2011年08月28日 トンガリロアルパインクロッシング

早朝の出発 周りはまだ暗い

まだ夜が明けない早朝6時、私たちはホテルのロビーに集合し、送迎の車に乗り込んだ。本日の巡検は、トンガリロ国立公園でのトレッキングを行なうことになっている。雪に覆われたトンガリロアルパイントレッキング(Tongariro Alpine Crossing)をゼミ全員で歩き通し、そのなかで、ニュージーランドの自然利用と環境保護、そしてマオリの聖地という場所を巡る白人とマオリ民族とのコンフリクトについて考察する。

車が走行する国道一号線は、よく整備され真っ直ぐである。早朝ということもあり、都市部から離れた地域のため、車の交通量はほとんど無く、国道を走行しているのは私たちの乗る車のみの時間が長く続いた。民家はあまり見られないが、移動中に数軒のモーテルが見られた。自動車でタウポ湖観光に来た客が宿泊するのであろう。









6時30分ごろになると、夜が明け、日が出た。車はトゥランギ(Turangi)に差し掛かり、国道47号線に進路を変え、先に進む。走行を続けていると、車の左窓からナウルホエ山(Mount Ngauruhoe)が見えてきた。山頂部が富士山のように平たい、美しい山である。しばらく車を進めると、次にルアペフが見えるようになる。ルアペフ(Ruapehu)はトンガリ帽子のように急峻である。

車窓には間引きが行なわれている針葉樹の集まりが見られ、林業も行われている様子である。しかしながら、利用されていない土地も多く見られ、土地利用は概して粗放的である。こうして車は、本日のトレッキングのガイドの事務所があるナショナルパーク(National Park)という名の街に到着した。


ナショナルパーク

国道47号線と国道4号線の合流地点にある街である。ホテルやトンガリロトレッキングのガイド経営など、国立公園探勝の基地としてのサービス業が中心的機能で、これらの事業に携わる人々の居住機能も見られる。もともと、北部のオークランドと南部のウェリントンとを結ぶ幹線鉄道の利用客がトンガリロ国立公園を訪問するためにできた駅の前に発展した集落で、いまも1日1本の旅客列車が、北島の南北の大都市圏を結びつけており、車を利用しないトレッカーの重要な足になっている。

ガイドと合流 入念に服装と装備の確認

7時15分、私たちはガイド事務所に到着した。ガイド事務所は、カフェやショップと同じ建物に入っている。トレッキング前に、ここで軽い食事を取ることもできる。今回、私たちが利用するガイドの会社は、アドリフト(Adift)といい、ガイドはこの会社と契約しているアルピニストである。アドリフト社のホームページによると、同社はトレッキングのほかにも、カヌー体験などの自然アクティビティをビジネスとする企業で、トンガリロ国立公園やウォンガヌイ国立公園コロマンデルなどのニュージーランド北部を舞台として営業している。

事務所内にはトンガリロ山の美しい写真、煙をあげて噴火している写真が掲示されており、トンガリロアルパイントレッキングは、アドベンチャー要素が強く好奇心を掻き立てるアクティビティであるという雰囲気を醸し出している。他にも、アドリフト社が行っているウォンガヌイ(Whanganui)でのカヌー体験の紹介のポスターも掲示されていた。









事務所では、服装と装備品の確認が入念にされた。登山靴、インナーシャツ、ジャージ、バックパックなど、登山の際に最低限必要であろう衣服や装備品の確認が事務所の人と一緒に行われる。事務所の人が、適切な防寒衣をちゃんと着用しているか、私たち一人一人を服装検査する。防寒対策が不十分であると判断されると、ウェアが貸与され、着用するように求められる。結果的に私たちは全員、上半身は保温性の高いインナーシャツ、トレーナー1(2)枚、防寒性の高いアウターの計3(4)枚、下半身も保温性の高いタイツ、防寒性の高いアウター、といういでたちになった。また雪山を歩くので、足元にはブリムスパッツと呼ばれるものが事務所から貸し出され、全員が装着した。

登山靴に装着するアイゼンと、ピッケルも貸し出された。アイゼンのサイズが登山靴にきちんと合うよう、ガイドが1人1人に適したサイズを丹念に選んでくれる。さらに、昼食としてサンドウィッチのお弁当と、おやつのスナック菓子が一人一人に渡された。これらはいずれも、トレッキング料金に含まれている。

日本にも、山岳地帯の国立公園は多数あるが、ニュージーランドのような冬山を対象とした組織的なトレッキングガイドビジネスはほとんど存在しない。このため、上記のような衣類の確認や装備品の準備、食事の準備などは、登山者各個人が行なわなければならない。このため、日本の冬山登山は、ごく少数のエキスパートのみの世界となる。しかしながらニュージーランドはちがう。たとえばこの事務所には、私たちは利用しなかったのだが、登山靴やアウターの貸し出しもある。トレッキングの準備なく、手ぶらで来ても、このガイド会社を利用すれば気軽に冬山に入山できてしまうのである。アドリフト社のトレッキングガイドビジネスは、このように、だれもが気軽に、冬山の自然環境を身近なものとして体験できるように展開されている。

トンガリロ国立公園

私たちが今回通るトンガリロアルパインクロッシングは、トンガリロ国立公園にある。 この国立公園は約8万haもの広さで、ルアペフ、ナウルホエ、トンガリロの火山を有する。ニュージーランドには全国に14もの国立公園がある。トンガリロ国立公園は,1894年にニュージーランド初の国立公園として設定された。これは、世界でも2番目の早さだった。トンガリロ国立公園が、世界的に早い時期に国立公園として登録されたのは、マオリ首長テ・ヘウ・ヘウ・トゥキノ4世の判断によるものとされている。トンガリロの地域はマオリの聖地だったが、マオリ人たちはイギリス人による土地買収の侵略被害にあっていた(キース・シンクレア『ニュージーランド史』青木公他訳、p.105)。1887年、その侵略からは逃れることはできず、子孫たちは土地を切り売りすることになるだろうと首長は考えた。これを奇貨として、イギリス人の政府は、この聖地を守るためと称して、トンガリロの保全を条件にこの土地をマオリから奪ったのである。いったん土地が白人の手に渡ると、これが白人とマオリ人とのコンフリクトの原因になった。白人たちは、マオリの聖地である温泉に裸で入浴するなどして、マオリの自然に対する畏敬の念をふみにじった。そういった経緯をたどりつつ、1990年には自然遺産に認定、そしてマオリ伝説が息づいているということで1993年に文化遺産ともなり、複合世界遺産となった。しかし、それによりマオリと白人政府との複雑なコンフリクトが解消したわけでないことは、私たちが後に温泉の現地に近づいてあきらかになる。

環境と登山者に配慮が行き届いた登山口の施設


今回は非常に良い天気であり、絶好の登山日和であった。ガイドによると、前日まで天気が荒れており、私たちは非常にラッキーとのことであった。まず車で、登山口に向かう。アスファルトの道路を抜け、ダートの細道に曲がって入り、8時30分に登山口に到着した。ここの標高は1120mである。

登山口にはトイレと水道が設置されている。登山道にトイレは全体で2か所しかないので、トイレを済ませるようにと言われた。トイレにトイレットペーパーは設置されておらず、ガイド氏が持参したものを貸してもらう。このトイレには排泄物をバクテリアに分解させる設備が使用されている。下水道を設備したり、排泄物回収の車を寄こしたりするには、ここは街から遠すぎる。登山道にあるトイレは全てこのバクテリアに排泄物を分解させるタイプで、環境保護が図られていた。

この登山口にはまた、雨露をしのぐことができる木造の小屋があり、中には木造のベンチや登山の注意書き、地図の看板が設置されている。看板には自然公園のためトレッキングコース500m以内でキャンプをしてはならない(これは、裏を返せば500メートル離れればテントを設置してもよいという意味になる)、ゴミを捨ててはならない、など旨の自然公園を保護する為の注意書き、沢や川や湖の水が飲むのに適さないこと(どうしても飲むのであれば3分間加熱すること、フィルターを通し濾過することが求められている)、そして登山をする際の装備、体調管理について、などの、環境保全省(DOC)による登山者への注意書きが書かれている。地図には、本日私たちが歩くルートが記されている。

出発時、私たちはガイドに体調について聞かれた。体調がすぐれないのに登山を決行すると、山の中で体調不良を訴えてもすぐには救助を呼ぶことはできない。また意識が朦朧として、足を踏み外し大怪我をすることもあるかもしれない。自己の体調管理を正しく認識することが登山では大切である。









登山開始 はじめはゆるやかな道

8時36分、目の前にそびえたつ雪のナウルホエ山に向かうようにして登山を開始した。私たちが歩行しているエリアには、ところどころに丘のような堆積物が見られる。これはこの地に氷河地形が形成されたときに氷河によって削り取られた岩屑が堆積したモレーンである。また他にも、ここに氷河地形が形成されていた証拠として、トレッキングコースの左右に崖のような岩がむき出しになっている。元々このあたりはU字谷を形成していたのであるが、私たちの歩いているあたりは隆起または堆積物が蓄積し、平坦になったのだという。植生は、冬場だからであろうか、薄茶色の丈の低い植物が茂っている。他にもコケのような藻類が見られた。

私たちが歩く登山道は、1人分が歩行するのに適した広さで、しっかりと整備されている。このあたりはまだ山の斜面に差し掛かっていないので、ゆるやかな登り道である。

DOCによる登山道整備の工夫としては、次のようなものがある。まず、足場の悪いところには木造の足場、そして木造の足場に網状の滑り止め、そしてさらに木造の足場は自然に溶け込むような色使いが施されている。コンクリートをぶち込むような景観を壊す登山道造成ではない。道標も、統一され工夫された、くすんだ緑と山吹色の統一された色使いとデザインになっている。このような登山道の整備は、登山者の歩行を快適にしつつも、同時にこの登山道以外の所を登山者が踏み荒らさないインセンティブをつくり、自然を保護する効果も大きい。ガイドは、登山道以外に足を踏み入れたら、その場所の生態系を壊す恐れがあると注意を促した。登山道の外に人が入らないように、木材の仕切りが登山道の両側に設けている区間もあった。

8時55分、私たちが進むトンガリロアルパインクロッシングは、南西のファカパパ村(Whakapapa Village)にいたるコースとの合流地点に到達した。ファカパパ村まで9km、3時間と表記され、悪天候の場合はさらに時間を要することになると看板に書かれている。同じ地点に、火山危険地図(Volcanic hazard map)の看板が立っている。看板には噴火の写真とともに、その影響が及ぶ範囲を示している。火山噴火の危険が及ぶ範囲を示す看板を設置することで、登山者が緊急事態に備える心構えを促している。事実、私たちが訪れたおよそ1年後の2012年8月6日、トンガリロ山は突然噴火した。

一方の日本では、ニュージーランドのように火山危険地図が掲出されている登山道はほとんどみかけない。これは日本の場合、火山が一度噴火してしまえば、安易に登山禁止区域に指定して、あとは解除することなく長期間放置することが多いのも一因である。こういう状況では、登山活動を地域経済の観光資源にしているところでは、ほんの少しの噴火でも命取りになってしまう。ゆえに、噴火の危険を隠そうとするインセンティブが働くかもしれない。当然これは、万一の噴火の場合に登山者を危険にさらすことを意味する。これに対し、ニュージーランドでは、客観的情報を現場において開示することで、登山者に合理的な判断を促しているのである。2012年のトンガリロ山噴火後、登山道は比較的早く再開された。日本とニュージーランドとの、自然利用に当たっての整備の考え方の違いを、ここに垣間見る思いがする。

9時、前方に二つの山が見えてきた。右がナウルホエ、左がトンガリロである。私たちのトレッキングコースは2つの山の間の凹地を通って道がついている。







9時4分、トンガリロアルパインクロッシングの登山道から外れてマンガテポポ小屋(Mangatepopo Hut)に行く脇道を表示する道標を見た。この山小屋は、国立公園を管理するDOCによって設置されている宿泊可能な小屋である。宿泊利用の際は18歳以下無料だが、大人は、ピーク時はNZ$31、ピーク時外ではNZ$15を支払う必要がある。(Department Conservation Te Papa Atawhaiホームページ Hutの利用)  私たちが進むルートから離れてしまうため、小屋を視察することはできなかったが、環境保全省の管理によってトレッキングを快適なものにする取り組みが各所で行われていることがわかる。



活動を続ける火山、ひっそりと移住植物が自生

9時30分、ギリュウモドキという植物を見つける。この植物の原産はスコットランドで、ニュージーランドの原産植物ではない。イギリス人が入植の際に、ギリュウモドキの種子が衣服や貨物に付着してやってきたのであろう。英領植民地を開拓したイギリス人には、スコットランド出身者が多い。このことが、植生にすら現われている。イギリス人が持ち込んだものは、移民や家畜や生活様式だけでないのである。

山が近付くにつれて、周囲にはごつごつとした溶岩が固まった黒い岩が多くみられるようになった。中には黒い岩が酸化した赤い岩も見られる。このエリアは足元が不安定で、木造の足場が設けられている。

10時00分、仮設トイレが設置されている場所にたどり着き、私たちは10分間の休憩を取った。標高は1350mである。設置されているのは仮設トイレだけで、休憩用のベンチなどは設置されていない。自然保護のため、人工施設は最低限に留められている。トイレは登山入り口と同じようにバクテリアで排泄物を分解するものである。

この場所から北におよそ300メートル先にソーダスプリング(Soda Springs)がある。トレッキングルートから離れてしまうため立ち寄ることはできなかった。

5分ほど休憩を取り、トレッキングを再開した。ごつごつした岩とともに、雪の量も増してきた。

10時10分、私たちは急峻な登山道の入り口に到達した。登山道が急峻になる所の入口に、「STOP」と大きな文字で表記された看板が設置されている。看板には、この先に進むにあたり、天気などの気象状況はどうか、装備は万全か、先まで行く体力はあるかと書かれている。ここから先が、本格的な登山コースになる。

とはいえ、急峻な登山道には、今までにもあったような木造の足場が設けられており、安全に上ることができた。また階段以外の場所も滑り止めの六角形のゴム編みが地面に埋め込まれているので、滑ることなく歩くことができた。土は、火山が活動しているので温かかった。

10時22分、標高1480m地点に着いた。出発地点から、標高差にして300m登ったことになる。この標高まで登ると下界が広がって見えるようになる。西側に雲がかかっているが、遠く、富士山のようなきれいな円錐形をした標高2518mのタラナキ山(Mt.Tranakki)(英語名:エグモント山)(Mt.Egmont)の山頂部を見ることができた。タラナキ山(エグモント山)は、富士山に似ているとして、映画『ラストサムライ』のロケーションに使われた。( Welcome to samurai village『ラストサムライ』の舞台を訪ねて)


雪線を越え、アイゼン装着、ピッケル使いかたのレッスン

10時30分に休憩が入った。標高は1530mである。このマンガテポポ鞍部(Mangatepopo Saddle)のあたりまでくると、かなり雪が積もっている場所が多くなってきた。ここで、ガイドから、ピッケルの正しい使い方を教えてもらうことになった。登山中は杖代わりとして使う。ピッケルについている紐を手に巻きつけ、ブレードの部分を握り使用する。歩く際は大股ではなく小股で慎重に歩く。地面に突く部分も尖っているため、周囲に危害を与えない為に前後に激しく振り回してはいけない。また、斜面を滑落してしまった時、ピッケルを使って止めるやり方を教えてもらった。ブレードの部分の尖っていない部分を自らの胸の場所にあて、尖っている部分を地表に突きたてる。雪面で実際にやって見せながら、ガイドは一生懸命私たちに説明してくれた。登山家にとっては、ピッケルの使い方は当たり前のことである。ピッケルの使い方を訓練しなければ、そもそも冬山には入れない。しかし、私たちのような登山初心者は、ピッケルの使い方は分からない。ニュージーランドでは、ガイドとともに登山を行うことで、ピッケルの使い方などを正しく理解しながら、初心者でも冬山の自然環境の中にアクセスできるツーリズムが行なわれているのである。これに対し日本では、ニュージーランドほど登山ガイドビジネスが普及していないので、ピッケルの使い方のレクチャーは知り合いの登山経験者やピッケルを購入する店、ネットや本を参考にするしかない。あるいは、危険だとして、そもそも冬山登山をあきらめるかである。ニュージーランドのツーリズムは、能力あるガイドサービスの提供によって、日本であればエキスパートの領域とされている自然環境にも一般市民をアクセス可能にするというところに、一つの特徴があることがわかった。ピッケルの使い方のレッスンの後、私たちは登頂を再開した。

この頃から雪上を歩行するようになる。道標の支柱が深く雪に埋まっていて、積雪量の多さがわかる。夏季の登頂ならば足場が見えるのかもしれないが、雪で地表が覆われているため、見つけることが出来ない。私たちは、安全に登頂するために、本来の正規ルートから若干南側に彎曲するようにして逸れるルートを取ることになった。









11時5分、サウスクレーターに到着した。標高1655m地点である。広く平坦な場所である。夏道は完全に雪で覆われており、積雪は登山道で見かける木の棒が埋まっているところから、1mを超えている。この地は右側のナウルホエ山の溶岩が噴火口の後を埋めて形成された場所とのことである。私たちは、雪を踏んで、このクレーターを横断する平坦な道を進んだ。

この地点はナウルホエ登頂ルートとの分岐点で、ナウルホエ山を登頂する人は、ここで南に行くことになる。ただし、明瞭な登山道はついておらず、適当に斜面の歩きやすいところを自分で見つけて登る、エキスパートの領域となるらしい。日本であれば、必ず頂上まで道標のついたかなり立派な登山道を、誰かが作っているであろう。一般市民の領域と、エキスパートの領域がはっきりと分けられていることが、ニュージーランドの国立公園整備の特色であることがわかる。






アイゼン装着、山頂までもう一息









11時30分、サウスクレーターを歩き終え、私たちは、ガイドの指示の下でアイゼンを登山靴に装着した。日本の生活様式の欧米化のなかで、登山やスキーの野外スポーツが海外から導入される際、ドイツやオーストリアの影響が強かった。このため、アイゼン、ザイル、ゲレンデなど、ドイツ語由来の外来語が今でも多く日本で使われている。しかし、ニュージーランドでは「アイゼン」と言っても通じない。英語で「クランポン」(crampon)と呼ぶのである。ガイドは、一人ひとりのアイゼンの装着具合を確認し、上手く装着できていない場合はガイドがマンツーマンで装着を手伝ってくれた。次にアイゼン装着時の歩き方について教わる。ピッケルを杖にして歩幅を小さく歩くのがポイントである。斜面を下るときは通常足を雪の斜面の水平方向にたてて降りるが、アイゼン装着時は、まっすぐ斜面の方向に歩いた方が安定するということを教わった。また転倒した場合は、足を延ばさず足の裏が見えるように膝を曲げ、ピッケルで動きを止めるとの指導があった。一人ひとり実演し、ガイドにできているかどうか確認してもらった。装着後は軽い水分補給を行い、30分後に出発した。

トンガリロアルパインクロッシングの最高地点であるレッドクレーター頂上までは、やせた稜線を歩くことになるが、雪で埋まっているため木の棒を目印に進むしかない。上り坂は急峻で、ピッケルとアイゼンを駆使しつつ私たちは慎重に登った。




12時15分、10分間の休憩をとる。出発してわずかな時間しかたたないが、気温が低く風も強いため体力の消耗が激しい。こまめな休憩をとりいれ、安全に登頂を目指した。

12時30分にトンガリロ山頂へと続くルートへの分岐点に到達した。夏季なら私たちでもトンガリロ山登頂が可能らしいが、冬季の足場は悪く、私たちのような登山初心者が登頂するのは困難とのことであった。

12時34分、レッドクレーターの火口サイドにたどり着いた。ここは平坦な地で、鉄の成分を多く含んだ地表が酸化し、火口部が赤く露出している。今の季節、この火口部は雪で埋まってしまっているが、雪が溶ける夏季にはエメラルド色の火口湖となる。付近の地表に、雪が見られなくなった。火山が活動しているため、地表が温かくなっているからである。









12時38分、私たちはついに山頂に到着した。標高は1886mである。出発口からちょうど4時間かけて、標高差約760mを登りきった。山頂からは近くにトゲトゲしたトンガリロが所々に岩肌を露出しながら眼前に広がっている。しかしながらトンガリロの奥は私たちのいる場所よりも標高の低い土地が広がって見える。遠景には、映画『ロードオブザリング』に出てくるという山脈が連なっている。山頂では、気温が低いのでわずか15分の休憩であった。その間に昼食のサンドウィッチを食べ終え、全員で写真撮影し、あわただしく下山を始めた。



湖を望みつつ下山

午後になっても天気は良好である。この先、下山ルートの夏道は痩せ尾根や斜面があって危険なため、夏道通しではなく、ガイドの先導で、雪面の安全なところを下降することになった。ゼミ生は皆、さきほど教わったとおりにピッケルとアイゼンを使用して慎重に斜面を下った。気分だけは、ヒマラヤの登山家である。次はセントラルクレーター(Central Crater)を横断する。ここはかつての噴火口で、周囲にはトンガリロや、先ほど登頂したレッドクレーターなどの背の高い山がとり囲んでいる。

雪山にはぽっかりと穴のあいた場所もあるので注意を怠ってはならない、とガイドから注意があった。運悪く穴に落ちると助からないかもしれない。ガイドの歩いた道を私たちも続いて歩き、安全に進んだ。深いところでは積雪が3m以上あると思われる。

13時40分、クレーターを越えたところで10分ほどの休憩をとる。標高は1740メートルである。この地点は峠のようになっていて、ここから湖が見える。ロトアイラ(Rotoaira)湖である。そう教えられる前まで、てっきりタウポ湖と思っていたのだが、さらに奥に海のように見えるのがタウポ湖である、とガイドに言われた。タウポ湖は1800年ほど前の火山大爆発によりできたカルデラ湖である。ニュージーランド最大の湖で、表面積約613km2である(琵琶湖は670 km2)。(ニュージーランド学会編『ニュージーランド百科事典』189ページ)

休憩を終え再び下山の歩みを進める。夏道は、この先急な斜面をトラバースするようにつけられていて、雪崩や滑落の危険が高いことから、道のない沢をそのまま下ることになった。ガイドは、夏道を示すためつけられたポールを指しながら「あんなところをこの季節に通るのは、エキスパートか向こう見ずな馬鹿かどちらかだ」と言った。標高が下がるにつれて、雪が消え、岩肌が見えるようになってくる。ガイドが落石する場合があり気をつけて歩くようにと指示をうけた。氷が融解した地では落石が起こりやすいからである。春・夏・初秋に岩肌の間に水が入り込み、それが冬に氷結して膨張し岩を砕き、春になって溶け落石となってしまう。

我々が歩行しているルートは所々氷が溶け陥没している状態となっていた。雪の層が脆弱となり、足を取られてしまうこともあり、ガイドが途中で歩きやすいルートを選んでくれる。このことで確かに安全にトレッキングを進めることができるのだが、道ではないところの植生を私たちが踏み荒らしているわけで、自然環境を守る国立公園管理を無視した形でトレッキングを行っていることに、若干の心の痛みを覚えた。

14時6分、ガイドからアイゼンを外すよう指示される。標高1475mである。アイゼンを鞄の中に入れ、10分程度の休憩をとった。

休憩してすぐに、少し沢の横の斜面を登り、夏道の登山道と合流した。この先からは、登山道を歩いて下山する。


整備されたケテタヒ小屋

2時40分、標高1450m。私たちはトイレがあるケテタヒ小屋(Ketetahi Hut)に到着した。山小屋は、景観を壊さないように茶色を基調とし平屋建ての立派な建物になっている。山小屋は土足禁止となっており、靴を脱がなければ中に入ることができない。内部には部屋が二つあり、入り口側の部屋には中心にテーブルとベンチ、そばに暖炉や6人分の二段ベッドが設けられている。また台所もあり、自分で食材を持ってきて自炊できるようになっている。ただし、私たちが訪れた時は、水が出なかった。もう一つの部屋にはベッドとテーブルとベンチが設置されており、寝室のようだ。

小屋にはほとんどゴミは落ちておらず清潔である。土足で小屋に入ってはならないことと、国立公園の職員や利用者自らが清掃しているのだろう。

小屋の中に記録帳があり、たくさんの書き込みがある。アメリカやドイツ国籍の登山者の書き込みも見られた。ガイドによると、この小屋は、夏は予約制となっているが、冬は寄付制となっている。管理人はおらず、利用者が自主的に料金を納めてゆくのである。ニュージーランドの自然公園運営は、過度な人の介入を排除しつつ、完全に排除するのではなく、管理された地区では登山客に設備を提供し、自然環境と共にすごす経験をもってもらおうとする姿勢が窺える。


廃止された登山道: マオリと白人との自然を巡るコンフリクト










地図を見ると、国有地から成るこの国立公園の中に、飛び地のように「私有地」が存在する。出発する前から、なぜこんなところに私有地があるのか疑問であった。実は、この私有地は、マオリ人にとって精神的信仰対象であるケテタヒ温泉 (Ketetahi Hot Spring)がわき出るところなのである。ところがイギリス人が入植すると、この温泉は、マオリにとっての宗教的価値を考慮されずに、保養地として利用され、白人が裸になって入浴を楽しむ場所になってしまった。これが、マオリにとって、聖地としての温泉に対する重大な侮辱を意味することは、いうまでもない。

登山道が建設される際も、温泉へのアクセスをよくするため、私有地を通ってこの温泉に近接するルートが建設された(旧道、地図の赤い細線)。野外活動が人気を呼ぶニュージーランドではトンガリロ国立公園のガイドビジネスに多くの需要があり、白人が経営するガイド会社が現れるようになった。そして、これらの登山ガイド会社が、この登山道を通って、多くの登山者を案内し、利潤を得るようになった。登山者のなかには、山歩きの汗を流すため、ケテタヒ温泉に入浴する者も少なからずいたであろう。これにマオリ人たちは反発した。そして、白人が経営するガイド会社は、客を連れて私有地を通過することを禁止されてしまった(ガイドを伴わず個人で行くならば可)。つまり、トンガリロアルパインクロッシングのセントラルクレーターから北には、白人経営のガイド会社が登山者を案内できなくなってしまったのである。

そこで、国立公園を管理するDOCは、マオリの私有地を通過しない新ルートを建設することにした(地図の赤い太線)。これは2011年初頭に完成し、現在のトンガリロアルパインクロッシングの公式ルートとなっている。新ルートの建設にはNZ$30万の費用がかけられた。これにより、白人が経営するガイド会社も、再びトンガリロアルパインクロッシングの案内をすることができるようになった。旧ルートは、白人が経営するガイド業者は通行禁止になっている。つまり、この新ルート建設は単に旅行者がマオリの聖地である温泉に侵入することを防止するというマオリに対する配慮というよりむしろ、白人が経営するガイド業者が、民族間のコンフリクトに影響されず安定的にトンガリロ国立自然公園でガイドビジネスを取り組めるようにするための策であるとも考えられる。そして、ガイドビジネスが安定すれば、DOCは、これらのガイド業者から自然公園利用料金を安定的に徴収できる。ネオリベラリズムの政府にとって、安定的な財政収入は、いうまでもなく重要である。

もっとも、マオリ関係の規制は、登山道に限ったことではない。トンガリロアルパインクロッシングをガイドする際に、白人のガイドが、登山客に対しマオリの伝説や歴史を話すことも禁止されている。私たちのガイドは白人なので、ここでマオリの伝説について説明はできない、と私たちに告げた。マオリの人たちは、白人が、自分たちの民族の伝統をゆがめて登山客に伝えるのを警戒しているのだと思われる。

ワイタンギでマオリの方からお話を伺ったのに引き続き、このトレッキングでもでもまた、私たちは、イギリス人がマオリの土地に侵入し植民することで成立した現在のニュージーランドが今なお抱える根深い民族対立と不信の構図を、思い知った。 14時56分、私たちは、新道を通って下山をはじめた。道は緩やかな下り坂となっている。新ルートは半年ほど前に完成したこともあり、きれいに整備されていて大変歩きやすい。足元の悪い所には黒い滑り止めと木の板が敷かれており、安全に下山することができる。また木製の橋もあり、アップダウンが少なくなるように配慮されている。

15時20分、私たちは、旧道との合流点に到着した。標高は1280mである。旧道の目印となる道標は引き抜かれており、登山客が誤って旧ルートに入り込まないようにされている。このさき旧道を進めばマオリの聖地である温泉に到達するというような案内板は、もちろん立っていない。

日本ならば、少数民族の精神的象徴で文化的価値があるケテタヒ温泉のようなものは、真っ先に登山者が立ち寄る名所として注目を引くであろう。近くに、レストハウスのようなものも建ちそうだ。しかしニュージーランドにおいて、この温泉は、イギリス人に娯楽としての保養目的で使用されたという経験がもたらしたマオリ民族の屈辱の歴史が埋め込まれた場所であり、白人に対する自らの反感を示す表象ともなっている。それゆえ今後、この温泉が観光地として利用されることが進展するとは考えにくい。


無事に下山 ガイドのありがたみを感じる

15時37分、標高1130m。出発地点と同じ高度へと戻ってきた。下山の道は非常に歩きやすく整備されていて、早足で山をかけ下りることができる。砂利が敷かれ、その砂利の中には滑り止めや地滑りの為の正六角形のマットが埋められた所もある。15時47分、10分足らずで標高1045m地点へと行くことができた。ベンチも、小さなものであるが設けられている。

私たちはさらに下り、樹林帯に入る。登山道の横に小川が流れている場所にたどり着く。水分を切らしてしまったので、川の水を飲みたい気持ちに駆られるが、この小川は硫黄を含んでいるため飲んではいけない、とガイドに制止された。16時22分に滝が見える地点に着く。小規模ではあるが、滝を観るための整備も行われている。






16時30分。ほぼ予定通りの時刻に目的地に着き、全員、出発して約8時間で、トンガリロアルパインクロッシングを無事歩ききった。この場所にも登山道入り口と同じように雨をしのぐことができるような木造の建造物や看板が設置されている。ガイドに今回レンタルした装備や弁当箱を返却し、最後に記念撮影を行った。

今回の登山では、ガイドの細やかかつ明快なサービスが印象的であった。装備も全てレンタルで揃えることができ、そして昼食やスナック菓子までも用意してもらえる。登山時でもピッケルやアイゼンなどの使い方や安全な歩行ルートを教えてくれる。私たちの多くが登山初心者であるにもかかわらず、冬山登山を体験できたのは、ひとえにガイド、そしてこのガイドサービスを提供するアドリフト社のおかげと言っても過言ではない。

一方、日本はどうだろうか。現在、日本はちょっとした登山ブームとなっており、高校や大学時代に山岳部に所属したことがなくても、土日祝日となると山に繰り出す人々が、若い女性を中心として多い。これらの人々は、どうしたら正しい登山の技術や知識を身につけることができるだろうか? おそらく市民向けの登山クラブといった団体に属する必要があるであろう。だが、大人になってまでそのようなクラブ活動に参加するのを疎ましいと考える人々もいる。そこでガイドを雇おうとしても、今の日本には本格的な登山ガイドを生業とする人は少ない。そこで、日本では旅行会社が、経験の乏しい人をガイドに仕立てて、初心者や高齢者を登山に連れて行くビジネスが生まれている。だが、案内する山に登るのが初めてというような未熟なガイドに率いられたグループが、比較的難しい登頂に挑戦し、大量の登山者が命を落としてしまう事件が、北海道のトムラウシで2009年に起こっている。ニュージーランドと比べ、日本政府の自然公園利用に関わる規制と管理が杜撰であることを示す一例である。

登山が自然を相手にするスポーツである以上、経験者から学ぶことは多い。日本には魅力的な山が多数あり、老若男女で登山に参加する人達が増えている。今後、日本においても、ニュージーランドのように、政府が十分な能力と資格を持った登山ガイドならびにそのサービスを提供する業者を育成し、それを気軽に一般市民が利用できるシステムを構築していかねばならないであろう。


豪華な夕食とマオリの方からの話で過ごす夕べ

17時48分、ホテルに到着した。しばし体を休め、ホテルで運営されているレストランで夕食を取ることにした。高級感のあるレストランである。大陸ヨーロッパスタイルで料理は出され、メインディッシュは手羽先の甘辛ソース仕立てであった。

夕食後、2人のマオリ人が私たちを待っていて下さり、お話を伺うことができた。

今回のトレッキングにあたり、私たちはマオリのことを踏まえて活動しようと考えたため、マオリ人の経営する会社にガイドを頼んだ。しかしながら、マオリの人たちは冬山の技術を持っていないため、冬季はガイドをすることができない。また、マオリの人たちは、自然にまつわる伝説を登山客に聞いてほしいが、冬は日が短く、歩く途中で話に時間をとっていると日が暮れてしまう。このため、冬季は、ガイドをアドリフト社に委託し、伝説はホテルで語るようにしているとのことである。

初めに、ニュージーランド北部にある山に対するマオリ伝説を聞かせてもらった。ニュージーランド北部には7つもの山があり、マオリ人は、7つのうち6つが男、1つが女とみなしている。男の山はトンガリロ, ナウルホエ,ルアペフ (Ruapehu),タラナキ,タウハラ( Tauhara),プタウアキ( Putauaki), そして女の山はピハンガ( Pihanga)である。男6山のピハンガをめぐって激しい争いの結果は、最終的にトンガリロの勝利でピハンガと結ばれ、戦いに敗れた他の山々はそれぞれ別の場所に移動したのだった。

他にもラグビーのニュージーランド代表が試合前に行うハカ(haka)の起源が北部のこの地域にあることを話してくれた。その起源はイギリスとマオリが争っていたときに遡る。その当時、ひと騒動を起こしていたテラウパラハという男(Te Rauparaha)が複数のグループに追われる生活を過ごしていた。その追われていたテラウパラハをこの地域の首長であったテワランギ(Te Wharerangi)が匿い、さらに処女の女性を結婚相手として差し上げたのである。処女との結婚とは部族間の結びつきを強めるために用いられるマオリの伝統様式であった。それに感謝してテラウパラハは祝してハカの詩を詠んだという。

いうなれば、ラグビーのニュージーランド代表は戦いを鼓舞するようにしてハカのパフォーマンスを行っているが、むしろ祝いとして意味合いがあるとのことである。

次に、私たちがトレッキング中に出くわした私有地について、意見を伺った。現在、トレッキング中のガイド氏からも伺ったように一般のガイドは旧ルートを通ることを禁じられている。

以前は、その私有地を所有するマオリ人は、登山者が自由に温泉に出入りすることを認めていたそうだ。しかしながら、登山者が、ケテタヒ温泉の周囲で酒を飲んだり、ゴミを散らかしたりと目に余るようなマナーの悪さが目立つようになり、温泉に近付くことを禁止したとのことである。マオリ人が直接登山者を案内する場合は、旧道を使用したガイドができるとのことである。

最近、私たちも通行したマオリの聖地である温泉のそばを通らない現在の新ルートが建設された。だが、これは決してマオリ人側が望んだものではなく、環境保全省が主導して、税金や、業者に課す国立公園利用料金 (concession fee)を使って政府がいわば勝手に造成したものであるという。環境保全省による新道建設によって、白人を中心とするガイド会社は、ビジネスを行いやすくなった。一方でマオリの人達が、私有地を持つことによって国立公園の運営に対市これまで発言してきた力や政府に対する抵抗力が縮小されるようになった現状が窺える。

その国立公園利用料金の内訳としては、申込料金(application fee)約NZ$1000弱(5年間有効)、モニタリング課徴金(monitoring fee)NZ$300 (1年間有効)、環境課徴金(Environmental fee)NZ$30o(1年間有効)、利用者1人あたりNZ$10となっている。マオリ人経営者の彼らも期限ごとにそれらの申し込み料金、モニタリング費、環境課徴金を支払っているとのことである。

今回のトンガリロのトレッキングで、私たちは、ニュージーランド政府の国立公園管理における整備水準の高さと合理的な組織化のありさまを見ることができた。その一方で少数民族のマオリに対して、話し合いによる和解の道ではなく、白人の空間とマオリの空間とを分離することで野外活動空間全体の整備を行おうとする、ニュージーランドの白人政府の姿勢がわかった。今日一日、学ぶところの多い巡検であった。登山のあとの快い疲れから、早めに眠りについた。



(内田大介)