が下がった蒸気は、以前、温水となってワイラケイ川に垂れ流されていた。 ところが、この水には砒素などの有害物質も含まれていたため、環境問題になった。 そこで、現在はバクテリアを使った浄化装置を使うことで、綺麗な水に戻す努力がされているという。

さらに近年では、バイナリーサイクル発電という新たな地熱発電技術が開発されて使われている。 これは、イソペンタンという、沸点が水より低く熱交換の効率が高い有機液体を使用して、汲み上げた蒸気を熱交換し、 従来よりも低い温度の熱水でも発電できるようにしたものである。しかも、従来よりも小規模の設備で発電でき、 空気で冷却するため、大量の冷却水を使用しなくて済む。発電所を小型化できるので、自然への影響が少ない。 このような効率のよさがこのバイナリーサイクル発電の利点として挙げられるという。 このワイラケイ発電所の敷地内にも、2006年に建てられたというバイナリー方式をとった設備があり、1日15kw発電している。 今後はますますこの効率の良い発電方式が広まっていくようだ。 ただし、イソペンタン自体は有害物質なので、一切装置の外部に出さない配慮が求められる。


《装備されている発電機とタービンは、英国製》

一通りの説明を受けた私たちは、提供されたヘルメットをかぶって実際に発電所を視察することになった。発電所の中に人は見当たらず、基本的に自動化されている。

旧型となり今は使われていないコントロールルームにはいると、さまざまなメーターがあり、それぞれの発電機の発電量や電圧などを見ることができるようになっている。


発電所内部にはいると、そこは騒音が大きく、防音用のヘッドセットを着用するよう促された。タービンは赤や青などで塗装されており、様々な配管が通っている。 発電所で使われている機械は、私たちが確認できたものは全てイギリス製で、タービンはBritish Thomson-Houston社、 発電機はAssociated Electrical Industries社の製品が使われていた。 ベニヤ板工場で見た機械もそうであったが、かつてニュージーランド経済は、英本国はじめ英連邦の工業製品の市場となっていたことが、改めてわかる。 1973年にイギリスがECに加盟して以降、アジアとの関係が強まっていったが、それ以前のニュージーランドにおいて、 英本国や他の英連邦諸国の工業技術への依存は顕著であった。 これらの発電機は1961年に製造されており、その頃に導入されたものであろう。 このように、発電所などで使用されている機械などからもニュージーランド経済の特徴を見ることができ、非常に興味深い。

そばには、かつて使われていたタービンが錆びた状態で置かれていた。硫黄分などを含んだ蒸気を吹き付けるので、タービンの傷みが激しいのかもしれない。 タービンを交換しながら英国製の発電機は末永く使われているということであろう。


《地熱発電は環境に優しい? ―― 傷つけられた緑の景観、放棄された熱水井》

次に私たちは、車で、蒸気を汲み出す井戸に案内された。斜面をパイプが走っている様子や、 それらのパイプから湯気が上がっている様子が良く見える。地中から高熱の蒸気を汲み出す井戸の数は多く、 それぞれには番号が振られている。(左写真は発電所内の井戸の分布) 私たちが車を停めて見たものには68という番号が書かれており(中央写真)、地下700メートルから蒸気を汲み出しているそうだ。 (右図は井戸の垂直図:GNSでいだたいた資料より)

一部はフェンスに囲まれていて、使用されていなかった。それらは、汲み出すうちに十分な気圧の蒸気が出てこなくなったものだという。 つまり、地熱発電は、地熱を直接利用するのではなく、地熱で熱せられた地下水の蒸気圧力を利用するので、 熱水が枯渇したり、その圧力が減じたりしないよう、絶えず新しい井戸を掘っていかなければ持続しない。 井戸を掘り続けてももはや気圧が十分な蒸気が得られなくなれば、その場所での地熱発電は終わりとなる。 地熱発電は再生可能エネルギーだと言われるが、 こうした様子を見ると、地熱発電も完全な再生可能エネルギーといえないのではないかという疑問がわく光景だった。

最後に、高台に設けられた展望所から発電所全体を見回した。 広大な敷地に蒸気を上げるパイプラインが蛇のようにうねうねと曲がりくねっている様子が良く見える。 これらは、森林を切り開いて作られたものであり、もし今の日本で同じような地熱発電所を建設するとなると、 山岳景観の破壊として反対運動が起こることは容易に想像できる。

地熱発電は、再生可能であること、二酸化炭素などの排出が少ないこと、太陽光発電などと違って天候に左右されないこと、24時間発電可能であることなどが利点で、 環境に優しい未来の発電技術とされてきた。しかし、無機質なパイプラインが至る所を走っている光景は、 お世辞にも美しい緑の自然景観とマッチしていない。 圧力が減ると次々と新しい熱水井を掘り続けなければならない状況であるし、 地中から汲み上げた熱水の水蒸気に含まれる有害物質は、きちんと処理しない限り川に垂れ流しとなって環境を汚染する。

原子力発電が反省されて以降、日本では良い面ばかりが強調される地熱発電であるが、 解決しなければならない環境問題をいくつも抱えていることがこの視察を通してわかった。


独立行政法人の地質学・核科学研究所で、地熱開発について話を伺う

私たちは次に、発電所から5分ほどの距離にある GNS(地質学・核科学研究所、Institute of Geological and Nuclear Science) にやってきた。グレグ・ビグノール(Greg Bignall)博士から、地熱発電について、より専門的な情報を得るためである。(写真はGNSホームページより)

施設は平屋建てであまり大きな建物ではなく、駐車場には15台ほどの車が停まっていた。

GNS

GNSとは、ネオリベラリズムの流れによって、1991年に国の機関であるDSIR(産業科学研究省、Department of Scientific Industrial Research) がいくつかの組織に分割された際に作られた機関の一つで、現在はCRI (Crown Research Institute)という、 日本でいう独立行政法人にあたる組織になっている。地熱に関する研究だけでなく、地震や、鉱物など幅広く研究を行っている。 収入源は、政府補助が48%、 GeoNet という地震や火山の監視システムの利用料収入から15%、スポンサーからの収入が37%となっている。 ワイラケイの他にも、ウェリントン、ダニーデンに事務所がある。 GNS全体で約390名が働き、このうちワイラケイでは約75名の職員によって主に地熱の研究がなされている。

具体的な研究テーマは、化学を用いて地下資源の分析や、環境への影響に関するモニタリングを行う(左図)、 地質学を用いて岩石や地層の研究から、Leapfrog Geothermalという地層を3Dで分析できるシステムに役立て、新たな井戸となる場所を特定する(中央図)、 地球物理学とGISを用いて、地下の電流の流れやすさから地下の構造を識別する(右図)、などであり、 これらを通して、ニュージーランドの地熱産業と自然環境の調和・地熱産業の更なる発展の支援を行なっている。

今回私たちに説明してくださったビグノール博士は、地熱部門のチームリーダーであり、2001年から2003年まで東北大学で、 新エネルギー・産業技術開発機構(NEDO) の研究に参加した。このため、日本とニュージーランドの地熱発電を取り巻く環境の違い、 現在の日本が抱える問題点などについても造詣が深い。


《国家主導で始まった地熱発電など、地熱産業は北島に集中》

まずは、ニュージーランドの地熱全般についてお話を伺った。

ニュージーランドでは、太平洋プレートがオーストラリアプレートの下に沈み込んでいる(左図)。 そのため、地震が多く、地熱が大量に発生するという、日本とよく似た地質学的特徴を持っている。 北島と南島を比較すると、北島では90度以上の高温の熱水が出る場所が多く、南島では低温の熱水しか出ない(右図)。 そのため、北島に地熱を利用した産業が多く立地している。 特に、タウポ周辺は、タウポ火山地帯となっており、地熱発電所や温泉など地熱を利用した産業が集積している。

こういった地熱産業に必要な要素は、地熱そのものだけでなく、蒸気となる水の供給である。 いくら地熱が大量に発生する場所でも、気候が乾燥していて地中に水の供給がなければ蒸気が得られない。 そのため、地熱発電をする地帯には、汲み上げても枯渇しないだけの十分な降水量が必要である。 全土が西岸海洋性気候に属しているニュージーランドは、この条件を満たしているといえる。

次に、ニュージーランドでの、地熱発電の歴史について話を伺った。ニュージーランドで地熱発電所が建設されたきっかけは、 第二次世界大戦の際、ニュージーランド兵がイタリア北部で地熱発電所を見たことである。 彼らは、帰国後、ニュージーランドでも同じような発電所が作れないかと考え、ワイラケイでの地熱発電所建設につながった。 ところが、イタリアでは蒸気のみが噴出していたのに、ワイラケイでは蒸気と共に熱水も噴出してきた。 熱水を発電に使用すると発電機器が壊れてしまうため、熱水と蒸気を分離するセパレーターが必要になった。 その開発に携わったのがGNSの前身DSIRである。DSIRは、他にも様々な側面からニュージーランドの地熱発電所の建設、発展に関する技術開発に貢献してきた。 私たちは、ニュージーランドの地熱発電が、午前中に視察したベニア板工場同様、国家主導の開発政策で進んできたことを知った。

国内の電源構成に占める地熱発電の割合は、ワイラケイ地熱発電所の成功以後急増し、1964年には約12%とピークとなる。 その後、水力発電、火力発電の割合が増え、一時は4%に下がるも、1988年にオハキ地熱発電所ができると再び上昇し、現在は約10%となっている。 将来的には、これを20%にする目標を掲げている。 なお、上述したようにニュージーランドには原子力発電所が無く、放射性物質とは無縁で安全な発電方法を採用している。


《熱水のリサイクル利用などで、効率的な資源活用を研究・実行》

お話は、地熱利用に関わる技術革新にうつった。

地熱発電は、単純に井戸を掘って蒸気を取り出せばできるものではない。 地熱で発電するには十分な温度の蒸気が必要である。従来の発電方法では、250℃ほどの高温の蒸気が必要であったため、 発電所を建設できる場所は限られていた。だが、2000年過ぎからバイナリー発電という新技術を取り入れたため、 150℃ほどの蒸気で十分発電できるようになった。これによって開発は一層進んでいった。 このバイナリー発電技術の開発は、地熱エネルギーの効率的な利用を可能にした。

まず、在来技術による発電で使用した後の蒸気を使用してもう一度発電ができるようになった。 つまり、250℃ほどで取り出した蒸気を使ってまず従来の発電方法で発電し、 その後、150℃ほどになった蒸気を使ってバイナリー方式でもう一度発電する。

そして、発電に使ったあとの熱をさらに他の産業で利用する技術も開発された。 発電で使用されて100℃ほど下がった蒸気と熱水を、例えば、野菜の温室栽培や、マンションの暖房用の熱に3次利用し、 さらに、50℃ほどになった温水を魚の養殖場で4次利用する。そして、最終的に20℃ほどになった水は、 砒素などの有害物質を含んでいるため、川に流すのではなく、再び地中に戻す。 このように、有害物質を出すことなく、地熱エネルギーをそれぞれの温度に適した産業で使用し、 使用後はそれをさらに他の産業でも使用する。このように、エネルギーを無駄なく使う、 とても効率の良いサイクルがニュージーランドで開発されていることを、博士は説明してくださった。

同じ火山国である日本は、地熱利用が温泉に特化し、それが強い既得権益をもっていて、 他の利用形態の開発が遅れているため、このような何段にも及ぶ地熱のリサイクル技術が発達しない。 今後の日本経済の戦略的成長分野が環境技術にあると説く論者がいるが、社会的制約のため、 地熱利用のような重要な環境技術でも日本が立ち遅れをみせているのではないか、という危惧が頭をよぎった。


《ニュージーランドで地熱発電を進める社会的制約: 国立公園とマオリ族》

もちろん、ニュージーランドにも、地熱開発に対する社会的制約がないわけではない。 その一つが、前日のトンガリロ国立公園のトレッキングで視察した温泉のような、 マオリが土地自然に抱く民族的伝統との葛藤である。 マオリ族との融和を目指している現在のニュージーランド政府としては、そういった場所を開発するわけにはいかない。

第二に、国立公園区域に指定されているために開発が制限されている場所がある。 地熱発電に適した高温の蒸気が多く取れるタウポ火山地帯だけでも、少なくとも9か所はそういった理由で保護されて開発ができない場所があるという。 日本も、これまで国立公園内では地熱発電の開発ができなかった。この点では、日本も似た状況となっている。

第一の制約について、電力会社では、マオリ族の伝統との融和を図るさまざまの方策を考えて、乗り越えるよう努めている。 ビグノール博士はモカイ(Mokai)地熱発電所の例をあげて説明してくださった。 モカイはワイラケイから北西に10kmほどの所にある町である。 モカイ地熱発電所は、マオリ族の土地所有者と、白人が経営する トゥアロパキ(Tuaropaki)電力会社 が共同で開発し、初めてマオリ族によって所有された地熱発電所で、現在は110メガワットを発電している。 発電で使用された後の温水は、温室での野菜栽培に使われている。 これまでは社会的理由から使うことが出来なかったマオリ族の土地自然を白人資本が共同開発し、 電力会社側は、これまでは使えなかったエネルギーを使えるようになった。 それが、地熱のリサイクル利用技術によって他の産業の発展を刺激して地域経済が成長し、マオリ族側の雇用が増大した。 白人資本とマオリ族とが、win-winの関係で共存・共栄していることになる。

日本で、地熱利用をめぐって葛藤しがちな発電と温泉が共存していく際のヒントになりそうな興味深い話である。 だがその場合は、温泉に関係する人々も十分に信頼できる地熱リサイクル技術の存在がその前提となるであろう。


《新しい井戸を! そしてもっと深く!: 現在の研究課題》

現在、ビグノール博士が行っている仕事は、新たな井戸となる場所を特定し、企業にその情報を提供することである。 化学や地質学などを駆使して新たな井戸となる場所を特定する。 この情報提供料は、1つの穴ごとに約NZ$600万だそうだ。

さらに、地熱発電の未来についても説明してくださった。現在の技術では、地中3.5kmまでしか掘ることができない。 だがそこでは、250−300℃の蒸気しか得られないため、得られるエネルギーも限られてくる。 現在は、さらに地中深く、具体的には7−8kmまで掘れる技術を開発中である。 もし、この深さまで掘ることができれば、約400℃の蒸気を取り出すことができるという。 それはすなわち、得られる地熱エネルギーが増えることを意味する。 もし、この技術開発に成功し、普及されれば、地熱だけでニュージーランド全体のエネルギー需要を賄うこともできるそうだ。 現在この研究は、ビクトリア(Victoria)大学、オークランド大学などとの共同研究であるFRST Research Programmeとして進行中である。


《日本で地熱発電を進める難しさ: 島弧型地形と集約的な温泉利用》

ビグノール博士は、日本での在外研究経験があるところから、日本とニュージーランドの地熱発電をめぐる状況の違いについても述べていただいた。

まず、日本とニュージーランドでは、そもそも地熱システムが違うのだそうだ。 ニュージーランドは大陸型の地熱システムであり、地熱はフラットで広大な土地にひろがり、 しかも地表に近いところでも高い温度の蒸気を取り出すことができる。 一方、日本は島弧形の地熱システムで、マグマによって熱せられた蒸気は、火山の下から地表に向かって上がってくる。 そのため、温度の高い蒸気は火山の斜面から取り出さなくてはいけないのでとても難しい。

ニュージーランドでは、地熱発電が盛んになったことによって、温泉が増え、観光という新たな産業が発展してきたという。 しかし日本では、温泉が地熱利用として発電よりも先行しており、無数の温泉旅館・ホテルが既得権益者として存在している。

このような状況に対して、ビグノール博士は、地熱発電と温泉が共存していくことが地熱発電の発展にとって重要だと指摘された。 温水を取りつづけることによって温泉が枯れてしまうのではないかという疑問に対しては、 確かに、温水を取りつづけると温度は低下していくが、 取る量が適正であれば枯渇することはないし、取るのをやめると再び温度が上昇していくと反論された。


《小型で作りやすくなったバイナリー方式の地熱発電所》

一通りの話を聞いた私たちに、博士は、バイナリー方式による発電所であるテフカ(Te Huka)発電所(20メガワット)に隣接した、 熱水井の掘削現場を案内してくださった。 テフカ発電所のすぐ横には湯気を上げる井戸が見えたが、この井戸は枯れかかっているそうだ。

テフカ発電所は、先ほどのワイラケイ発電所と比べると規模が小さく、パイプラインも少なく、 固定施設が縦横無尽に走っていたワイラケイ発電所と比較すると非常にすっきりしている。 バイナリー方式は温度の低い蒸気で発電できるという利点があるが、それだけでなく、 用地も少なくて済むため、景観もそれほど大きくは破壊しないで済むようだ。 バイナリー方式の発電所はこのように多くの利点があるため今後のさらなる普及の可能性を感じた。

熱水井の掘削は、 mB Century というニュージーランドの会社によって行われていた。更地となった場所には導管などの資材が積まれ、 30mほどの高さがあると思われる大きなボーリングマシーンがそびえ立って掘削が行われていた。 現在、このボーリングマシーンでは3kmほどの深さまで掘ることができるという。 ビグノールさんによると、この土地は、かつては農場だったが、掘削が終了したら井戸だけを残して残りは元の農地に戻すことになっているのだそうだ。 開発後には125メガワットを発電する計画だという。

日本の地熱発電発展の方向性: いかに各地の温泉組合を説得するか?

日本はニュージーランドと同じ火山国であるので、その地下熱資源を発電に活用しない手はない。 日本では、東日本大震災による東京電力の福島第一原発事故の影響を受けて、脱原発・再生可能エネルギーの開発が叫ばれるようになった。 そのような中での有効な選択肢の一つが地熱発電だろう。GNSでの話から、日本で地熱発電所が発展しない理由として、 温泉という既得権益のプレゼンスが高いということ、国立公園があるため開発が制限されていることの2点がわかった。

日本の「 温泉法 」という法律には、温泉の使用に知事の許可が必要と明記されている(第3条)。 地中の熱水利用は温泉法にふれるので、日本で地熱発電開発の計画があれば、まず知事から温泉掘削許可を取る必要がある。 ところが温泉法は、「…申請に係る掘削が温泉のゆう出量、温度又は成分に影響を及ぼすと認めるとき」(第5条第1項)にはこの許可をしないでよいと定めている。 つまり知事は、既得権者である地元の温泉組合の意向を無視できず、地熱発電所が熱水を取りつづけることによって温泉が枯れてしまう、 湯温が低下してしまうなどの危惧から地元温泉組合が反対運動を起こせば、許可はまず絶望となり、地熱発電所は建設できない。

実際に、群馬県の嬬恋村で計画された地熱発電所に対して、 草津温泉を抱える隣接の草津町が猛反対をして建設を中止に追い込んだという事例がある( 日経BP )。このほか、九州の黒川温泉や雲仙、東海の下呂温泉、北海道の定山渓温泉など、全国各地の温泉地で、 温泉組合や旅館組合が中心となり、地熱発電所建設反対運動が繰り広げられている。

たしかに、日本の温泉地では、各旅館やホテルがそれぞれに内湯を引いて大浴場を設けるのが伝統なので、 地下の熱水に対する需要が膨大であり、万が一にも地熱発電所が温泉の湧出量などに影響が及べば、 これらの旅館にとって死活問題となる。 そして、温泉組合は、一般に、これらの旅館等の経営者により組織されている。

とはいえ、発電・工業に使用する地熱蒸気は、温度が高すぎて入浴用の温泉には使えない。 現在の日本の温泉地では、それらは捨てられている現状がある。これは、貴重な熱エネルギー資源の無駄遣いであるといえる。 こういったことから、最近では、温泉を保護する温泉法や、国立公園を保護する自然公園法を改正して、 地熱発電所を建設できるようにすることはできないか検討する委員会を環境省が設置する( 産経ニュース )動きがみられるようになった。

そうは言っても、現行の温泉法があるかぎり、最終的には、各地の温泉組合に地熱発電所建設を納得させなくてはならない。 GNSで聞いたように、ニュージーランドでは、地熱発電所とその他の産業が協力して地熱を利用している。 今後は、日本でも、例えば、熱水を取りつづけることで温泉が枯渇するという温泉組合の反対に対して、 取水を適正量に抑えることで半永久的に利用可能であるとして納得させることや、地熱を共同利用にすればコストを抑えられる、 温泉には適さない高温の蒸気を使用するだけなので直接的な資源の奪い合いにはならず、 共存が可能であるなど、客観的な科学的根拠に基づいた説得の努力が求められるだろう。



開拓史観の、タウポ博物館

GNSでお話を伺い、視察を終えた私たちは、車で市街地の外れにある タウポ(Taupo)博物館 にやってきた。この博物館は10時から16時30分まで開館している。入場料はNZ$5で、一部展示を除いて写真撮影も可能である。

建物は比較的新しく、看板には、タウポ市民は身分証を見せると入場無料になる旨が記載されている。 また、日曜日の14時から1時間、”Echoing Footsteps”というガイド付きのツアーが行われているようで、その宣伝もされていた。

中に入ると、中央にはマオリの集会所の展示がある。靴を脱げば内部にも入ることができるが、内部の写真撮影は禁止となっている。 ただ、このマオリ集会所の展示には、なぜかヨーロッパ文化であるソファーが置かれており、違和感を覚えた。

向かって左側には火山のコーナーがある。そこでは、1991年に、トンガリロ国立公園内にあるルアペフ(Ruapehu)山が噴火した際の写真や、 カルデラ湖であるタウポ湖の紹介などがされている。 それによると、26,500年前のオルアヌイ(Oruanui)噴火という巨大噴火によって大量の噴出物が放出され、 火山の中が空洞化し、その影響で山が潰れてカルデラ湖のタウポ湖ができた。その後、1,800年前の噴火を最後に、 それ以降は大きな噴火は起きていないという。カルデラの代表として、阿蘇山も紹介されていた。

そのそばには、タウポ地区の歴史に関する展示がある。まず、マオリとパケハ(白人)が接触するところから説明が始まる。 それによると、初めてパケハがタウポにやってきた時、タウポ湖周辺には1,600から3,200人のマオリ民族が住んでいた。 北島中央部の重要性を認識したイギリス政府は、 1869年に北島の大部分を調査、道路と電信を整備し、その後、イギリス政府がこれらの土地を買ったという。(写真は開拓村落であるオペペ(Opepe)の地図)

開拓当時は橋が無かったため、船でタウポ湖やその周辺の川を横断していたので、道路だけでなく水路も非常に重要であった。 1857年のタウポ湖とその周辺の川の地図(左写真)や1870年のタウポ湖の写真(右写真)などが展示されていた。

また、大きなスペースを割いて林業に関する展示がされていた。 木材の伐採・加工は、長年にわたりタウポの重要な産業であった。 開拓時代、人々はのこぎりや斧を手にして、自分の足で少しずつ土地を切り開いていき、 森林鉄道の線路を敷くための軌道敷を整備していった。森林鉄道が敷かれると、 それによってニュージーランド各地に木材が運び出されていった。 森林鉄道の模型(左写真)が展示されており、切り出された丸太が蒸気機関車に牽かれ、 何両にも連なって運ばれていく様子が表現されている。(中央写真は機関車の絵、右写真は木材を輸送する様子)

説明によると、この森林鉄道は、木の運搬だけでなく、現場で働く人の輸送や、児童・生徒の通学手段としても使用されていたそうだ。 しかし、事故が起こっても鉄道側は一切責任を負わず補償もしないという条件であった(左写真はその注意書き)。

展示の中には、開拓者が当時使用していた仕事道具や日用品なども展示されていて、当時の人々の生活を垣間見せている。 一貫したテーマは、イギリス人たちがこの地に入植し、開拓のため辛苦の歴史を刻んだ足跡を記録し展示する、というものであった。

やがてタウポ湖は、林業の町から観光地、保養地としての性格も持つように変わっていった。 JOLLYという、1920年代にオークランドに住んでいた家族の小型のボートが展示されていた。 彼(女)らはタウポに別荘を持っており、このボートもバカンス用のものである。

入り口から向かって右側には、アートギャラリーがあった。 展示内容は季節によって変わり、私たちが視察した時は、ニュージーランドの画家マリアン・マグワイア(Marian Maguire)によって描かれたギリシャ神話の英雄、 ヘラクレスの絵が展示されていた(写真はタウポ博物館ホームページより)。それらの絵は、ヘラクレスが未開の地にやってきて、 猛獣を倒し、農業を始めるなどの様子を描いたもので、ニュージーランド開拓の歴史をヘラクレスで表現しているように感じられる。 さらに、アートギャラリーの奥には、地元の子供が描いた絵が飾られていた。

タウポ博物館は、1階のみの小さな博物館である。この博物館では、イギリス人がこの地にやってきて以降の、 林業と余暇行動を中心として町が発展してきた様子を主に展示している。 これらの展示に一貫したライトモティーフは、開拓史観である。 それに基づいて、イギリス人の血と汗の結晶とみなされる開拓の努力を観覧者にアピールしている。 そして、ヘラクレスの展示は、その性格を象徴的に描写している。

猛獣が住むような未開の地にヘラクレスという英雄がヨーロッパの文化を持ちこみ、農業などを通して町を発展させていく。 イギリス人がこの地に来たことによって、先進的な文化が持ち込まれ、未開のマオリは啓蒙され、 経済と社会が成長して、白人は立派にその責務を果たしたのだ、ということを主張するためにこの博物館は作られたのであろう。 日本にも、同じように開拓史観に基づいた展示をしている博物館として、札幌郊外の 北海道開拓記念館 がある。いずれも、先住民の紹介やその抑圧の経験は脇に追いやられ、 征服した開拓者がやってきてからの歴史を誇らしげに伝える博物館である。



お湯に浸かるだけで物足りない個室型温泉施設――集約的でない温泉利用

博物館を視察した後、私たちは、昨日のトレッキングの際にガイドから紹介してもらった温泉に入ることにした。紹介してもらった Taupo DeBretts は、タウポ市街地の外れ、ヒルトンホテルの横にある。ここには、温泉の他にも、ウォータースライダーを備えたプールや、 バスケットボールなどができるスポーツ施設、BBQ場などを擁する複合的観光スポットになっている。

市街地から離れているため、タクシーでやってきた私たちは、駐車場のすぐ横にある小屋で受付をした。 受付から温泉に向かう道は薄暗く、途中にはマオリの伝統的な彫刻や門などが立っている。


温泉といっても、日本人なら期待しそうな温泉大浴場のような施設は無い。 共同温泉は、水着着用が必須の、水泳プールのようになっている。家族連れなどのために10室ほど個室の温泉もあって、 私たちは水着を用意していなかったため個室を借りて入った。値段は一人NZ$12である。 マオリ工芸風の彫刻の口から流れ出てくるお湯は、37〜42℃と部屋によって温度が異なる。 中には小さな脱衣スペースと2×5m程度の浴槽があるのみで、体を洗うスペースは一切ない。 浴槽の中には段差があり、水深が1m以上あるところもあって、日本のようにゆっくりと座ってくつろぐスタイルではない。 ただ、家族連れなどで賑わっており、個室は半分以上埋まっていた。 共同温泉にも何人か見られたので、それなりに人気のある観光施設ではあるようだ。 しかし、日本の温泉に慣れた私たちには、ただお湯に浸かるだけのニュージーランド風温泉は、物珍しかったものの、 きつい日程で疲れた心身を十分癒すことができず、満足いくものとはならなかった。

また、上述したように、この温泉はヒルトンホテルの横にある。ということは、ヒルトンのような高級ホテルでも、 建物内には温泉が無いのであろう。私たちが宿泊した中級ホテルはむろん、部屋の風呂は温泉でなく、普通のお湯であった。 温泉大浴場のような施設もない。日本の温泉地帯の宿泊施設には当然のように各ホテルや旅館に大浴場がついているし、 私たちも温泉に浸かるのを目的として温泉地の旅館に宿泊する。 温泉地にあって内湯のついていないホテルや旅館は、日本ならそもそも商売にならない。 しかし、ニュージーランドではそういったことはなく、温泉に入りたい人は、わざわざこのような温泉施設まで来るのである。 つまり、それだけニュージーランドでの温泉利用は粗放的ということである。 だからこそ、事実上温泉組合が既得権を独占している日本と違って、 温泉地であっても容易に地熱発電を中心とした地熱利用産業が発展できることになる。



中国人経営の、食べ放題レストランで大満足

温泉を後にした私たちは、ホテルの近くにあるレストラン、The BBQ MASTERで夕食をとることにした。

ここでは、ビュッフェ形式で食べ放題の食事をNZ$24.90でいただくことができる。 私たちがこの店に着いたのが20時過ぎで少し遅く、 店も22時で閉まるからであろうか、店内には私たちの他には2組ほどの客しか見られなかった。

ここの経営者は中国人系で、中華料理や寿司、自分でチョコをトッピングができるアイスなど、 雑多な食べ物がカウンターに並んでいて取り放題である。 外装や店内の様子などはヨーロッパ風のファミリーレストランと変わらないので、 ここのアジア人経営者は、中古物件を利用してこの店の経営を始めたのかもしれない。 オークランドの中心部にも観光客向けのエスニック料理店が多く見られたが、 人口が3万人程度の小さな観光地にまで中国人系の飲食店経営者が進出しているのには少し驚かされた。

この店の目玉は、BBQという店名が示すとおり、野菜や肉、魚介類など好みの食材を選んで持っていくと店員が鉄板で焼いてくれるサービスだ。 具材だけでなくソースの種類も豊富である。 値段はいささか高いものの、様々な味を楽しむことができ、食べ放題で心も腹も満足の夕食となった。



満員の夜行バスで、首都ウェリントンへ

食後、私たちは、ホテルのロビーでしばし休養した後、真夜中に、次なる視察地である首都ウェリントン(Wellington)に向かうため、 バスターミナルであるタウポトラベルセンターにやってきた。

このトラベルセンターはタウポ博物館の近く、周囲に店が立ち並ぶ繁華街にある。 バスターミナルには待合所があって、普段は室内でバスの到着を待つことができる。 しかし、この時は夜遅かったため、周りの店も待合所も全て閉まっていたため、私たちは寒空の屋外でバスを待つことになった。

通りは閑散としていて、歩いている人の姿は全く見られず、タウポから乗る客も私たちだけであった。 やがてオークランドからやってきたインターシティ社のバスは、 一昨日オークランドからタウポにやってきた際に乗ったバスと同じニュージーランド唯一の夜行路線で、 2階建てだが車内にはすでに多くの人が乗っていた。私たちは空席を見つけるのに難儀したが、 ようやく全員がぎりぎり座れ、日付の変わった深夜0時56分、ウェリントンに向けてバスは出発した。




(坂本啓輔)