<共同体(地域)通貨の、社会運動における可能性>









ヴィラ・ユーリンクでのバーチさんとのやりとり、そして爽快な

ハレの街のサイクリングを終え、アパートに戻ると、バーチさん

は私たちのために、心づくしの夕食を用意してくださった。





だが、夕食の準備に入ってからも、私は何かどうしてもひっかか

るものが抜けなかった。というのも、デーマックでの活動を終え

た彼は今、 ATTAC 
(Association pour une Taxation des Transactions 

           financieres pour l'Aide aux Citoyens;

市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション)

という国際NGOに参加しているからだ。



この団体は、投機的に動く国際的な短期金融取引に「トービン税」

(社会開発・環境対策の財源調達のため,または為替投機抑制の観

点から外国為替取引等の国際金融取引に対し課すことが提案されて

いる低率の税金。『有斐閣経済辞典』)を実施させることを目標と

している。



だがこれは、デーマックという局地的な活動とは、およそ思想的、

理念的な次元も空間スケールも異なっているのではないだろうか。

なぜ彼は、国際的な投機や、世界規模での貧富の格差、地球環境

問題に関心があるのか。また、そうした地球規模での諸問題の中

で、LETS、そしてデーマックの意義と限界を、バーチさんはどう

考えているのだろうか。バーチさんが持っていた、NHK-BSで放送

された『エンデの遺言』のビデオを改めて見直してみて、地域通

貨の可能性と問題点について、バーチさんと討論したいと思った。



食事の準備中に、私は、話したいことを簡単に紙に書いておいて

バーチさんに渡しておいた。夕食中にバーチさんへ「あなたに伝

えたいことがたくさんある」と言ったら、食後にもっと話そうと

いうことなった。











和やかな歓談がはずんだおいしい夕食の後、皆それぞれ自由にく

つろいでいたが、私とバーチさんはテレビのある部屋で、自然と

立ちながら話し始めていた。



 

まず私は、地域通貨は今日の世界規模での貧困や環境問題に対し

ては有効なのだろうか、と尋ねてみた。

彼は、「yes and no!」と答えた。今日我々は非常に複雑な問題

に取り組まなくてはならない。そのためたった一つの試みだけで

は、全ての解決にはならないのだ、とバーチさんは言う。



1920/30年代の大恐慌期に、地域通貨(自由貨幣)は人々の基本的

なニーズや雇用状況に良い影響を与えた。現在人々は、その経験

を真似しようしている。だが、当時と比べ今は、経済情勢や人々

の心構えが、異なっている。そしてより大きな違いは、今日では、

経済が全ての問題のについてその一部になっている、ということ

だ。



1920年代には気候変動は大きな影響を及ぼさなかったのに対し、

今日では、食べ物、水、エネルギーを局地的に自給することが例

外になり、分業が深化して、事態はより複雑になっている。

そして、科学技術などは、そうした問題を分析し、解決できない。

そのようなときに必要なのは、LETSのような「実験」なのだ、と

バーチさんは言う。



LETSに参加することで人々は、社会とそこに生きる人々がどのよ

うに「動いている(work)」か、知ることができる。これは政治・

経済・社会を変えていく上での重要な前提条件である。だから、

LETSを評価するには、それが持つ「長期的な効果」だけでなく、

「副次的な効果」にも注目することが大切だ。デーマックも、

幾つかの大学での幾つかのプロジェクトに携わっていた。



バーチさんは1988年以来、教育的な仕事をし始め、後にはエコ

ビレッジ運動やnatural birth運動に加わり、94年にデーマック

に出会ったのだ。そのとき、デーマックは皆で何かができる、

開かれたシステムのように感じられた、と言う。





次に私は、1930年代の地域通貨の使用目的と1980、90年代のそれ

とは異なっているのではないか、と質問してみた。30年代の自由

貨幣運動で人々は、地域通貨(当時は自由貨幣と呼んだ)を経済的

な問題(流通貨幣量不足に起因する不況と貧困)を克服するために

使用した。これに対し、80、90年代では、南北問題や環境問題と

いう世界規模の諸問題を克服するためにも、地域通貨を使用して

いるのではないか。

 

これに対しバーチさんは、リーダー達についてはそのような

「思想的要因での使用」があるのかもしれないが、一般の参加者

は必ずしもそうではない、と述べた。



むしろ非常に、「経済的要因」で参加してくる人たちが多いのだという。





だがこの「経済的要因」は、デーマックにとって大きな落とし穴

でもあった。夕食後、我々は、かつてデーマックの会合が毎週定

期的に開かれていた、ハレの下町にあるクナイペにみんなで出か

けた。これは、そのときバーチさんが語ってくれた経験でもある。





<ハレ市内のクナイペに向かう途中。向こうから路面電車が近づいてくる。>


デーマックに参加してきた人々は、そこで通常の市場と同じよう

な財やサービスの交換が行われることを期待していたのだ。例え

ば、あるサービスを提供してもらうよう交換リングで申し込んだ

とすると、アポイントメントの時間きっかりにサービス提供者が

現れ、市場で得られるのと同等の品質のサービスを多くの一般参

加者は期待する。それが提供されないと満足しない。ところが、

サービス提供者の側は、ボランティアでやっているとの意識があ

るので、他に外せない要件ができればアポイントメントの日時を

勝手に変えるし、サービスの中身も、品質最優先というわけでは

ない。こうして、デーマックによる交換リング自体に、不満と不

信感が広がっていき、システム自体の崩壊につながった、という

のである。





バーチさんらは最初、デーマックに大きな希望を寄せていた。

「こんな単純な方法で、世界の諸問題が解決できてしまうのかも

しれない!」と。



だが、それが崩壊したときには、大きな失望になっていた。

西から市場経済が押し寄せてくる中で、人々の日常意識は、ます

ます市場主義にからめとられている。なによりも、東ドイツの社

会主義時代と異なり、メンバーのほとんどは、まず自分達で生活

をやりくりしなければならなくなった。アパートの家賃を稼ぐ、

家族を支える…のに最も容易で、唯一の方法は、人々が法定通貨

を使用し、「普通」の市場社会の構成員の一部になることなのだ。



またある人たちはデーマックの計画のために何百時間、何百ユーロ

も費やさざるを得なかった。それらは全て、ウェブサイト、地球

にやさしく生きるためのテキスト



『Einfach besser leben (Voluntary-Simplicity)』

(Magdeburg: Arbeitsstelle Eine Welt, 2002)、



Wir 2000プロジェクト、10以上のPR活動、プレゼンテーション、

ドイツやヨーロッパ各地での講演、数百通の電子メールでのやり

取り、20以上の新聞などへの記事へと「投資」され、デーマック

とともに消えたのである。まさに「PRバブル」でしかなかったわ

けだが、バーチさんはドイツでの他の(地域通貨の)取り組みに比

べうまくいったほうである、と自賛した。





「…だからこそ」、と彼は続けた、「旧東ドイツのような状況下

では何もできないのだ!」と。



一体これはどういう意味なのか、私には理解できなかった。不況

の中で生まれた地域通貨が、失業率20%以上の旧東ドイツでは機

能しないなんて…。不況の中でこそ、地域通貨が大きく機能して

よいはずではないのか? 驚きと興奮を抑えつつ、私は、彼との

話し合いにのめりこんで行った。

  <クナイぺからの帰り道の広場> バーチさんによれば、多くの人々はinner poverty(内面の貧困) のためにデーマックへ参加したことを、わずかながら恥じていた。 inner poverty、すなわち「寂しさ」「新たな市場主義の世界での 生活への不適応」、「友人やパートナー探し」などだが、彼らは こうした参加動機を語ることを躊躇しがちであり、話しても匿名の場合が多かったそうだ。社会主義の計画経済よりも旧西ドイツ の市場経済が優れているという日常意識が、旧東独ハレ市民の根 底に刻まれてしまっていたがゆえであろうか。地域通貨という手 段は、このような、市場主義に冒された人々の日常意識を変える には、力不足に過ぎるのだろうか。 それでも、市場主義がもたらす疎外からの癒しと克服を求めて、 地域通貨に参加してくる人々はいる。このことは、先に質問した ように、1930年代とはまた違った地域通貨の使用目的になるので はないだろうか。そう思いながら私は、次の質問に切り替えた。 すなわち、なぜ今日人々は制度的には脆く儚い地域通 貨へと惹きつけられ、参加するのか。 これに対しバーチさんは英LETSの衰退なども含め、今の段階では わからないとした上で、次のようなことを話し始めた。 現在、ドイツ南西部ではPensioners Aid Societiesと呼ばれる 互助システムがうまくいっているという。そのシステムは日本での 「ふれあい切符」に相当し、バーチさんは非常に関心があると言っ ていた。 「ふれあい切符制度」は「介護並びに家事援助及び精神的援助を 行った場合、その行った時間またはこれに相当する点数を特定の団 体に登録することによって、預託者本人またはその両親その他一定 の者が必要とする場合、預託した時間または点数を用いて介護等を 受けることができる制度」(田中尚輝『市民社会のボランティア』 丸善ライブラリー、1996、152頁)であるが、私としては,日本の互 助制度が知られているのが嬉しかった。その上で,もし今後LETSが 衰退するのならば、贈与経済が発達するだろう、とバーチさんは期 待を込めていう。その証拠にドイツの全ての大都市ではボランティ ア・センターがあるし、ハレ市でもデーマック終了後も互いに取引 は続いているからだ、というのだ。 更に私は、今日人々は世界規模での貧富の格差、環境問題に対して なすすべがないと感じ、地域通貨にすがっているのではないか…、 と問うてみた。 それに対する彼の返答はまたも「yes and no」であった。この地球 の現状においてLETSへ参加するだけでは何ら目に見える効果は期待 できない。が、それはLETSが意味のないということなのではない。 <ハレ市内の教会前の通りで> 発展途上国の累積債務を帳消しにする世界規模での運動、 ジュビリー2000も失敗に終わったかもしれない。そして、発展途上国 への搾取は、もちろんまだ続いている。やはり資本主義というものは、 強力なシステムであり、同時に、それを変えようとする者全てに戦い を挑んでくる、とバーチさんは指摘する。 これに対し、LETSのように、オルタナティブな経済を求める運動はま だ始まったばかりだ。「我々はこの運動から多くのことを学べるのだ。 そして最も重要なのは、議論をすること。ATTACでも他人の意見への寛 容さが求められているが、そうした態度は将来新たな変化をもたらす だろう。ATTACの表題でもある投機的な短期資本取引への課税、すなわ ち「トービン税」でさえも、グローバリゼーションという問題へ取り 組む最初の一歩に過ぎない。大切なのは今日、明日にトービン税を実 現させることではなく、対話を続けていくことだ。ATTACでのそうした 対話は世界を変革する力となるだろう。」と、バーチさんは未来へ の展望を力強く語った。 <早朝のハレ市内、最後の滞在日、バーチさんの家に向かう途中> 最後にバーチさんは、自分の信念は「地球を愛すること!」だと述べた。 そして、グローバリズムのもとで「全ての事柄は互いに関連しあって いる。だから、もしも自分が住むその場所から何か(LETSでも何でも) を始めてみるなら、運動は世界中に散らばり、それぞれの場で良い効 果をもたらすような「衝撃(impulse)」になる」はずだ、という。 グローバルな資本主義は、こうした、世界各地に散らばった「衝撃」 が互いに結びあうことによってこそ、次第にほりくずされてゆくもの なのかもしれない。                      (山中広記)